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ちゅうカラぶろぐ


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連日トップで報じられてしまいますしTwitterなどでも頻繁に言及されるため、さすがにロシアによるウクライナ侵攻は意識を向けざるを得ません。まさか前世紀的な大国の侵略を生きている内に目にする日が来ようとは。長引く疫病禍だけでも十分キツいのに戦乱まで。第一次大戦期の人々も、この様な不安を抱えていたのでしょうか。

 こんばんは、小島@監督です。
 ただひたすらに早期の解決を望みます。

 さて、今回の映画は「ウエスト・サイド・ストーリー」です。

 1950年代、ニューヨーク。再開発が進み立ち退きと取り壊しが進むウエスト・サイド。この街にはポーランド系移民の若者で組織された「ジェッツ」とプエルトリコ系移民の「シャークス」という2つのストリートギャングたちが抗争を繰り広げていた。
 シャークスのリーダーであるベルナルド(デヴィッド・アルバレス)の妹マリア(レイチェル・ゼグラー)はニューヨークでの初めてのダンスパーティーでトニー(アンセル・エルゴート)と出会う。二人は瞬く間に恋に落ちるが、トニーはジェッツに縁のある青年であり、二人の恋心をよそにジェッツとシャークスは街の縄張りを賭けた集団決闘へと突き進んでいった…

 アーサー・ローレンツ(脚本)、レナード・バーンスタイン(作曲)とスティーヴン・ソンドハイム(作詞)が手掛けたブロードウェイミュージカルをロバート・ワイズが映画化したのは1961年のこと。アカデミー賞で10部門を受賞したミュージカル映画の金字塔として今なお燦然と輝いています。半世紀以上の時を経てこの映画をリメイクしたのは巨匠スティーブン・スピルバーグ。「インディ・ジョーンズ/魔宮の伝説」などでそれっぽいシーンを入れ込ませたことは過去にもありましたが本格的なミュージカル映画は実は初めてだそうです。

 設定は多少変更されているものの物語の筋立てそのものはロバート・ワイズ版とほとんど変わりません。何なら上映時間もほぼ同じです。この辺りは原典に対するリスペクトの現れでしょう。ただ、だからこそ「変更されている設定」が活きてくる部分があります。原作にはない再開発が進む街の姿がその中で抗争を続けるジェッツとシャークスの姿は、どちらも移民であることも相まってその無益で不毛なさまをより鮮明にあぶり出します。その虚しさは同時に価値観の相違が深刻な分断を生んでいるアメリカ社会の戯画化でもあるのでしょう。
 深掘りすればポーランドは18世紀末にいわゆる「ポーランド分割」によって一度領土を完全に失いその際に大量の移民が新大陸を目指した経緯があり、アメリカのコモンウェルス(自治連邦区)であるプエルトリコもこの作品の時代背景である1950年代に独立運動が過激化して当時のトルーマン大統領の暗殺未遂事件が起きるなど騒乱の様相を呈しており、その流れの中で多くの人々が新天地を求めてアメリカ本土へ流れて来たりしています。どちらもが分断と喪失の果てにアメリカを目指した者達であり、その彼等同士の間でも対立と分断が起きているのです。

 ただ、この映画の凄いところはそんな小難しいところにあるのではなく、単純に映像のパワーがとんでもない、その一点につきます。スピルバーグ監督はもちろんのこと撮影監督であるヤヌス・カミンスキーの手腕が存分に活かされたカメラワークがもう絶品。ロバート・ワイズが映画化した1961年ではまだ機材や技術的に不可能だったこともあったでしょうがそれを差し引いても今作の映像のダイナミズムはずば抜けています。カメラアングルの妙、衣裳や背景など画面を構成する色彩感覚、主要人物だけでなくアンサンブルまでも含めた人物の動きの連なり、そして古びる事なく輝きを放つ音楽、それら全てが織りなす映像が圧巻。まさに細部まで計算され尽くした巨匠の技を156分の上映時間で存分に堪能できます。

 古い物語を現代に蘇らせる意味を熟知した、現代に生まれるべくして生まれた映画と言えるこの逸品。こういうのこそ映画館のスクリーンで味わう意味のある作品でしょう。普段ミュージカル映画は観ないという方も、この練達の映像は是非味わって頂きたいですね。

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先週Aqoursのライブを堪能した後、今度は配信の方で「THE IDOLM@STER MILLION LIVE! 8thLIVE Twelw@ve」を鑑賞。結果的に有休消化の6連休は大半ライブを観て過ごした格好です。しかもラブライブとアイマス(笑)。
 本当はアイマスの方も現地チケットを一度は手に入れていたのですが、この不安定なご時世で遠征するのに心理的なブレーキが働いてしまい流してしまいました。早く憂いなくライブ遠征できる日々が戻って欲しいですね。

 こんばんは、小島@監督です。
 ミリオンライブは来年早々に武道館でのライブを予定している事が発表されて、今度こそ現地勢したいものよ。実はアイマス関連でミリオンだけ未だに現地で観たことが無いもので、このままでは終われませぬ。

 さて、今回の映画は「ゴーストバスターズ アフターライフ」です。

 家賃滞納でアパートを追い出されたキャリー(キャリー・クーン)と息子トレヴァー(フィン・ウルフハード)、娘フィービー(マッケナ・グレイス)の一家は亡き父の遺したオクラホマ州サマーヴィルの農場へ移ってきた。フィービーはそこに見慣れない装置がいくつもあるのに興味を示す。その内の一つをサマースクールへ持って行くと、教師のグルーパーソン(ポール・ラッド)からそれはかつてニューヨークで活躍した「ゴーストバスターズ」が使っていたものではないかというのだ。
 フィービーとグルーパーソン、クラスメイトのポッドキャスト(ローガン・キム)がその装置を起動させると、突然何かが飛び出していて去っていった…!

 80年代を代表する作品の一つと言っていい「ゴーストバスターズ」、2016年にもリブート版が製作されましたが、正式に続編となる映画が製作されました。コメディ映画の旗手でもあったアイヴァン・ライトマンが手掛けたシリーズを受け継いだのは、息子であるジェイソン・ライトマン。「JUNO/ジュノ」(2007年)「マイレージ、マイライフ」(2009年)などを手掛け高い評価を得た人物です。どちらもコメディを得意としながらスタイルの違う映画を作り上げる父子がタッグを組み、手堅い印象の一本が出来上がりました。

 どちらかと言えば賑やかな大作を得意とした父アイヴァンと違い、息子ジェイソンはしっかりした人物描写の小品を得意とするタイプで、今作でもそのテイストが存分に生きた作品になっています。物語のロケーションが大都市ニューヨークからオクラホマの田舎町へ移っているのが最たるところでしょう。映像の迫力がさすが大作規模というところですが、一方で物語のスケールは非常にコンパクトです。かつては賑わっていたものの今は寂れていくばかりの田舎町、そこに潜む謎や怪異と戦う少年少女、というのはどこかスティーブン・キングの小説を思わせるものがあります。サマースクールを受け持つグルーパーソンが生徒たちに見せるビデオが「クジョー」(1983年。スティーブン・キング原作)というのはもう分かっててやってるとしか(笑)

 主人公となる少女フィービーにしてもポッドキャストにしても世間一般からちょっと浮いたようなキャラとして描かれていたり、母キャリーがシングルマザーとして苦労を重ねているところなど全体の途上人物が少ないからこそできる人物造形の妙が随所で光り、それらが物語の中でちゃんと活きていて終盤には家族の再生劇に繋がっていく構成も楽しい。少年少女のひと夏の冒険譚でもあり、レイ・パーカー・ジュニアのあのテーマ曲も相まってある種のノスタルジーを覚え、それがまた心地良くもある作品です。
  
 「ゴーストバスターズ」は1984年に1作目、2作目が1989年に製作されたのち、3作目の企画が度々上がるものの出演者の足並みが揃わずに難航し、2014年にスペングラー博士役のハロルド・ライミスが急逝したことで製作が頓挫。企画自体は2016年に製作されたリブート版の基礎になっていきます。2016年版を手掛けたポール・フェイグは続編ではなく女性4人チームの物語として再出発され、興行的に大成功を収めました。そのヒットが今作誕生のきっかけになっているという紆余曲折な経緯を持っています。
 そして奇しくもプロデューサーとして参加したこの映画がアイヴァン・ライトマンにとって最期の作品となったのは奇妙な運命の巡り合わせとしか言いようがありません。
 製作中、アイヴァンはジェイソンの仕事ぶりをずっと横で見ていたそうです。作中フィービーは祖父の遺志を継ぐ決意をしますが、製作規模としては初めての大作となる作品を「ゴーストバスターズ」のスピリットを受け継ぎながらも自身の持ち味を崩すことなく仕上げていく息子ジェイソンの姿を観てアイヴァンはきっと満足していたことでしょう。

 コメディを主戦場に活躍を続けたアイヴァン・ライトマン、アクションスターだったアーノルド・シュワルツェネッガーに「ツインズ」(1988年)でコメディへの道を開いたのも大きな功績の一つでした。映画史に着実にその足跡を残した偉大なクリエイターに最大限の敬意をこめて。
 Rest in peace。




  

 

 
 
 

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実は何だかんだ最低日数も使えていなかった有休を消化するために只今6連休の真っ最中です。もう年度末も近いし飛び飛びで休みを取るのも面倒だったのでまとめて取ることにしました。こんな時期に体調不良でもないのに1週間近い休みを取った事無かったので何だか不思議な気分。
 当初はアイマスライブを観るために遠征しようかと考えたりしていたのですが、このご時世で泊りがけの移動するのにちょいと躊躇してチケットを流してしまったので予定のほとんどが無くなってしまい、むしろ休みの直前に改めて思い立ったものを予定に突っ込んだりしていますが自宅にいる時間が多く、今のところ久しぶりにまとまったゲーム時間ができてるだけのような気も(笑)

 こんばんは、小島@監督です。
 ま、そうは言いながら取り敢えずまずは「マクロスΔ」を完走したりしましたね!

 さて、一昨日の土曜日バンテリンドームまで「ラブライブ!サンシャイン!! Aqours 6th LoveLive! ~KU-RU-KU-RU Rock 'n' Roll TOUR~OCEAN STAGE」Day1を観に行ってきました。ええ!昨日のかときちさんのブログにも書かれていたのと同じヤツです!まさかのネタ被り!意外!
 配信のライブはいくつか観てきましたが実際に現地で観るライブは実に10か月ぶり。「ラブライブ!」は2019年開催のバンナムフェスに出演していたのを観た事があるきりで単独ライブを現地勢するのは初めてです。

 バックスクリーンのアニメ映像とステージの出演者たちの動きがシンクロする「μ’s」からの伝統ともいえるスタイルは健在。どころか3面あるスクリーンをフル活用してステージのパフォーマンスも最大限引き出して見せて進化が伺え、職人的な編集の技を堪能できます。配信で鑑賞していた方はあれを観ていたのでしょうか。うっかりするとそちらばかり観てしまいそうなくらいでした。
 
 昨年の大みそかに開催されていたカウントダウンライブではMCパートを充実させていたり、事前に収録したラジオ番組風のトークを流し番組内で曲が使われている、という体で曲の方をライブで見せると言ったパートがあったりと趣向に富んでいましたが、今回は変に奇をてらったようなことはせず、インターミッションで出演者が舞台裏に引いている最中は定番曲をヘヴィロックアレンジしたものをメドレーで流す(しかもこのアレンジがかなりカッコいい。音源が欲しくなりました)程度で、演出のスタイルとしては清々しいまでの全力全開の真っ向勝負。だからこそ昨今の状況を受けての発声禁止という中でも聴いてて時に涙目になってしまうほどボルテージが上がるステージでした。
 以前から一度ちゃんと観てみたいと思っていた要素を満載にしてくれていたのも嬉しいところ。というか皆さん運動量凄いのに中でも特に渡辺曜役斉藤朱夏さんの一人ずば抜けて高い身体能力が見せるダンスのキレには痺れますね(笑)
 
 ところでアンコール前に思わぬ光景が。
 誰かが言い出して準備した人たちがいたのか、アリーナからスタンドにかけて、サインライトでAquors9人のイメージカラーで虹が出来上がったのです。驚いたものの「このビッグウェーブは乗るしかない!」と私もそのエリアの色でライト振りましたよ。アンコールで再登場した出演者たちが相当に驚いていて、黒澤ルビィ役降幡愛さんなどは感極まって涙声になってた当たり恒例行事というのでもないようで、かなり不思議で、でも壮観な光景でした。あれを直に観れたのは大きい。
 もともと一昨年に5大ドームツアーが企画されていたAquorsでしたがコロナ禍で全て白紙となり、2年越しでようやく再始動できるかというところで今回もまたギリギリまで開催が危ぶまれるという中、出演者の皆さんもかなりの苦悩や葛藤を抱えてらしたようで、MCでは端々にそれが覗いていました。名古屋と埼玉の2会場で行われる今回のツアーですがこういう状況の中、次の公演が無事に開催されるかどうかも不安定。だからこそ今やれる全部をやり切ろうとしている出演者やスタッフ、そしてそれに応える観客たちが作り上げるステージ。
 素敵なものが観れました。やっぱりライブって良いですね。
  

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大体いつもアッパーでどんな深刻な状況でも絶対にしんみりさせたままにはしておかない作風が印象的だった「トロピカル〜ジュ!プリキュア」が終了し、その余韻も冷めやらぬ中、新シリーズ「デリシャスパーティ♡プリキュア」がスタート。物語の導き手がオネエキャラと言うのも当世らしい感じですが、何より「500Kcalパンチ」の語感のインパクトが最高。また1年間楽しませてもらえそうです。

 こんばんは、小島@監督です。
 「食」がテーマの一つだけあり初回の料理作画のシズル感はどれもかなりのものでしたが、あのクオリティで1年間やり切れるのかしら。

 さて、今回の映画は「大怪獣のあとしまつ」です。

 突如襲来し、首都圏を蹂躙して人々を恐怖に陥れた大怪獣。しかし、突如として発現した原因不明の光により怪獣は死んだ。人々は歓喜に沸いたが一方で大きな問題が残された。
 「この死体、誰が後始末するの?」
新たな観光資源として利用することも試みられたが巨大な死体は腐敗により徐々に膨張が進みいずれ大爆発を起こして周囲を汚染しかねないことが判明する。
 巨大怪獣の死体処理というミッションを任されたのは首相直轄組織・特務隊の帯刀アラタ(山田涼介)だった。果たしてアラタは大爆発を阻止し怪獣の死体を後始末できるのか?

 「映画」と言うのはやはり魔物。そしてある意味でギャンブルと言うのを迂闊にも忘れていました。特にコメディというのは結構難しい代物で、観る側のセンスと作り手のセンスが上手く噛み合えば爆発しますが相性によっては地獄を見ます。自宅で観ている分には合わなければさっさと止めてしまえば良いだけの話ですが、映画館で観るとなるとそうもいきません。だからコメディを観る時はそれなりに選んでるつもりだったんですが今回は思いっきり掴んでしまいました(苦笑)

 倒した、あるいは倒れた怪獣をどうするか、という主題は一見ユニークに思えますが全く前例が無いわけでは無くむしろ結構使われてきたモチーフです。例えば「パシフィック・リム」(2013年)では怪獣の死体を始末する建設車両群やその死体を利用して漢方薬を作るブローカーなどが登場したりします。他にも「ウルトラマンティガ」(1996年)に漂着した怪獣の腐乱死体をどう対処するか、というエピソードがありますし「ゴジラxメカゴジラ」(2002年)ではゴジラの遺骸をベースにメカゴジラ「機龍」が建造されます。ただ、大抵は世界観をより掘り下げるためであったりTVシリーズの1エピソードのように短編で使われることが多いため、今作みたいにそれを長編映画の主題として製作されたのは初めてではないかと思います。なかなか攻めた着眼点を「インスタント沼」(2009年)「俺俺」(2013年)などシュールなシチュエーションの不条理劇を得意とする三木聡監督がどう料理するのか、という期待で鑑賞しました。

 世界観の詰めがいささか甘くは感じたもののシナリオがどうしようもないほど破綻しているワケではありません。山田涼介、土屋太鳳、西田敏行、濱田岳を筆頭とした俳優陣の演技も悪くなく、小道具なども凝っていて映像やサウンドデザインも結構ちゃんと迫力があります。ですが、私には作中繰り出されるギャグとの相性が致命的に最悪でした。例えて言うならそう「職場の飲み会で上司が周囲が引いてるのも気づかず時代遅れでセクハラ紛いの下ネタを延々と喋り続けるのを聞く羽目に陥っている」というところでしょうか。しかもかなり冗長。この内容で上映時間115分は長すぎる。と言うかこの企画で良くこれだけの予算規模とキャストを獲得できたものと心底感心します。もっとずっとチープに出来ていればまだ納得出来る部分が多く、そのギャップの凄まじさに困惑しました。

 また、恐らくある程度意識的にやっているのでしょうが、この映画、「パシフィック・リム」や「シン・ゴジラ」のパロディと思しきシーンも登場します。ですが結果的にそれが笑いに繋がるというよりこの2作が何を作品からオミットすることで評価を得るに至ったかを鮮明に浮き彫りにします。そんな映画が東宝ではなく松竹と東映の共同出資で製作・配給されているのも何とも皮肉めいています。

 主題に対するアプローチの濃度がシーン単位で大きく乱高下するが故の観る側のスタンスの掴み辛さも手伝って、自分は映画については結構悪食だと思っていたのですが、観てるのがあまりに苦痛になり途中で席を立ちたい欲求に駆られるなどまだまだ修行が甘かったようです。これも経験と言い聞かせて何とか最後まで観ましたけれども。
 公開直後からかなりの酷評に晒され炎上気味のこの映画、全国300館規模の公開作品にしてはかなり尖っていることとこれまでの特撮や怪獣映画をパロディ、というより下品に揶揄していると取れてしまうくだりがいくつも散見されるためそりゃあ脊髄反射的にキレる人も出てきてしまうだろうとは思います。が、一方で滅多に観られないタイプの作品であることも確か。もともと三木聡監督の作風が気に入ってる方なら尚更楽しめるでしょう。そうでない方も劇物扱いの映画がどういうものかを確かめてみたい人は鑑賞料金と2時間を投げ捨てるくらいのつもりで行けば、話のネタになるだけの映像体験ができるかもしれません。

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昨日開催された「THE IDOLM@STER CINDERELLA GIRLS 10th ANNIVERSARY M@GICAL WONDERLAND TOUR!!! Tropical Land」day2を配信で鑑賞。本来なら初めての沖縄公演になる予定でしたが昨今の情勢がそれを許さず別会場(どうやら幕張メッセだった様子)からの無観客配信ライブとなりました。
 思わず見惚れてしまうようなパフォーマンスがバンバン飛び出す熱いライブで、実に見応えがありました。出演陣の中に最近声優としてよりもプロ雀士としての活躍が目覚ましい伊達朱里紗さんがいたのも多士済々なデレマスらしくて面白い。

 こんばんは、小島@監督です。
 ところでこのライブ、もともと落ち着いて観られるday2だけに絞るつもりでいたのですがday1の評判があまりに良かったのでそちらのチケットも買ってしまいました。ライブだけでなく一定期間のアーカイブ配信も常態化したお陰で公演のチケットを後追いでも買えると言うのは考えてみれば何だか不思議な気分。

 さて、今回の映画は「バイオハザード:ウェルカム・トゥ・ラクーンシティ」です。

 1998年、アメリカ中西部ラクーンシティ。そこにはかつて製薬会社アンブレラ社の工場が存在したが今ではほとんどの施設が移転してしまい、残ったのは少ないスタッフと貧困層だけになっている。
 かつてラクーンシティの養護施設で育ったクレア(カヤ・スコデラリオ)は、アンブレラ社が秘密裏に研究していた「何か」が街の住民に健康被害を及ぼしているというメッセージを受け取り、一度は飛び出したラクーンシティへ帰ってきた。今ではラクーン市警に所属する兄・クリス(ロビー・アメル)を訪ねるが、クリスはクレアの言うことを一笑に付して取り合わない。その時、街中に大きなサイレンが鳴り響いた…

 ホラーゲームの金字塔「バイオハザード」、2002年から2016年までポール・W・S・アンダーソン監督、ミラ・ジョヴォヴィッチ主演のコンビで実写映画が6作品製作されました。ゲームの映画化としては破格のヒットを遂げ、ゾンビ映画としても最高の興行収入を記録しておりジャンル映画の大きな成功例として存在しています。そんな実写映画版「バイオハザード」がシリーズ完結後6年を経てリブート。新たな実写映画が登場です。監督は海中で逃げ場を失う恐怖を描いたパニック・スリラー「海底47m」などのヨハネス・ロバーツが手掛けています。

 新作である「ウェルカム・トゥ・ラクーンシティ」では前シリーズでは1度もやっていなかった、「ゲームのストーリーラインとキャラクターをベースにした映画」として製作されています。ゲーム原作として一番成功を収めた作品が原作から距離を置いた独自のビジョンの下で製作されている、というのはいささか皮肉めいた話でもありますが、結果的に「バイオハザード」には大きな鉱脈が残された格好になりました。

 陰鬱なビジュアルと不穏なBGMで幕を開ける今作は、CG主体ではなくセットで以て組み上げられたラクーンシティの衰退しつつある街並みや、1998年という時代設定を十二分に活かすビデオデッキやポケベルなどのガジェット(インターネットもちゃんとダイヤルアップ接続である)などが醸し出す雰囲気はなかなかです。
 また、監督が原作ゲームの大ファンなのか、全編に渡りかなりの数の小ネタが仕込んであるのも特徴です。予告編でも使われていた「振り向きゾンビ」だけでなく、ある場所には赤・青・緑のハーブが置いてありますし、ショットガンの弾薬の箱や部屋を開ける鍵の意匠などが原作に沿ったものになっていたり、「かゆい うま」のフレーズが登場するくだりがあったりします。この辺りを探してみるのも楽しいでしょう。
 登場人物の造形についてもシリーズ初期のものに倣っているようで、クリスはマッチョゴリラではありませんし、レオンも後々の凄腕エージェント感は1㎜も無く、赴任初日にエグい目に遭う青年の頼りなげな右往左往ぶりが良く表現できていると思います。

 ゲームに忠実な作品を仕上げようという姿勢に好感が持てる一方で、映画そのものの出来栄えとしては特に後半に行くほど多すぎる要素をまとめるのに手いっぱいの慌ただしさが目につき、序盤に成功した雰囲気作りも活用しきれておらずいささか弾んでいかないのが残念なところ。この辺り、作中のシーンがゲームへとフィードバックされたりもしたポール・W・S・アンダーソン監督版の方が勢いもパワーもあったと言わざるを得ません。

 不満も少なくないのですが、個人的には何だかんだ楽しめてしまったので割と嫌いではありません。そこら中に潜んだ小ネタを探しつつツッコミを入れながら観る、そんなノー天気な楽しみ方するのが丁度いい一品。出来るなら仲間内でわいわい言いながら観るのが一番楽しいタイプの作品です。気になってる方は気楽な気持ちでどうぞ。

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先週訃報が流れた野球漫画の第一人者だった水島新司さん、私も「ドカベン」や「あぶさん」などその著作をよく読んでいました。特にパ・リーグが今ほどの人気を獲得する遥か前から「あぶさん」において南海ホークス(現・福岡ソフトバンクホークス)を中心に丹念に取材を重ねて各球団の選手たちを実名で登場させるなど漫画を通しての野球界への貢献と影響が計り知れないほどです。パ・リーグの本拠地である球場ではほとんど顔パスだったと聞きます。訃報が流れた翌日、主要スポーツ紙がこぞって1面トップで報じ、全国紙でも社会面だけでなくスポーツ面でも報じられたのが何よりの証拠と言えるでしょう。
 主要作品のほぼ全てを完結させ引退宣言をしてからのご逝去、まさに大往生だったのではと思います。

 こんばんは、小島@監督です。
 久しぶりに何か読んでみたくなってきた。

 さて、今回の映画は「クナシリ」です。

 北方四島の一つ、国後島。北海道の東端からわずか16㎞のところにあるその島は、日ロ間で領土問題が横たわる。そこには寺の石垣などの遺構が残り、シャベルで土から掘り起こせば醤油瓶や欠けた茶碗などかつて日本人が暮らしていた痕跡が残っている。1949年に日本人の退去が完了したこの島で現在暮らすロシア人たち。彼らにカメラとマイクを向けると、各々がそれぞれの立場で島の姿を語り始めた。

 北方四島と呼ばれる島々があること、そこに領土問題があること、半世紀以上の長きにわたり返還のための交渉が続いていること、それらをご存じの方は多いと思います。ですがその一方でそこがどういう場所なのかを知っている方はほとんどいないのではないでしょうか。北方領土問題という言葉の下でだけその名を聞く島、私にとって国後島というのはその程度の印象でした。またロシア側から俯瞰すれば国後島はあくまで首都モスクワから遥か離れた最果ての一離島であり、そもそも関心を示す場所ですらないようにも思えます。そんな国後島に焦点を当てて取材を行った恐らくは初めてのドキュメンタリー映画です。手掛けたのはベラルーシ出身で現在はフランスを拠点に活動しているドキュメンタリー作家、ウラジーミル・コズロフ氏。

 そもそもどんな風景をしているのかすら知らない国後島、普通に撮ってるだけの映像がもうそこから興味深い。実は温泉もあるらしいですよ、あの島。ある意味でチョロい客状態でした私(笑)もっともこの数十年日本人が未踏だったわけではなく1992年より始まった交流事業により7~9月のサマーシーズンにビザなしの訪問団が訪れたり鳥類などの学術研究で滞在する学者の方などもいるのですが、取材時期とは外れていたらしくこの映画には登場していません。
 実際のところ、映画は数人の人物の生活とインタビューを淡々と綴っているだけの作品です。モチーフこそ刺激的ですが良くも悪くもフラットで、そこに大きなストーリーも無ければ何かを煽るようなことも無いのが特徴です。

 ただこのインタビューが曲者。全体を通して老人が多いのですが人生の晩期をインフラの整備も今ひとつよろしくない最果ての地で暮らしているせいか愚痴っぽい方が多く、失くすものが無いのかロシア政府や役人への不満や批判もお構いなしなのがなかなかに驚きます。ちょっと笑えてしまうくらい。中には日本人とロシア人が共存していた1940年代を記憶している方もおり、思いがけない話が登場してきたりもします。
 彼らの中には別にロシア政府のように北方四島を日本に返還することを頑なに拒むような強い主張はなく、むしろ温泉などの観光資源を活用して雇用を生み出して欲しくて日本人が再び来てくれることを望んでいる者さえいます。

 作品の中で見え隠れするのは第二次大戦時に日本との戦いに勝利し住民を全員退去させ自国の領土の拡大に成功したことをプロパガンダしたい旧ソ連からのロシア政府の思惑と、更に色濃く目に留まるのは最果ての離島という地理的条件がそうさせるのか、住民の精神性がアップデートする環境に乏しい、つまり「時間が止まっている」ように見えることでしょう。
 翻って、これほどロシアの風土に染まってしまった国後島を仮に日本の国土に引き戻せたとして、今、その島に生きる人はどうなるのか、そして島をどうしたいのか、その先を見つめるビジョンが日本にはあるのだろうかという思いも浮かんでは消えて、かなり複雑な思いを湧き立たせずにはおきません。

 百聞は一見に如かずとはまさにこのこと。歴史と不和の果てに存在する島の在り様に現在を映し見る作品です。聞けばコズロフ氏は同じ題材を、今度は根室の側から撮影する映画を準備中とのこと。この合わせ鏡がどのような形で完成するのか、今から楽しみです。

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昨日トンガの海底火山噴火を原因とした津波が日本全国を広範囲に襲いました。人的被害は少なかったようですが、皆さんのところは影響などなかったでしょうか。今回の津波、正確なメカニズムはまだ分かっていないそうで、世界でも随一の地震と津波の知見があってもなおまだ不明な現象が生じるところに大自然の恐ろしさと大きさを感じます。

 こんばんは、小島@監督です。
 それにしてもこれが更なる天災の前触れとかでないと良いのですが。 

 さて、今回の映画は「銀河鉄道999」です。

 メガロポリスのスラムに住む少年・星野鉄郎(声・野沢雅子)は、機械の身体を無償でもらえるという星に行くため銀河鉄道に乗れる切符を必要としていた。ある時、鉄郎は切符を購入した者から奪取しようとするが鉄道警察に追われることになってしまう。その最中、鉄郎は謎めいた美女メーテル(声・池田昌子)と出会う。

 「宇宙戦艦ヤマト」(1977年)の大ヒットを呼び水として、「機動戦士ガンダム」(1979年)、「うる星やつら」(1981年)「超時空要塞マクロス」(1982年)などが後に続き1980年代半ばまでの約10年間、アニメブームと呼ばれる現象が起きました。「ドラえもん」や「ルパン三世」など、現在まで連綿とシリーズが続く作品に初めての劇場版が製作されたのもこの頃です。それまで小学生くらいの子供が見るものという扱いと意識が強かったアニメがそれよりも上の世代であるティーンエイジャーや大人の鑑賞に耐えうる作品が登場するようにもなり、1983年にはよりコア・ターゲット層に向けてオリジナル・ビデオ・アニメーション(OVA)が発売され始めたりと製作体制や作品の在り様、マーケット規模に至るまで大きな変容を遂げた時期でもあります。
 そんな最中に一つの金字塔と呼べる作品が登場しました。それが1979年に製作・公開された「銀河鉄道999」です。実はそれまで親会社の東映の下で劇場アニメを製作していた東映動画(現・東映アニメーション)の初の自社製作作品でもあります。同年の邦画配給収入の第1位となり、アニメ映画としては初めて映画雑誌「キネマ旬報」のベストテンにランク入りするなど興行的にも批評的にも大きな成功を収めました。また、青木望の手によるサウンドトラックもオリコンチャート1位を獲得。1997年に「新世紀エヴァンゲリオン」のサントラが並び立つまで、アニメのサウンドトラックでチャート1位を獲得した唯一のアルバムでした。
 そんな日本アニメの歴史を語る上で外せない1作が、ドルビーシネマ版となって再上映されています。私もTV放送やDVDなどで何度も観た事がありますがスクリーンで鑑賞するのは今回が初めてです。
  
 当時TVシリーズも放送されていた「銀河鉄道999」、総集編ではなく完全新作として製作された劇場版の方では大枠の筋立ては同じものの大胆なアレンジを行っています。主人公・星野鉄郎の年齢を原作やTVでの10歳から15歳へと引き上げられて顔つきも精悍なものになっているのも特徴。原作ではゲスト的に登場するキャプテン・ハーロック(声・井上真樹夫)やエメラルダス(声・田島令子)の物語上のウェイトも大きく増した形で登場するほか、何より当時はまだTVシリーズも放送中である上に原作の連載も続いていた最中でありながらその結末を先んじて語るという野心的な試みが取り入れられました。

 世紀も変わり、時代も令和となった今観ると、やはり描かれている感覚が良くも悪くも昭和であることに少し目が行ってしまう部分もあります。ですがそれを差し引いてもダイナミックなアドベンチャーロマンであり、同時に少年の成長を描く青春物語としても骨太な語り口、そして比類なきヒロインであるメーテルの人物像に心動かされます。ラストシーンなどは何度も観ているはずなのに涙が出てきてしまったのは、やはりスクリーンで観ているせいでしょう。
 非常に丁寧にリマスタリングされているようで、そのエネルギッシュな映像を余さず堪能できるようになっているのはドルビーシネマという形式がもたらす恩恵でしょうか。こういう形で旧作と再会できるようになるのは嬉しいですね。

 中盤、鉄郎が亡き母の仇の情報を求めて酒場に立ち寄るくだりがあります。そこではリューズ(声・小原乃梨子)という名の女性の歌声に客達が涙を流して聴き入っており、酒場のマスターは鉄郎に「彼らはこの歌に二度と帰らぬ遠い日々を思い出して泣いている」のだと言います。この映画を初めて観たのは確か小6か中1の頃。TVで放送されたこれを観て心動かされた日から30年近くを経て今、ある種のノスタルジーにも押されてこの映画を観に行った私も気付けばあの酒場の客と同じところにいるのだろうかと思うと少し寂しさを覚えますが、それが歳を重ねるという事かもしれません。
 さらば少年の日々と言いながら、変わらないままの部分もあると知る、まるでほろ苦さを覚える再会のよう。そんな感慨もまた旧作を観る楽しみの一つ。今週末からは続編である「さよなら銀河鉄道999」のドルビーシネマ版の公開も始まるそうで、せっかくだからこちらとも再会してみたいところですね。

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