あまりの好調ぶりがあだとなってニッカの「余市」が販売終了に。
もともと人気が上向いてきていたところに「マッサン」がさらに後押しした結果です。皮肉な事に現在商品に使われている原酒は1990年代から2000年代初頭に仕込まれたもので、この頃は国産ウィスキーの人気が下火…というかどん底に近い時期で、恐らく原酒の仕込み量も少なかったんじゃないかな~って気がします。
ビールなら数週間から数ヶ月もあれば品薄状態も回復できるでしょうが、商品化まで何年もかかるウィスキーはそりゃ10年以上も先の人気など読めようはずもないですしね。
こんばんは、小島@監督です。
販売終了になったとしても「余市」のブランドは残すそう。いずれ良い形で復活して欲しいものですね。
さて、今回の映画は「百日紅-Miss HOKUSAI-」です。
江戸後期を代表する浮世絵師・葛飾北斎(声・松重豊)、その娘であるお栄(声・杏)。父に似て慎みを欠き負けず嫌いで気風の良い男勝り。色恋には不器用。だが父に劣らぬ画才を持っていた。時に北斎の代筆もこなしながら自身のスタイルを探す、彼女の青春とは。
「クレヨンしんちゃんアッパレ!戦国大合戦」などで知られる原恵一監督の新作は、故・杉浦日向子が1987年に発表したコミックを原作に、後に画号を葛飾応為と名乗る女浮世絵師・お栄の青春を描くアニメーションです。
浮世絵師葛飾応為については正直名前しか知らなかったので、今回の映画を観たのを機に少し調べてみたのですが残っている作品も少なければあまり記録も残っていない人物のようで、恐らく作中のエピソードはほとんど創作なのでしょう。ただ北斎の代筆をしたことがあるのは確かなようで、北斎作とされる作品のいくつかは応為のものではないかとする説もあるそうです。作中でも版元は代筆と知りながら何も言わずに喜んで画を受け取っているシーンもありますが、その技量は相当なものだったようですし、案外本当にそんな感じだったんじゃないかなと思います。
西洋画法への関心も強かったそうで、残っている作品の中にはその影響が強く出ている物もあり、「廓中格子先図」や「春夜美人図」は明らかにその影響を感じさせ、江戸市街の宵闇に独特の幽玄さを醸し出しています。今回いくつか画像を探して観てみたのですが、それですら結構な迫力を感じたので一度実物を観てみたくもありますね。
親子そろって破天荒な人物を描く物語ですが、さすが原恵一というべきか、要所要所で大胆さと繊細さを行き交う絶妙なさじ加減の語り口が光ります。春夏秋冬の移ろいの中、お栄は恋に戸惑い愛する者の喪失を知り、時には仕事のトラブルに頭を抱えながら、やがては全ては自身の絵筆へと昇華されていく様を時に静謐に、時に幻想的に描き出していきます。日々の小さな事件を積み重ねるような構成で特別大きな事件が待ち構えているわけでもなくちょっと淡白に感じるところも無くは無いですが、総じてクオリティが高いです。
本職の声優の出演は少ないものの出演者たちの演技もレベルが高く、特に主人公お栄を演じる杏や北斎役の松重豊、親子と寝食を共にする北斎の弟子・善次郎役の濱田岳はどれもハマり役。というかこの3人のまま実写化する所を観てみたい気もするくらいです。
そうそう、監督繋がりなのでしょう、端役で藤原啓治と矢島晶子も出演しています。どんなキャラかは観てのお楽しみ(笑)
主要上映館ではすでに終了しているものの、各地の映画館でロードショーが続いています。生真面目で堅そうな作品に見えて結構敷居は低いので、観られる機会があれば是非ご覧になっていただきたいですね。
もともと人気が上向いてきていたところに「マッサン」がさらに後押しした結果です。皮肉な事に現在商品に使われている原酒は1990年代から2000年代初頭に仕込まれたもので、この頃は国産ウィスキーの人気が下火…というかどん底に近い時期で、恐らく原酒の仕込み量も少なかったんじゃないかな~って気がします。
ビールなら数週間から数ヶ月もあれば品薄状態も回復できるでしょうが、商品化まで何年もかかるウィスキーはそりゃ10年以上も先の人気など読めようはずもないですしね。
こんばんは、小島@監督です。
販売終了になったとしても「余市」のブランドは残すそう。いずれ良い形で復活して欲しいものですね。
さて、今回の映画は「百日紅-Miss HOKUSAI-」です。
江戸後期を代表する浮世絵師・葛飾北斎(声・松重豊)、その娘であるお栄(声・杏)。父に似て慎みを欠き負けず嫌いで気風の良い男勝り。色恋には不器用。だが父に劣らぬ画才を持っていた。時に北斎の代筆もこなしながら自身のスタイルを探す、彼女の青春とは。
「クレヨンしんちゃんアッパレ!戦国大合戦」などで知られる原恵一監督の新作は、故・杉浦日向子が1987年に発表したコミックを原作に、後に画号を葛飾応為と名乗る女浮世絵師・お栄の青春を描くアニメーションです。
浮世絵師葛飾応為については正直名前しか知らなかったので、今回の映画を観たのを機に少し調べてみたのですが残っている作品も少なければあまり記録も残っていない人物のようで、恐らく作中のエピソードはほとんど創作なのでしょう。ただ北斎の代筆をしたことがあるのは確かなようで、北斎作とされる作品のいくつかは応為のものではないかとする説もあるそうです。作中でも版元は代筆と知りながら何も言わずに喜んで画を受け取っているシーンもありますが、その技量は相当なものだったようですし、案外本当にそんな感じだったんじゃないかなと思います。
西洋画法への関心も強かったそうで、残っている作品の中にはその影響が強く出ている物もあり、「廓中格子先図」や「春夜美人図」は明らかにその影響を感じさせ、江戸市街の宵闇に独特の幽玄さを醸し出しています。今回いくつか画像を探して観てみたのですが、それですら結構な迫力を感じたので一度実物を観てみたくもありますね。
親子そろって破天荒な人物を描く物語ですが、さすが原恵一というべきか、要所要所で大胆さと繊細さを行き交う絶妙なさじ加減の語り口が光ります。春夏秋冬の移ろいの中、お栄は恋に戸惑い愛する者の喪失を知り、時には仕事のトラブルに頭を抱えながら、やがては全ては自身の絵筆へと昇華されていく様を時に静謐に、時に幻想的に描き出していきます。日々の小さな事件を積み重ねるような構成で特別大きな事件が待ち構えているわけでもなくちょっと淡白に感じるところも無くは無いですが、総じてクオリティが高いです。
本職の声優の出演は少ないものの出演者たちの演技もレベルが高く、特に主人公お栄を演じる杏や北斎役の松重豊、親子と寝食を共にする北斎の弟子・善次郎役の濱田岳はどれもハマり役。というかこの3人のまま実写化する所を観てみたい気もするくらいです。
そうそう、監督繋がりなのでしょう、端役で藤原啓治と矢島晶子も出演しています。どんなキャラかは観てのお楽しみ(笑)
主要上映館ではすでに終了しているものの、各地の映画館でロードショーが続いています。生真面目で堅そうな作品に見えて結構敷居は低いので、観られる機会があれば是非ご覧になっていただきたいですね。
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先日職場でたまたま誰かが通路にほったらかしにしていたプラスティックの結束バンドに足を取られ商品を持ったままスッ転んでしまい負傷。
足になかなか見事なアザと切り傷を作ってしまいました。転倒すること自体何年ぶりな事もあり、数日経ってるがまだ痛いです。
皆さん足元には気を付けましょう。
こんばんは、小島@監督です。
それにしても今回「キズパワーパッド」が大活躍。アレはホントに治りが早いです。貼ったところの見た目が悪いのが難点ですが(苦笑)
さて、今回の映画は「シンデレラ」です。
両親の愛を一身に受け育つ純真な少女エラ(リリー・ジェームズ)。しかし、その幸せは母の死によって暗い影が落ちる。
貿易商ゆえ長期に家を空けてしまうため、エラを不憫に思った父は再婚を決め、継母(ケイト・ブランシェット)と2人の連れ子、ドリゼラ(ソフィー・マクシェラ)とアナスタシア(ホリデイ・グレンジャー)を連れてくる。
ある時、父が旅先で急死したとの報がもたらされ、それを機に継母のエラへの態度が一変する。義姉たちは「灰被りのエラ(シンデレラ)」と呼び召使同然の扱いを受ける。
「勇気と優しさこそが真に魔法になる」という亡き母の教えを胸に、継母たちの仕打ちに耐えるエラだったが、ある日とうとう耐え切れなくなり屋敷を飛び出してしまう。森へと馬を走らせたエラはそこで王宮で見習いを務めるキットと名乗る青年(リチャード・マッデン)と出会う。
実は彼こそが結婚相手を探す王国の王子であった。
エラの事が忘れられない王子は彼女と再会を果たすべく、国外からの招待客だけでなく国内の未婚女性全てを招いての舞踏会を催そうとするのだが…
古典とも言えるアニメの名作の数々を現代的なアプローチで再映画化している近年のディズニーですが、遂にリーサル・ウェポンとも言えるタイトルが登場です。
昨年公開された「アナと雪の女王」や「マレフィセント」は、それぞれベースになった物語にかなり大胆なアレンジを加え、描く「愛」も男女間の愛ではなくもっと別の物であり、更に言えば「アナと雪の女王」に至っては王子は悪役だったりしたのですが、物が物だけに、というべきでしょうか、今回はそう言ったアレンジはせずにド直球のラブストーリーに仕上がっています。
この映画のポイントはより深く掘り下げられたキャラクター達。アニメ映画の方は王子にしろ継母にしろ良くも悪くも「見たまま」というか「型通り」でしかないのですが(無論それが悪いワケではない)、それぞれの葛藤や感情の流れを細やかに描き出す事で、この古典とも言える物語に現代的な息吹を吹き込んでいます。
また、映像面でも必見なのはやっぱり舞踏会のシーン。煌びやかでありながらどんなショットであってもシンデレラと王子に目が行くように計算された色彩感覚とどのカットを切り出しても絵になるくらいにバシッと決まったアングルで、観ていてため息が出そうになるレベルです。
もちろんその舞踏会の前の、ヘレナ・ボナム・カーター演じるハイテンションなフェアリー・ゴッドマザー(今回吹替で観たのですが吹き替えてるのが朴璐美さんで余計テンション高かった(笑))がシンデレラにかぼちゃの馬車や衣装を用意するシーンもアニメーションの風合いを意識した「変身」のインパクトに目を引かれます。
人物造形にしろ映像にしろ監督であるケネス・ブラナーの手腕が存分に発揮されている印象。現代劇を手掛ける事も多いですが、むしろ「ヘンリー5世」や「ハムレット」と言ったシェイクスピア劇の映画化で実績のある監督だけにこういった古典劇の方が性に合っているのかもしれませんね。
余談ですが、「アイドルマスターシンデレラガールズ」でも象徴的に使われているくらいシンデレラのアイコンとも言える「ガラスの靴」ですが、あのハイヒールはディズニーアニメが最初らしいです。そう言えば確かに原作たるシャルル・ペローの「サンドリヨン」ではガラスのスリッパですし、グリム童話では金の靴。それでも今「ガラスの靴」と言えばあれなのですから、ディズニーアニメのインパクトは物凄いものがありますね。もちろんこの映画でもVFXなどではなく見事なまでに美しいものが用意されています。
同時上映の短編「アナと雪の女王エルサのサプライズ」も10分足らずの作品なのにオリジナル・キャストとスタッフが再結集した(吹替の方も松たか子や神田沙也加が演じている)上に1曲新しく用意してみせる本気ぶりで前座にしてはかなり見応えありますし、2本合わせてガッチリ楽しませてもらいました。ま、30過ぎのおっさんが独りで観るにはいささかハードル高かったですけれども(苦笑)
ただリメイクというだけでなく、華やかな中に繊細さを感じさせるビジュアルに文学的な格調の高さで観る者に一時「魔法」をかける傑作。公開から1か月以上経っていますがもうしばらくロングランが続きそうですしまだご覧になっていない方は是非スクリーンでこの「魔法」を堪能して欲しいですね。
足になかなか見事なアザと切り傷を作ってしまいました。転倒すること自体何年ぶりな事もあり、数日経ってるがまだ痛いです。
皆さん足元には気を付けましょう。
こんばんは、小島@監督です。
それにしても今回「キズパワーパッド」が大活躍。アレはホントに治りが早いです。貼ったところの見た目が悪いのが難点ですが(苦笑)
さて、今回の映画は「シンデレラ」です。
両親の愛を一身に受け育つ純真な少女エラ(リリー・ジェームズ)。しかし、その幸せは母の死によって暗い影が落ちる。
貿易商ゆえ長期に家を空けてしまうため、エラを不憫に思った父は再婚を決め、継母(ケイト・ブランシェット)と2人の連れ子、ドリゼラ(ソフィー・マクシェラ)とアナスタシア(ホリデイ・グレンジャー)を連れてくる。
ある時、父が旅先で急死したとの報がもたらされ、それを機に継母のエラへの態度が一変する。義姉たちは「灰被りのエラ(シンデレラ)」と呼び召使同然の扱いを受ける。
「勇気と優しさこそが真に魔法になる」という亡き母の教えを胸に、継母たちの仕打ちに耐えるエラだったが、ある日とうとう耐え切れなくなり屋敷を飛び出してしまう。森へと馬を走らせたエラはそこで王宮で見習いを務めるキットと名乗る青年(リチャード・マッデン)と出会う。
実は彼こそが結婚相手を探す王国の王子であった。
エラの事が忘れられない王子は彼女と再会を果たすべく、国外からの招待客だけでなく国内の未婚女性全てを招いての舞踏会を催そうとするのだが…
古典とも言えるアニメの名作の数々を現代的なアプローチで再映画化している近年のディズニーですが、遂にリーサル・ウェポンとも言えるタイトルが登場です。
昨年公開された「アナと雪の女王」や「マレフィセント」は、それぞれベースになった物語にかなり大胆なアレンジを加え、描く「愛」も男女間の愛ではなくもっと別の物であり、更に言えば「アナと雪の女王」に至っては王子は悪役だったりしたのですが、物が物だけに、というべきでしょうか、今回はそう言ったアレンジはせずにド直球のラブストーリーに仕上がっています。
この映画のポイントはより深く掘り下げられたキャラクター達。アニメ映画の方は王子にしろ継母にしろ良くも悪くも「見たまま」というか「型通り」でしかないのですが(無論それが悪いワケではない)、それぞれの葛藤や感情の流れを細やかに描き出す事で、この古典とも言える物語に現代的な息吹を吹き込んでいます。
また、映像面でも必見なのはやっぱり舞踏会のシーン。煌びやかでありながらどんなショットであってもシンデレラと王子に目が行くように計算された色彩感覚とどのカットを切り出しても絵になるくらいにバシッと決まったアングルで、観ていてため息が出そうになるレベルです。
もちろんその舞踏会の前の、ヘレナ・ボナム・カーター演じるハイテンションなフェアリー・ゴッドマザー(今回吹替で観たのですが吹き替えてるのが朴璐美さんで余計テンション高かった(笑))がシンデレラにかぼちゃの馬車や衣装を用意するシーンもアニメーションの風合いを意識した「変身」のインパクトに目を引かれます。
人物造形にしろ映像にしろ監督であるケネス・ブラナーの手腕が存分に発揮されている印象。現代劇を手掛ける事も多いですが、むしろ「ヘンリー5世」や「ハムレット」と言ったシェイクスピア劇の映画化で実績のある監督だけにこういった古典劇の方が性に合っているのかもしれませんね。
余談ですが、「アイドルマスターシンデレラガールズ」でも象徴的に使われているくらいシンデレラのアイコンとも言える「ガラスの靴」ですが、あのハイヒールはディズニーアニメが最初らしいです。そう言えば確かに原作たるシャルル・ペローの「サンドリヨン」ではガラスのスリッパですし、グリム童話では金の靴。それでも今「ガラスの靴」と言えばあれなのですから、ディズニーアニメのインパクトは物凄いものがありますね。もちろんこの映画でもVFXなどではなく見事なまでに美しいものが用意されています。
同時上映の短編「アナと雪の女王エルサのサプライズ」も10分足らずの作品なのにオリジナル・キャストとスタッフが再結集した(吹替の方も松たか子や神田沙也加が演じている)上に1曲新しく用意してみせる本気ぶりで前座にしてはかなり見応えありますし、2本合わせてガッチリ楽しませてもらいました。ま、30過ぎのおっさんが独りで観るにはいささかハードル高かったですけれども(苦笑)
ただリメイクというだけでなく、華やかな中に繊細さを感じさせるビジュアルに文学的な格調の高さで観る者に一時「魔法」をかける傑作。公開から1か月以上経っていますがもうしばらくロングランが続きそうですしまだご覧になっていない方は是非スクリーンでこの「魔法」を堪能して欲しいですね。
方や島が生まれたり方や人が立ち入れなくなったり、昨年からこっち日本中で妙に火山の噴火のニュースを聞くなと思っていたら、また更に大きな噴火のニュースが。
小松左京の「日本沈没」じゃないですが、こんだけ立て続くとさすがにこれは何かの前触れなのかと不安になったりもします。かと言ってさすがに大仰な防災対策をしている余裕もあまり無いので日頃通勤に使ってるデイパックに替えの下着や携帯の充電器を仕込むとかせいぜいそのくらいの事しかやれてませんが。ま、それに下着はそもそも力仕事主体の職場なので毎日必然的に要るから入れてるだけとも言いますが(笑)
何にしても極端な大災害が起こらない事を祈るのみです。
こんばんは、小島@監督です。
それにしてもいつだったかトイレに入ってる時に地震発生されたのには参りました。あんなの身動き取れないっちゅーねん。ちょっぴり覚悟完了しました(苦笑)
さて、今回の映画は「ハーツ・アンド・マインズ」です。
これは数々のインタビューや膨大な取材映像の他ニュース・フィルムや戦意高揚映画などの素材を編集して製作された、ベトナム戦争の実像に迫るドキュメンタリー映画です。タイトルの由来は作中でも使われていたジョンソン大統領が行った演説の「最終的ん場勝利はベトナム人の意欲と気質(ハーツ・アンド・マインズ)にかかっているだろう」という一節から取ったようです。
この映画が製作されたのは何と1974年。既に末期に差し掛かっていたとはいえベトナム戦争の只中で製作されたという事実に驚かされます。
公開にも紆余曲折あったろうことは想像に難くなく、パンフレットによればまずカンヌ映画祭で上映され大絶賛されたものの、政治的報復を恐れた配給会社が降りてしまい、その後ワーナーによる配給が決まりはしたが当時のジョンソン大統領政策補佐官ウォルト・ロストウが一部シーンの削除と上映差し止め要求を裁判所に提出するなど妨害行為が相次いだそうです。製作サイドは当然再編集を拒否して裁判が行われ、最高裁により一般公開が許可されたのは翌年のこと。
日本ではどうかというと、何に配慮したのか劇場公開は見送られてしまい、1度深夜に放送されて反響を呼ぶも1987年にVHSソフトとしてリリースされたのみで、初上映は東京都写真美術館での企画上映でそれが2010年のこと(同年にDVDも発売されている)。今年に入って全国各地のミニシアターでロードショーされていますがそれが初めての全国公開、という状況だそうです。
こんな剣呑な状況なのでてっきりマイケル・ムーアの「ボウリング・フォー・コロンバイン(2002年製作)」のような過激で扇動的な映画なのか、と思えばそうではありませんでした。
ごく一部に過激なフッテージが使われはするもののせいぜいそれくらいで、ベトナム戦争に対してアメリカベトナム双方の国の人々、賛成派反対派、身分や貧富を問わず多くの人々にマイクを向け証言を拾い集め、極力理性的な姿勢で作られています。
しかしこの映画の発端は明らかに時の政府に対する不信と怒りです。行間、というべきか編集された映像のコマ間に隠しようもない怒りがほの見えます。激流と呼んでもいい怒りを持ちながら極力理性的に作り上げている事、それこそがこの映画の凄みです。ある意味気高いと言ってもいい。声高に叫べばそれが人に伝わるわけではない、ということを体現しているようです。
そしてそのエネルギーは確実に伝達し後年多大な影響を与えました。文化的には「地獄の黙示録」や「プラトーン」等の作品群の原動力となり、そして第2の「ハーツ・アンド・マインズ」誕生を恐れたアメリカはアフガニスタンやイラク戦争では従軍記者の取材を厳重に規制するようになります。そう言った点である意味映像史や政治史的にも重要なポイントにある作品と言えますね。
この映画が見せるのは時の権力に与しないジャーナリズムの本質です。40年前の「現在」を検証する内容でありながら、これから先の「未来」への警告とも言え、どんな感想を抱くにしろ一人でも多くの方に観て欲しい映画です。
先述の通り既にDVDはリリースしていますし、映像も音響も迫力で押すタイプの作品ではないので何も私のようにわざわざ映画館まで足を運んで観なくても良いとは思いますが、「現在」を考える一つの材料として、触れる価値のある一本だと思いますね。
小松左京の「日本沈没」じゃないですが、こんだけ立て続くとさすがにこれは何かの前触れなのかと不安になったりもします。かと言ってさすがに大仰な防災対策をしている余裕もあまり無いので日頃通勤に使ってるデイパックに替えの下着や携帯の充電器を仕込むとかせいぜいそのくらいの事しかやれてませんが。ま、それに下着はそもそも力仕事主体の職場なので毎日必然的に要るから入れてるだけとも言いますが(笑)
何にしても極端な大災害が起こらない事を祈るのみです。
こんばんは、小島@監督です。
それにしてもいつだったかトイレに入ってる時に地震発生されたのには参りました。あんなの身動き取れないっちゅーねん。ちょっぴり覚悟完了しました(苦笑)
さて、今回の映画は「ハーツ・アンド・マインズ」です。
これは数々のインタビューや膨大な取材映像の他ニュース・フィルムや戦意高揚映画などの素材を編集して製作された、ベトナム戦争の実像に迫るドキュメンタリー映画です。タイトルの由来は作中でも使われていたジョンソン大統領が行った演説の「最終的ん場勝利はベトナム人の意欲と気質(ハーツ・アンド・マインズ)にかかっているだろう」という一節から取ったようです。
この映画が製作されたのは何と1974年。既に末期に差し掛かっていたとはいえベトナム戦争の只中で製作されたという事実に驚かされます。
公開にも紆余曲折あったろうことは想像に難くなく、パンフレットによればまずカンヌ映画祭で上映され大絶賛されたものの、政治的報復を恐れた配給会社が降りてしまい、その後ワーナーによる配給が決まりはしたが当時のジョンソン大統領政策補佐官ウォルト・ロストウが一部シーンの削除と上映差し止め要求を裁判所に提出するなど妨害行為が相次いだそうです。製作サイドは当然再編集を拒否して裁判が行われ、最高裁により一般公開が許可されたのは翌年のこと。
日本ではどうかというと、何に配慮したのか劇場公開は見送られてしまい、1度深夜に放送されて反響を呼ぶも1987年にVHSソフトとしてリリースされたのみで、初上映は東京都写真美術館での企画上映でそれが2010年のこと(同年にDVDも発売されている)。今年に入って全国各地のミニシアターでロードショーされていますがそれが初めての全国公開、という状況だそうです。
こんな剣呑な状況なのでてっきりマイケル・ムーアの「ボウリング・フォー・コロンバイン(2002年製作)」のような過激で扇動的な映画なのか、と思えばそうではありませんでした。
ごく一部に過激なフッテージが使われはするもののせいぜいそれくらいで、ベトナム戦争に対してアメリカベトナム双方の国の人々、賛成派反対派、身分や貧富を問わず多くの人々にマイクを向け証言を拾い集め、極力理性的な姿勢で作られています。
しかしこの映画の発端は明らかに時の政府に対する不信と怒りです。行間、というべきか編集された映像のコマ間に隠しようもない怒りがほの見えます。激流と呼んでもいい怒りを持ちながら極力理性的に作り上げている事、それこそがこの映画の凄みです。ある意味気高いと言ってもいい。声高に叫べばそれが人に伝わるわけではない、ということを体現しているようです。
そしてそのエネルギーは確実に伝達し後年多大な影響を与えました。文化的には「地獄の黙示録」や「プラトーン」等の作品群の原動力となり、そして第2の「ハーツ・アンド・マインズ」誕生を恐れたアメリカはアフガニスタンやイラク戦争では従軍記者の取材を厳重に規制するようになります。そう言った点である意味映像史や政治史的にも重要なポイントにある作品と言えますね。
この映画が見せるのは時の権力に与しないジャーナリズムの本質です。40年前の「現在」を検証する内容でありながら、これから先の「未来」への警告とも言え、どんな感想を抱くにしろ一人でも多くの方に観て欲しい映画です。
先述の通り既にDVDはリリースしていますし、映像も音響も迫力で押すタイプの作品ではないので何も私のようにわざわざ映画館まで足を運んで観なくても良いとは思いますが、「現在」を考える一つの材料として、触れる価値のある一本だと思いますね。
金山駅前の広場で良く屋台というか様々な出店が開いているのをご覧になった事のある方も多いのではと思いますが、この間何となく勢いでその店の一つでイチゴとサクランボのコンフィチュール(早い話がジャム)を買ってみたらこれがなかなか美味しくて驚き。
トーストよりむしろヨーグルトとの相性が良い。小瓶一つで600円とかまぁなかなか高かったですが、もう一遍くらい買ってみても良いかも。
こんばんは、小島@監督です。
出店もなかなか侮れんな。つい無駄遣いしてしまう(苦笑)
さて、今回の映画は「THE NEXT GENERATIONパトレイバー 首都決戦」です。
レインボーブリッジが何者かによって爆破された。しかも解析の結果、それはただの爆破ではなくミサイル攻撃である事が判明。この報道が駆けまわる中、解隊論争に揺れる特車二課隊長後藤田(筧利夫)のもとに公安部外事三課高畑警部(高島礼子)が接触する。レインボーブリッジを砲撃したのは数日前に陸自演習場から強奪され、天才パイロット・灰原零(森カンナ)とともに姿を消した熱光学迷彩を搭載した新型ヘリ「グレイゴースト」である事が判明したというのだ。
首都防衛の新たな要となるはずの物が1,000万人の都民に対し牙を剥く。
見えざる敵と解隊寸前の特車二課との戦いが始まる…!
実は今回の映画に至るまでの全7章のシリーズは一つも観ていません。3章まで良い感じに見逃してしまったら何か乗り切れなくなってしまったもので(苦笑)。とは言え何も観ないまま終わるのも勿体無かったので今回の機会に観てきました。
こういう作品を観る際の自分の常なのですが、今回も大して予備知識も入れずに観に行ったのでこの「TNG」と略されるシリーズがかつてのアニメシリーズと地続きの世界観にしてあるとは思いもよらず、先ずはそこに驚きました。「上海亭」などの小ネタの数々も楽しいですが、特車二課整備班のシバシゲオがアニメと変わらず千葉繁が演じているのがうれしいですね。
ついでに言えばこの映画、冒頭のモノローグで1993年に製作された「機動警察パトレイバー2 the Movie」の続編である事も明示されています。まさかあれから20年以上も経って押井守自身の手による続編をしかも実写映画で観る事になろうとは、時間の流れというのは面白いものです。
2で東京に対し「戦争」を仕掛けた柘植行人の言わば遺児たちが東京にテロを仕掛けるという今回の映画、柘植行人が「告げゆく人」と掛けたシャレだったという2を上手い具合に構図に落とし込んでいて期待が上がるのですが、テロリストたちに結局それ以上のものが提示されないため、逆に枷になってしまっているのが残念です。
2と比べて上映時間が20分ほど短いというのも関係しているのかもしれませんがその辺りの描写が非常に淡白なので腰の据わった軍事エンターテインメントを期待するとかなり肩透かしを食ってしまいそう。
恐らく押井監督が観客に見せたいものはそこに無いのでしょう。この状況に翻弄される特車二課課長後藤田の苦悩と決心、公安部の高畑警部を始め特車二課の泉野明(真野恵里菜)、カーシャ(太田莉菜)、テロリストの灰原零、そしてもう一人物語の鍵を握るある人物ら女性陣の戦いをこそ主眼に置いて演出しているんじゃないかと思います。
押井作品だからと極端な深読みを試みるより初見の場合はこの辺りに目を向ければ物語の構図そのものは至ってシンプルなのでより快く楽しめる作品と言えるでしょう。
またこの映画、4Kカメラによる映像やドルビーアトモスによる音響など様々な新技術による映像にトライしているのも特徴で、翻せば2の時も当時革新的な表現だったCGを作中に取り入れていた事もあり、映像表現の上での挑戦を楽しんでみるのも見どころの一つです。惜しむらくは音響面はともかく映像面においてせっかく新技術を使うならもっと予算を組んでよりゴージャスな画面作りをさせてあげて欲しかったというところでしょうか。
押井作品にしてはくどくもないし淡白なので不満もあるのですが、一つのエンターテインメントのありようとして「今はこれ位の事が出来る」というのを劇場で味わっておいて損は無いですよ。
そうそう、聞けば10月には30分近く長尺になったディレクターズカットバージョンも公開するらしいので恐らく押井守独特のくどさを堪能したいならむしろそちらを狙うのも手かもしれませんね(笑)
トーストよりむしろヨーグルトとの相性が良い。小瓶一つで600円とかまぁなかなか高かったですが、もう一遍くらい買ってみても良いかも。
こんばんは、小島@監督です。
出店もなかなか侮れんな。つい無駄遣いしてしまう(苦笑)
さて、今回の映画は「THE NEXT GENERATIONパトレイバー 首都決戦」です。
レインボーブリッジが何者かによって爆破された。しかも解析の結果、それはただの爆破ではなくミサイル攻撃である事が判明。この報道が駆けまわる中、解隊論争に揺れる特車二課隊長後藤田(筧利夫)のもとに公安部外事三課高畑警部(高島礼子)が接触する。レインボーブリッジを砲撃したのは数日前に陸自演習場から強奪され、天才パイロット・灰原零(森カンナ)とともに姿を消した熱光学迷彩を搭載した新型ヘリ「グレイゴースト」である事が判明したというのだ。
首都防衛の新たな要となるはずの物が1,000万人の都民に対し牙を剥く。
見えざる敵と解隊寸前の特車二課との戦いが始まる…!
実は今回の映画に至るまでの全7章のシリーズは一つも観ていません。3章まで良い感じに見逃してしまったら何か乗り切れなくなってしまったもので(苦笑)。とは言え何も観ないまま終わるのも勿体無かったので今回の機会に観てきました。
こういう作品を観る際の自分の常なのですが、今回も大して予備知識も入れずに観に行ったのでこの「TNG」と略されるシリーズがかつてのアニメシリーズと地続きの世界観にしてあるとは思いもよらず、先ずはそこに驚きました。「上海亭」などの小ネタの数々も楽しいですが、特車二課整備班のシバシゲオがアニメと変わらず千葉繁が演じているのがうれしいですね。
ついでに言えばこの映画、冒頭のモノローグで1993年に製作された「機動警察パトレイバー2 the Movie」の続編である事も明示されています。まさかあれから20年以上も経って押井守自身の手による続編をしかも実写映画で観る事になろうとは、時間の流れというのは面白いものです。
2で東京に対し「戦争」を仕掛けた柘植行人の言わば遺児たちが東京にテロを仕掛けるという今回の映画、柘植行人が「告げゆく人」と掛けたシャレだったという2を上手い具合に構図に落とし込んでいて期待が上がるのですが、テロリストたちに結局それ以上のものが提示されないため、逆に枷になってしまっているのが残念です。
2と比べて上映時間が20分ほど短いというのも関係しているのかもしれませんがその辺りの描写が非常に淡白なので腰の据わった軍事エンターテインメントを期待するとかなり肩透かしを食ってしまいそう。
恐らく押井監督が観客に見せたいものはそこに無いのでしょう。この状況に翻弄される特車二課課長後藤田の苦悩と決心、公安部の高畑警部を始め特車二課の泉野明(真野恵里菜)、カーシャ(太田莉菜)、テロリストの灰原零、そしてもう一人物語の鍵を握るある人物ら女性陣の戦いをこそ主眼に置いて演出しているんじゃないかと思います。
押井作品だからと極端な深読みを試みるより初見の場合はこの辺りに目を向ければ物語の構図そのものは至ってシンプルなのでより快く楽しめる作品と言えるでしょう。
またこの映画、4Kカメラによる映像やドルビーアトモスによる音響など様々な新技術による映像にトライしているのも特徴で、翻せば2の時も当時革新的な表現だったCGを作中に取り入れていた事もあり、映像表現の上での挑戦を楽しんでみるのも見どころの一つです。惜しむらくは音響面はともかく映像面においてせっかく新技術を使うならもっと予算を組んでよりゴージャスな画面作りをさせてあげて欲しかったというところでしょうか。
押井作品にしてはくどくもないし淡白なので不満もあるのですが、一つのエンターテインメントのありようとして「今はこれ位の事が出来る」というのを劇場で味わっておいて損は無いですよ。
そうそう、聞けば10月には30分近く長尺になったディレクターズカットバージョンも公開するらしいので恐らく押井守独特のくどさを堪能したいならむしろそちらを狙うのも手かもしれませんね(笑)
先週昨年開催されたアイマス9thツアーのBlu-rayが発売になり、実は日頃あまりライブBlu-rayを買わない自分も今回は即購入。
2日間の東京公演を収録しているものなのですが、それぞれ5時間近いステージだったので各日だけでもBlu-ray2枚ずつという異様なボリューム。見応えあります。さすがにまだ全部見切れていません(笑)
こんばんは、小島@監督です。
そして観てるとどんどん10thへの期待が上がって行く(笑)
さて、今回の映画は「エアロスミス・ロックス・ドニントン2014」です。
これはイギリス、ドニントン・パークで昨年6月に3日間に渡り開催されたイギリス最大級の野外ロックフェス「ダウンロードフェスティバル」において、ヘッドライナーとして出演したエアロスミスのステージを余さず収録した映画です。
少し調べてみたら他にはリンキン・パークやロブ・ゾンビ、フォール・アウト・ボーイなどが名を連ねていたそうで、実に錚々たるメンバーが出演したフェスだったんですね。
この映画、一応カテゴリー的にはドキュメンタリーに類する物かもしれませんが、いわゆるライブBlu-rayと一緒でライブステージの映像のみで構成されインタビューや他の素材などは全く無いのが最大の特徴です。余計な物が無い上、カメラワークに多少の遊びはあるもののタイトルとスタッフクレジット以外は画面に字幕も表示されないので高純度にライブの昂揚を伝えるのでパフォーマンスを楽しむには打ってつけです。
もう70歳近いのに高音のシャウトを惜しげも無く使いこなしてみせるスティーヴン・タイラーのエネルギッシュなヴォーカルを始め、ギター兼ヴォーカルのジョー・ペリー、リズムギターのブラッド・ウィットフォード、ベースのトム・ハミルトン、ドラムのジョーイ・クレイマーら一人残らずレジェンド級の偉大なロックミュージシャンたちのパフォーマンスをその手元から鮮明に映し出してみせ、ただただ圧倒されます。
取り立てて熱心なエアロスミスファンではない自分ですら胸が熱くなってきます。
収録された楽曲は「Dream On」や「Sweet Emotion」のような70年代の曲から映画「アルマゲドン」のテーマ曲として日本でも大ヒットした「I Don't Want to Miss a Thing」や「Jaded」など新旧織り交ぜた20曲。フェスだからというのもあるのでしょうか、知名度の高い楽曲が多くディープなファンでなくとも十分楽しめるのが嬉しいですね。…正直私も半分くらいしか分からなかったのですが(苦笑)何の問題もありませんでした。
映画館のスクリーンと音響でレジェンド級ミュージシャンのプレイを心行くまで堪能できる至福の105分。1ステージとしては短く感じられるかもしれませんがちゃんとアンコールまで収録されています。
時折日本公演もありますが、なかなかそう言った機会は捕まえにくいですしやっぱり結構値段も張ります(苦笑)
全国各地で巡回上映されてるこの企画、名古屋ではピカデリーにて22日までの限定上映です。自宅でCDやBlu-rayを楽しむのとはまた違った迫力を楽しめますし、こういう機会を利用してみてはいかがでしょうか。
2日間の東京公演を収録しているものなのですが、それぞれ5時間近いステージだったので各日だけでもBlu-ray2枚ずつという異様なボリューム。見応えあります。さすがにまだ全部見切れていません(笑)
こんばんは、小島@監督です。
そして観てるとどんどん10thへの期待が上がって行く(笑)
さて、今回の映画は「エアロスミス・ロックス・ドニントン2014」です。
これはイギリス、ドニントン・パークで昨年6月に3日間に渡り開催されたイギリス最大級の野外ロックフェス「ダウンロードフェスティバル」において、ヘッドライナーとして出演したエアロスミスのステージを余さず収録した映画です。
少し調べてみたら他にはリンキン・パークやロブ・ゾンビ、フォール・アウト・ボーイなどが名を連ねていたそうで、実に錚々たるメンバーが出演したフェスだったんですね。
この映画、一応カテゴリー的にはドキュメンタリーに類する物かもしれませんが、いわゆるライブBlu-rayと一緒でライブステージの映像のみで構成されインタビューや他の素材などは全く無いのが最大の特徴です。余計な物が無い上、カメラワークに多少の遊びはあるもののタイトルとスタッフクレジット以外は画面に字幕も表示されないので高純度にライブの昂揚を伝えるのでパフォーマンスを楽しむには打ってつけです。
もう70歳近いのに高音のシャウトを惜しげも無く使いこなしてみせるスティーヴン・タイラーのエネルギッシュなヴォーカルを始め、ギター兼ヴォーカルのジョー・ペリー、リズムギターのブラッド・ウィットフォード、ベースのトム・ハミルトン、ドラムのジョーイ・クレイマーら一人残らずレジェンド級の偉大なロックミュージシャンたちのパフォーマンスをその手元から鮮明に映し出してみせ、ただただ圧倒されます。
取り立てて熱心なエアロスミスファンではない自分ですら胸が熱くなってきます。
収録された楽曲は「Dream On」や「Sweet Emotion」のような70年代の曲から映画「アルマゲドン」のテーマ曲として日本でも大ヒットした「I Don't Want to Miss a Thing」や「Jaded」など新旧織り交ぜた20曲。フェスだからというのもあるのでしょうか、知名度の高い楽曲が多くディープなファンでなくとも十分楽しめるのが嬉しいですね。…正直私も半分くらいしか分からなかったのですが(苦笑)何の問題もありませんでした。
映画館のスクリーンと音響でレジェンド級ミュージシャンのプレイを心行くまで堪能できる至福の105分。1ステージとしては短く感じられるかもしれませんがちゃんとアンコールまで収録されています。
時折日本公演もありますが、なかなかそう言った機会は捕まえにくいですしやっぱり結構値段も張ります(苦笑)
全国各地で巡回上映されてるこの企画、名古屋ではピカデリーにて22日までの限定上映です。自宅でCDやBlu-rayを楽しむのとはまた違った迫力を楽しめますし、こういう機会を利用してみてはいかがでしょうか。
昨日の歌会に参加された皆さん、お疲れ様でした。
今回5人の初参加の方に加え、普段遠方住まいでなかなか顔を出せない方も参加して実に賑やかに。
新しい方が増えるのも嬉しいですが、しばらくぶりに仲間と再会できるのも良いですね。
こんばんは、小島@監督です。
それにしても今回のお題は難しかった…率直に問われると意外になかなか出てこない。そのカテゴリに収まりそうなネタは多分山ほど抱えているような気はしますけれども(笑)
さて、今回の映画は「ムーミン谷の彗星」です。
ある朝ムーミン(声・アレクサンダー・スカルスガルド)が目を覚ますと、森の木々や川と言ったムーミン谷の全てが灰で覆われていた。物知りのジャコウネズミ(声・テレンス・スキャンメル)に聞いてみると「空から恐ろしい彗星が地球にやってくる前触れ」なのだという。それを聞いて不安を覚えるムーミンと友達のスニフ(声・マッツ・ミケルセン)。
ムーミンパパ(声・ステラン・スカルスガルド)とムーミンママ(声・キャスリーン・フィー)は彗星について調べるために2人をおさびし山の天文台へと向かわせることにした。
昨年が原作者トーベ・ヤンソンの生誕100周年だった、というのもあるのでしょうか、近年再評価の機運が高まっているムーミン。今年に入ってこの作品で既に2本目の劇場用長編作品の公開です。
もっとも、3月に公開された「南の島で、楽しいバカンス」と違い今回取り上げる「ムーミン谷の彗星」は完全な新作というワケではありません。この映画は1978年にフィンランドとポーランドの共作で製作され、トーベ・ヤンソン自身も深く関わったというパペットアニメーションのTVシリーズの該当エピソードのフィルムをレストア、再編集したものです。またパンフレットによると本放送時はナレーションだけだったところを原作をベースに脚本が新たに書き起こされ各キャラクターにセリフを加えたのだそうです。
作品としては30年以上前のものですがいわゆるセルアニメに慣れた目にはコマ撮りのパペットアニメーション(パペットの素材は発泡スチロールだったとか)は結構新鮮。次第次第に近づいてくる彗星もこれがなかなかどうして禍々しくて驚きます。
灰に覆われた森に始まり、干上がって行く海や大発生するイナゴなど立て続くカタストロフの描写はムーミンの緩いビジュアルにもかかわらずジワジワと怖くなってきます。原作となったエピソードが出版されたのは1946年だったそうで、彗星はそれ自体が戦禍の暗喩、ひょっとしたらニュースや噂で広島や長崎の原爆投下を伝え聞いてそこからイメージを膨らませたのかもしれませんね。迫りくる彗星やそれに伴って現れる天災の数々に翻弄されながらひたすら家を目指すというのもどこか寓話的です。
それからこのエピソードは友人となるスナフキンやガールフレンド・スノークとの出会いも描かれます。特にスナフキンは良く知られたイメージからするとこんな言動するんだというか、キャラがまだ据わっていないような印象を受けるのも興味深いです。
もっとも再構築されているとはいえベースが30年以上前の作品なのでどうしても近年の作品と比べると語り口のテンポが違うように感じられるのは致し方ないところですね。
ところでこの作品、劇場公開の真っ最中ですが実は既にDVDがリリースされています。劇場上映されているのは字幕のみですが、DVDの方では吹き替えも収録されていて1990年から2年間にわたり放送されていたアニメシリーズ「楽しいムーミン一家」のキャストが再結集しています。愛着のある方はこちらで観てみるのも一興でしょう。
何となく勢いで久しぶりに観た「ムーミン」でしたが、大人になったらなったで大人ならではの見方・読み方ができるようになってそれはそれで新しい発見があって楽しめました。時にはこういう物に触れてみるのも良いですね。
今回5人の初参加の方に加え、普段遠方住まいでなかなか顔を出せない方も参加して実に賑やかに。
新しい方が増えるのも嬉しいですが、しばらくぶりに仲間と再会できるのも良いですね。
こんばんは、小島@監督です。
それにしても今回のお題は難しかった…率直に問われると意外になかなか出てこない。そのカテゴリに収まりそうなネタは多分山ほど抱えているような気はしますけれども(笑)
さて、今回の映画は「ムーミン谷の彗星」です。
ある朝ムーミン(声・アレクサンダー・スカルスガルド)が目を覚ますと、森の木々や川と言ったムーミン谷の全てが灰で覆われていた。物知りのジャコウネズミ(声・テレンス・スキャンメル)に聞いてみると「空から恐ろしい彗星が地球にやってくる前触れ」なのだという。それを聞いて不安を覚えるムーミンと友達のスニフ(声・マッツ・ミケルセン)。
ムーミンパパ(声・ステラン・スカルスガルド)とムーミンママ(声・キャスリーン・フィー)は彗星について調べるために2人をおさびし山の天文台へと向かわせることにした。
昨年が原作者トーベ・ヤンソンの生誕100周年だった、というのもあるのでしょうか、近年再評価の機運が高まっているムーミン。今年に入ってこの作品で既に2本目の劇場用長編作品の公開です。
もっとも、3月に公開された「南の島で、楽しいバカンス」と違い今回取り上げる「ムーミン谷の彗星」は完全な新作というワケではありません。この映画は1978年にフィンランドとポーランドの共作で製作され、トーベ・ヤンソン自身も深く関わったというパペットアニメーションのTVシリーズの該当エピソードのフィルムをレストア、再編集したものです。またパンフレットによると本放送時はナレーションだけだったところを原作をベースに脚本が新たに書き起こされ各キャラクターにセリフを加えたのだそうです。
作品としては30年以上前のものですがいわゆるセルアニメに慣れた目にはコマ撮りのパペットアニメーション(パペットの素材は発泡スチロールだったとか)は結構新鮮。次第次第に近づいてくる彗星もこれがなかなかどうして禍々しくて驚きます。
灰に覆われた森に始まり、干上がって行く海や大発生するイナゴなど立て続くカタストロフの描写はムーミンの緩いビジュアルにもかかわらずジワジワと怖くなってきます。原作となったエピソードが出版されたのは1946年だったそうで、彗星はそれ自体が戦禍の暗喩、ひょっとしたらニュースや噂で広島や長崎の原爆投下を伝え聞いてそこからイメージを膨らませたのかもしれませんね。迫りくる彗星やそれに伴って現れる天災の数々に翻弄されながらひたすら家を目指すというのもどこか寓話的です。
それからこのエピソードは友人となるスナフキンやガールフレンド・スノークとの出会いも描かれます。特にスナフキンは良く知られたイメージからするとこんな言動するんだというか、キャラがまだ据わっていないような印象を受けるのも興味深いです。
もっとも再構築されているとはいえベースが30年以上前の作品なのでどうしても近年の作品と比べると語り口のテンポが違うように感じられるのは致し方ないところですね。
ところでこの作品、劇場公開の真っ最中ですが実は既にDVDがリリースされています。劇場上映されているのは字幕のみですが、DVDの方では吹き替えも収録されていて1990年から2年間にわたり放送されていたアニメシリーズ「楽しいムーミン一家」のキャストが再結集しています。愛着のある方はこちらで観てみるのも一興でしょう。
何となく勢いで久しぶりに観た「ムーミン」でしたが、大人になったらなったで大人ならではの見方・読み方ができるようになってそれはそれで新しい発見があって楽しめました。時にはこういう物に触れてみるのも良いですね。
仕事柄ワインのカタログを見る事が多いのですが、たまに面白いものに出くわします。
大抵「スミレの花のようなアロマ」や「イチゴジャムを思わせる味わい」等の定型句のような言葉がコメント文に書かれていますが、そのワインはそれらの言葉に加えてもう一言書かれていました。
「今後さらに約100年間の熟成が可能」
……!!!?
ワインの中には一番の飲み頃が商品として売り出されてから数十年後、なんていう物が稀にありますが、にしたって100年は凄い。っていうか誰に向けて買わせるつもりでこんな表現が(笑)!?
こんばんは、小島@監督です。
でも気にはなる。どんな味がするんだろう、その100年後。「マスター・キートン」の「シャトー・ラジョンシュ1944」を彷彿とするような話ですね。
さて、今回の映画は「セッション」です。
偉大なドラマーになる夢を抱いてシェイファー音楽院に入学したニーマン(マイルズ・テラー)は、一人で練習していた晩にフレッチャー教授(J・K・シモンズ)の目に留まる。その時はほんの数秒ニーマンの音を聴いていただけで立ち去ったフレッチャーだったが後日ニーマンが所属するバンドのレッスンに顔を出したフレッチャーは、バンド全員の音を確かめた後、ドラム主奏者コノリー(オースティン・ストウェル)を差し置いてニーマンをスカウトした。
フレッチャーのバンドに参加出来ればコンテストへの出場回数も増え、それだけスカウトの目に留まる事も多くなる。将来への希望に胸を膨らませるニーマンだったが、そこで待っていたのは狂気すら感じさせる一切の妥協を許さないフレッチャーの非情で過酷なレッスンだった。
昨年のサンダンス映画祭を熱狂させたというまだ28歳の若手監督ディミアン・チャゼルが手掛けた音楽映画「セッション」、前評判が異様に高いだけに期待と不安が半々な気持ちで観に行きましたが、そんな不安を軽々とブチ抜いてくれました。これはとんでもなく凄い映画です。
将来を夢見る若者と万に一つの才能を発掘する事に人生を懸ける教師、と言えば聞こえはいいですが、この映画はそんな生易しいものではありません。何せこのフレッチャー教授、その万に一つの才能を発掘するためならば罵詈雑言を飛ばし物を投げつけ、挙句は他の生徒を当て馬にすることも厭わない、つまり「そこそこの才能」を育てようという気など一切無いというとんでもない男です。
またそのレッスンを受けるニーマンも温厚な顔に見えて底に狂気じみた野心と歪んだ承認欲求を抱くかなりの曲者。フレッチャーの指導に悔し涙を流しながらそれに飲まれまいと手を血塗れにしながら練習を重ね、やがてそれは強烈な自信とフレッチャーへの対抗心へと育って行きます。
チャゼル監督自身、ドラマーとして厳しいレッスンを積み教授に恐怖さえ覚えた経験があるそうで、そういった実体験から来たものなのでしょう。恐らく世界でこの人しか撮り得ないであろう迫力がこの映画には満ち満ちています。
このエゴイスティック極まりない2人が最後にぶつかり合うクライマックスは、最早弾丸が飛び交わないだけで本気の殺し合いと言って良いレベルで、宣伝などで「ラスト9分19秒の衝撃」などと歌われていますが珍しく誇大広告ではないアドレナリン全開の映像と展開で観る者を圧倒します。
滾るほどの気迫と異様なまでのエネルギーに溢れたこの作品は小品ながらビッグバジェットの大作にも劣らない迫力を持ち合わせています。このダイナミズムは音に包まれる映画館のスクリーンでこそ真価を発揮するタイプ。是非、公開中に足を運んでこの凄みを堪能していただきたいですね。
大抵「スミレの花のようなアロマ」や「イチゴジャムを思わせる味わい」等の定型句のような言葉がコメント文に書かれていますが、そのワインはそれらの言葉に加えてもう一言書かれていました。
「今後さらに約100年間の熟成が可能」
……!!!?
ワインの中には一番の飲み頃が商品として売り出されてから数十年後、なんていう物が稀にありますが、にしたって100年は凄い。っていうか誰に向けて買わせるつもりでこんな表現が(笑)!?
こんばんは、小島@監督です。
でも気にはなる。どんな味がするんだろう、その100年後。「マスター・キートン」の「シャトー・ラジョンシュ1944」を彷彿とするような話ですね。
さて、今回の映画は「セッション」です。
偉大なドラマーになる夢を抱いてシェイファー音楽院に入学したニーマン(マイルズ・テラー)は、一人で練習していた晩にフレッチャー教授(J・K・シモンズ)の目に留まる。その時はほんの数秒ニーマンの音を聴いていただけで立ち去ったフレッチャーだったが後日ニーマンが所属するバンドのレッスンに顔を出したフレッチャーは、バンド全員の音を確かめた後、ドラム主奏者コノリー(オースティン・ストウェル)を差し置いてニーマンをスカウトした。
フレッチャーのバンドに参加出来ればコンテストへの出場回数も増え、それだけスカウトの目に留まる事も多くなる。将来への希望に胸を膨らませるニーマンだったが、そこで待っていたのは狂気すら感じさせる一切の妥協を許さないフレッチャーの非情で過酷なレッスンだった。
昨年のサンダンス映画祭を熱狂させたというまだ28歳の若手監督ディミアン・チャゼルが手掛けた音楽映画「セッション」、前評判が異様に高いだけに期待と不安が半々な気持ちで観に行きましたが、そんな不安を軽々とブチ抜いてくれました。これはとんでもなく凄い映画です。
将来を夢見る若者と万に一つの才能を発掘する事に人生を懸ける教師、と言えば聞こえはいいですが、この映画はそんな生易しいものではありません。何せこのフレッチャー教授、その万に一つの才能を発掘するためならば罵詈雑言を飛ばし物を投げつけ、挙句は他の生徒を当て馬にすることも厭わない、つまり「そこそこの才能」を育てようという気など一切無いというとんでもない男です。
またそのレッスンを受けるニーマンも温厚な顔に見えて底に狂気じみた野心と歪んだ承認欲求を抱くかなりの曲者。フレッチャーの指導に悔し涙を流しながらそれに飲まれまいと手を血塗れにしながら練習を重ね、やがてそれは強烈な自信とフレッチャーへの対抗心へと育って行きます。
チャゼル監督自身、ドラマーとして厳しいレッスンを積み教授に恐怖さえ覚えた経験があるそうで、そういった実体験から来たものなのでしょう。恐らく世界でこの人しか撮り得ないであろう迫力がこの映画には満ち満ちています。
このエゴイスティック極まりない2人が最後にぶつかり合うクライマックスは、最早弾丸が飛び交わないだけで本気の殺し合いと言って良いレベルで、宣伝などで「ラスト9分19秒の衝撃」などと歌われていますが珍しく誇大広告ではないアドレナリン全開の映像と展開で観る者を圧倒します。
滾るほどの気迫と異様なまでのエネルギーに溢れたこの作品は小品ながらビッグバジェットの大作にも劣らない迫力を持ち合わせています。このダイナミズムは音に包まれる映画館のスクリーンでこそ真価を発揮するタイプ。是非、公開中に足を運んでこの凄みを堪能していただきたいですね。