一昨日の放送で「新幹線変形ロボ シンカリオン」が最終回に。シリーズ開始当初はJRグループ全面協賛という触れ込みに釣られて観始め、序盤はいかにも少年向けホビーアニメという趣でしたが次第に「自分と異なる者との対話」という側面が出てきてからは本格派のSFとしても楽しめるようになり新幹線関係のCMを音源まで借りて完コピすると言った全力のパロディも良いアクセントになって最後には一ファンとして毎週の放送を楽しみにしているほどになりました。
これで終了なのは少し寂しいですが年末には劇場版も控えている事ですし、もうしばらく楽しませてくれそうです。
こんばんは、小島@監督です。
もうちょっとこういうロングシリーズのアニメが増えればいいのに。
さて、昨日の日曜に「THE IDOLM@STER MILLION LIVE! 6thLIVE TOUR UNI-ON@IR!!!!」福岡公演Day2のライブビューイングを観に行ってきました。
4月に仙台、5月に神戸、そして今回の福岡と3都市6公演で開催されミリオンライブ6thツアーもこれで千秋楽。6月29日がミリシタ配信開始からちょうど2周年ということもありアニバーサリー的な意味合いも強いイベントとなりました。それぞれの公演の出演者はゲーム内の属性で振り分けられ、福岡公演ではFairyタイプのキャラクター達によるステージが展開されました。
セットリストの基本的構成はこれまでと変わらず前半はゲーム内で展開したイベントで結成されたユニット4組のパフォーマンスを見せ、後半はその枠を外してソロ曲やユニット曲で構成します。しかし千秋楽ということで、この形式にも慣れてきたファンたちを驚かせる仕掛けをいくつも用意して来ていました。
特に前半、4組のユニット全てで演出の方向性を変えるという離れ業が展開します。いささか文章量が多くなってしまいますがここは一つ一つ書いていくことに致しましょう。
最初に登場したのはデュオユニット「D/Zeal」、ここでは最上静香役田所あずささんとジュリア役愛美さんというソロシンガーとしても実績のある2人が相手に遠慮無く自身のヴォーカルをぶつけることで双方が高め合うアーティスティックなステージが繰り広げられました。
次に登場したのは「夜想令嬢 -GRAC&E NOCTURNE-」、このユニットはゲーム内イベントあるいはドラマCDで「ミュージカルに出演する」という設定でその楽曲はつまり劇中曲という扱いなのですが、その2曲「昏き星、遠い月」「Everlasting」を大胆に再構成し台詞を織り交ぜ本格的にミュージカルに仕立て上げてみせます。しかもカーテンコールまで入れて来る趣向が憎い(笑)。両日観た人に言わせると初日と2日目で台詞を変えて来ているそうで、ちょっと忘れがちになりますが出演している声優さんたちも地は役者であることを再認識させてくれるパートでした。
3番目はトリオユニット「EScape」、ここでは選曲と構成の妙が光ります。ユニット曲2曲は「ふとしたことで感情を知ったアンドロイド」の物語を描出しているのですが、そこにカバー曲2曲を織り交ぜ、カバー曲に新たな一面を与えつつ「感情を知ったアンドロイドがその感情に翻弄されやがて機能を停止するまで」を完成させていく流れが見事でした。
最後を飾るのは「Jelly PoP Beans」、「レトロポップ」をテーマに衣装も曲調もオールディーズ感を醸成するこのユニット。白眉は軽快なドゥーワップ(1950年代のアメリカで流行したジャズのスタイル)のリズムに乗せた「月曜日のクリームソーダ」。通常のバックダンサーに加え国外でも活躍しているという女性タップダンサーをゲストに招いてのレビューを思わせる絢爛なステージングに魅了されます。
変に1つが突出してしまえば他が埋もれて全体のバランスも崩してしまいかねない中で4組のパフォーマンス全てが予想以上で、それに驚かされてからの後半はバラード曲にも良いものがあるFairyチームというのにアップテンポナンバーで固めて畳みかけ熱量を一切下げさせないパワーに圧倒されました。クレバーですらある高い構成力とそれに負けない出演者のパフォーマンスのキレ味を堪能するイベントでした。
全体を通して、出演者全員に6年間の蓄積がもたらす成熟さを感じさせ、ミリオンライブは一段高い所へ登ったような印象を受けます。ステージの最後には9月に追加公演が行われることが告知され、今ツアーの実績と余韻を引っ提げてどんなステージを見せてくれるのか、今から楽しみでなりません。しかも日程的にも両日行けそうなタイミングだしね!今度こそ現地で観たいね!ミリオンライブは実は今まで現地参戦できたこと無いんでね!
これで終了なのは少し寂しいですが年末には劇場版も控えている事ですし、もうしばらく楽しませてくれそうです。
こんばんは、小島@監督です。
もうちょっとこういうロングシリーズのアニメが増えればいいのに。
さて、昨日の日曜に「THE IDOLM@STER MILLION LIVE! 6thLIVE TOUR UNI-ON@IR!!!!」福岡公演Day2のライブビューイングを観に行ってきました。
4月に仙台、5月に神戸、そして今回の福岡と3都市6公演で開催されミリオンライブ6thツアーもこれで千秋楽。6月29日がミリシタ配信開始からちょうど2周年ということもありアニバーサリー的な意味合いも強いイベントとなりました。それぞれの公演の出演者はゲーム内の属性で振り分けられ、福岡公演ではFairyタイプのキャラクター達によるステージが展開されました。
セットリストの基本的構成はこれまでと変わらず前半はゲーム内で展開したイベントで結成されたユニット4組のパフォーマンスを見せ、後半はその枠を外してソロ曲やユニット曲で構成します。しかし千秋楽ということで、この形式にも慣れてきたファンたちを驚かせる仕掛けをいくつも用意して来ていました。
特に前半、4組のユニット全てで演出の方向性を変えるという離れ業が展開します。いささか文章量が多くなってしまいますがここは一つ一つ書いていくことに致しましょう。
最初に登場したのはデュオユニット「D/Zeal」、ここでは最上静香役田所あずささんとジュリア役愛美さんというソロシンガーとしても実績のある2人が相手に遠慮無く自身のヴォーカルをぶつけることで双方が高め合うアーティスティックなステージが繰り広げられました。
次に登場したのは「夜想令嬢 -GRAC&E NOCTURNE-」、このユニットはゲーム内イベントあるいはドラマCDで「ミュージカルに出演する」という設定でその楽曲はつまり劇中曲という扱いなのですが、その2曲「昏き星、遠い月」「Everlasting」を大胆に再構成し台詞を織り交ぜ本格的にミュージカルに仕立て上げてみせます。しかもカーテンコールまで入れて来る趣向が憎い(笑)。両日観た人に言わせると初日と2日目で台詞を変えて来ているそうで、ちょっと忘れがちになりますが出演している声優さんたちも地は役者であることを再認識させてくれるパートでした。
3番目はトリオユニット「EScape」、ここでは選曲と構成の妙が光ります。ユニット曲2曲は「ふとしたことで感情を知ったアンドロイド」の物語を描出しているのですが、そこにカバー曲2曲を織り交ぜ、カバー曲に新たな一面を与えつつ「感情を知ったアンドロイドがその感情に翻弄されやがて機能を停止するまで」を完成させていく流れが見事でした。
最後を飾るのは「Jelly PoP Beans」、「レトロポップ」をテーマに衣装も曲調もオールディーズ感を醸成するこのユニット。白眉は軽快なドゥーワップ(1950年代のアメリカで流行したジャズのスタイル)のリズムに乗せた「月曜日のクリームソーダ」。通常のバックダンサーに加え国外でも活躍しているという女性タップダンサーをゲストに招いてのレビューを思わせる絢爛なステージングに魅了されます。
変に1つが突出してしまえば他が埋もれて全体のバランスも崩してしまいかねない中で4組のパフォーマンス全てが予想以上で、それに驚かされてからの後半はバラード曲にも良いものがあるFairyチームというのにアップテンポナンバーで固めて畳みかけ熱量を一切下げさせないパワーに圧倒されました。クレバーですらある高い構成力とそれに負けない出演者のパフォーマンスのキレ味を堪能するイベントでした。
全体を通して、出演者全員に6年間の蓄積がもたらす成熟さを感じさせ、ミリオンライブは一段高い所へ登ったような印象を受けます。ステージの最後には9月に追加公演が行われることが告知され、今ツアーの実績と余韻を引っ提げてどんなステージを見せてくれるのか、今から楽しみでなりません。しかも日程的にも両日行けそうなタイミングだしね!今度こそ現地で観たいね!ミリオンライブは実は今まで現地参戦できたこと無いんでね!
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割と以前から薦められていたアニソン専門の定額ストリーミングサービス「アニュータ」を遂に導入しました。いや、ガルパンのキャラソンが大体聴けると知ったもので、つい(笑)配信曲数がとにかく多いので目移りしてしまいますね、アレ。ただ、何となく思い立って「アステロイド・ブルース」を検索してみたら配信されてなかった。く…ッ!この辺りはさすがにカバーしていないか…ッ!
こんばんは、小島@監督です。
ともあれ歌会が再開されるまでにこれでレパートリーを増やしにかかりますぜ。
さて、今回の映画は「ホフマニアダ ホフマンの物語」です。
エルンスト・テオドール・アマデウス・ホフマン、著作家・作曲家として大成した彼は机に向かいながら自身の人生と作品を思い返していた。ドイツの小さな街で窮屈な屋根裏部屋を借りて暮らす若き日のエルンストは、昼は裁判官見習いとして働き夜は創作活動に勤しみ音楽家を志す青年であった。
空想の世界で、エルンストはアンゼルムスという名の青年であった。魅惑的な蛇の娘ゼルペンティーナに恋をしたアンゼルムスを見かけたゼルペンティーナの父サラマンダー・リントホルストは魔術書の写本を行う仕事をアンゼルムスに依頼する。
毎日TVアニメが放送される昨今では時に忘れがちになりますがアニメーションとは非常に地道な作業を要求する表現方法です。人形を用いたストップモーションアニメで1日に作れる映像は大体5秒と言われています。チャイコフスキーのバレエ曲「くるみ割り人形」の原典である「くるみ割り人形とねずみの王様」など数多くの作品を発表したドイツ幻想文学の巨匠E・T・A・ホフマン。ホフマンが発表した「黄金の壺」などいくつかの作品を織り交ぜながら展開し、実に15年の歳月をかけて製作されたストップモーションアニメの大作が公開されました。フランスの作曲家ジャッカ・オッフェンバックによって1881年に作られたオペラに「ホフマン物語」というのがあります(1951年に映画化もされた)が、影響は受けつつもそれとはまた一味違う作品になっています。
製作したのはユーリ・ノルシュテイン監督の「霧に包まれたハリネズミ」やロマン・カチャーノフ監督の「チェブラーシカ」などの傑作を世に送り出してきたモスクワの著名スタジオ・ソユーズトリムスタジオ。監督はシェークスピア戯曲を人形アニメにしてエミー賞を受賞した経験もあるロシアのアニメ製作の巨匠スタニスラフ・ソコロフが手掛けています。
実に150体以上のパペットが製作されたというこの作品、登場人物の所作もさることながらその表情の豊かさに驚かされます。無論人形なので相応にデフォルメはされているもののただ極端に喜怒哀楽を誇張するだけでなく微妙な表情までも表現してみせる繊細な挙動、更に驚くことにクライマックスではそんなパペットたちが何と50体以上登場してのボリュームのあるシーンが展開します。そんなパペットたちが動き回る舞台美術や小道具の数々も細部に至るまで神経が行き届いており、というよりもうほとんど変態的と言っても良いこだわりぶりで観る者を圧倒します。
物語は現実と空想を行きつ戻りつしますが、肝になるのはアンゼルムスとゼルペンティーナのファンタジックなラブストーリー…ではなくむしろなかなか人に評価されない中で創作を続けるエルンストの苦悩とその工程にあるのでしょう。序盤エルンストには幼少期に一つのトラウマを抱えている事が描かれます。その時の恐怖体験が青年期に入っても影を落とすエルンストですが、しかしそれは必ずしも負の面だけでなく創作へのモチベーションへ転換するエネルギーにもなっており、それは一見逃避のように思えても必ずしもそうではないと感じさせてくれます。
普段目にするTVアニメとは根本的に質感が違いますが、だからこそ新鮮に感じられる部分も多いハズ。この強烈なイメージの奔流は是非多くの方に味わってほしい逸品です。想像力が飛翔する幻想世界の物語をどうぞご堪能下さい。
こんばんは、小島@監督です。
ともあれ歌会が再開されるまでにこれでレパートリーを増やしにかかりますぜ。
さて、今回の映画は「ホフマニアダ ホフマンの物語」です。
エルンスト・テオドール・アマデウス・ホフマン、著作家・作曲家として大成した彼は机に向かいながら自身の人生と作品を思い返していた。ドイツの小さな街で窮屈な屋根裏部屋を借りて暮らす若き日のエルンストは、昼は裁判官見習いとして働き夜は創作活動に勤しみ音楽家を志す青年であった。
空想の世界で、エルンストはアンゼルムスという名の青年であった。魅惑的な蛇の娘ゼルペンティーナに恋をしたアンゼルムスを見かけたゼルペンティーナの父サラマンダー・リントホルストは魔術書の写本を行う仕事をアンゼルムスに依頼する。
毎日TVアニメが放送される昨今では時に忘れがちになりますがアニメーションとは非常に地道な作業を要求する表現方法です。人形を用いたストップモーションアニメで1日に作れる映像は大体5秒と言われています。チャイコフスキーのバレエ曲「くるみ割り人形」の原典である「くるみ割り人形とねずみの王様」など数多くの作品を発表したドイツ幻想文学の巨匠E・T・A・ホフマン。ホフマンが発表した「黄金の壺」などいくつかの作品を織り交ぜながら展開し、実に15年の歳月をかけて製作されたストップモーションアニメの大作が公開されました。フランスの作曲家ジャッカ・オッフェンバックによって1881年に作られたオペラに「ホフマン物語」というのがあります(1951年に映画化もされた)が、影響は受けつつもそれとはまた一味違う作品になっています。
製作したのはユーリ・ノルシュテイン監督の「霧に包まれたハリネズミ」やロマン・カチャーノフ監督の「チェブラーシカ」などの傑作を世に送り出してきたモスクワの著名スタジオ・ソユーズトリムスタジオ。監督はシェークスピア戯曲を人形アニメにしてエミー賞を受賞した経験もあるロシアのアニメ製作の巨匠スタニスラフ・ソコロフが手掛けています。
実に150体以上のパペットが製作されたというこの作品、登場人物の所作もさることながらその表情の豊かさに驚かされます。無論人形なので相応にデフォルメはされているもののただ極端に喜怒哀楽を誇張するだけでなく微妙な表情までも表現してみせる繊細な挙動、更に驚くことにクライマックスではそんなパペットたちが何と50体以上登場してのボリュームのあるシーンが展開します。そんなパペットたちが動き回る舞台美術や小道具の数々も細部に至るまで神経が行き届いており、というよりもうほとんど変態的と言っても良いこだわりぶりで観る者を圧倒します。
物語は現実と空想を行きつ戻りつしますが、肝になるのはアンゼルムスとゼルペンティーナのファンタジックなラブストーリー…ではなくむしろなかなか人に評価されない中で創作を続けるエルンストの苦悩とその工程にあるのでしょう。序盤エルンストには幼少期に一つのトラウマを抱えている事が描かれます。その時の恐怖体験が青年期に入っても影を落とすエルンストですが、しかしそれは必ずしも負の面だけでなく創作へのモチベーションへ転換するエネルギーにもなっており、それは一見逃避のように思えても必ずしもそうではないと感じさせてくれます。
普段目にするTVアニメとは根本的に質感が違いますが、だからこそ新鮮に感じられる部分も多いハズ。この強烈なイメージの奔流は是非多くの方に味わってほしい逸品です。想像力が飛翔する幻想世界の物語をどうぞご堪能下さい。
一昨日の土曜日は「ガールズ&パンツァー最終章第2話」「Fate/kaleid linerPrsma☆Illya プリズマ☆ファンタズム」「青春ブタ野郎はゆめみる少女の夢を見ない」と一斉にアニメファン向けのタイトルが初日を迎え、更には公開は先週からですが「劇場版うたの☆プリンスさまっ♪ マジLOVEキングダム」の舞台挨拶中継も行われてシネコンの中がオタクだらけに(笑)
狙ってその日を休みにしたわけではなくスケジュールの関係でたまたまそうなっただけだったのですが、観れるなら観てしまおうと思って行ったらパンフレットやグッズを購入するための物販の列がシネコンの外まで伸びていてビビりました。「アラジン」なども満席に近いくらい埋まっているのにそれ以上に「私ら」が真ん中にひしめいている状態は良く映画館に足を運ぶ私でもなかなか異様な光景で変な笑いが。
こんばんは、小島@監督です。
結局のところガルパンのパンフレットは私の少し前で売り切れて買えなかった…
さて、今回の映画は「海獣の子供」です。
海辺の街で母親と2人で暮らす中学生の少女・琉花(声・芦田愛菜)は、部活の練習中にちょっとした意地の張り合いからチームメートを怪我させ顧問から「もう来なくていい」と言われてしまう。
行き場を失い、悶々とする琉花は別居中の父親が働く水族館へ向かった、そこで琉花は大水槽の中を魚と一緒に泳ぎ回る不思議な少年・海(声・石橋陽彩)と夕暮れの浜辺で佇み全てを達観するような遠い目をした少年・空(声・浦上晟周)出会う。ジュゴンに育てられたという2人の少年との出会いが琉花の運命を大きく変えていくことになるのだった。
1986年に設立し、1990年代半ばに長編オムニバスアニメーション「MEMORIES」(監督大友克洋)やミュージッククリップ「EXTRA」(監督森本晃司、音楽ケン・イシイ)などで高い評価を得たのちは「アリーテ姫」(監督片渕須直)「鉄コン筋クリート」(監督マイケル・アリアス)「ハーモニー」(監督なかむらたかし&マイケル・アリアス)など映像化が困難と言われた原作に果敢に挑戦してアニメ化を実現させてきた「STUDIO 4℃」、その新作は五十嵐大介氏が2006~11年にかけて連載していたコミックを原作にした長編アニメーションです。
精緻に精彩に、そして時に大胆に。アニメーションだからこそ成し得るダイナミズムをこれでもかとスクリーンから叩き付けらてきます。微細なものまで描き込まれた背景美術、髪の毛一本疎かにしないキャラクター造形、「画」だけで語れる説得力を持つ凄みが112分全編に亘って続くパワフルな作品です。特に目を引くのが色彩設計。海が重要なモチーフになるこの作品、「青」の表現の多様さが群を抜いています。それは時に「青」となり「蒼」となり「碧」となり「藍」となる、天候、時間、そして時に心情を映し千変万化する海の姿に圧倒されます。
物語は琉花と2人の少年との交流を描く前半はまだ分かりやすいものの海の彼方で繰り広げられるという謎のセレモニー「誕生祭」へ向けて加速していく後半はセリフも減っていき抽象的になっていくため、激しい奔流となって押し寄せる映像に飲み込まれるか流れに任せるか、それとも全力で読み解いていこうとするかは観客に委ねられます。それ故喜怒哀楽が分かりやすい作品を好む向きにはこういう映画は辛いでしょう。ですが、生涯忘れ得ぬ映像体験へ昇華される人も少なくないに違いありません。
いわゆる「パンスペルミア説」(胚種広布説とも言う。生命の根底となる有機物が隕石などによって宇宙からもたらされたとされる説)をベースにして描かれる物語は、数多くのシーンで「生命」そのものについての意識が貫いていて、ある食事のシーンなどは「生命が受け渡される」ことが見事にビジュアライズされた象徴的なシーンとなっていると言えるでしょう。そういう描写の積み重ねの果てに訪れる「誕生祭」はその名に相応しい生命誕生の爆発をエネルギッシュな映像で圧倒します。
理屈よりもイマジネーションに訴えかける部分の多いこの映画、恐らく自宅のTVで観るのとスクリーンで観るのとでは大きく評価が変わるタイプの作品です。いささか難解ではありますが、気になっている方はどうぞスクリーンでの鑑賞をお薦めしたいところですね。
狙ってその日を休みにしたわけではなくスケジュールの関係でたまたまそうなっただけだったのですが、観れるなら観てしまおうと思って行ったらパンフレットやグッズを購入するための物販の列がシネコンの外まで伸びていてビビりました。「アラジン」なども満席に近いくらい埋まっているのにそれ以上に「私ら」が真ん中にひしめいている状態は良く映画館に足を運ぶ私でもなかなか異様な光景で変な笑いが。
こんばんは、小島@監督です。
結局のところガルパンのパンフレットは私の少し前で売り切れて買えなかった…
さて、今回の映画は「海獣の子供」です。
海辺の街で母親と2人で暮らす中学生の少女・琉花(声・芦田愛菜)は、部活の練習中にちょっとした意地の張り合いからチームメートを怪我させ顧問から「もう来なくていい」と言われてしまう。
行き場を失い、悶々とする琉花は別居中の父親が働く水族館へ向かった、そこで琉花は大水槽の中を魚と一緒に泳ぎ回る不思議な少年・海(声・石橋陽彩)と夕暮れの浜辺で佇み全てを達観するような遠い目をした少年・空(声・浦上晟周)出会う。ジュゴンに育てられたという2人の少年との出会いが琉花の運命を大きく変えていくことになるのだった。
1986年に設立し、1990年代半ばに長編オムニバスアニメーション「MEMORIES」(監督大友克洋)やミュージッククリップ「EXTRA」(監督森本晃司、音楽ケン・イシイ)などで高い評価を得たのちは「アリーテ姫」(監督片渕須直)「鉄コン筋クリート」(監督マイケル・アリアス)「ハーモニー」(監督なかむらたかし&マイケル・アリアス)など映像化が困難と言われた原作に果敢に挑戦してアニメ化を実現させてきた「STUDIO 4℃」、その新作は五十嵐大介氏が2006~11年にかけて連載していたコミックを原作にした長編アニメーションです。
精緻に精彩に、そして時に大胆に。アニメーションだからこそ成し得るダイナミズムをこれでもかとスクリーンから叩き付けらてきます。微細なものまで描き込まれた背景美術、髪の毛一本疎かにしないキャラクター造形、「画」だけで語れる説得力を持つ凄みが112分全編に亘って続くパワフルな作品です。特に目を引くのが色彩設計。海が重要なモチーフになるこの作品、「青」の表現の多様さが群を抜いています。それは時に「青」となり「蒼」となり「碧」となり「藍」となる、天候、時間、そして時に心情を映し千変万化する海の姿に圧倒されます。
物語は琉花と2人の少年との交流を描く前半はまだ分かりやすいものの海の彼方で繰り広げられるという謎のセレモニー「誕生祭」へ向けて加速していく後半はセリフも減っていき抽象的になっていくため、激しい奔流となって押し寄せる映像に飲み込まれるか流れに任せるか、それとも全力で読み解いていこうとするかは観客に委ねられます。それ故喜怒哀楽が分かりやすい作品を好む向きにはこういう映画は辛いでしょう。ですが、生涯忘れ得ぬ映像体験へ昇華される人も少なくないに違いありません。
いわゆる「パンスペルミア説」(胚種広布説とも言う。生命の根底となる有機物が隕石などによって宇宙からもたらされたとされる説)をベースにして描かれる物語は、数多くのシーンで「生命」そのものについての意識が貫いていて、ある食事のシーンなどは「生命が受け渡される」ことが見事にビジュアライズされた象徴的なシーンとなっていると言えるでしょう。そういう描写の積み重ねの果てに訪れる「誕生祭」はその名に相応しい生命誕生の爆発をエネルギッシュな映像で圧倒します。
理屈よりもイマジネーションに訴えかける部分の多いこの映画、恐らく自宅のTVで観るのとスクリーンで観るのとでは大きく評価が変わるタイプの作品です。いささか難解ではありますが、気になっている方はどうぞスクリーンでの鑑賞をお薦めしたいところですね。
先ず始めに一つご連絡。既にLINEのグループトークでは先月の内に通知がなされていましたが、グループに入っていない方もいらっしゃいますし、Twitterからダイレクトにこのブログをご覧になって下さっている方もいらっしゃるようなので一応ここでも。
今度の日曜、16日に予定されていた歌会は先月負傷し入院されたかときちさんの療養を優先して中止となりました。ホームページの掲示板にかときちさんのメッセージがありますのでそちらもご覧ください。
こんばんは、小島@監督です。
改めてかときちさんの一日も早い快復をお祈りします。
さて、ここからは今日の本題!昨日「ラブライブ!サンシャイン!! Aqours 5th LoveLive! ~Next SPARKLING!!~ 」のライブビューイングを観に行ってきました。普段アイマス一辺倒な私ですが、ま、たまにはね!「ラブライブ」のイベントを観るのは2014年のμ’sライブ以来5年ぶり。Aquorsのライブを観るのは今回が初めてになります。
今年1月に公開された劇場版も記憶に新しい「ラブライブ!サンシャイン!!」の5thライブステージはセットリストや演出も劇場版の要素をふんだんに盛り込んで展開。元々アニメとのリンクを強く意識させる構成が「ラブライブ」のステージの魅力の一つと言われていましたが、劇場版のワンシーンをスクリーンに映し出してからそのまま楽曲へ流れ込んでアニメと全く同じ振り付けでダンスする出演者たち、というのは観ていてなかなか圧倒されます。
見事なのは出演者たちもパフォーマンスもそうで、スピード感、指先まで動きが決まるキレ、フォーメーションの決まり具合など全員のレベルが一定以上だからこそ成し得るダイナミズムは若干アウェー気味の私でも惚れ惚れしてしまうくらいです。
ライブ後半にはAquorsのライバルユニットでTVシリーズでも劇場版でも物語の重要なポジションにいるSaint Snowも登場。ユニット曲2曲とAquorsとの合同曲1曲の計3曲のみのスペシャルアクトという扱いでしたが、Aquorsにも負けないパワフルなパフォーマンスで観客を熱狂させてくれます。実は私Saint Snow推しだったりするのでこのブロックが一番テンション上がりました(笑)
それとは別に印象に残っているのは幕間に上映されたショートムービー。ギャグに寄り切った作りなのは良いのですが、「前にイタリア行ったからウエスタン調(つまりマカロニウエスタン)」と「笑点」ならぬ「沼点」と称した大喜利調のものといずれも「ラブライブ」のメインターゲットを考えるとかなりコアなネタを放り込んでくるフリーダムさ加減が劇場版とのリンクを強めにしたライブ全体の雰囲気を考えると妙な浮き方をしていてコレはコレで良いアクセントだったというべきか。
もう一つ、コレは言っておかないと!というのが黒澤ダイヤ役の小宮有紗さん。ダイヤの決め台詞(?)である「ブッブー!ですわ!」をMCでも言うのですが、その時の顔の圧が凄いです。目の見開き方が半端じゃありません。さすがスーパー戦隊で鍛えられた人は違います。ついでにその後ももうしばらくアップのままでMCが続くのですがやっぱり圧が凄いです。あの謎の凄みは是非多くの方に味わっていただきたい(笑)
トータルの完成度が高い反面、「遊び」が少ないのが若干気になるところではありましたが、作品の世界観を限界まで表現してみせるステージングはさすがポップカルチャーの最先端を行き世界的にも評価を得つつあるコンテンツだけあるなと実感しました。来年には「ラブライブ」シリーズ全タイトルを網羅したイベントだけでなくAquorsも新たなツアーが準備されているとか。できればライブビューイングだけでなく一度直にステージを観てみたくなりましたね。
今度の日曜、16日に予定されていた歌会は先月負傷し入院されたかときちさんの療養を優先して中止となりました。ホームページの掲示板にかときちさんのメッセージがありますのでそちらもご覧ください。
こんばんは、小島@監督です。
改めてかときちさんの一日も早い快復をお祈りします。
さて、ここからは今日の本題!昨日「ラブライブ!サンシャイン!! Aqours 5th LoveLive! ~Next SPARKLING!!~ 」のライブビューイングを観に行ってきました。普段アイマス一辺倒な私ですが、ま、たまにはね!「ラブライブ」のイベントを観るのは2014年のμ’sライブ以来5年ぶり。Aquorsのライブを観るのは今回が初めてになります。
今年1月に公開された劇場版も記憶に新しい「ラブライブ!サンシャイン!!」の5thライブステージはセットリストや演出も劇場版の要素をふんだんに盛り込んで展開。元々アニメとのリンクを強く意識させる構成が「ラブライブ」のステージの魅力の一つと言われていましたが、劇場版のワンシーンをスクリーンに映し出してからそのまま楽曲へ流れ込んでアニメと全く同じ振り付けでダンスする出演者たち、というのは観ていてなかなか圧倒されます。
見事なのは出演者たちもパフォーマンスもそうで、スピード感、指先まで動きが決まるキレ、フォーメーションの決まり具合など全員のレベルが一定以上だからこそ成し得るダイナミズムは若干アウェー気味の私でも惚れ惚れしてしまうくらいです。
ライブ後半にはAquorsのライバルユニットでTVシリーズでも劇場版でも物語の重要なポジションにいるSaint Snowも登場。ユニット曲2曲とAquorsとの合同曲1曲の計3曲のみのスペシャルアクトという扱いでしたが、Aquorsにも負けないパワフルなパフォーマンスで観客を熱狂させてくれます。実は私Saint Snow推しだったりするのでこのブロックが一番テンション上がりました(笑)
それとは別に印象に残っているのは幕間に上映されたショートムービー。ギャグに寄り切った作りなのは良いのですが、「前にイタリア行ったからウエスタン調(つまりマカロニウエスタン)」と「笑点」ならぬ「沼点」と称した大喜利調のものといずれも「ラブライブ」のメインターゲットを考えるとかなりコアなネタを放り込んでくるフリーダムさ加減が劇場版とのリンクを強めにしたライブ全体の雰囲気を考えると妙な浮き方をしていてコレはコレで良いアクセントだったというべきか。
もう一つ、コレは言っておかないと!というのが黒澤ダイヤ役の小宮有紗さん。ダイヤの決め台詞(?)である「ブッブー!ですわ!」をMCでも言うのですが、その時の顔の圧が凄いです。目の見開き方が半端じゃありません。さすがスーパー戦隊で鍛えられた人は違います。ついでにその後ももうしばらくアップのままでMCが続くのですがやっぱり圧が凄いです。あの謎の凄みは是非多くの方に味わっていただきたい(笑)
トータルの完成度が高い反面、「遊び」が少ないのが若干気になるところではありましたが、作品の世界観を限界まで表現してみせるステージングはさすがポップカルチャーの最先端を行き世界的にも評価を得つつあるコンテンツだけあるなと実感しました。来年には「ラブライブ」シリーズ全タイトルを網羅したイベントだけでなくAquorsも新たなツアーが準備されているとか。できればライブビューイングだけでなく一度直にステージを観てみたくなりましたね。
自宅のすぐそばをうろつきまわる猫がいます。ご近所さんの飼い猫らしいのですが散歩(?)の周回コースにウチが入っているらしくほぼ毎日見かけます。たまに窓からこっちをじっと見ていたりするのですが、手を伸ばすとサーっと逃げてしまうので未だにもふもふしたことがありません。でも興味はあるのかしばらくするとまた窓から覗いていたりします。猫よ、ちょっとツンデレが過ぎないかい?
こんばんは、小島@監督です。
以前試しに窓を開けっ放しにしてみたことがあるのですが、中にまでは入ってきませんでした。手強いなお前(笑)
さて、今回の映画は「ゴジラ キング・オブ・モンスターズ」です。
サンフランシスコを灰燼に帰したゴジラとムートーの戦いから5年。巨大生物の存在を隠匿し続けてきた秘密組織モナークへの風当たりが強まり、アメリカ政府内では解体を叫ぶ声も上がり始め芹沢猪四郎博士(渡辺謙)やヴィヴィアン・グラハム博士(サリー・ホーキンス)らは聴聞会に召喚されていた。
その頃中国・雲南省のモナーク第61前線基地ではエマ・ラッセル博士(ヴェラ・ファーミガ)とその娘マディソン(ミリー・ボビー・ブラウン)が巨大な卵からモスラの幼虫が誕生する瞬間を目撃する。しかしその直後前線基地は突如武装集団の襲撃を受けるのだった。武装集団に拉致されたラッセル母娘を捜索するため、芹沢はエマの元夫であるマーク(カイル・チャンドラー)に協力を求めるのだが…
日本で1954年に公開された「ゴジラ」は2年後の1956年にアメリカでも公開されました。その際レイモンド・バー演じる新聞記者が東京でのゴジラ襲撃に遭遇しその様を実況するという内容のシーンを付加して再構成され、日本版とは少しテイストの異なった作品になっています。その時の英題が「GODZILLA,KING OF THE MONSTERS!」。それから60余年の時を経て同じタイトルを持つ作品が公開されました。
2014年に公開された「ゴジラ」、2017年の「キングコング:髑髏島の巨神」と同じ世界観を共有する「モンスター・バース」の第3作目として製作された今作は、アニメーター出身で「X-MEN2」「スーパーマン・リターンズ」の脚本などを手掛けたマイケル・ドハティの手により怪獣と特撮への愛情溢れる大迫力のスペクタクル映画になりました。
ゴジラに加えモスラ、ラドン、そしてキングギドラが登場する今作は顔触れだけ見れば「三大怪獣地球最大の決戦」(1964年製作)を思い起こさせますが、当然単純なリメイクなどではありません。次々と目覚める「荒ぶる神々」たちが起こすカタストロフとアクションで畳みかける娯楽映画となっています。
シルエットからバシッと決まる怪獣達の登場シーンからしてワクワクさせてくれますが、操演を駆使していた頃では決してなしえなかったラドンの錐もみ飛行や人間の目線で描かれる怪獣バトルの圧倒的な巨大感など現在のVFXが可能にしたビジュアルの数々が作り出す映像の迫力が最早荘厳ですらあり、スクリーンで観る楽しさを分かりやすい形で提供してくれます。
作劇の方針が非常に分かりやすい形で徹底していて、環境保護テロリストが登場するなど人間たちの方にもテーマや物語が結構用意されてはいるのですが、キャラクター性重視でスピーディーに展開してすぐ怪獣の方へフォーカスし直す当たりあくまでも主役は怪獣の方、という意識が全編に亘って貫かれているのが特徴です。単に怪獣バトルをいっぱい盛りたいんじゃ!というのが一番の理由でしょうが(笑)、結果的に神々の争い、言わば「天災」の前に人には抗う術は僅かしかなく地を這いながら見届けるしかない矮小さを浮き彫りにしてその対比として怪獣達の戦いがより荘厳なものになっているあたりが見事と言えます。
マイケル・ドハティ監督がつくづくオタクすぎるというか、キングギドラが当初は「モンスター・ゼロ」と呼ばれているところ(1965年に製作された「怪獣大戦争」でX星人がキングギドラをこう呼んでいた。またこの作品のアメリカ公開時の英題が「GODZILLA VS MONSTER ZERO」だった)などセリフや小道具に大量のオマージュや小ネタが仕込んであるのもポイントで、いろいろと探してみるのも楽しいでしょう。分かれば分かるだけテンションが上がりますが分からなくても特に問題は無いのが良いですね。
BGMに伊福部昭の「ゴジラのテーマ」と古関裕而の「モスラの歌」がアレンジされて使われているところなど音響面でもこだわりが見られ、まさに超ド級の「怪獣映画」と呼ぶに相応しい出来栄えです。
かつて怪獣映画に胸躍らせた少年時代の自分が蘇ってくるような、その威容と咆哮に畏怖すら覚える至福の132分。こういうのは映画館で観て何ぼです。どうぞスクリーンで圧倒されちゃってください。
こんばんは、小島@監督です。
以前試しに窓を開けっ放しにしてみたことがあるのですが、中にまでは入ってきませんでした。手強いなお前(笑)
さて、今回の映画は「ゴジラ キング・オブ・モンスターズ」です。
サンフランシスコを灰燼に帰したゴジラとムートーの戦いから5年。巨大生物の存在を隠匿し続けてきた秘密組織モナークへの風当たりが強まり、アメリカ政府内では解体を叫ぶ声も上がり始め芹沢猪四郎博士(渡辺謙)やヴィヴィアン・グラハム博士(サリー・ホーキンス)らは聴聞会に召喚されていた。
その頃中国・雲南省のモナーク第61前線基地ではエマ・ラッセル博士(ヴェラ・ファーミガ)とその娘マディソン(ミリー・ボビー・ブラウン)が巨大な卵からモスラの幼虫が誕生する瞬間を目撃する。しかしその直後前線基地は突如武装集団の襲撃を受けるのだった。武装集団に拉致されたラッセル母娘を捜索するため、芹沢はエマの元夫であるマーク(カイル・チャンドラー)に協力を求めるのだが…
日本で1954年に公開された「ゴジラ」は2年後の1956年にアメリカでも公開されました。その際レイモンド・バー演じる新聞記者が東京でのゴジラ襲撃に遭遇しその様を実況するという内容のシーンを付加して再構成され、日本版とは少しテイストの異なった作品になっています。その時の英題が「GODZILLA,KING OF THE MONSTERS!」。それから60余年の時を経て同じタイトルを持つ作品が公開されました。
2014年に公開された「ゴジラ」、2017年の「キングコング:髑髏島の巨神」と同じ世界観を共有する「モンスター・バース」の第3作目として製作された今作は、アニメーター出身で「X-MEN2」「スーパーマン・リターンズ」の脚本などを手掛けたマイケル・ドハティの手により怪獣と特撮への愛情溢れる大迫力のスペクタクル映画になりました。
ゴジラに加えモスラ、ラドン、そしてキングギドラが登場する今作は顔触れだけ見れば「三大怪獣地球最大の決戦」(1964年製作)を思い起こさせますが、当然単純なリメイクなどではありません。次々と目覚める「荒ぶる神々」たちが起こすカタストロフとアクションで畳みかける娯楽映画となっています。
シルエットからバシッと決まる怪獣達の登場シーンからしてワクワクさせてくれますが、操演を駆使していた頃では決してなしえなかったラドンの錐もみ飛行や人間の目線で描かれる怪獣バトルの圧倒的な巨大感など現在のVFXが可能にしたビジュアルの数々が作り出す映像の迫力が最早荘厳ですらあり、スクリーンで観る楽しさを分かりやすい形で提供してくれます。
作劇の方針が非常に分かりやすい形で徹底していて、環境保護テロリストが登場するなど人間たちの方にもテーマや物語が結構用意されてはいるのですが、キャラクター性重視でスピーディーに展開してすぐ怪獣の方へフォーカスし直す当たりあくまでも主役は怪獣の方、という意識が全編に亘って貫かれているのが特徴です。単に怪獣バトルをいっぱい盛りたいんじゃ!というのが一番の理由でしょうが(笑)、結果的に神々の争い、言わば「天災」の前に人には抗う術は僅かしかなく地を這いながら見届けるしかない矮小さを浮き彫りにしてその対比として怪獣達の戦いがより荘厳なものになっているあたりが見事と言えます。
マイケル・ドハティ監督がつくづくオタクすぎるというか、キングギドラが当初は「モンスター・ゼロ」と呼ばれているところ(1965年に製作された「怪獣大戦争」でX星人がキングギドラをこう呼んでいた。またこの作品のアメリカ公開時の英題が「GODZILLA VS MONSTER ZERO」だった)などセリフや小道具に大量のオマージュや小ネタが仕込んであるのもポイントで、いろいろと探してみるのも楽しいでしょう。分かれば分かるだけテンションが上がりますが分からなくても特に問題は無いのが良いですね。
BGMに伊福部昭の「ゴジラのテーマ」と古関裕而の「モスラの歌」がアレンジされて使われているところなど音響面でもこだわりが見られ、まさに超ド級の「怪獣映画」と呼ぶに相応しい出来栄えです。
かつて怪獣映画に胸躍らせた少年時代の自分が蘇ってくるような、その威容と咆哮に畏怖すら覚える至福の132分。こういうのは映画館で観て何ぼです。どうぞスクリーンで圧倒されちゃってください。
ちょっと夏早すぎない?みたいなここ数日の天候。古くなった風呂の蓋などを市の廃棄基準に合うように裁断する作業をしていたら、せいぜい30分程度のことなのに「チョイと雨にでも降られましたか?」くらいに汗だく。場所によっては40度近くまで上がったところもあったようで。今年の夏が今から心配になるレベル。
こんばんは、小島@監督です。
ていうかまだ5月!もうちょっと穏やかに行こうぜ…
さて、今回の映画は「名探偵ピカチュウ」です。
かつてポケモントレーナーを夢見ていたティム(ジャスティン・スミス)は、自分を祖母の家に置き去りにした父親の影響でポケモンを遠ざけるようになっていた。ある日、ティムの元にライムシティのヨシダ警部補(渡辺謙)から父・ハリーが転落事故で亡くなったと連絡が入る。複雑な想いを抱えライムシティへ向かったティム。ヨシダ警部補からハリーの家の鍵を借りたティムは、そこでハリーの相棒だったというポケモン・ピカチュウ(声・ライアン・レイノルズ)と出会う。何故か自分とだけ会話ができるピカチュウと、ティムはハリーの死の真相を探ることになる。
TVゲームを原作とした映画化は「ストリートファイター2」や「スーパーマリオ」など1990年代頃から行われるようになりましたが、当時はまだゲームそのものへの軽視もあったのか出来映えとしてもB級の域を出ず、特に「スーパーマリオ 魔界帝国の女神」は今でもダメ映画の話題をするとその名が挙がるくらいのレジェンド級のタイトルになってしまっています。それから四半世紀、ゲームの表現力も進化し映画と遜色しない物語を紡げるようになり、産業規模も映画を凌げるほどに巨大化した昨今ではゲームに慣れ親しんだ者が製作陣の中心にいることも珍しくなくなりゲーム原作の映画のスタイルも変わっていき、「バイオハザード」のようにシリーズ化されるほど人気を獲得する作品も製作されるようになってきました。今や世界的キャラクターとなったポケモンを実写化した「名探偵ピカチュウ」はそんなゲームと映画の30年近くに渡る距離感のせめぎ合いの最先端にいる作品と言えます。
製作陣によほどポケモンに愛着のあるスタッフがいるのか、非常にリスペクトを強く感じる作品です。何より人間とポケモンが共存するライムシティのビジュアルが見事。猥雑でありながらどこかに一本筋の通ったコンセプトイメージを作らせたらハリウッドはやはり強いです。「何なら一度行ってみたい」と思わせてしまうほどの画を序盤に見せることに成功した時点でこういうタイプの映画は「勝ち」です。
物語の方も今夏リメイク版が公開予定の「ミュウツーの逆襲」のバリエーションと言えるものになっているのも世界観へのリスペクトの表れといえるでしょう。
そしてもちろん声がデッドプールで基本喋り倒しのおっさんピカチュウのキャラクターも見事にキマっています。今回吹替版で観たのですが、ピカチュウ役を演じた西島秀俊の吹替もなかなかにカッ飛ばしていて味わい深いのでどちらを選んでも結構クセになるんじゃないでしょうか。ただこのピカチュウ、ティムとだけ会話が通じるという設定なので他の人にはいつもの「ピカピ~」としか聞こえず、しかもちゃんと大谷育江さんボイスなのが芸が細かいというか(笑)
良くも悪くもガチガチには作っていないため変な所で緩かったりするのが難点ではありますが、ライトに楽しめるエンターテインメントとしてかなり満足度の高い一本です。普段目にするアニメ版とは一味違うポケモン映画、弱音も愚痴も吐くピカチュウの雄姿(?)をせっかくなら劇場で味わってみてはいかがでしょうか。
こんばんは、小島@監督です。
ていうかまだ5月!もうちょっと穏やかに行こうぜ…
さて、今回の映画は「名探偵ピカチュウ」です。
かつてポケモントレーナーを夢見ていたティム(ジャスティン・スミス)は、自分を祖母の家に置き去りにした父親の影響でポケモンを遠ざけるようになっていた。ある日、ティムの元にライムシティのヨシダ警部補(渡辺謙)から父・ハリーが転落事故で亡くなったと連絡が入る。複雑な想いを抱えライムシティへ向かったティム。ヨシダ警部補からハリーの家の鍵を借りたティムは、そこでハリーの相棒だったというポケモン・ピカチュウ(声・ライアン・レイノルズ)と出会う。何故か自分とだけ会話ができるピカチュウと、ティムはハリーの死の真相を探ることになる。
TVゲームを原作とした映画化は「ストリートファイター2」や「スーパーマリオ」など1990年代頃から行われるようになりましたが、当時はまだゲームそのものへの軽視もあったのか出来映えとしてもB級の域を出ず、特に「スーパーマリオ 魔界帝国の女神」は今でもダメ映画の話題をするとその名が挙がるくらいのレジェンド級のタイトルになってしまっています。それから四半世紀、ゲームの表現力も進化し映画と遜色しない物語を紡げるようになり、産業規模も映画を凌げるほどに巨大化した昨今ではゲームに慣れ親しんだ者が製作陣の中心にいることも珍しくなくなりゲーム原作の映画のスタイルも変わっていき、「バイオハザード」のようにシリーズ化されるほど人気を獲得する作品も製作されるようになってきました。今や世界的キャラクターとなったポケモンを実写化した「名探偵ピカチュウ」はそんなゲームと映画の30年近くに渡る距離感のせめぎ合いの最先端にいる作品と言えます。
製作陣によほどポケモンに愛着のあるスタッフがいるのか、非常にリスペクトを強く感じる作品です。何より人間とポケモンが共存するライムシティのビジュアルが見事。猥雑でありながらどこかに一本筋の通ったコンセプトイメージを作らせたらハリウッドはやはり強いです。「何なら一度行ってみたい」と思わせてしまうほどの画を序盤に見せることに成功した時点でこういうタイプの映画は「勝ち」です。
物語の方も今夏リメイク版が公開予定の「ミュウツーの逆襲」のバリエーションと言えるものになっているのも世界観へのリスペクトの表れといえるでしょう。
そしてもちろん声がデッドプールで基本喋り倒しのおっさんピカチュウのキャラクターも見事にキマっています。今回吹替版で観たのですが、ピカチュウ役を演じた西島秀俊の吹替もなかなかにカッ飛ばしていて味わい深いのでどちらを選んでも結構クセになるんじゃないでしょうか。ただこのピカチュウ、ティムとだけ会話が通じるという設定なので他の人にはいつもの「ピカピ~」としか聞こえず、しかもちゃんと大谷育江さんボイスなのが芸が細かいというか(笑)
良くも悪くもガチガチには作っていないため変な所で緩かったりするのが難点ではありますが、ライトに楽しめるエンターテインメントとしてかなり満足度の高い一本です。普段目にするアニメ版とは一味違うポケモン映画、弱音も愚痴も吐くピカチュウの雄姿(?)をせっかくなら劇場で味わってみてはいかがでしょうか。
昨日の歌会に参加された皆さん、お疲れ様でした。
というか今回は歌会そのものより直前に負傷して搬送されたかときちさんの容体が気になります。大事無ければよろしいのですが。
こんばんは、小島@監督です。
急遽ピンチヒッターとなったハイルさんやいろいろとフォローに回っていたえのっきーさん、GarZさん、Mageさんもご苦労様でした。
さて、今回の映画は「アベンジャーズ/エンドゲーム」です。
6つのインフィニティ・ストーンを手に入れたサノス(ジョシュ・ブローリン)によって全宇宙の半数の命が消えた。消滅させられた者たちを復活させるにはサノスからインフィニティ・ストーンを奪還するしかない。辛くも生き残った「キャプテン・アメリカ」スティーブ・ロジャース(クリス・エヴァンス)らアベンジャーズのヒーローたちはサノスの行方を追う。
宇宙を漂流していた「アイアンマン」トニー・スターク(ロバート・ダウニー・Jr)を救出した「キャプテン・マーベル」キャロル・ダンヴァース(ブリー・ラーソン)によって情報を得たアベンジャーズたちはサノスが潜伏していると目される星へと向かうが。
2008年に公開された「アイアンマン」から始まるマーベル・シネマティック・ユニバース(以下MCU)は、それまでコミックのみの楽しみであった作品世界のクロスオーバーを全面的に取り入れ、個々の作品単体では完結せず各作品が有機的に結びつきながらやがて1つの巨大な物語を形成していくスタイルを開拓したという点で、映画の世界に革命をもたらしたと言っていいでしょう。その後スーパーマンやバットマンなどDCコミックのヒーローが集結する「ジャスティス・リーグ」や「ゴジラ(2014)」を起点とした「モンスターバース」など複数の作品がユニバースをなすシリーズが製作されるようになりました。MCUが確固たる世界観を完成させていくにつれ観客にとっても映画とはその1本単体での体験ではなく、連続した体験の中の1つというものへ変わっていきつつあり、「映画」という娯楽への距離感を変えるきっかけになったとも言えるでしょう。
そしてMCUの11年間に渡る軌跡の総決算にして集大成と呼ぶに相応しい大作がこの「アベンジャーズ/エンドゲーム」です。
タイトルと開幕時の状況的には昨年同時期に公開された「アベンジャーズ/インフィニティ・ウォー」の直接的な続編ではありますが、この11年間に製作された21本のMCU映画全てとリンクしてみせ、重層にして重厚な作品に仕上がっています。シリーズ最長の182分という長尺ですが、凝縮された濃密な構成に間延び感は一切無く、むしろ良く3時間でまとまったなという印象すらあります。
前作「インフィニティ・ウォー」が敢えてサノスを軸にしてその歪とも言える信念が結実していく様を描き出していく映画であったとしたなら、今作は多くの仲間を失い完膚なきまでに叩きのめされたアベンジャーズのメンバーたちが自身の矜持とそのために何をすべきかを自問自答しながら新たな一歩を踏み出す姿を描く物語です。
個々のエピソードの中にはかなりベタなものもあったりするのですが、どれもがそこに至るまでの積み重ねが活きてバシバシハマり観る者の感情を揺さぶってくれます。
あらゆる葛藤を踏み越えた先に待っているのはクライマックスの超絶ボリュームのアクションシークエンスと万感の想い込められたエピローグ。私もいくつかのシーンでは感涙を禁じ得ず、またたまたま公開直後のほぼ満席状態の回だったからこその現象かもしれませんが、エンドロールの始まりに自然と拍手が湧き起こる映画を私は久しぶりに観ました。
作品の特性上一見さんに全く優しくないため、たとえ評判を聞きつけて興味を持ったとしてもこれまでのシリーズを観たことの無い方にはお薦めできない、いや薦めるワケには行かないというのが唯一の弱点というところですが、ある程度でも思い入れのある方には比類なき至上の映画体験が待っています。
無論MCUはこれで終わりではなく今夏公開予定の「スパイダーマン:ファー・フロム・ホーム」を始め「ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー3(仮)」など公開待機作が控えていますが、今はただこの素晴らしい作品を作り上げた人たちに感謝したい。
ありがとう、ありがとうアベンジャーズ!!
というか今回は歌会そのものより直前に負傷して搬送されたかときちさんの容体が気になります。大事無ければよろしいのですが。
こんばんは、小島@監督です。
急遽ピンチヒッターとなったハイルさんやいろいろとフォローに回っていたえのっきーさん、GarZさん、Mageさんもご苦労様でした。
さて、今回の映画は「アベンジャーズ/エンドゲーム」です。
6つのインフィニティ・ストーンを手に入れたサノス(ジョシュ・ブローリン)によって全宇宙の半数の命が消えた。消滅させられた者たちを復活させるにはサノスからインフィニティ・ストーンを奪還するしかない。辛くも生き残った「キャプテン・アメリカ」スティーブ・ロジャース(クリス・エヴァンス)らアベンジャーズのヒーローたちはサノスの行方を追う。
宇宙を漂流していた「アイアンマン」トニー・スターク(ロバート・ダウニー・Jr)を救出した「キャプテン・マーベル」キャロル・ダンヴァース(ブリー・ラーソン)によって情報を得たアベンジャーズたちはサノスが潜伏していると目される星へと向かうが。
2008年に公開された「アイアンマン」から始まるマーベル・シネマティック・ユニバース(以下MCU)は、それまでコミックのみの楽しみであった作品世界のクロスオーバーを全面的に取り入れ、個々の作品単体では完結せず各作品が有機的に結びつきながらやがて1つの巨大な物語を形成していくスタイルを開拓したという点で、映画の世界に革命をもたらしたと言っていいでしょう。その後スーパーマンやバットマンなどDCコミックのヒーローが集結する「ジャスティス・リーグ」や「ゴジラ(2014)」を起点とした「モンスターバース」など複数の作品がユニバースをなすシリーズが製作されるようになりました。MCUが確固たる世界観を完成させていくにつれ観客にとっても映画とはその1本単体での体験ではなく、連続した体験の中の1つというものへ変わっていきつつあり、「映画」という娯楽への距離感を変えるきっかけになったとも言えるでしょう。
そしてMCUの11年間に渡る軌跡の総決算にして集大成と呼ぶに相応しい大作がこの「アベンジャーズ/エンドゲーム」です。
タイトルと開幕時の状況的には昨年同時期に公開された「アベンジャーズ/インフィニティ・ウォー」の直接的な続編ではありますが、この11年間に製作された21本のMCU映画全てとリンクしてみせ、重層にして重厚な作品に仕上がっています。シリーズ最長の182分という長尺ですが、凝縮された濃密な構成に間延び感は一切無く、むしろ良く3時間でまとまったなという印象すらあります。
前作「インフィニティ・ウォー」が敢えてサノスを軸にしてその歪とも言える信念が結実していく様を描き出していく映画であったとしたなら、今作は多くの仲間を失い完膚なきまでに叩きのめされたアベンジャーズのメンバーたちが自身の矜持とそのために何をすべきかを自問自答しながら新たな一歩を踏み出す姿を描く物語です。
個々のエピソードの中にはかなりベタなものもあったりするのですが、どれもがそこに至るまでの積み重ねが活きてバシバシハマり観る者の感情を揺さぶってくれます。
あらゆる葛藤を踏み越えた先に待っているのはクライマックスの超絶ボリュームのアクションシークエンスと万感の想い込められたエピローグ。私もいくつかのシーンでは感涙を禁じ得ず、またたまたま公開直後のほぼ満席状態の回だったからこその現象かもしれませんが、エンドロールの始まりに自然と拍手が湧き起こる映画を私は久しぶりに観ました。
作品の特性上一見さんに全く優しくないため、たとえ評判を聞きつけて興味を持ったとしてもこれまでのシリーズを観たことの無い方にはお薦めできない、いや薦めるワケには行かないというのが唯一の弱点というところですが、ある程度でも思い入れのある方には比類なき至上の映画体験が待っています。
無論MCUはこれで終わりではなく今夏公開予定の「スパイダーマン:ファー・フロム・ホーム」を始め「ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー3(仮)」など公開待機作が控えていますが、今はただこの素晴らしい作品を作り上げた人たちに感謝したい。
ありがとう、ありがとうアベンジャーズ!!