先週のレイウォール君のブログにも登場した「ミリオンライブ」の新曲「NO CURRY NO LIFE」、妙に耳に残ります。今の「ミリシタ」のイベント曲でもあるので期間中はゲームをプレイしていれば必然何度も耳にすることになりますし、ゲーム中で観られるMVもコミカルで何だか印象に残ってしまいおかげで気づけば脳内無限ループ状態。どうすりゃいいの(笑)
こんばんは、小島@監督です。
アイマスに限らず聴くと何でか耳に残る曲ってたまに出くわしますね。そのうち歌えるようになりそう(笑)
さて、今回の映画は「トータル・リコール 4Kデジタルリマスター」です。
近未来、労働者であるダグラス・クエイド(アーノルド・シュワルツェネッガー)は美しい妻ローリー(シャロン・ストーン)と共に平凡ではあるが幸せな日々を送っていた。しかし、いつからか毎夜火星の夢を見るようになり、それにうなされるようになった。
ある日、「理想の記憶売ります」というコピーに惹かれ、クエイドは非日常的な体験の記憶を販売する「リコール社」を訪れる。クエイドは「火星を救う秘密諜報員」というプログラムに興味を示しこれを体験することに決めるが、突如トラブルが発生しプログラムは中断。更にクエイドはその帰りに自身の同僚や妻ローリーからも命を狙われるようになってしまう。
今でこそフィリップ・K・ディックと言えばその評価も確立しその作品もコンスタントに映像化されるようになりましたが、実はその存命中は1本のテレビドラマと数本のラジオドラマが製作された程度で映像化、特に映画とはディック自身が書き上げたシナリオまで残っていたりするのにも関わらず縁が薄いままでした。唯一存命中に製作が進んでいたのが「ブレードランナー」(1982年)でしたが、その完成を見届けることなく亡くなっています。
ディック作品が現在のように度々映像化されるようになったのは没後、ある意味でその先鞭をつける格好となったのがこの1990年に製作された「トータル・リコール」です。短編「記憶売ります」を原作に、大胆に様々な要素を加味し翻案したアクションSFエンターテインメントに仕上がっていますが、現実と虚構の狭間で翻弄されアイデンティティの在りかに苦悩する主人公や人間に対し口答えする機械などにディック的要素を観て取れます。
2012年にコリン・ファレル主演で同タイトルの映画が製作されていますが、こちらはリメイクというより原作小説に対しより忠実なアプローチで製作された再映画化と言った趣の作品になっています。
この映画の監督は「ロボコップ」や「スターシップ・トゥルーパーズ」を手掛けたポール・バーホーベン。エロとグロとバイオレンスをふんだんに盛り込んだエンターテインメントをいくつも作り上げてきた監督で、特にこの作品ではアーノルド・シュワルツェネッガーというスターを主役に据えた事でその才を遺憾なく発揮した一本になっています。
久しぶりにこの映画を観て感心するのは、作品の持つスピード感。クエイドが自分のアイデンティティを揺らがされてから最終的に火星存亡の危機に立ち向かうようになるスケールの大きな物語を展開しているのに上映時間は113分。2時間切っているのです。シュワルツェネッガーの筋肉に頼っている部分も大きいとはいえ多すぎるくらいにある要素に対して語り口に不足を感じさせないのはさすがの一言で、脚本を手掛けたダン・オバノン(代表作に「エイリアン」(1979)など)の手腕も大きいでしょう。
映像としてはシュワルツェネッガーやシャロン・ストーンと言ったスターたちの競演はもちろん、特殊メイクの第一人者であるロブ・ボッティンの手による視覚効果も見事です。先進的なVFXで映画史にその名を刻んだ「ターミネーター2」が登場するのは翌年の1991年、「トータル・リコール」はアナログな特殊撮影の集大成ともいえる作品と言えるでしょう。
緻密でスケールの大きなSF設定と、大抵の窮地は筋肉で解決する大味さが高次元で同居する、今観ても楽しい一本です。公開30周年を記念しての再上映が始まっており、この機会に是非スクリーンで楽しんで頂きたいですね。
こんばんは、小島@監督です。
アイマスに限らず聴くと何でか耳に残る曲ってたまに出くわしますね。そのうち歌えるようになりそう(笑)
さて、今回の映画は「トータル・リコール 4Kデジタルリマスター」です。
近未来、労働者であるダグラス・クエイド(アーノルド・シュワルツェネッガー)は美しい妻ローリー(シャロン・ストーン)と共に平凡ではあるが幸せな日々を送っていた。しかし、いつからか毎夜火星の夢を見るようになり、それにうなされるようになった。
ある日、「理想の記憶売ります」というコピーに惹かれ、クエイドは非日常的な体験の記憶を販売する「リコール社」を訪れる。クエイドは「火星を救う秘密諜報員」というプログラムに興味を示しこれを体験することに決めるが、突如トラブルが発生しプログラムは中断。更にクエイドはその帰りに自身の同僚や妻ローリーからも命を狙われるようになってしまう。
今でこそフィリップ・K・ディックと言えばその評価も確立しその作品もコンスタントに映像化されるようになりましたが、実はその存命中は1本のテレビドラマと数本のラジオドラマが製作された程度で映像化、特に映画とはディック自身が書き上げたシナリオまで残っていたりするのにも関わらず縁が薄いままでした。唯一存命中に製作が進んでいたのが「ブレードランナー」(1982年)でしたが、その完成を見届けることなく亡くなっています。
ディック作品が現在のように度々映像化されるようになったのは没後、ある意味でその先鞭をつける格好となったのがこの1990年に製作された「トータル・リコール」です。短編「記憶売ります」を原作に、大胆に様々な要素を加味し翻案したアクションSFエンターテインメントに仕上がっていますが、現実と虚構の狭間で翻弄されアイデンティティの在りかに苦悩する主人公や人間に対し口答えする機械などにディック的要素を観て取れます。
2012年にコリン・ファレル主演で同タイトルの映画が製作されていますが、こちらはリメイクというより原作小説に対しより忠実なアプローチで製作された再映画化と言った趣の作品になっています。
この映画の監督は「ロボコップ」や「スターシップ・トゥルーパーズ」を手掛けたポール・バーホーベン。エロとグロとバイオレンスをふんだんに盛り込んだエンターテインメントをいくつも作り上げてきた監督で、特にこの作品ではアーノルド・シュワルツェネッガーというスターを主役に据えた事でその才を遺憾なく発揮した一本になっています。
久しぶりにこの映画を観て感心するのは、作品の持つスピード感。クエイドが自分のアイデンティティを揺らがされてから最終的に火星存亡の危機に立ち向かうようになるスケールの大きな物語を展開しているのに上映時間は113分。2時間切っているのです。シュワルツェネッガーの筋肉に頼っている部分も大きいとはいえ多すぎるくらいにある要素に対して語り口に不足を感じさせないのはさすがの一言で、脚本を手掛けたダン・オバノン(代表作に「エイリアン」(1979)など)の手腕も大きいでしょう。
映像としてはシュワルツェネッガーやシャロン・ストーンと言ったスターたちの競演はもちろん、特殊メイクの第一人者であるロブ・ボッティンの手による視覚効果も見事です。先進的なVFXで映画史にその名を刻んだ「ターミネーター2」が登場するのは翌年の1991年、「トータル・リコール」はアナログな特殊撮影の集大成ともいえる作品と言えるでしょう。
緻密でスケールの大きなSF設定と、大抵の窮地は筋肉で解決する大味さが高次元で同居する、今観ても楽しい一本です。公開30周年を記念しての再上映が始まっており、この機会に是非スクリーンで楽しんで頂きたいですね。
ここ1週間はもうずっと先週NHK-FMで放送されていた「今日は一日アイマス三昧!」の聞き逃し配信を聴き倒しておりました。アイマスの数多い楽曲群をトークと共に9時間かけて楽しむ特集番組です。敢えて多くは語りますまい。ただもう満喫と言い切れるほどに堪能しました。
こんばんは、小島@監督です。
年1回くらいで良いからまたやってくれないかな~。
さて、今回はしばらくぶりに上映中の作品ではなく配信のものから1本。Amazonプライムを漁っていたら思いもかけないタイトルを見つけました。今回の映画は「雄呂血」です。
正義感の強い若侍・平三郎(阪東妻三郎)は漢学者・松澄永山(関操)の娘・奈美江(環歌子)に恋心を寄せていた。しかし永山の誕生祝の宴の夜、家老の息子である浪岡(山岡桃太郎)の無礼をとがめたことで喧嘩になってしまう。しかし家老の威光を恐れる同門の者たちによって平三郎一人のみがその咎を責められてしまった。また後日、奈美江を侮辱した家中の若侍を懲らしめた事が逆に永山と奈美江の誤解を招き、破門されてしまったばかりか故郷にもいられなくなってしまう。
無頼の浪人に身をやつし心が荒んでいった平三郎、そんな折にある小料理屋で奈美江に似た風貌の女性・千代(森静子)と出会い、平三郎の心はかき乱される。
1925年に製作された、伝説的とも言える剣戟映画(いわゆるチャンバラ映画)映画です。善意から起こしたことが誤解を生み、それが更なる誤解を招いて破滅の道へと陥っていく男の姿を描きます。主演の阪東妻三郎は当時まだ23歳でしたが既に多大な人気を得ていたムービースターであり、自身が主宰となってのプロダクションを立ち上げ、「雄呂血」はその第1作として製作されました。
この映画の名を不動のものとしたのはクライマックス。実に27分という長丁場での大立ち回りが展開します。上映時間は74分なので実に3分の1がクライマックス。縄や十手やさすまたなどの多くの得物が入り混じり石は投げる瓦も投げる目つぶしまでする乱戦ぶりを長回しやパンニングを駆使して見せる様は、一人斬る度に見得を切っていた当時の歌舞伎的な殺陣の見せ方から一線を画す革新的なもので世に剣戟ブームを巻き起こしただけでなく後の映画製作に多大な影響を与えました。しかも驚くべきことにこれほどの長丁場であるにも関わらず同じテを二度使っていないというから驚きです。
この殺陣を組み上げたのは市川桃栗という殺陣師ですが、興味深いことに日本映画史に残るこの作品の殺陣を手掛けながら出身や経歴は今に至るも良く分かっていない人物です。ただ彼の弟子に石原裕次郎や小林旭ら昭和の映画俳優にアクション指導(格闘の演技という意味で「技斗」と呼ばれていた)を行った高瀬将敏がいます。
現代的な視座から鑑賞すると、誤解が更なる誤解を呼び転落していく男の悲哀に今日にも通ずるものを見出せる一方で「一本気で正義感の強い」とされる平三郎の性格も、今観れば直情的かつ独善的で思い込みの激しいストーカー気質にしか見えない部分が多々あり共感しづらいところも多いでしょう。それでも90年以上の時を経てなお色褪せない迫力を有した作品です。
製作時期が時期なので当然モノクロで無声(サイレント)映画なのですが、Amazonプライムで配信されているのは音楽と活弁士の語りが付加されたバージョンとなっておりかなり観易くなっています。会員になっている方は是非映画史上名高いこの逸品に触れてみてほしいですね。
こんばんは、小島@監督です。
年1回くらいで良いからまたやってくれないかな~。
さて、今回はしばらくぶりに上映中の作品ではなく配信のものから1本。Amazonプライムを漁っていたら思いもかけないタイトルを見つけました。今回の映画は「雄呂血」です。
正義感の強い若侍・平三郎(阪東妻三郎)は漢学者・松澄永山(関操)の娘・奈美江(環歌子)に恋心を寄せていた。しかし永山の誕生祝の宴の夜、家老の息子である浪岡(山岡桃太郎)の無礼をとがめたことで喧嘩になってしまう。しかし家老の威光を恐れる同門の者たちによって平三郎一人のみがその咎を責められてしまった。また後日、奈美江を侮辱した家中の若侍を懲らしめた事が逆に永山と奈美江の誤解を招き、破門されてしまったばかりか故郷にもいられなくなってしまう。
無頼の浪人に身をやつし心が荒んでいった平三郎、そんな折にある小料理屋で奈美江に似た風貌の女性・千代(森静子)と出会い、平三郎の心はかき乱される。
1925年に製作された、伝説的とも言える剣戟映画(いわゆるチャンバラ映画)映画です。善意から起こしたことが誤解を生み、それが更なる誤解を招いて破滅の道へと陥っていく男の姿を描きます。主演の阪東妻三郎は当時まだ23歳でしたが既に多大な人気を得ていたムービースターであり、自身が主宰となってのプロダクションを立ち上げ、「雄呂血」はその第1作として製作されました。
この映画の名を不動のものとしたのはクライマックス。実に27分という長丁場での大立ち回りが展開します。上映時間は74分なので実に3分の1がクライマックス。縄や十手やさすまたなどの多くの得物が入り混じり石は投げる瓦も投げる目つぶしまでする乱戦ぶりを長回しやパンニングを駆使して見せる様は、一人斬る度に見得を切っていた当時の歌舞伎的な殺陣の見せ方から一線を画す革新的なもので世に剣戟ブームを巻き起こしただけでなく後の映画製作に多大な影響を与えました。しかも驚くべきことにこれほどの長丁場であるにも関わらず同じテを二度使っていないというから驚きです。
この殺陣を組み上げたのは市川桃栗という殺陣師ですが、興味深いことに日本映画史に残るこの作品の殺陣を手掛けながら出身や経歴は今に至るも良く分かっていない人物です。ただ彼の弟子に石原裕次郎や小林旭ら昭和の映画俳優にアクション指導(格闘の演技という意味で「技斗」と呼ばれていた)を行った高瀬将敏がいます。
現代的な視座から鑑賞すると、誤解が更なる誤解を呼び転落していく男の悲哀に今日にも通ずるものを見出せる一方で「一本気で正義感の強い」とされる平三郎の性格も、今観れば直情的かつ独善的で思い込みの激しいストーカー気質にしか見えない部分が多々あり共感しづらいところも多いでしょう。それでも90年以上の時を経てなお色褪せない迫力を有した作品です。
製作時期が時期なので当然モノクロで無声(サイレント)映画なのですが、Amazonプライムで配信されているのは音楽と活弁士の語りが付加されたバージョンとなっておりかなり観易くなっています。会員になっている方は是非映画史上名高いこの逸品に触れてみてほしいですね。
先週ボジョレー・ヌーヴォーが解禁されました。コロナ禍の只中で例年通りではなかったのもありますが、今年のヌーヴォーは思い入れ深いものになりました。
実は今年は初めて輸入前の現地法人とのやり取りから任されることになり、最初に購入の打診を送ったのは5月の連休明け。その後、立てようがない需要予測に翻弄されたり発注した後の通関のための書類のやり取りに四苦八苦したり、コロナ禍で飛行機が減便されていたのでそもそも現地をいつ出港されるかから不透明だったりとこの1~2か月は増加する一方の残業時間と共に本当に心身ともにキツい時間を過ごしました。
どうにか商品も無事入荷し解禁に漕ぎつけることができ、いくつかの後始末を残して今はひと段落といったところです。
こんばんは、小島@監督です。
そんな今年のヌーヴォーは、普段のあっさりとした、悪く言えば水っぽい印象を覆すかなりしっかりとした味わいをしています。少し完熟した甘さも感じるので今年のボジョレー地区は夏場結構暑かったのでしょう。何気に美味しいのでたまにはワインもいかがでしょうか。
さて、今回の映画は「今日もどこかで馬は生まれる」です。
9万人の人がひしめく東京競馬場。高らかに鳴り響くファンファーレと共にG1レースが幕を開けた。出走する十数頭のうち勝利の栄光に浴するのは1頭のみ。多くの競走馬はこの場に立つことも無く引退を余儀なくされる。引退した競走馬は、その後一体どうなるのであろうか。この問題に当事者たちはどう向き合っているのか。さまざまな立場で馬と関わる人々を訪ね、彼らの想いを聞く。
映画の中でも語られますが、JRAの売上高は実に2兆7000億にも上りその国庫納付金は3000億にもなるそうです。そんな華々しい場に立てる者は少なく、またその時間も短い。野球やサッカーなどのプロ選手も現役でいられる時間よりそうでない年月の方が長いと言われますが、屠畜される馬も少なくない競走馬の世界はさらにシビアなものであると言えるでしょう。セカンドキャリアとして再調教されて乗馬クラブの所属になる馬も多いそうですが(自分も乗ったことありますし)、人を乗せられなくなった馬のその後のサードキャリアとなると最早統計も無いそうです。
この映画は、馬に関わる多くの者たちへのインタビューを通して競馬産業の中で生きる人たちの想いを浮かび上がらせます。監督平林健一を始め、広告映像制作会社に勤める若手クリエイターたちのチームによって資金をクラウドファンディングで募る形で製作されました。
主題に対し、本当に多くの人への取材を行ったのが見て取れるドキュメンタリー映画です。インタビューした相手も競馬場に足しげく通うファンや馬主、騎手だけでなく競走馬の生産・育成を行う牧場のオーナーやスタッフ、調教師、厩務員を引退後も馬に関わる生活を選んだ者や元競走馬をパートナーに馬術大会への出場を目指す選手、馬を屠畜し食肉へと加工する工場の職員、引退馬のセカンドキャリアを支援するNPO代表、人を乗せられなくなった馬のために養老牧場を営む者、ジオファームを立ち上げ放牧した馬の糞尿で堆肥を作って農家へ卸したりそれを利用してキノコを栽培する者、と競走馬が「生まれてから死ぬまで」のどこかに濃密に関わるさまざまな人々にカメラを向けています。
競馬を趣味している方には既に承知している事実をなぞっているだけの箇所もあるのかもしれませんが、乗馬クラブに通っていた時期があるとはいえ気が向いた時にG1レースをTVで見る事がある程度の私には新鮮に映るトピックの方が多いです。
競走馬の世界は人間が作り出した枠組みの世界であり、本来の生物の営みとは一線を画します。しかし兆に届くほどに産業として巨大化しており多くの者の生活を支える場になっている以上その枠組みを生半可に壊すことは最早出来得ないでしょう。引退馬の在り方に対し多くの葛藤を抱えながらその道を模索する者たちを活写しながらも安易な結論を提示しないこの映画のスタンスは、タームに対して「答えなどは無く、あがくしかない」ことをよく理解していると言えます。
丹念に作りながらも94分とテンポ良くまとめられていてダレることが無い一方で、かなり素朴な印象を受けるのは若手作家ならではというところでしょうか。作中ある競走馬について度々言及されるのですが、特にテロップなどで概要を解説したりはせずに語りっぱなしになっているのは不親切なのかそこに興味を持って調べるというアクションを起こして欲しい意図の表れなのか分かりにくいところなどもあったりもして熱意が先行し過ぎている感もありますが、語り口にまでそれを押し付けていてはいないところに好感が持てますね。
高い問題意識と、それに真摯に向き合ったのが見て取れる力作。ミニシアターでの上映が中心なので鑑賞できる機会が限られる作品ではありますが、多くの方に観て頂きたい一本ですね。
実は今年は初めて輸入前の現地法人とのやり取りから任されることになり、最初に購入の打診を送ったのは5月の連休明け。その後、立てようがない需要予測に翻弄されたり発注した後の通関のための書類のやり取りに四苦八苦したり、コロナ禍で飛行機が減便されていたのでそもそも現地をいつ出港されるかから不透明だったりとこの1~2か月は増加する一方の残業時間と共に本当に心身ともにキツい時間を過ごしました。
どうにか商品も無事入荷し解禁に漕ぎつけることができ、いくつかの後始末を残して今はひと段落といったところです。
こんばんは、小島@監督です。
そんな今年のヌーヴォーは、普段のあっさりとした、悪く言えば水っぽい印象を覆すかなりしっかりとした味わいをしています。少し完熟した甘さも感じるので今年のボジョレー地区は夏場結構暑かったのでしょう。何気に美味しいのでたまにはワインもいかがでしょうか。
さて、今回の映画は「今日もどこかで馬は生まれる」です。
9万人の人がひしめく東京競馬場。高らかに鳴り響くファンファーレと共にG1レースが幕を開けた。出走する十数頭のうち勝利の栄光に浴するのは1頭のみ。多くの競走馬はこの場に立つことも無く引退を余儀なくされる。引退した競走馬は、その後一体どうなるのであろうか。この問題に当事者たちはどう向き合っているのか。さまざまな立場で馬と関わる人々を訪ね、彼らの想いを聞く。
映画の中でも語られますが、JRAの売上高は実に2兆7000億にも上りその国庫納付金は3000億にもなるそうです。そんな華々しい場に立てる者は少なく、またその時間も短い。野球やサッカーなどのプロ選手も現役でいられる時間よりそうでない年月の方が長いと言われますが、屠畜される馬も少なくない競走馬の世界はさらにシビアなものであると言えるでしょう。セカンドキャリアとして再調教されて乗馬クラブの所属になる馬も多いそうですが(自分も乗ったことありますし)、人を乗せられなくなった馬のその後のサードキャリアとなると最早統計も無いそうです。
この映画は、馬に関わる多くの者たちへのインタビューを通して競馬産業の中で生きる人たちの想いを浮かび上がらせます。監督平林健一を始め、広告映像制作会社に勤める若手クリエイターたちのチームによって資金をクラウドファンディングで募る形で製作されました。
主題に対し、本当に多くの人への取材を行ったのが見て取れるドキュメンタリー映画です。インタビューした相手も競馬場に足しげく通うファンや馬主、騎手だけでなく競走馬の生産・育成を行う牧場のオーナーやスタッフ、調教師、厩務員を引退後も馬に関わる生活を選んだ者や元競走馬をパートナーに馬術大会への出場を目指す選手、馬を屠畜し食肉へと加工する工場の職員、引退馬のセカンドキャリアを支援するNPO代表、人を乗せられなくなった馬のために養老牧場を営む者、ジオファームを立ち上げ放牧した馬の糞尿で堆肥を作って農家へ卸したりそれを利用してキノコを栽培する者、と競走馬が「生まれてから死ぬまで」のどこかに濃密に関わるさまざまな人々にカメラを向けています。
競馬を趣味している方には既に承知している事実をなぞっているだけの箇所もあるのかもしれませんが、乗馬クラブに通っていた時期があるとはいえ気が向いた時にG1レースをTVで見る事がある程度の私には新鮮に映るトピックの方が多いです。
競走馬の世界は人間が作り出した枠組みの世界であり、本来の生物の営みとは一線を画します。しかし兆に届くほどに産業として巨大化しており多くの者の生活を支える場になっている以上その枠組みを生半可に壊すことは最早出来得ないでしょう。引退馬の在り方に対し多くの葛藤を抱えながらその道を模索する者たちを活写しながらも安易な結論を提示しないこの映画のスタンスは、タームに対して「答えなどは無く、あがくしかない」ことをよく理解していると言えます。
丹念に作りながらも94分とテンポ良くまとめられていてダレることが無い一方で、かなり素朴な印象を受けるのは若手作家ならではというところでしょうか。作中ある競走馬について度々言及されるのですが、特にテロップなどで概要を解説したりはせずに語りっぱなしになっているのは不親切なのかそこに興味を持って調べるというアクションを起こして欲しい意図の表れなのか分かりにくいところなどもあったりもして熱意が先行し過ぎている感もありますが、語り口にまでそれを押し付けていてはいないところに好感が持てますね。
高い問題意識と、それに真摯に向き合ったのが見て取れる力作。ミニシアターでの上映が中心なので鑑賞できる機会が限られる作品ではありますが、多くの方に観て頂きたい一本ですね。
今年春ごろにクラウドファンディングで支援していた声優・小岩井ことりが音響メーカーとガチで開発した有線・無線両用イヤホンが先日遂に届きました。まだ有線でしか使っていませんが、待っただけのことはある良い音してます。あまりイヤホンとかこだわらない方の人だったので、こういうちゃんとしたもので聴く楽曲の音はそれ自体が何だか新鮮。
こんばんは、小島@監督です。
ちなみに無線だと小岩井ことりほかアイマス声優数名が収録したシステム音声が耳元で聴こえるのさ、フフフ。
さて、今回の映画は「プリキュアミラクルリープ みんなとの不思議な1日」です。
ある土曜日の朝、目覚めたのどか(声・悠木碧)は傍らに眠るラビリン(声・加隈亜衣)が奇妙な形のライトを持っていることに気づく。しかしそれが何かラビリンに尋ねても何も覚えていないという。ちゆ(声・依田菜津)とひなた(声・河野ひより)と共に宿題を済ませる約束をしていたのどかはひなたの家に向かう。その道の途中でのどかはひかる(声・成瀬瑛美)とはな(声・引坂理恵)という少女と出会う。
コロナ禍において延期や中止など苦渋の決断を迫られたコンテンツは数限りなくありますが、このプリキュアシリーズや仮面ライダー、スーパー戦隊といったいわゆる「ニチアサ」は毎年新作を放送し定期的に2~3本の映画も製作しているという性格上その中でも特にタイトな立ち回りを強いられたコンテンツと言えるでしょう。
本来3月に公開が予定されていたこの「プリキュアミラクルリープ」も2度の延期の末、従来なら単独タイトルの映画が公開されるシーズンでの封切りとなりました。一方で仮面ライダーとスーパー戦隊の方は夏の2本立て映画を中止してライダーは年末恒例の2作品タイアップ映画(今年はゼロワンとセイバー)を準備し、スーパー戦隊はいわゆる「VSシリーズ」を公開していた新春に単独での映画の公開を予定する形を取りました。他方でTV放送の方は仮面ライダーゼロワンの話数を短縮し通常の時期にセイバーの放送を開始したあたりを見るに他の2タイトルも同様の流れを追うのではないかと思われます。
話を映画の方に移しましょう。
恒例の複数タイトルとのクロスオーバー映画である「ミラクルリープ」ですが、今作では明確に物語の主軸を「ヒーリングっど♡プリキュア」のメンバーに据え、「HUGっと!プリキュア」と「スター☆トゥインクルプリキュア」のキャラクターは客演という立ち位置になっています。キャラクターのポジショニングが綺麗にハマっている分物語もグッと観易いものになり「同じ時間を繰り返す」というSFの定番ともいえるシチュエーションにもスッと入っていけるようになっています。いくらでも深刻な状況が作れるテーマですが、比較的ライトなところで留める辺りにメインターゲットを忘れていない姿勢が伺えます。
また、こういうクロスオーバー映画のように主役の側の圧が強い作品にとっては対決するヴィランが魅力的であることが不可欠ですが今作のヴィラン・リフレインは紳士的な性格ながら妄執に突き動かされるキャラクター性に加え演じる平田広明の声も相まって非常に印象深いものになっており、映画への見応えを高めてくれています。
本来は春に公開を予定していた作品だけあって作中で花見をするシーンが登場したりキュアグレースのこの映画だけの特別フォームが桜をモチーフにしている物だったりと春爛漫なところが秋深まる時期に鑑賞している分かえって物寂しく感じられるのが難点ですが、総じて期待を裏切らない良作と言える逸品です。
思えばこの病禍が世界中に広がる昨今に翻弄されながらも「愛で地球を癒す」ことを謳う「ヒーリングっど♡プリキュア」は奇しくも時代との親和性が非常に高い作品となりました。これからクライマックスへ向かうことになりますが、どうのような着地点に辿り着くのか、今から楽しみです。
こんばんは、小島@監督です。
ちなみに無線だと小岩井ことりほかアイマス声優数名が収録したシステム音声が耳元で聴こえるのさ、フフフ。
さて、今回の映画は「プリキュアミラクルリープ みんなとの不思議な1日」です。
ある土曜日の朝、目覚めたのどか(声・悠木碧)は傍らに眠るラビリン(声・加隈亜衣)が奇妙な形のライトを持っていることに気づく。しかしそれが何かラビリンに尋ねても何も覚えていないという。ちゆ(声・依田菜津)とひなた(声・河野ひより)と共に宿題を済ませる約束をしていたのどかはひなたの家に向かう。その道の途中でのどかはひかる(声・成瀬瑛美)とはな(声・引坂理恵)という少女と出会う。
コロナ禍において延期や中止など苦渋の決断を迫られたコンテンツは数限りなくありますが、このプリキュアシリーズや仮面ライダー、スーパー戦隊といったいわゆる「ニチアサ」は毎年新作を放送し定期的に2~3本の映画も製作しているという性格上その中でも特にタイトな立ち回りを強いられたコンテンツと言えるでしょう。
本来3月に公開が予定されていたこの「プリキュアミラクルリープ」も2度の延期の末、従来なら単独タイトルの映画が公開されるシーズンでの封切りとなりました。一方で仮面ライダーとスーパー戦隊の方は夏の2本立て映画を中止してライダーは年末恒例の2作品タイアップ映画(今年はゼロワンとセイバー)を準備し、スーパー戦隊はいわゆる「VSシリーズ」を公開していた新春に単独での映画の公開を予定する形を取りました。他方でTV放送の方は仮面ライダーゼロワンの話数を短縮し通常の時期にセイバーの放送を開始したあたりを見るに他の2タイトルも同様の流れを追うのではないかと思われます。
話を映画の方に移しましょう。
恒例の複数タイトルとのクロスオーバー映画である「ミラクルリープ」ですが、今作では明確に物語の主軸を「ヒーリングっど♡プリキュア」のメンバーに据え、「HUGっと!プリキュア」と「スター☆トゥインクルプリキュア」のキャラクターは客演という立ち位置になっています。キャラクターのポジショニングが綺麗にハマっている分物語もグッと観易いものになり「同じ時間を繰り返す」というSFの定番ともいえるシチュエーションにもスッと入っていけるようになっています。いくらでも深刻な状況が作れるテーマですが、比較的ライトなところで留める辺りにメインターゲットを忘れていない姿勢が伺えます。
また、こういうクロスオーバー映画のように主役の側の圧が強い作品にとっては対決するヴィランが魅力的であることが不可欠ですが今作のヴィラン・リフレインは紳士的な性格ながら妄執に突き動かされるキャラクター性に加え演じる平田広明の声も相まって非常に印象深いものになっており、映画への見応えを高めてくれています。
本来は春に公開を予定していた作品だけあって作中で花見をするシーンが登場したりキュアグレースのこの映画だけの特別フォームが桜をモチーフにしている物だったりと春爛漫なところが秋深まる時期に鑑賞している分かえって物寂しく感じられるのが難点ですが、総じて期待を裏切らない良作と言える逸品です。
思えばこの病禍が世界中に広がる昨今に翻弄されながらも「愛で地球を癒す」ことを謳う「ヒーリングっど♡プリキュア」は奇しくも時代との親和性が非常に高い作品となりました。これからクライマックスへ向かうことになりますが、どうのような着地点に辿り着くのか、今から楽しみです。
この週末、家族の用事で下呂温泉へ行ってきました。宿泊旅行なんて2月のアイマスライブ遠征以来。せっかくなのであのGoToキャンペーンも利用しての旅行です。本当に普段ならまず使わないクラスの宿がお手頃なお値段になりましたわ(笑)
丁度時期的に良いのもあるのでしょうが、自分たちでもそうなので、キャンペーンの影響もあるのでしょう。通りとか店とか結構混雑していました。温泉街が賑わっているのは良いことなのですが、今は何というか少し身構えてしまいますね(苦笑)
とは言えやはり温泉は良い。久しぶりにのんびりできました。
こんばんは、小島@監督です。
下呂に行くのは十数年ぶりだったのですが、車なら自宅から下道使っても90分掛からないのとなかなか良さ気な店も見つけたのでまたそのうち行こう。ちょうどフィットも手に入ったことだし。
さて、今回の映画は「ウルフウォーカー」です。
17世紀アイルランド・キルケニー。植民地化を進めるイングランドは農地拡大を推進すべく森を切り拓こうとしていた。しかしそこにはオオカミが棲みついており森の開拓は同時にオオカミの襲撃の頻発化を招くことにもなった。護国卿(声・サイモン・マクバーニー)の命令でハンターのビル・グッドフェロー(声・ショーン・ビーン)は娘ロビン(声・オナー・ニーフシー)と共にキルケニーに移り住む。厳格な護国卿を恐れるビルはロビンを街から出したがらないが、父の手伝いをしたくてたまらないロビンはある時こっそりと後を付けていく。そして森の中でオオカミと共に生き魔法の力で傷を癒す不思議な少女と出会う。少女の名はメーヴ(声・エヴァ・ウィッテカー)、人間とオオカミが一つの体に共存する存在「ウルフウォーカー」であった。
1999年の設立以来優れた作品を発表し続けるアイルランドのアニメーション・スタジオ「カートゥーン・サルーン」、日本では今年初頭に「ブレッドウィナー」(製作は2017年)が公開されています。今作「ウルフウォーカー」は、ケルトの伝説に着想を得た「ブレンダンとケルズの秘密」(2009年)「ソング・オブ・ザ・シー 海のうた」(2014年)に続く三部作を締めくくる作品として製作されました。
2D手描きアニメーションの表現を突き詰めていくカートゥーン・サルーンの映像は今作の監督を務めるトム・ムーア自身も認めていますが、スタジオジブリ作品からの影響が随所に見て取れます。特に今作では「オオカミと共に生きる少女」が登場するあたりに「もののけ姫」との相似を見出せますし、感情の高ぶりやアクションのダイナミズムを表現する際に荒々しい輪郭線をそのままに描出していくところなどは「かぐや姫の物語」からの影響を見て取れるでしょう。
特に強く表面に出る文明と自然の対立の構図は映像面でも強く表され、街やそこに生きる人々は直線を主体にしたビジュアルとビビッドな色合いで、ウルフウォーカーや森の中は曲線と水彩調の色使いで表現しており、アニメーションらしい美しさでもって見せてくれます。
しかし構図が似ているとはいえこの作品は単なる「自然と文明の対立」だけの物語ではありません。森の主のように描かれるオオカミの姿はプリミティブなアニミズム信仰に根差すアイルランドの民にとっては畏敬の念を抱く精霊ですが、敬虔かつ厳格なキリスト教徒である護国卿(時代背景を考えるとオリバー・クロムウェルをイメージしているのではと思われる)から見れば、それは淘汰し征服すべき存在です。またそういう土着信仰とキリスト教との対立に加えて、街から、どころか出来ることなら家からもロビンを出したくない父・ビルや、その父に命令する護国卿とのいわば「強権的な父性」との対立なども絡み合い重層的な物語が展開していきます。
それでいて、根底が少年少女へ向けた作品であることも忘れておらず最終的にはロビンとメーヴ、2人の少女のシンプルな友情と勇気の物語へと集約されていく手腕も見事なものです。
アニメならではの躍動感に溢れる一方で、少なからぬカットが一枚絵としても成立するほど完成されたビジュアルをしています。動いても、止まっていても美しい映像とエモーショナルな物語、「ウルフウォーカー」にはエンターテインメントとしてのアニメ映画に求められる全てが揃っていると言っても過言ではありません。ジブリやピクサー・スタジオと違ってまだまだ日本での知名度が低いせいか公開規模がそれほど大きくないのが残念ですが、お近くの映画館で上映している所があるなら是非とも観て頂きたい一本ですね。
丁度時期的に良いのもあるのでしょうが、自分たちでもそうなので、キャンペーンの影響もあるのでしょう。通りとか店とか結構混雑していました。温泉街が賑わっているのは良いことなのですが、今は何というか少し身構えてしまいますね(苦笑)
とは言えやはり温泉は良い。久しぶりにのんびりできました。
こんばんは、小島@監督です。
下呂に行くのは十数年ぶりだったのですが、車なら自宅から下道使っても90分掛からないのとなかなか良さ気な店も見つけたのでまたそのうち行こう。ちょうどフィットも手に入ったことだし。
さて、今回の映画は「ウルフウォーカー」です。
17世紀アイルランド・キルケニー。植民地化を進めるイングランドは農地拡大を推進すべく森を切り拓こうとしていた。しかしそこにはオオカミが棲みついており森の開拓は同時にオオカミの襲撃の頻発化を招くことにもなった。護国卿(声・サイモン・マクバーニー)の命令でハンターのビル・グッドフェロー(声・ショーン・ビーン)は娘ロビン(声・オナー・ニーフシー)と共にキルケニーに移り住む。厳格な護国卿を恐れるビルはロビンを街から出したがらないが、父の手伝いをしたくてたまらないロビンはある時こっそりと後を付けていく。そして森の中でオオカミと共に生き魔法の力で傷を癒す不思議な少女と出会う。少女の名はメーヴ(声・エヴァ・ウィッテカー)、人間とオオカミが一つの体に共存する存在「ウルフウォーカー」であった。
1999年の設立以来優れた作品を発表し続けるアイルランドのアニメーション・スタジオ「カートゥーン・サルーン」、日本では今年初頭に「ブレッドウィナー」(製作は2017年)が公開されています。今作「ウルフウォーカー」は、ケルトの伝説に着想を得た「ブレンダンとケルズの秘密」(2009年)「ソング・オブ・ザ・シー 海のうた」(2014年)に続く三部作を締めくくる作品として製作されました。
2D手描きアニメーションの表現を突き詰めていくカートゥーン・サルーンの映像は今作の監督を務めるトム・ムーア自身も認めていますが、スタジオジブリ作品からの影響が随所に見て取れます。特に今作では「オオカミと共に生きる少女」が登場するあたりに「もののけ姫」との相似を見出せますし、感情の高ぶりやアクションのダイナミズムを表現する際に荒々しい輪郭線をそのままに描出していくところなどは「かぐや姫の物語」からの影響を見て取れるでしょう。
特に強く表面に出る文明と自然の対立の構図は映像面でも強く表され、街やそこに生きる人々は直線を主体にしたビジュアルとビビッドな色合いで、ウルフウォーカーや森の中は曲線と水彩調の色使いで表現しており、アニメーションらしい美しさでもって見せてくれます。
しかし構図が似ているとはいえこの作品は単なる「自然と文明の対立」だけの物語ではありません。森の主のように描かれるオオカミの姿はプリミティブなアニミズム信仰に根差すアイルランドの民にとっては畏敬の念を抱く精霊ですが、敬虔かつ厳格なキリスト教徒である護国卿(時代背景を考えるとオリバー・クロムウェルをイメージしているのではと思われる)から見れば、それは淘汰し征服すべき存在です。またそういう土着信仰とキリスト教との対立に加えて、街から、どころか出来ることなら家からもロビンを出したくない父・ビルや、その父に命令する護国卿とのいわば「強権的な父性」との対立なども絡み合い重層的な物語が展開していきます。
それでいて、根底が少年少女へ向けた作品であることも忘れておらず最終的にはロビンとメーヴ、2人の少女のシンプルな友情と勇気の物語へと集約されていく手腕も見事なものです。
アニメならではの躍動感に溢れる一方で、少なからぬカットが一枚絵としても成立するほど完成されたビジュアルをしています。動いても、止まっていても美しい映像とエモーショナルな物語、「ウルフウォーカー」にはエンターテインメントとしてのアニメ映画に求められる全てが揃っていると言っても過言ではありません。ジブリやピクサー・スタジオと違ってまだまだ日本での知名度が低いせいか公開規模がそれほど大きくないのが残念ですが、お近くの映画館で上映している所があるなら是非とも観て頂きたい一本ですね。
この週末に配信されていたアイマスイベント「THE IDOLM@STER SHINY COLORS MUSIC DAWN」、当初はライブ配信のみの実施と告知されていて、仕事などとモロ被りだったのでスルーせざるを得なかったのですが、イベント数日前になってアーカイブ配信を決定してくれたおかげでイベント前日にチケットを買って鑑賞してました。アイマスに限らず何気にこういう有料の配信イベントをチケット買って観るという行動を起こしてみたのが今回が初めてですが、普段ならどうにもできないタイミングでも「観る」という選択肢が選べるのは良いですね。
スタジオ収録かと思いきや結構大きな会場を用意していてライティングやスクリーン演出やら何もかもがガチ。時にはステージの床面にも映像を映し出していたあたり、本来なら観客を入れて行われる予定だったんだろうなと思わされます。一方で、ドローンなども用いて「最前列でも観れない映像」を積極的に見せようとする運営側の努力も相まってなかなか迫力のある映像でパフォーマンスを楽しめました。また、観客席にペンライト的な形状の照明を用意していたのが印象的(笑)あるとないとではやっぱり雰囲気が違うのでしょうか。
自宅で独りで観ているのでボルテージを上げてコール入れたりとかは当然無いのですが、細かな動きや演出を初見の状態でじっくりと楽しむというのも今までのライブ鑑賞にはあまりなく、その辺りも興味深い経験でした。今のところまだDay2しか観ていないのですが、Day1の方も早いところ見なくちゃ。津田健次郎さんがMCやってるってだけで強いしね(笑)!
こんばんは、小島@監督です。
ところでこういう有料イベント、今回は割と早い段階で知り得たので良いものの、普段声優やアーティストのアカウントやネットラジオなんかをマメにチェックしているわけではないせいか知らぬ間に実施されていたりすることが多いのですが、皆さんどこで情報を得てらっしゃるんでしょうか?
さて、もう既に長くなっていますがちゃんとやります映画の話。今回の映画は「セノーテ」です。
メキシコ・ユカタン半島。そこには「セノーテ」と呼ばれる泉が点在している。マヤ文明の時代、そこは現世と読みの世界が繋がる場所と考えられ、住民たちの唯一の水源であり雨乞いの儀式のために生贄が捧げられた場所でもあった。現在もマヤにルーツを持つ人々が泉の近辺で生活している。人々によって伝わってきた言葉と映像を重ね、過去と現在の記憶を紐解いていく。
「その人にしか撮れない映像を撮る映像作家」というのは確かにいます。この作品を手掛けた小田香監督もそれに連なる一人でしょう。断崖に囲まれた泉「セノーテ」を題材に独特のアプローチで不可思議な映像世界を展開します。
それは例えばネイチャー系の番組のように俯瞰した視点で大自然の驚異を綴るでもなく、清冽かつ静謐な映像でスピリチュアルに語るでもなく、時に生贄すらも必要としたほどに重要な場所であったセノーテに対し、そこに生きた、あるいは今も生きている人たちの息遣いをもすくい上げようとする程に深入りしていきます。それはある意味で「深淵」を覗き見る試みであると言えるでしょう。故にそんな視点を通してみる泉の中は命を繋ぐ清浄さと命を終わらせる汚濁の双方を宿しているように感じられます。
また、この映画は音にも注目です。泉に潜っていくダイバーの呼吸音、木々の騒めきだけでなく時に住民の方が豚を解体する際の音まで、「作られたものではない生々しい音」に満ち溢れています。この音と映像が混然となり驚くべき未見性を持った映画が出来上がりました。
75分と短い作品ですが非常に個性的で癖の強い映画のため、何%かの人は確実に寝落ちするタイプの作品じゃないかと思いますが、同時に何%かの人は生涯忘れない鑑賞体験になることでしょう。なかなか観られる機会も限られる作品とは言え、多くの人にトライしてみてほしい1本ですね。
スタジオ収録かと思いきや結構大きな会場を用意していてライティングやスクリーン演出やら何もかもがガチ。時にはステージの床面にも映像を映し出していたあたり、本来なら観客を入れて行われる予定だったんだろうなと思わされます。一方で、ドローンなども用いて「最前列でも観れない映像」を積極的に見せようとする運営側の努力も相まってなかなか迫力のある映像でパフォーマンスを楽しめました。また、観客席にペンライト的な形状の照明を用意していたのが印象的(笑)あるとないとではやっぱり雰囲気が違うのでしょうか。
自宅で独りで観ているのでボルテージを上げてコール入れたりとかは当然無いのですが、細かな動きや演出を初見の状態でじっくりと楽しむというのも今までのライブ鑑賞にはあまりなく、その辺りも興味深い経験でした。今のところまだDay2しか観ていないのですが、Day1の方も早いところ見なくちゃ。津田健次郎さんがMCやってるってだけで強いしね(笑)!
こんばんは、小島@監督です。
ところでこういう有料イベント、今回は割と早い段階で知り得たので良いものの、普段声優やアーティストのアカウントやネットラジオなんかをマメにチェックしているわけではないせいか知らぬ間に実施されていたりすることが多いのですが、皆さんどこで情報を得てらっしゃるんでしょうか?
さて、もう既に長くなっていますがちゃんとやります映画の話。今回の映画は「セノーテ」です。
メキシコ・ユカタン半島。そこには「セノーテ」と呼ばれる泉が点在している。マヤ文明の時代、そこは現世と読みの世界が繋がる場所と考えられ、住民たちの唯一の水源であり雨乞いの儀式のために生贄が捧げられた場所でもあった。現在もマヤにルーツを持つ人々が泉の近辺で生活している。人々によって伝わってきた言葉と映像を重ね、過去と現在の記憶を紐解いていく。
「その人にしか撮れない映像を撮る映像作家」というのは確かにいます。この作品を手掛けた小田香監督もそれに連なる一人でしょう。断崖に囲まれた泉「セノーテ」を題材に独特のアプローチで不可思議な映像世界を展開します。
それは例えばネイチャー系の番組のように俯瞰した視点で大自然の驚異を綴るでもなく、清冽かつ静謐な映像でスピリチュアルに語るでもなく、時に生贄すらも必要としたほどに重要な場所であったセノーテに対し、そこに生きた、あるいは今も生きている人たちの息遣いをもすくい上げようとする程に深入りしていきます。それはある意味で「深淵」を覗き見る試みであると言えるでしょう。故にそんな視点を通してみる泉の中は命を繋ぐ清浄さと命を終わらせる汚濁の双方を宿しているように感じられます。
また、この映画は音にも注目です。泉に潜っていくダイバーの呼吸音、木々の騒めきだけでなく時に住民の方が豚を解体する際の音まで、「作られたものではない生々しい音」に満ち溢れています。この音と映像が混然となり驚くべき未見性を持った映画が出来上がりました。
75分と短い作品ですが非常に個性的で癖の強い映画のため、何%かの人は確実に寝落ちするタイプの作品じゃないかと思いますが、同時に何%かの人は生涯忘れない鑑賞体験になることでしょう。なかなか観られる機会も限られる作品とは言え、多くの人にトライしてみてほしい1本ですね。
昨日の歌会に参加された皆さん、お疲れ様でした。
3か月ぶりの開催となった歌会、前回同様いろんなことが手探りという感じでなかなかこれまで通りとはいかない難しさを実感しますね。あと個人的に歌会以外ではほとんどカラオケに行かないのでカラオケ自体前回の歌会以来だったから最初は声の出し方から探り探りでしたわ(苦笑)
こんばんは、小島@監督です。
それから、休止期間中に顔を見れた方ってそんなに多くないので大半の方が数か月~年単位ぶりでしたしそういう方たちと言葉を交わせたのも嬉しかったですね。昨今の事情を考えるとまたこれまで通りにコンスタントに、とはいかないでしょうが開催される折はなるたけ顔を出したいと思います。
さて、今回の映画は「星の子」です。
高校受験を控えた林ちひろ(芦田愛菜)は、両親(永瀬正敏・原田知世)と姉(蒔田彩珠)の4人家族だが家庭の様子は普通とは少し違っていた。未熟児として生まれ病弱だったちひろのために両親はあらゆる療法を試した末に心霊療法に辿り着いた。特別な生命力を宿したというその水によってちひろの病状は改善。それを機に両親は「怪しい宗教」にのめりこむようになっていく。そんな両親と距離を置くように姉は家出を繰り返し、やがて戻らなくなってしまう。転居を繰り返すたびに家も狭くなっていった。それでも自分に愛情を注いで育ててくれた両親のことをちひろは大好きだったし、そんな家の事情を知っていても仲良くしてくれる友人もいて、また数学教師の南(岡田将生)への恋心も手伝って学校生活はそれなりに充実していた。
しかし秋も深まり冬に差し掛かろうかというある日に、ちひろの心を揺さぶる事件が起きる。
「信じる」とは、時に美しく純粋であり、時に醜悪な狂気に映るもの。決して起伏の激しいとは言えない、むしろ静かなトーンの物語の中で語られるのは、そんな「信じる」ことへの危うさです。際どい境界線上を揺らぎながら歩き続ける少女の不安定な心情を巧みに描き出します。
この映画をより見事なものにしているのは何と言ってもこれが6年ぶりの映画主演となる芦田愛菜の演技です。少女の心の揺らぎを時に表情一つで演じ切って見せます。当人も撮影時は主人公と同じ15歳だったはずなのですが「少女が良くも悪くも精神的に大人へと成長し始める瞬間」の表情を演じてみせたのにはさすがに唸りました。芦田愛菜、実際のところ今何周目の人生を歩んでいるのでしょうかといぶかってしまうほどの重厚さです。
無論ほかの方の演技も負けていません。というか「演技下手な人が一人もいない」のがこの映画の静かで大きな特徴で、そんな登場人物全員が全員自然な振る舞いをしているのは一見地味ですが実はなかなかの凄みです。
物語の大きな特徴として、主人公・ちひろに対して「実は悪意を向けている人はほとんどいない」ことがあります。それは家族愛であったり友情であったり、あるいは信仰心に根差したものでもあったりと質も深さも様々ですが彼女に向けられているのはほぼ全て善意から来るものです。そうであるが故に作中数少ない彼女に向けられるある「悪意」とそれに晒されたちひろの表情が際立つとも言うのですが。面白いのは「そもそもこの状況が出来上がった発端が、自分自身が宗教染みた水によって体が治ってしまったこと」にあることを当人が気づいているが故に際どく危うい中を歩かねばならないことになってしまっている点です。
クライマックスに、この映画にはかなり長い、カメラの位置さえ固定されたワンカットのシーンが登場します。決して劇的なことが起こるわけではないのですが独特の静謐な緊張感が漂うそのシーンでの会話や表情はどうぞ見逃さないでください。
独特にして生々しい苦みや胸苦しさを感じさせられる1本ではありますが、それ故に人の心に残せる「何か」がある作品とも言えるでしょう。起伏が少ないのでダイナミックな映画が観たいときには向かない作品ですが、秋も深まりつつあるさなかにじわりと染み入るような、こんな1本も時には良いと思いますよ。
3か月ぶりの開催となった歌会、前回同様いろんなことが手探りという感じでなかなかこれまで通りとはいかない難しさを実感しますね。あと個人的に歌会以外ではほとんどカラオケに行かないのでカラオケ自体前回の歌会以来だったから最初は声の出し方から探り探りでしたわ(苦笑)
こんばんは、小島@監督です。
それから、休止期間中に顔を見れた方ってそんなに多くないので大半の方が数か月~年単位ぶりでしたしそういう方たちと言葉を交わせたのも嬉しかったですね。昨今の事情を考えるとまたこれまで通りにコンスタントに、とはいかないでしょうが開催される折はなるたけ顔を出したいと思います。
さて、今回の映画は「星の子」です。
高校受験を控えた林ちひろ(芦田愛菜)は、両親(永瀬正敏・原田知世)と姉(蒔田彩珠)の4人家族だが家庭の様子は普通とは少し違っていた。未熟児として生まれ病弱だったちひろのために両親はあらゆる療法を試した末に心霊療法に辿り着いた。特別な生命力を宿したというその水によってちひろの病状は改善。それを機に両親は「怪しい宗教」にのめりこむようになっていく。そんな両親と距離を置くように姉は家出を繰り返し、やがて戻らなくなってしまう。転居を繰り返すたびに家も狭くなっていった。それでも自分に愛情を注いで育ててくれた両親のことをちひろは大好きだったし、そんな家の事情を知っていても仲良くしてくれる友人もいて、また数学教師の南(岡田将生)への恋心も手伝って学校生活はそれなりに充実していた。
しかし秋も深まり冬に差し掛かろうかというある日に、ちひろの心を揺さぶる事件が起きる。
「信じる」とは、時に美しく純粋であり、時に醜悪な狂気に映るもの。決して起伏の激しいとは言えない、むしろ静かなトーンの物語の中で語られるのは、そんな「信じる」ことへの危うさです。際どい境界線上を揺らぎながら歩き続ける少女の不安定な心情を巧みに描き出します。
この映画をより見事なものにしているのは何と言ってもこれが6年ぶりの映画主演となる芦田愛菜の演技です。少女の心の揺らぎを時に表情一つで演じ切って見せます。当人も撮影時は主人公と同じ15歳だったはずなのですが「少女が良くも悪くも精神的に大人へと成長し始める瞬間」の表情を演じてみせたのにはさすがに唸りました。芦田愛菜、実際のところ今何周目の人生を歩んでいるのでしょうかといぶかってしまうほどの重厚さです。
無論ほかの方の演技も負けていません。というか「演技下手な人が一人もいない」のがこの映画の静かで大きな特徴で、そんな登場人物全員が全員自然な振る舞いをしているのは一見地味ですが実はなかなかの凄みです。
物語の大きな特徴として、主人公・ちひろに対して「実は悪意を向けている人はほとんどいない」ことがあります。それは家族愛であったり友情であったり、あるいは信仰心に根差したものでもあったりと質も深さも様々ですが彼女に向けられているのはほぼ全て善意から来るものです。そうであるが故に作中数少ない彼女に向けられるある「悪意」とそれに晒されたちひろの表情が際立つとも言うのですが。面白いのは「そもそもこの状況が出来上がった発端が、自分自身が宗教染みた水によって体が治ってしまったこと」にあることを当人が気づいているが故に際どく危うい中を歩かねばならないことになってしまっている点です。
クライマックスに、この映画にはかなり長い、カメラの位置さえ固定されたワンカットのシーンが登場します。決して劇的なことが起こるわけではないのですが独特の静謐な緊張感が漂うそのシーンでの会話や表情はどうぞ見逃さないでください。
独特にして生々しい苦みや胸苦しさを感じさせられる1本ではありますが、それ故に人の心に残せる「何か」がある作品とも言えるでしょう。起伏が少ないのでダイナミックな映画が観たいときには向かない作品ですが、秋も深まりつつあるさなかにじわりと染み入るような、こんな1本も時には良いと思いますよ。

