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ちゅうカラぶろぐ


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ちょっとお誘いを受けまして、昨日ちゅうカラメンバー数人で「男性声優が歌って踊るライブのBlu-rayをひたすら鑑賞する会」に参加してきました。「A3」「KING OF PRISM」「アイドルマスターSideM」「夢色キャスト」「アイドリッシュセブン」のライブBlu-rayを持ち込んだ人の「推し」のキャラや曲のプレゼンを受けつつ1日かけてひたすら観倒す会です。イベントを定期的に開催する女性向けのコンテンツと言えば「SideM」やこの間LVを観てきた「ヒプノシスマイク」以外はほとんど知らない身なので実に新鮮。タイトル毎に演出の方向性がまるで違っていたりしてなかなか面白い。特に「A3」は1曲毎に衣装から変える手の込みようでショーアップとしてもかなりのものです。アニメ・ゲーム関連のライブイベントは近年エンターテインメント関連の潮流の一つとなっていますがそのエネルギーを垣間見れたような印象です。

 こんばんは、小島@監督です。
 カラオケで歌ってみたい曲も結構多かったので色々と聞いてレパートリー増やしにかかろう(笑)

 さて、今回の映画は「ジョーカー」です。

 ゴッサムシティの貧民街に暮らすアーサー・フレック(ホアキン・フェニックス)は、コメディアンになりたいと願い、いつかTVスターのマレー・フランクリン(ロバート・デ・ニーロ)が司会を務める番組に出演するのを夢見ている。しかし脳と神経に障害を持つアーサーは突然笑い出してしまう症状のためなかなか人前に立てずピエロをして食いつないでいるが、それとて失敗が続き事業所長から快く思われていない。家に帰れば体の弱った母ペニー・フレック(フランセス・コンロイ)の介護が待っている。ペニーは自身の窮状をかつて屋敷のお手伝いとして勤めていたウェイン家に何通も手紙を書き救いを求めるが音沙汰はない。街では衛生局がストライキを起こし、街中にゴミが溢れ出していた。貧富の格差が拡大し行き場の無い不満が鬱積しつつあった。
 ある時、同僚からもらった一丁の拳銃が元でアーサーはピエロの仕事をクビになってしまう。失意のまま電車に乗り込んだアーサーは笑いの発作が出たことでそれまで女性に絡んでいたサラリーマンたちから暴行を受け、とっさに拳銃を抜いて射殺してしまう。サラリーマンはウェイン産業の社員だった。殺人を犯したことで奇妙な高揚感を覚えるアーサー。そして街はエリートサラリーマンを殺害した人物をヒーロー視する者が現れだした…

 ジャック・ニコルソンやヒース・レジャーなど過去にも名優が演じてきたバットマン最大のライバルとも言えるヴィラン・ジョーカー。孤独で気弱な青年は如何にしてジョーカーとなるに至ったか、これまでのDC映画では描かれることのなかった部分にスポットを当てたこの作品は、「悪」が開花していく様を圧倒的なリアリズムで描きます。
 公開直前にヴェネチア映画祭で最高賞を受賞したことも話題となりましたが、それも納得というべきか恐ろしいまでの「悪」の描写にただただ圧倒される1本です。主役を演じるホアキン・フェニックスの演技が強烈ですが、ある意味でキーマンの一人とも言えるマレー役を演じるロバート・デ・ニーロもポイントでしょう。デ・ニーロは1983年製作の映画「キング・オブ・コメディ」(監督マーティン・スコセッシ)でコメディアンを夢見る青年を演じており、恐らく意図的なキャスティングでしょう。
 監督は「ハング・オーバー!」三部作などコメディ映画を中心に手掛けてきたトッド・フィリップスが担っています。世情を冷徹に見通すような視点を感じるこの作品は、「笑い」のツボが時代の空気に左右されやすいことを熟知しているからでしょう。

 アーサーが求めているのはコメディアンとしての成功ももちろんですが、それ以上に「誰か」との心のつながりをひたすらに希求しています。ですが、不寛容が覆いつくそうとしているゴッサムシティは突然笑い出すような男に一切居場所を用意しようとしません。助けを求め伸ばす手を跳ね除け、叫ぶ声を黙殺していきます。そして中盤以降に至ってはアーサーが微かに感じ理性を保つよすがとしていたいくつかの「光」さえ全て幻であることが叩き付けられます。そんな中でアーサーを高揚感に包ませた「殺人」が街に大きな影響を及ぼしつつあるに至りアーサーはもう止まれなくなるのです。
 アーサーの心情を端的に表現してるポイントとして作中度々登場する「階段」があります。アーサーである時、そしてジョーカーとなった時、彼がこの階段をどう歩くかをぜひ注目してみてください。

 あまりに鬱屈した感情が吹き上がるこの作品、アメリカの治安当局は一部で厳戒態勢を敷いているとニュースで見ましたが、その危惧も理解できてしまうほど全てに絶望し追い詰められた怒れる人を「実行」に移させてしまいそうな危険なエネルギーに満ちています。気楽に観れる作品ではありません、ですが、「今」観るべき作品であることに間違いはありません。ここ十年来DC映画の方向性を決定づけたと言っていい「ダークナイト」トリロジーが善悪の境界線で揺らぐ人間の苦闘とその果ての精神の昇華を描き出し神話的な普遍性を宿した物語であるのに比してこの「ジョーカー」が放つ「負」のエネルギーは過去の中に埋没していって欲しい昏さに満ち溢れています。
 願わくば、この映画で描かれた「もの」が10年後20年後に過去のものになりますように。そんな世界になっていますように。

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かときちさんのブログにも登場したメガドライブミニ、私も買いました。
 私はSEGAのハードやゲームはアーケードはともかく家庭用はセガサターンからの方が縁が深く思い入れも大きいのですが、収録タイトルのあまりの本気ぶりに「買わない」という選択肢は消えてました。ある意味で商売っ気が無さすぎるというか熱量が凄すぎるというか、良くぞここまでと感心するラインナップです。何なら今すぐ長期休暇取って引きこもりたいレベルです。

 こんばんは、小島@監督です。
 幸い売れ行きも評価も好調なようで、これに気を良くしたSEGAがサターンミニとかドリームキャストミニとかうっかり作ってくれないかなと淡い期待も抱いたり(笑)

 さて、今回の映画は「薄暮」です。

 福島県いわき市に住む女子高生・小山佐智(声・桜田ひより)は、音楽部に所属し間近に控える文化祭に向けて松本先輩(声・花澤香菜)、同級生のリナ(声・雨宮天)、ひぃちゃん(声・佐倉綾音)と共に披露する四重奏の練習に日々励んでいた。しかし一方で佐智は東日本大震災に罹災した影響で人に深い関心を持つことができずにいた。
 ある日、佐智は帰り道のバス停でキャンバスを抱えた少年・雉子波祐介(声・加藤清史郎)と出会う。夕暮れ時の風景を描こうとしている祐介に興味を持った佐智は帰りのバスで祐介に会えるのが楽しみになってきていた。夕映えの中、2人の淡い恋が花開こうとしていた。

 古くから災害の多い日本は、良くも悪くもそれを乗り越えるために「忘れる」ということを自然のうちにこなしてきた国柄と言えます。広範囲にわたり多大な被害をもたらした東日本大震災から8年、その後も日本各地で地震や台風などが相次ぎ今年もつい先日千葉の方で台風が大きな爪痕を残したばかりです。それでも自身が罹災したのでなければいずれ静かに風化していくことでしょう。

 ブログなどでの攻撃的な言動で炎上する姿が度々槍玉に上げられるアニメーション作家、山本寛。彼は東日本大震災の翌年から「blossom」「Wake Up,Girls!」と東北を舞台にした作品を発表し続けてきました。その山本寛監督自身が「東北三部作の最終章」と銘打った作品がこの中編アニメーション映画「薄暮」です。製作に当たりクラウドファンディングを募ったことや製作が難航し公開日を順延したことなど度々ネットニュースなどで報じられたりしたのである程度の経緯はご存じの方もいらっしゃるのではと思います。

 その新作「薄暮」は震災から数年後のいわき市を舞台に、少しずつ震災が過去になりつつある日々の中で、当たり前と思っていたものが唐突に崩れ去りもう永遠に元に戻らないことに向き合う少女と少年の交流の物語です。
 
 単純にアニメーション映画として評価しようとすると、正直に言ってかなり辛辣にならざるを得ない作品です。人物の作画は安定せず、本来は動きを見せたかったであろうシーンで静止画を見せるなど苦しいシーンが散見されます。いわき市の風景が美しく描き出されている一方で実景ではない登場人物の住宅の室内などは無機質で平板な印象が拭えません。まるでラジオドラマであるかのように主人公・佐智のモノローグが多用される作品ですが、作品のスタイルや上映時間50分という尺から鑑みるにあまりに能弁すぎる印象です。多弁な割に尺の関係で敢えて語っていない部分が多いため却って心情描写が平板に感じられ、そこに微かな不快感をもたらします。もう15~20分長い尺ならそれでも良いでしょうが、この尺ではむしろモノローグはバッサリカットして沈黙の中にこそ雄弁に語らせれば良かったのではと思います。
 観ていてもどかしくなるくらいアニメ作品としてはあまりに欠点が多く、山本寛監督の言動に反感を抱いている人の印象を覆せるまでには至らないでしょう。
 
 ただそれでも、この作品が世に出た事には価値があると考えます。「震災後」の福島の現在の暮らしと、災害が過去のものになりつつある中での十代の少年少女の感性を描き出そうとし、それをアニメーションとして作品の中に焼き付けようとした試みはエンターテインメントの世界の中で誰かがいつかやらねばならないことであり、意義深い行いであるからです。忘れる事で乗り越えて行けるものがある一方で忘れまいとする想いをすくい上げ、次代に伝えるために何かに刻み付けるのもまた芸術が持てる役目の一つです。
 すくうべき「想い」を拾い上げ映画として昇華させるには不完全、だが駄作と吐き捨てるには惜しい、そんな複雑な思いを抱かせるちょっぴりほろ苦い作品です。山本寛監督はこの作品を最後に廃業すると宣言していましたが最近それを撤回。どうせならずっと作り続けていてほしいものです。そしてできればもっと整った形でこの作品を観てみたい。
 

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お誘いを受けて、「リアル脱出ゲーム」と「名探偵コナン」のコラボレーション企画「紺青の美術館(クルージング・ミュージアム)からの脱出」に参加してきました。残業続きで疲労が溜まってる上にだいぶ空腹気味というまあまあなコンディションでしたが「コナン」の脱出ゲームは一度体験してみたかったので強行軍は承知で参加してきました。
 成功率8.4%という結構な高難度でしたが結果は成功!いや~成功すると疲れも吹っ飛びますね!大して活躍できたワケでもないんですが(苦笑)。しかも参加したのが夜8時の回で、終了したら思った以上に時間が押してて皆と余韻に浸る間もなく駅に向かってダッシュせざるを得なかったのが残念でしたが。

 こんばんは、小島@監督です。
 それにしても冒頭と終わりにアニメ映像を見せてくれるくらいは予想してましたが他にもいろいろ仕込んでいてその旺盛なサービス精神を堪能しました。数々のコラボレーションを展開する「リアル脱出ゲーム」ですがその中でもコナンは特に人気というのもうなずけます。昨年までの公演も期間限定でリバイバルするとかで、そちらの方も興味ありますね。

 さて、この土日は「THE IDOLM@STER MILLION LIVE! 6thLIVE UNI-ON@IR!!!! SPECIAL」のライブビューイングを観に行ってきました。
 今年4月から6月まで、仙台、神戸、福岡と3会場6公演を行ったミリオンライブ6thツアーの「再公演」という趣旨のイベントで、21,22日の2日間さいたまスーパーアリーナ(以下SSA)で開催されました。ミリオンライブのゲーム中に登場した12のユニットを、各会場では4ユニットずつの出演でしたが今回は初日と2日目に各6ユニットずつ、つまり両日で出演者を総入れ替えする形で行われました。またそれ以外にも「スペシャルゲスト」と称して各日の出演者の数名が別日の公演にも登場。今回のツアーでは使われなかったゲーム内でのイベント曲を披露して、ステージの良いアクセントになっていました。

 今回のステージ、これまでのアイマスライブとは一味違うというか、基本が「再公演」という形であるため、順番はともかく披露される楽曲の6割以上がこれまでのステージで使われたものと同じ楽曲が披露されるという点が大きな特徴です。お陰様で諸事情あってライブビューイングすら観られなかった神戸公演の出演者たちのパフォーマンスを今度こそ観ることができたのは嬉しかったところ。神戸公演でのゲストパフォーマーだった和太鼓集団「梵天」の方たちや福岡公演のゲストであるタップダンサーユニットも再登場しコラボレーションの楽しさを改めて魅せてくれました。

 無論全く同じではなく1曲だけ別の曲に変えてきたり、曲は同じでも演出を変えてきたりと単なる再公演にしない趣向が随所に凝らされていましたが。「誰が何をどのように」歌うかが分からないというのがアイマスライブの魅力の一つではありますが、敢えてそれを半分封じたような形をとる今回のライブは、それだけパフォーマンスの質が問われるものであったといえるでしょう。
 興味深いことに、MCやパンフレットでのインタビューなどで多くの出演者が語っていましたが、ユニットを重視した今回の6thツアーはこれまでよりもかなりリハーサルに時間をかけることができたようで、確かに多くのユニットで充実した稽古量を感じさせる骨太なパフォーマンスを楽しませてくれました。特に今回のSSAでは6thツアー中に一度観た楽曲でもそのほとんどが前よりグレードアップを果たしていて驚くやら感動するやら。ミリオンライブもそれなりにライブイベントを観てきてはいますが、「この人ってこんな事できる人だったっけ?」という方が何人も見受けられたので、もしかしたらある種のブレイクスルーを果たした方もいらっしゃるように思えます。

 イベント終盤ではゲーム「ミリシタ」での新機能実装のほかに来年5月に初の野外ライブを開催することが告知されました。「ミリオンライブ!」は6年という時間を経て円熟した貫録を宿すようになってきました。常時新風が吹く「シンデレラガールズ」や、動き始めてまだ日が浅くこれからその方向性が決まっていくであろう「シャイニーカラーズ」とは一味違う「ミリオンライブ!」ならではのスタイルが完成しつつあり、今後の進化が楽しみです。


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昨日の歌会に参加された皆さん、お疲れ様でした。
 前回参加できなかったので今回が自分にとって再開後の最初の歌会になりました。歌会以外では普段あまりカラオケに行かない人なので、ここぞとばかりに満喫しました。10人近い大勢でヒプノシスマイク歌ったりできたのも楽しかったですね。
 あと取り敢えず「お願いマッスル」は覚えようと思いました(笑)

 こんばんは、小島@監督です。
 そして今回で通算400回目のブログ更新になります。自分でもビビる数字になってきました。今後ともよろしくお願いいたします。

 さて、今回の映画は「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド」です。

 1969年、ハリウッド。かつてテレビ西部劇で名を馳せた俳優リック・ダルトン(レオナルド・ディカプリオ)は、しかし今では悪役やゲスト出演など単発の仕事で食いつなぐ日々を送りくすぶっていた。長年リックのスタントダブルを務めた相棒クリフ・ブース(ブラッド・ピット)にスタントの仕事を回す余裕も無い。リックを評価している映画プロデューサーのマーヴィン・シュワーズ(アル・パチーノ)はリックにイタリア製の西部劇に出てみないかとオファーをかけるがリックは返答を渋った。
 リックが住む家の隣には新進の映画監督ロマン・ポランスキー(ラファル・ザビエルチャ)とその妻シャロン・テート(マーゴット・ロビー)が引っ越してきていた。愛する夫や友人に囲まれ幸福の絶頂にあるシャロンを横目に次の仕事を探すべく苦闘するリック。そんなリックの前に新しいテレビ西部劇の悪役のオファーが舞い込んでくる。

 1969年のアメリカというのは現在から見ると文化史的にも現代史的にも非常に重要な事件が相次いだ年と言えるでしょう。6月にはニューヨークのゲイバーに踏み込んだ警察と居合わせた客たちの抵抗が暴動にまで発展し、後のLGBT権利獲得運動の大きなターニングポイントとなった「ストーンウォールの反乱」が、7月には人類が初めて月面に降り立った「アポロ11号」と上院議員エドワード・ケネディが飲酒運転の末に事故を起こし死体遺棄を図り非難が集中しの後の大統領への道が永久に閉ざされることになったスキャンダル「チャパキディック事件」、8月にはカウンターカルチャーを象徴するイベントとして今なお伝説となっている音楽フェス「ウッドストック・フェスティバル」が開催。夏だけでもこの密度。保守的な思想に反発した者たちのベトナム反戦運動や公民権運動、フリーセックスなどを訴えた「ヒッピー・ムーブメント」が隆盛した時期でもあります。
 ハリウッド映画の方に目を向ければ、豪華なセットが組まれた大作映画が退潮傾向にある中で比較的低予算ながら反体制的な人間の心情を描いた「アメリカン・ニュー・シネマ」が萌芽し、「明日に向かって撃て」「イージー・ライダー」「真夜中のカーボーイ」といった今も名作と名高い作品が立て続けに製作されました。そんな時代の狂騒を映画の中に蘇らせる作品、それが「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド」です。
  
 レオナルド・ディカプリオとブラッド・ピットという2大スターの初共演を始め、マーゴっと・ロビー、アル・パチーノ、ダコタ・ファニングらの豪華な出演者たちの競演を観ているだけでも充分に楽しかろうとは思いますが、何も知らずにただそれを眺めているよりはある程度の予備知識を入れておいた方が良いタイプの作品です。前述の事柄のいくつかが直接的なり間接的なり作中に描写されますし、何より重要なのはそんなハリウッドの只中で起きた、カルト集団マンソン・ファミリーの一員が引き起こした「シャロン・テート惨殺事件」がこの映画最大のモチーフとなっています。というかこの事件を知っていることが前提で作られています。

 寂しがり屋で涙もろく感情の振り幅が大きいリックとどこか諦観し陰のあるクリフのコンビの日常を丹念に描きつつ、シャロン・テートの天真爛漫な日々を交互に見せていきます。シャロン・テートは実在の人物ですがリックとクリフは架空のキャラクターであるため(と言っても作中登場するエピソードから察するに明らかに両者ともモデルがいます。それも複数。)史実と虚構が濃密に絡み合う独特の物語空間が築き上げられていきます。服装や小道具に至るまでタランティーノのこだわりが生きた画面作りも功を奏し、観る者を1969年のハリウッドへ誘います。

 リックとクリフ、シャロンの両者の時間は終盤までほとんど交差しないのが特徴ですが、その両者が交錯したとき物語は一気にドライブします。2時間以上かけて積み上げたものがどういう爆発の仕方をするのかは、ぜひご覧になって確かめてみてください。「映画」という虚構がもたらす「魔法」が存分に活かされたクライマックスが待っています。
 「ワンス・アポン・ア・タイム」というのはお伽噺の書き出しの常套句、だからこそ可能な「魔法」があり、それはイマジネーションが創造する芸術に許された「魔法」です。161分という長尺ではありますが、このパワーとエネルギーを前に退屈はほとんど感じないでしょう。もっともそれだけ上映回数に限りが出てタイミングをつかみにくくはなりますが(苦笑)、それでも多くの方に味わってほしい逸品ですね。

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視聴率はさっぱり振るわないと聞きますが、大河ドラマ「いだてん」がとにかく面白いです。来年開催の東京オリンピックの太鼓持ち企画に間違いはないのですが、1900年代から60年代までの数十年間をスポーツや文化史の面から語るというのは実に興味深く、数々のアスリートたちの奮闘だけでなく関東大震災のようなカタストロフの中でスポーツが果たした意義、スポーツが政治に絡めとられていく様などを見事に描き出していてとてもエキサイティング。武将や政治家ではなく本来ならば「名もなき市井の人々」でしかない人たちが物語の中心にいるのもいいですね。

 こんばんは、小島@監督です。
 物語も終盤に近付きつつあり、どのようなクライマックスを描くのか楽しみです。

 さて、昨日の日曜は「ヒプノシスマイク-Division Rap Battle-4th LIVE@オオサカ《Welcome to our Hood》」のライブビューイングを観に行ってきました。
 2017年から開始された男性声優によるキャラクターラッププロジェクト「ヒプノシスマイク」、昨年末からコミカライズもされ、今年末にはアプリゲーム配信開始も予定されてはいるものの基本はCDというか音源のみの展開というのは近年にしてはかなり珍しいと思うのですが、急速に人気を獲得してきたタイトルです。楽曲はちゅうカラの歌会でも最近良く歌われていますね。私もいくつかは歌ったことがあります。というか私がコレを知るきっかけになったのも昨年頃にちゅうカラメンバー数人から薦められた結果だったりします。出演声優の中にベテラン速水奨がいるのですが、薦めてきた方たちの大半が「彼がラップしている」という角度から来た辺り皆さん良く分かっていらっしゃいますな(笑)

 ちょっとポイント高いのは開演直前の前説。何とここもラップ。「携帯の電源はOFFに」「非常灯は開演したら消えるけどもしもの時は点灯する」など、お決まりともいえる内容を歌詞に織り込みラップで説明されます。例えば私が良く行くアイマスライブでは「事務所の事務員」が説明するのが通例になっていますが、開演前に「場」を作るこういうのは結構大事だと思う方なのでここから結構期待値が上がりました。
 ライブがスタートして何より驚かされたのは主人公である山田一郎役木村昴の芸達者ぶりです。瞬時に声色や速度を変えたりボイスパーカッションを交えたりとまさに縦横無尽。ほかの方は微かに「仕事」が見える瞬間があるのですが木村昴だけはただひたすらに楽しそうなのが印象的。また、全員が配役を演じながら濃度の高いリリックを時にはいスピードでラップするのにも関わらず、滑舌が良いので歌詞が聞き取りやすいというのも高ポイント。ひたすら「良い声」を堪能できるイベントです。

 「ヒプノシスマイク」の楽曲はZeebraやラッパ我リヤなどHIPHOPアーティストの手によるものも数多く、ライブイベントではそう言った楽曲提供者がゲスト出演するのが通例となりつつあり、この日は餓鬼レンジャーと山嵐の2ユニットが出演しました。
 餓鬼レンジャーはMC2人とDJ2人、そしてダンサーの5人ユニット。…なんですが、このダンサーが曲者。「タコ神様」と呼ばれる彼は赤い全身タイツにひょっとこのお面を付けたいでたちでしかもステージの真ん中で実になまめかしく踊るため、画面にフレームインしているとどうしてもそっちを観てしまう異様な存在感。
 山嵐はHIPHOP系では珍しい生バンドを擁したユニットで、ヘヴィロックに近い曲調が特徴。山嵐は単にゲスト出演しただけでなく、ファンの評価も高い楽曲「DEATH RESPECT」においてバックバンドとして登場。生演奏に乗せて展開されたこの曲はファンのボルテージを最高潮に持って行ってくれました。

 イベントの終わりには6人の新キャラの発表と来年メットライフドームで開催予定のライブの告知が。
 いっぺん生で観てみたいという好奇心から行ってみたイベントでしたが予想以上に楽しめました。HIPHOPと声優という2つのサブカルチャーの融合が見せる化学反応を満喫。今度は一度現地で味わってみたい気もしますね。

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この週末開催されていたアニサマの初日でサプライズゲストとして「アイドルマスター」の如月千早(今井麻美)が登場して「蒼い鳥」を1曲だけ披露して大喝采を浴びていったことが評判になりました。
 それを聞いて「ああ、千早らしいな」と思ってしまったのはきっと私だけではないのでしょう。「そういうことができる人」だと長い時間かけて観てきましたから。きっとその会場にも立っていたのでしょう、如月千早が。

 こんばんは、小島@監督です。
 しかしおかげで来月のバンナムフェスが尚のこと楽しみになってきました。待ち遠しい…!

 さて、今回の映画は「ドラゴンクエスト ユア・ストーリー」です。

 リュカ(声・佐藤健)は父パパス(声・山田孝之)と共に宿敵ゲマ(声・吉田鋼太郎)に連れ去られた母マーサ(声・賀来千香子)を探す旅を続けていた。
 ある時ラインハットの王子ヘンリー(声・坂口健太郎)がモンスターに拉致され、パパス親子はそれを追跡に向かったが、それはゲマの策略だった。パパスはリュカの眼前で殺され、ヘンリー共々誘拐され奴隷としての日々を送ることになった。
 それから10年、ヘンリーと共に一計を講じ脱出に成功したリュカは父の遺志を継ぎ「天空の剣」を扱える勇者を探す旅に出るのだった。

 1980年代から続く日本を代表するRPGの金字塔「ドラゴンクエスト」、映像化されるのもこれが初めてではなく1989年にTVアニメ化されてもいますが、映画となると「ダイの大冒険」や「ロトの紋章」など世界観を生かした派生作品からの劇場版のみで、これまでのゲームを直接的に原作とした映画化、それもフルCGでのアニメ化はこれが実質初めてといっていいでしょう。実は劇場用作品ではないのですがドラクエは一度実写化もされています(「勇者ヨシヒコ」のことではない)、1988年に製作された「ファンタジア・ビデオ」がそれで、すぎやまこういちの手によるフルオーケストラの音楽をバックにセリフのないサイレントで展開する作品で、製作は後に「新世紀エヴァンゲリオン」を手掛けることになるGAINAX。特撮部分は「陰陽師」の尾上克郎や「シン・ゴジラ」の樋口真嗣が担っていたり、竜王役で庵野秀明が出演したりしています。
 
 さて、話を「ユア・ストーリー」の方に戻しましょう。
 物語の評価が非常に高いドラクエ5をベースにしたこの作品は、親子3世代で展開する長い物語を105分でやろうとしているので多くの「成長」のプロセスをバッサリカットした超ハイペースで展開します。映像としての出来は良く、特に5の主人公はバギ系の魔法が得意というのを生かして特にバギマが(ゲーム中ではそう長く一線級では使えないのだが)大迫力で大活躍してくれます。俳優たちの演技もなかなかでリュカ演じる佐藤健が思いのほか「役者の顔が見えない」ことと、有村架純演じるビアンカが想像以上に可愛いのがポイント高いです。
 一方でこの速い展開に対し、ほぼゲームのままで使われているすぎやまこういちの音楽のリズムが合っていないというのが問題です。ドラクエの音楽は実はかなりゆっくりであり、自分のペースで進められるゲームの方ではそれがマッチしているのですがこういうアレンジを施した映画ではそれが裏目に出てしまっています。そのまま使うのは要所にとどめてもっと大胆にアレンジしても良かったのではと感じます。

 そして各所で賛否両論の展開が待つ終盤。実は私はそこそこ高く買っています。「そのまま映像化したのでは絶対に勝てない」のをよく理解した上でのリスキーな冒険に敢えて踏み切った点に対してです。「ドラクエじゃなくても良かったのでは」という声も聞きましたが、こういうのはメジャータイトルでやるからこそ効果的ともいえます。相当に危うい道であり、またその道に踏み切るための準備が十全であったとも言い切れませんでしたが。
 もう一つ興味深い点は、ここでのリュカとあるキャラクターとのやり取りが言ってみれば「古い」点です。恐らくこれは監督山崎貴のゲームに対するイメージであろうと同時にシナリオを監修した堀井雄二が長く向き合ってきた感覚でしょう。日本のゲーム市場を牽引した人物がもしかしたら今でも「この感覚」と戦っているかもしれないのはどこか切ない感じもします。そして100館規模のメジャー作品でコレを語るならできれば15年前までには通っているべきステップだったようにも思えます。この辺りに「名探偵ピカチュウ」のような作品を生み出せるようになったハリウッドのようなゲームと映画の距離感を作り出せずにいる日本のゲーム市場と映画市場の「遠さ」を感じます。

 賛否はどうあれ、ドラクエのプレイ遍歴も含めて観た者同士で語り合えるという点では決して悪い作品ではないでしょう。公開も終盤に差し掛かり上映回数も少なくなってはいますが、まだの方は一度ご覧になってみるのも一興ですよ。

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Amazonプライムを導入して以降、スマホやタブレットにダウンロードできるのも手伝って、時間を見つけては色々と主に映画を中心に観ています。公開時に観たいと思いながら観れずに終わった作品も結構ラインナップされているのがありがたく、「海底47m」「スカイ・スクレイパー」「トランスフォーマー ロストエイジ」、仮面ライダー映画の「ドライブ&ゴースト」などホイホイ観てます。まだあまり手は伸ばしていませんが1940~50年代のクラシックな作品も割と揃ってるのが嬉しい。まさか「アメリカ最高のホームズ」と言われるベイジル・ラスボーンのシャーロック・ホームズまであるとは。

 こんばんは、小島@監督です。
 とはいえ観てるものが何となくジェイソン・ステイサムとかドウェイン・ジョンソンとかが多いのはご愛敬。いや~部屋の掃除とかのBGVにしようと思うとああいうノー天気なアクション映画とかサメ映画とかが一番都合良くて(笑)

 さて、今回の映画は「存在のない子供たち」です。

 レバノンの貧民街に生きる少年ゼイン(ゼイン・アル=ラフィーア)は、人を刺した罪で少年刑務所に収監されていた。年齢は12歳とされているが出生届が出されていないため医学的に推定される年齢に過ぎない。そんなゼインは弁護士を代理人に裁判を起こした。ゼインが訴えたのは両親。その理由は「自分を産んだ罪」を告発することだった…

 そういうことは本来あって良い話ではないのですが、本人がどれほど願っていてもそもそも最初から社会の一員として加えてもらえない人たち、というのが確かに存在します。日本でも出生届が出されず学校にも行けずに社会の最底辺で生きる無戸籍者が1万人(推定)はいるとされています。是枝裕和監督の「誰も知らない」や「万引き家族」、あるいはドラマ「相棒season16」の「少年A」などこういった存在を題材にした作品もあります。レバノンで製作されカンヌなど世界各地の映画祭で高い評価を得たこの「存在のない子供たち」はそういう存在を描く作品の、ある意味で究極に近い姿ともいえるでしょう。

 物語はゼインが両親を告発する裁判の冒頭陳述のシーンの後、ゼインがそこに至るまでの過程を描きます。
 ゼインは朝から夜まで働かされています。心が安らぐ時といえば年の近い妹サハル(シドラ・イザーム)と遊んでいる僅かな時間のみ。しかしそのサハルも家賃の支払えない両親によって家主と強引に結婚させられてしまいます。ゼインの両親も明日の仕事さえ定かでない最貧層に生きており、弱者がさらに弱い者を食いつぶす地獄のような状況を丹念に描きます。サハルの結婚を止められなかったことでゼインは家を飛び出すのですが、ここから物語は更に思わぬ方向へ転がっていきます。

 驚くべきはこの映画、ゼインの代理人である弁護士ナディーンを演じこの映画の監督でもあるナディーン・ラバキーを除き作中に登場するほぼ全ての登場人物が俳優ではなくラバキー監督とキャスティングディレクター・ジェニファー・ハッダードによりスカウトされた「登場する人物と近い境遇の者たち」である点です。主人公ゼインもシリア難民ですし、家出したゼインが出会うことになるシングルマザーのラヒルを演じるヨルダノス・シフェラウはエチオピア難民で、レバノン国内でホームレス同然として職を転々としつつ違法状態で滞在しており不法移民で逮捕されるもののラバキー監督が身元保証人となって釈放された経緯を持ちます。
 積み重ねられた取材とこのストリート・キャスティングが功を奏し、フィクションでありながら高いリアリティをもってこの映画は観る者に迫ってきます。

 物語は、絶望の上に更に重い絶望がのしかかるような中で微かな希望を見せて終わります。それは登場人物を演じる彼らにも幸あれと願うかのように。
 まるでナイフを突きつけられたような、腹の底に重く響くような、そんな余韻を残すこの映画です。同時に観るとなればどんなに辛くとも向き合うしかないと観る者に覚悟させる力を持つ作品でもあります。世界の片隅で起きる対岸の火事のような出来事ではなく、もしかしたら自身の足下で起きようとしていることかもしれません。こういう映画が多くの人の目に留まれば、と願います。

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