東映アニメーションがサイバー攻撃の被害に遭い、アニメ製作がストップする事態に陥ったというニュース、当初は1週放映休止くらいで終わるかと思いきや「プリキュア」や「ワンピース」などが丸1か月放送中止に追い込まれたばかりか来月公開予定だった「ドラゴンボール超」までもが公開延期になってしまうなどかなり深刻な事態になっています。アニメ業界へのサイバー攻撃でここまで重篤なダメージを食らった前例は恐らく無いはず。そういう時代になってきた、ということなのでしょうが恐ろしい話です。一日も早い復帰を望みます。
こんばんは、小島@監督です。
プリキュアが普通に観られないと案外ダメージがでかい。おのれ犯人許すまじ。
さて、今回の映画は「THE BATMAN -ザ・バットマン-」です。
腐敗と汚わいがはびこる街・ゴッサムシティ。両親を殺された青年ブルース・ウェイン(ロバート・パティンソン)は復讐を誓い、夜になるとマスクとスーツで身を覆い、「バットマン」として悪党を叩き伏せる日々を送っている。
ある時、次期選挙を控えたゴッサムシティ市長ドン・ミッチェル・ジュニア(ルパート・ペンリー=ジョーンズ)が殺害された。殺害現場にバットマンに宛てたメッセージカードを発見したゴードン警部補(ジェフリー・ライト)は、現場にバットマンを呼び寄せる。カードにはなぞなぞが書かれていた。「リドラー」(ポール・ダノ)と名乗る何者かがバットマンに挑戦してきたのだ。
時代の傍らで頻繁に映像化される「バットマン」。一番最初の映画化は1943年と言いますからもう80年近い歴史があります。近年でもドラマシリーズ「ゴッサム」と「タイタンズ」にそれぞれ登場しますし、映画の方でも「DCエクステンデッドユニバース(DCEU)」の「バットマンVSスーパーマン」「ジャスティス・リーグ」でベン・アフレックがブルース・ウェインを演じており、今後公開予定の「FLASH」にも出演することが報じられていますが、今回公開された「ザ・バットマン」はそれとは別扱いの新しいシリーズの幕開けとして製作されました。更に言うと2019年に製作され高い評価を得た「ジョーカー」とも関りが無いため、ちょっとややこしい感じになっていますが、取り敢えず「新しいバットマンが来た」と思って頂ければ良いでしょう(笑)
バットマン映画史上最長となる176分という時間を使って語られるのは、言うなれば本格的なディテクティブ・ストーリー。リドラーが何者か、目的は何なのか。その行動に翻弄されながらブルース・ウェインはゴードン警部補と共に真相を追求していきます。その過程を非常に丹念に描いており、またその中でバットマンの正義が揺らぎ、自身のアイデンティティーが確立していく様をも活写していくため3時間近い尺を必要としたのも納得できる構図をしています。そもそもバットマンは探偵やミステリのアンソロジー・コミック誌であった「ディテクティブ・コミック」でデビューしたヒーローであると言うことを思えば今回の作劇方針は「原点回帰」とも言えます。その一方でバットマンにしろリドラーにしろ、素性を隠すというよりむしろ自身を「アイコン」化して人々に定着させるための手段としてマスクを被っている点が実に当世的と言えますね。
ドラマに比重を置いた作品である故に必然ヒーローものらしいアクションは少なめですが、妙に生っぽいステゴロファイトが目立つことと、バットモービルでのカーチェイスシーンだけは派手さに振り切った画面を作っているので割とメリハリは効いており、退屈な作品と言うことはありません。
際立って印象的なのは、裏社会も表社会も腐敗が充満したゴッサムシティの陰鬱な空気を表現するかのような映像の「暗さ」です。昼間のシーンが少ないことも手伝って全編に渡って「暗い」(比喩ではなく本当に暗い)映像が続くのですが、そうであるにも関わらず「何をやってるか分からないシーンが無い」というのに驚きます。撮影機材や明度の調整を繊細に行った結果かなとは思いますが、こういう映像を作れるとはと感心します。
その暗さこそが闇夜に浮かぶバットシグナルが悪を震え上がらせる恐怖の光ではなく、希望を差し照らす一条の光へと変わっていく物語を強く支えるのです。
今作の監督を務めたマット・リーブスは「猿の惑星:新世紀」などで知られた方ですが、敢えて根源へ迫るようなアプローチで挑むことでバットマン映画の新たな可能性を切り拓いてみせたと言えるでしょう。今作を皮切りに三部作を構想しているそうで、今後の展開が楽しみです。
個人的には結構お薦めしたい作品ではありますが、やはり176分は長すぎるというか、何人もの人がトイレに立って自分の前を通り過ぎるのを目にしたので、ご覧になる方はコンディション調整と水分補給のタイミングは十分に留意した上で臨んでください(笑)
こんばんは、小島@監督です。
プリキュアが普通に観られないと案外ダメージがでかい。おのれ犯人許すまじ。
さて、今回の映画は「THE BATMAN -ザ・バットマン-」です。
腐敗と汚わいがはびこる街・ゴッサムシティ。両親を殺された青年ブルース・ウェイン(ロバート・パティンソン)は復讐を誓い、夜になるとマスクとスーツで身を覆い、「バットマン」として悪党を叩き伏せる日々を送っている。
ある時、次期選挙を控えたゴッサムシティ市長ドン・ミッチェル・ジュニア(ルパート・ペンリー=ジョーンズ)が殺害された。殺害現場にバットマンに宛てたメッセージカードを発見したゴードン警部補(ジェフリー・ライト)は、現場にバットマンを呼び寄せる。カードにはなぞなぞが書かれていた。「リドラー」(ポール・ダノ)と名乗る何者かがバットマンに挑戦してきたのだ。
時代の傍らで頻繁に映像化される「バットマン」。一番最初の映画化は1943年と言いますからもう80年近い歴史があります。近年でもドラマシリーズ「ゴッサム」と「タイタンズ」にそれぞれ登場しますし、映画の方でも「DCエクステンデッドユニバース(DCEU)」の「バットマンVSスーパーマン」「ジャスティス・リーグ」でベン・アフレックがブルース・ウェインを演じており、今後公開予定の「FLASH」にも出演することが報じられていますが、今回公開された「ザ・バットマン」はそれとは別扱いの新しいシリーズの幕開けとして製作されました。更に言うと2019年に製作され高い評価を得た「ジョーカー」とも関りが無いため、ちょっとややこしい感じになっていますが、取り敢えず「新しいバットマンが来た」と思って頂ければ良いでしょう(笑)
バットマン映画史上最長となる176分という時間を使って語られるのは、言うなれば本格的なディテクティブ・ストーリー。リドラーが何者か、目的は何なのか。その行動に翻弄されながらブルース・ウェインはゴードン警部補と共に真相を追求していきます。その過程を非常に丹念に描いており、またその中でバットマンの正義が揺らぎ、自身のアイデンティティーが確立していく様をも活写していくため3時間近い尺を必要としたのも納得できる構図をしています。そもそもバットマンは探偵やミステリのアンソロジー・コミック誌であった「ディテクティブ・コミック」でデビューしたヒーローであると言うことを思えば今回の作劇方針は「原点回帰」とも言えます。その一方でバットマンにしろリドラーにしろ、素性を隠すというよりむしろ自身を「アイコン」化して人々に定着させるための手段としてマスクを被っている点が実に当世的と言えますね。
ドラマに比重を置いた作品である故に必然ヒーローものらしいアクションは少なめですが、妙に生っぽいステゴロファイトが目立つことと、バットモービルでのカーチェイスシーンだけは派手さに振り切った画面を作っているので割とメリハリは効いており、退屈な作品と言うことはありません。
際立って印象的なのは、裏社会も表社会も腐敗が充満したゴッサムシティの陰鬱な空気を表現するかのような映像の「暗さ」です。昼間のシーンが少ないことも手伝って全編に渡って「暗い」(比喩ではなく本当に暗い)映像が続くのですが、そうであるにも関わらず「何をやってるか分からないシーンが無い」というのに驚きます。撮影機材や明度の調整を繊細に行った結果かなとは思いますが、こういう映像を作れるとはと感心します。
その暗さこそが闇夜に浮かぶバットシグナルが悪を震え上がらせる恐怖の光ではなく、希望を差し照らす一条の光へと変わっていく物語を強く支えるのです。
今作の監督を務めたマット・リーブスは「猿の惑星:新世紀」などで知られた方ですが、敢えて根源へ迫るようなアプローチで挑むことでバットマン映画の新たな可能性を切り拓いてみせたと言えるでしょう。今作を皮切りに三部作を構想しているそうで、今後の展開が楽しみです。
個人的には結構お薦めしたい作品ではありますが、やはり176分は長すぎるというか、何人もの人がトイレに立って自分の前を通り過ぎるのを目にしたので、ご覧になる方はコンディション調整と水分補給のタイミングは十分に留意した上で臨んでください(笑)
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先日新型コロナの3回目のワクチンを接種してきました。
まぁ良い感じに熱が出ましたね(笑)結構急速に体温上昇して引くときもスッと平熱に戻っていく感覚は何とも不思議ですが実際に感染して発症したらこれどころでは済まないと思えば楽なものです。
こんばんは、小島@監督です。
何にしてももうそろそろ終わって欲しいものですね。
さて、今回の映画は「ナイル殺人事件」です。
莫大な遺産を相続したリネット(ガル・ガドット)は、親友のジャクリーン(エマ・マッキー)から婚約者のサイモン(アーミー・ハマー)を紹介される。ジャクリーンはサイモンが失業したためリネットの不動産管理人として雇って欲しいと頼みに来たのだ。しかしリネットはサイモンに一目惚れ。2人は意気投合してしまい、あろうことかサイモンはジャクリーンとの婚約を解消してリネットとの結婚を決めてしまった。
新婚旅行にエジプトを訪れたリネットとサイモン。しかし旅先に2人を追ってジャクリーンが現れた。行く先々で執拗に追い続けるジャクリーンに神経をすり減らした2人は休養でエジプトを訪れた探偵のポアロ(ケネス・ブラナー)に助けを求めるのだった。
アガサ・クリスティーが生み出した不世出の名探偵、「灰色の脳細胞」と口ひげが特徴のエルキュール・ポアロ。1931年に「アリバイ」のタイトルで「アクロイド殺し」が映画化されて以降洋の東西を問わず何度も映像化されてきた定番の題材となっています。作品の中には世界各地の景勝地を舞台にした「旅行もの」と呼ばれるものも多く、今回映画化された「ナイル殺人事件」(「ナイルに死す」)もそんな「旅行もの」の傑作と呼ばれる1編。1978年にピーター・ユスティノフ主演で映画化されたこともあります。今回は2017年に公開された「オリエント急行殺人事件」の続編として前作から引き続きケネス・ブラナーの監督・主演での映画化になります。当初2020年の公開予定でしたがコロナ禍により途中で回数を数えるのをやめるほどの度重なる延期。配信にフォーマットを移してしまうのかと危惧されもしましたが、2年越しで遂に公開です。私も気長によく待ってたものよ。
前作より更に深化したような、数々の「愛」が交錯する情念の物語を、シェイクスピア劇の映画化などで知られるケネス・ブラナーの手腕が存分に発揮された実に重厚な作品です。キャスト、衣裳や小道具、舞台設定、全てが華やか。エキゾチックな雰囲気と細部まで神経の行き届いた映像のスケールも素晴らしく、これぞ大作と言った趣です。しかも驚くのが作中に登場するアブ・シンベル神殿もカタラクト・ホテルも、後半の主舞台となるクルーザー「カルナック号」も全てがセット。何とゴージャス。撮影に使われた65㎜フィルム(近年では「TENET/テネット」でも用いられた)フォーマットによって豪華な出演陣の芝居を極端にクローズアップすることなく大きくワンショットで納めてみせる、縦横無尽でありながらもどっしりしたカメラワークが物語の没入度を高めてくれます。
基本的なプロットは原作に忠実なものの、原作にいない人物が登場したり、原作に無いエピソードが語られたり、設定を組み替えると言ったアレンジが各所に施され、複雑に絡む愛情が結果的に大きな喪失へと繋がっていく物語に更なる深彫りと陰影を加えます。原作に対し現代的なアップデートを試み物語を深化させたシナリオを書いたのはマイケル・グリーン。「LOGAN/ローガン」「ブレードランナー2049」などの脚本を手掛けた人物です。近年では重厚な作品が多いものの初期には「グリーン・ランタン」なんて怪作もありますが(笑)、今作では紛れ無く研ぎ澄まされたストーリーの妙を存分に楽しめます。
ゴージャスにして重厚。映画館で楽しむのに打ってつけの1本です。日常の憂さを一時忘れる非日常感と極上のミステリーを是非スクリーンでどうぞ。
まぁ良い感じに熱が出ましたね(笑)結構急速に体温上昇して引くときもスッと平熱に戻っていく感覚は何とも不思議ですが実際に感染して発症したらこれどころでは済まないと思えば楽なものです。
こんばんは、小島@監督です。
何にしてももうそろそろ終わって欲しいものですね。
さて、今回の映画は「ナイル殺人事件」です。
莫大な遺産を相続したリネット(ガル・ガドット)は、親友のジャクリーン(エマ・マッキー)から婚約者のサイモン(アーミー・ハマー)を紹介される。ジャクリーンはサイモンが失業したためリネットの不動産管理人として雇って欲しいと頼みに来たのだ。しかしリネットはサイモンに一目惚れ。2人は意気投合してしまい、あろうことかサイモンはジャクリーンとの婚約を解消してリネットとの結婚を決めてしまった。
新婚旅行にエジプトを訪れたリネットとサイモン。しかし旅先に2人を追ってジャクリーンが現れた。行く先々で執拗に追い続けるジャクリーンに神経をすり減らした2人は休養でエジプトを訪れた探偵のポアロ(ケネス・ブラナー)に助けを求めるのだった。
アガサ・クリスティーが生み出した不世出の名探偵、「灰色の脳細胞」と口ひげが特徴のエルキュール・ポアロ。1931年に「アリバイ」のタイトルで「アクロイド殺し」が映画化されて以降洋の東西を問わず何度も映像化されてきた定番の題材となっています。作品の中には世界各地の景勝地を舞台にした「旅行もの」と呼ばれるものも多く、今回映画化された「ナイル殺人事件」(「ナイルに死す」)もそんな「旅行もの」の傑作と呼ばれる1編。1978年にピーター・ユスティノフ主演で映画化されたこともあります。今回は2017年に公開された「オリエント急行殺人事件」の続編として前作から引き続きケネス・ブラナーの監督・主演での映画化になります。当初2020年の公開予定でしたがコロナ禍により途中で回数を数えるのをやめるほどの度重なる延期。配信にフォーマットを移してしまうのかと危惧されもしましたが、2年越しで遂に公開です。私も気長によく待ってたものよ。
前作より更に深化したような、数々の「愛」が交錯する情念の物語を、シェイクスピア劇の映画化などで知られるケネス・ブラナーの手腕が存分に発揮された実に重厚な作品です。キャスト、衣裳や小道具、舞台設定、全てが華やか。エキゾチックな雰囲気と細部まで神経の行き届いた映像のスケールも素晴らしく、これぞ大作と言った趣です。しかも驚くのが作中に登場するアブ・シンベル神殿もカタラクト・ホテルも、後半の主舞台となるクルーザー「カルナック号」も全てがセット。何とゴージャス。撮影に使われた65㎜フィルム(近年では「TENET/テネット」でも用いられた)フォーマットによって豪華な出演陣の芝居を極端にクローズアップすることなく大きくワンショットで納めてみせる、縦横無尽でありながらもどっしりしたカメラワークが物語の没入度を高めてくれます。
基本的なプロットは原作に忠実なものの、原作にいない人物が登場したり、原作に無いエピソードが語られたり、設定を組み替えると言ったアレンジが各所に施され、複雑に絡む愛情が結果的に大きな喪失へと繋がっていく物語に更なる深彫りと陰影を加えます。原作に対し現代的なアップデートを試み物語を深化させたシナリオを書いたのはマイケル・グリーン。「LOGAN/ローガン」「ブレードランナー2049」などの脚本を手掛けた人物です。近年では重厚な作品が多いものの初期には「グリーン・ランタン」なんて怪作もありますが(笑)、今作では紛れ無く研ぎ澄まされたストーリーの妙を存分に楽しめます。
ゴージャスにして重厚。映画館で楽しむのに打ってつけの1本です。日常の憂さを一時忘れる非日常感と極上のミステリーを是非スクリーンでどうぞ。
まさか木魚で誕生日を祝う光景を目撃するとは。
いや、先週末に開催された「ウマ娘 プリティーダービー 4th EVENT SPECIAL DREAMERS!! 東京公演」でのひと幕です。配信で観てました。出演者の1人がその日誕生日なのでサプライズでお祝いする、という状況なのですが何せその直前でやってたことが木魚叩きながら歌うパフォーマンス。実にシュール。他にカッコいい曲もキュートな曲も色々あったのにコレのインパクトがあまりに強すぎました。
こんばんは、小島@監督です。
さすがゴルシ。恐るべしゴルシ。
さて、今回の映画は「アンチャーテッド」です。
ネイサン(ネイト)・ドレイク(トム・ホランド)は、唯一の肉親であるサムと生き別れ現在はニューヨークでバーテンダーとして働いている。器用にボトルを扱う手さばきとスリの腕前を買われトレジャーハンターのサリバン(サリー)(マーク・ウォルバーグ)にスカウトされ、ネイサンは50億ドルはくだらないと言われる財宝を探すことに。
その手掛かりとなる「黄金の十字架」を手に入れるため、それが出品されるオークションへ向かったネイトとサリーは、そこで自分たちと同様に財宝を狙う富豪のサンティアゴ・モンカーダ(アントニオ・バンデラス)と彼に雇われた傭兵のジョー・ブラドック(タティ・ブラドック)と出会うことになる。
シリーズ累計で4,000万本を超す世界的人気を誇るアドベンチャーゲーム・シリーズ「アンチャーテッド」、「プレイする映画」とまで言われた同タイトルが「スパイダーマン」シリーズのトム・ホランドを主演に迎え、「ゾンビランド」や「ヴェノム」を手掛けたルーベン・フライシャーの監督により満を持しての映画化です。遂にコントローラーを持ってQTEの緊張感にビビらなくても良くなりました(笑)
冒頭の飛行機でのスタントから原作を知っているとフフッとなるシチュエーションと、ゲームの内容をなぞるだけに終わらないアイディアの数々が上手く噛み合った、実に楽しい1本です。決して物語が深刻な方向へは向かないお気楽なテイストも良いですね。序盤にポンポンと状況を整えたらあとはノンストップというハイテンポなドライブ感が心地良い。荒唐無稽な物語を盛り立てるのは主演トム・ホランドの高い身体能力。「スパイダーマン」だともう少し線の細いイメージでしたがこちらではバキバキに鍛え上げたバルクを以てマッシヴでパワフルかつスピーディーなアクションを楽しませてくれます。相棒となるサリー役マーク・ウォルバーグとの掛け合いも楽しく、キャラクターが上手く際立っているので原作を知らなくても十分に楽しめるでしょう。
ところでトム・ホランド、この役のためにわざわざバーテンダーとして一時期実際に勤務していたそうで、作中でのシーンは少ないもののかなり本格的なフレアバーテンディングを披露しており、そこも見どころの一つです。
「インディ・ジョーンズ」や「ハムナプトラ」など時代時代で作られてきた王道のアドベンチャー映画、近年はハリウッド大作もマーベルやDCのヒーロー映画やシリーズ作品が幅を利かせている中でゲーム原作とは言えスタンドアローンでこういった作品が登場する余地がまだあるのは嬉しい限り。116分と2時間に収まる上映時間も丁度いい塩梅で、こういう程よく気楽な大作というのは年に2,3本くらいは観たいもの。
唯一残念なのはこの映画、パンフレットが作られていないという点です。近年は大作映画と言えども製作されないことが増えてきているとはいえ何とも寂しい。こういう作品はちょっと派手な表紙のパンフレットを小脇に抱えて何ならポップコーンとコーラも携えてウキウキしながら観るのが楽しいので、どうやら続編も決まったらしいですし次回作では是非ともパンフレットを製作して欲しいですね。買いますから!ちゃんと!
いや、先週末に開催された「ウマ娘 プリティーダービー 4th EVENT SPECIAL DREAMERS!! 東京公演」でのひと幕です。配信で観てました。出演者の1人がその日誕生日なのでサプライズでお祝いする、という状況なのですが何せその直前でやってたことが木魚叩きながら歌うパフォーマンス。実にシュール。他にカッコいい曲もキュートな曲も色々あったのにコレのインパクトがあまりに強すぎました。
こんばんは、小島@監督です。
さすがゴルシ。恐るべしゴルシ。
さて、今回の映画は「アンチャーテッド」です。
ネイサン(ネイト)・ドレイク(トム・ホランド)は、唯一の肉親であるサムと生き別れ現在はニューヨークでバーテンダーとして働いている。器用にボトルを扱う手さばきとスリの腕前を買われトレジャーハンターのサリバン(サリー)(マーク・ウォルバーグ)にスカウトされ、ネイサンは50億ドルはくだらないと言われる財宝を探すことに。
その手掛かりとなる「黄金の十字架」を手に入れるため、それが出品されるオークションへ向かったネイトとサリーは、そこで自分たちと同様に財宝を狙う富豪のサンティアゴ・モンカーダ(アントニオ・バンデラス)と彼に雇われた傭兵のジョー・ブラドック(タティ・ブラドック)と出会うことになる。
シリーズ累計で4,000万本を超す世界的人気を誇るアドベンチャーゲーム・シリーズ「アンチャーテッド」、「プレイする映画」とまで言われた同タイトルが「スパイダーマン」シリーズのトム・ホランドを主演に迎え、「ゾンビランド」や「ヴェノム」を手掛けたルーベン・フライシャーの監督により満を持しての映画化です。遂にコントローラーを持ってQTEの緊張感にビビらなくても良くなりました(笑)
冒頭の飛行機でのスタントから原作を知っているとフフッとなるシチュエーションと、ゲームの内容をなぞるだけに終わらないアイディアの数々が上手く噛み合った、実に楽しい1本です。決して物語が深刻な方向へは向かないお気楽なテイストも良いですね。序盤にポンポンと状況を整えたらあとはノンストップというハイテンポなドライブ感が心地良い。荒唐無稽な物語を盛り立てるのは主演トム・ホランドの高い身体能力。「スパイダーマン」だともう少し線の細いイメージでしたがこちらではバキバキに鍛え上げたバルクを以てマッシヴでパワフルかつスピーディーなアクションを楽しませてくれます。相棒となるサリー役マーク・ウォルバーグとの掛け合いも楽しく、キャラクターが上手く際立っているので原作を知らなくても十分に楽しめるでしょう。
ところでトム・ホランド、この役のためにわざわざバーテンダーとして一時期実際に勤務していたそうで、作中でのシーンは少ないもののかなり本格的なフレアバーテンディングを披露しており、そこも見どころの一つです。
「インディ・ジョーンズ」や「ハムナプトラ」など時代時代で作られてきた王道のアドベンチャー映画、近年はハリウッド大作もマーベルやDCのヒーロー映画やシリーズ作品が幅を利かせている中でゲーム原作とは言えスタンドアローンでこういった作品が登場する余地がまだあるのは嬉しい限り。116分と2時間に収まる上映時間も丁度いい塩梅で、こういう程よく気楽な大作というのは年に2,3本くらいは観たいもの。
唯一残念なのはこの映画、パンフレットが作られていないという点です。近年は大作映画と言えども製作されないことが増えてきているとはいえ何とも寂しい。こういう作品はちょっと派手な表紙のパンフレットを小脇に抱えて何ならポップコーンとコーラも携えてウキウキしながら観るのが楽しいので、どうやら続編も決まったらしいですし次回作では是非ともパンフレットを製作して欲しいですね。買いますから!ちゃんと!
連日トップで報じられてしまいますしTwitterなどでも頻繁に言及されるため、さすがにロシアによるウクライナ侵攻は意識を向けざるを得ません。まさか前世紀的な大国の侵略を生きている内に目にする日が来ようとは。長引く疫病禍だけでも十分キツいのに戦乱まで。第一次大戦期の人々も、この様な不安を抱えていたのでしょうか。
こんばんは、小島@監督です。
ただひたすらに早期の解決を望みます。
さて、今回の映画は「ウエスト・サイド・ストーリー」です。
1950年代、ニューヨーク。再開発が進み立ち退きと取り壊しが進むウエスト・サイド。この街にはポーランド系移民の若者で組織された「ジェッツ」とプエルトリコ系移民の「シャークス」という2つのストリートギャングたちが抗争を繰り広げていた。
シャークスのリーダーであるベルナルド(デヴィッド・アルバレス)の妹マリア(レイチェル・ゼグラー)はニューヨークでの初めてのダンスパーティーでトニー(アンセル・エルゴート)と出会う。二人は瞬く間に恋に落ちるが、トニーはジェッツに縁のある青年であり、二人の恋心をよそにジェッツとシャークスは街の縄張りを賭けた集団決闘へと突き進んでいった…
アーサー・ローレンツ(脚本)、レナード・バーンスタイン(作曲)とスティーヴン・ソンドハイム(作詞)が手掛けたブロードウェイミュージカルをロバート・ワイズが映画化したのは1961年のこと。アカデミー賞で10部門を受賞したミュージカル映画の金字塔として今なお燦然と輝いています。半世紀以上の時を経てこの映画をリメイクしたのは巨匠スティーブン・スピルバーグ。「インディ・ジョーンズ/魔宮の伝説」などでそれっぽいシーンを入れ込ませたことは過去にもありましたが本格的なミュージカル映画は実は初めてだそうです。
設定は多少変更されているものの物語の筋立てそのものはロバート・ワイズ版とほとんど変わりません。何なら上映時間もほぼ同じです。この辺りは原典に対するリスペクトの現れでしょう。ただ、だからこそ「変更されている設定」が活きてくる部分があります。原作にはない再開発が進む街の姿がその中で抗争を続けるジェッツとシャークスの姿は、どちらも移民であることも相まってその無益で不毛なさまをより鮮明にあぶり出します。その虚しさは同時に価値観の相違が深刻な分断を生んでいるアメリカ社会の戯画化でもあるのでしょう。
深掘りすればポーランドは18世紀末にいわゆる「ポーランド分割」によって一度領土を完全に失いその際に大量の移民が新大陸を目指した経緯があり、アメリカのコモンウェルス(自治連邦区)であるプエルトリコもこの作品の時代背景である1950年代に独立運動が過激化して当時のトルーマン大統領の暗殺未遂事件が起きるなど騒乱の様相を呈しており、その流れの中で多くの人々が新天地を求めてアメリカ本土へ流れて来たりしています。どちらもが分断と喪失の果てにアメリカを目指した者達であり、その彼等同士の間でも対立と分断が起きているのです。
ただ、この映画の凄いところはそんな小難しいところにあるのではなく、単純に映像のパワーがとんでもない、その一点につきます。スピルバーグ監督はもちろんのこと撮影監督であるヤヌス・カミンスキーの手腕が存分に活かされたカメラワークがもう絶品。ロバート・ワイズが映画化した1961年ではまだ機材や技術的に不可能だったこともあったでしょうがそれを差し引いても今作の映像のダイナミズムはずば抜けています。カメラアングルの妙、衣裳や背景など画面を構成する色彩感覚、主要人物だけでなくアンサンブルまでも含めた人物の動きの連なり、そして古びる事なく輝きを放つ音楽、それら全てが織りなす映像が圧巻。まさに細部まで計算され尽くした巨匠の技を156分の上映時間で存分に堪能できます。
古い物語を現代に蘇らせる意味を熟知した、現代に生まれるべくして生まれた映画と言えるこの逸品。こういうのこそ映画館のスクリーンで味わう意味のある作品でしょう。普段ミュージカル映画は観ないという方も、この練達の映像は是非味わって頂きたいですね。
こんばんは、小島@監督です。
ただひたすらに早期の解決を望みます。
さて、今回の映画は「ウエスト・サイド・ストーリー」です。
1950年代、ニューヨーク。再開発が進み立ち退きと取り壊しが進むウエスト・サイド。この街にはポーランド系移民の若者で組織された「ジェッツ」とプエルトリコ系移民の「シャークス」という2つのストリートギャングたちが抗争を繰り広げていた。
シャークスのリーダーであるベルナルド(デヴィッド・アルバレス)の妹マリア(レイチェル・ゼグラー)はニューヨークでの初めてのダンスパーティーでトニー(アンセル・エルゴート)と出会う。二人は瞬く間に恋に落ちるが、トニーはジェッツに縁のある青年であり、二人の恋心をよそにジェッツとシャークスは街の縄張りを賭けた集団決闘へと突き進んでいった…
アーサー・ローレンツ(脚本)、レナード・バーンスタイン(作曲)とスティーヴン・ソンドハイム(作詞)が手掛けたブロードウェイミュージカルをロバート・ワイズが映画化したのは1961年のこと。アカデミー賞で10部門を受賞したミュージカル映画の金字塔として今なお燦然と輝いています。半世紀以上の時を経てこの映画をリメイクしたのは巨匠スティーブン・スピルバーグ。「インディ・ジョーンズ/魔宮の伝説」などでそれっぽいシーンを入れ込ませたことは過去にもありましたが本格的なミュージカル映画は実は初めてだそうです。
設定は多少変更されているものの物語の筋立てそのものはロバート・ワイズ版とほとんど変わりません。何なら上映時間もほぼ同じです。この辺りは原典に対するリスペクトの現れでしょう。ただ、だからこそ「変更されている設定」が活きてくる部分があります。原作にはない再開発が進む街の姿がその中で抗争を続けるジェッツとシャークスの姿は、どちらも移民であることも相まってその無益で不毛なさまをより鮮明にあぶり出します。その虚しさは同時に価値観の相違が深刻な分断を生んでいるアメリカ社会の戯画化でもあるのでしょう。
深掘りすればポーランドは18世紀末にいわゆる「ポーランド分割」によって一度領土を完全に失いその際に大量の移民が新大陸を目指した経緯があり、アメリカのコモンウェルス(自治連邦区)であるプエルトリコもこの作品の時代背景である1950年代に独立運動が過激化して当時のトルーマン大統領の暗殺未遂事件が起きるなど騒乱の様相を呈しており、その流れの中で多くの人々が新天地を求めてアメリカ本土へ流れて来たりしています。どちらもが分断と喪失の果てにアメリカを目指した者達であり、その彼等同士の間でも対立と分断が起きているのです。
ただ、この映画の凄いところはそんな小難しいところにあるのではなく、単純に映像のパワーがとんでもない、その一点につきます。スピルバーグ監督はもちろんのこと撮影監督であるヤヌス・カミンスキーの手腕が存分に活かされたカメラワークがもう絶品。ロバート・ワイズが映画化した1961年ではまだ機材や技術的に不可能だったこともあったでしょうがそれを差し引いても今作の映像のダイナミズムはずば抜けています。カメラアングルの妙、衣裳や背景など画面を構成する色彩感覚、主要人物だけでなくアンサンブルまでも含めた人物の動きの連なり、そして古びる事なく輝きを放つ音楽、それら全てが織りなす映像が圧巻。まさに細部まで計算され尽くした巨匠の技を156分の上映時間で存分に堪能できます。
古い物語を現代に蘇らせる意味を熟知した、現代に生まれるべくして生まれた映画と言えるこの逸品。こういうのこそ映画館のスクリーンで味わう意味のある作品でしょう。普段ミュージカル映画は観ないという方も、この練達の映像は是非味わって頂きたいですね。
先週Aqoursのライブを堪能した後、今度は配信の方で「THE IDOLM@STER MILLION LIVE! 8thLIVE Twelw@ve」を鑑賞。結果的に有休消化の6連休は大半ライブを観て過ごした格好です。しかもラブライブとアイマス(笑)。
本当はアイマスの方も現地チケットを一度は手に入れていたのですが、この不安定なご時世で遠征するのに心理的なブレーキが働いてしまい流してしまいました。早く憂いなくライブ遠征できる日々が戻って欲しいですね。
こんばんは、小島@監督です。
ミリオンライブは来年早々に武道館でのライブを予定している事が発表されて、今度こそ現地勢したいものよ。実はアイマス関連でミリオンだけ未だに現地で観たことが無いもので、このままでは終われませぬ。
さて、今回の映画は「ゴーストバスターズ アフターライフ」です。
家賃滞納でアパートを追い出されたキャリー(キャリー・クーン)と息子トレヴァー(フィン・ウルフハード)、娘フィービー(マッケナ・グレイス)の一家は亡き父の遺したオクラホマ州サマーヴィルの農場へ移ってきた。フィービーはそこに見慣れない装置がいくつもあるのに興味を示す。その内の一つをサマースクールへ持って行くと、教師のグルーパーソン(ポール・ラッド)からそれはかつてニューヨークで活躍した「ゴーストバスターズ」が使っていたものではないかというのだ。
フィービーとグルーパーソン、クラスメイトのポッドキャスト(ローガン・キム)がその装置を起動させると、突然何かが飛び出していて去っていった…!
80年代を代表する作品の一つと言っていい「ゴーストバスターズ」、2016年にもリブート版が製作されましたが、正式に続編となる映画が製作されました。コメディ映画の旗手でもあったアイヴァン・ライトマンが手掛けたシリーズを受け継いだのは、息子であるジェイソン・ライトマン。「JUNO/ジュノ」(2007年)「マイレージ、マイライフ」(2009年)などを手掛け高い評価を得た人物です。どちらもコメディを得意としながらスタイルの違う映画を作り上げる父子がタッグを組み、手堅い印象の一本が出来上がりました。
どちらかと言えば賑やかな大作を得意とした父アイヴァンと違い、息子ジェイソンはしっかりした人物描写の小品を得意とするタイプで、今作でもそのテイストが存分に生きた作品になっています。物語のロケーションが大都市ニューヨークからオクラホマの田舎町へ移っているのが最たるところでしょう。映像の迫力がさすが大作規模というところですが、一方で物語のスケールは非常にコンパクトです。かつては賑わっていたものの今は寂れていくばかりの田舎町、そこに潜む謎や怪異と戦う少年少女、というのはどこかスティーブン・キングの小説を思わせるものがあります。サマースクールを受け持つグルーパーソンが生徒たちに見せるビデオが「クジョー」(1983年。スティーブン・キング原作)というのはもう分かっててやってるとしか(笑)
主人公となる少女フィービーにしてもポッドキャストにしても世間一般からちょっと浮いたようなキャラとして描かれていたり、母キャリーがシングルマザーとして苦労を重ねているところなど全体の途上人物が少ないからこそできる人物造形の妙が随所で光り、それらが物語の中でちゃんと活きていて終盤には家族の再生劇に繋がっていく構成も楽しい。少年少女のひと夏の冒険譚でもあり、レイ・パーカー・ジュニアのあのテーマ曲も相まってある種のノスタルジーを覚え、それがまた心地良くもある作品です。
「ゴーストバスターズ」は1984年に1作目、2作目が1989年に製作されたのち、3作目の企画が度々上がるものの出演者の足並みが揃わずに難航し、2014年にスペングラー博士役のハロルド・ライミスが急逝したことで製作が頓挫。企画自体は2016年に製作されたリブート版の基礎になっていきます。2016年版を手掛けたポール・フェイグは続編ではなく女性4人チームの物語として再出発され、興行的に大成功を収めました。そのヒットが今作誕生のきっかけになっているという紆余曲折な経緯を持っています。
そして奇しくもプロデューサーとして参加したこの映画がアイヴァン・ライトマンにとって最期の作品となったのは奇妙な運命の巡り合わせとしか言いようがありません。
製作中、アイヴァンはジェイソンの仕事ぶりをずっと横で見ていたそうです。作中フィービーは祖父の遺志を継ぐ決意をしますが、製作規模としては初めての大作となる作品を「ゴーストバスターズ」のスピリットを受け継ぎながらも自身の持ち味を崩すことなく仕上げていく息子ジェイソンの姿を観てアイヴァンはきっと満足していたことでしょう。
コメディを主戦場に活躍を続けたアイヴァン・ライトマン、アクションスターだったアーノルド・シュワルツェネッガーに「ツインズ」(1988年)でコメディへの道を開いたのも大きな功績の一つでした。映画史に着実にその足跡を残した偉大なクリエイターに最大限の敬意をこめて。
Rest in peace。
本当はアイマスの方も現地チケットを一度は手に入れていたのですが、この不安定なご時世で遠征するのに心理的なブレーキが働いてしまい流してしまいました。早く憂いなくライブ遠征できる日々が戻って欲しいですね。
こんばんは、小島@監督です。
ミリオンライブは来年早々に武道館でのライブを予定している事が発表されて、今度こそ現地勢したいものよ。実はアイマス関連でミリオンだけ未だに現地で観たことが無いもので、このままでは終われませぬ。
さて、今回の映画は「ゴーストバスターズ アフターライフ」です。
家賃滞納でアパートを追い出されたキャリー(キャリー・クーン)と息子トレヴァー(フィン・ウルフハード)、娘フィービー(マッケナ・グレイス)の一家は亡き父の遺したオクラホマ州サマーヴィルの農場へ移ってきた。フィービーはそこに見慣れない装置がいくつもあるのに興味を示す。その内の一つをサマースクールへ持って行くと、教師のグルーパーソン(ポール・ラッド)からそれはかつてニューヨークで活躍した「ゴーストバスターズ」が使っていたものではないかというのだ。
フィービーとグルーパーソン、クラスメイトのポッドキャスト(ローガン・キム)がその装置を起動させると、突然何かが飛び出していて去っていった…!
80年代を代表する作品の一つと言っていい「ゴーストバスターズ」、2016年にもリブート版が製作されましたが、正式に続編となる映画が製作されました。コメディ映画の旗手でもあったアイヴァン・ライトマンが手掛けたシリーズを受け継いだのは、息子であるジェイソン・ライトマン。「JUNO/ジュノ」(2007年)「マイレージ、マイライフ」(2009年)などを手掛け高い評価を得た人物です。どちらもコメディを得意としながらスタイルの違う映画を作り上げる父子がタッグを組み、手堅い印象の一本が出来上がりました。
どちらかと言えば賑やかな大作を得意とした父アイヴァンと違い、息子ジェイソンはしっかりした人物描写の小品を得意とするタイプで、今作でもそのテイストが存分に生きた作品になっています。物語のロケーションが大都市ニューヨークからオクラホマの田舎町へ移っているのが最たるところでしょう。映像の迫力がさすが大作規模というところですが、一方で物語のスケールは非常にコンパクトです。かつては賑わっていたものの今は寂れていくばかりの田舎町、そこに潜む謎や怪異と戦う少年少女、というのはどこかスティーブン・キングの小説を思わせるものがあります。サマースクールを受け持つグルーパーソンが生徒たちに見せるビデオが「クジョー」(1983年。スティーブン・キング原作)というのはもう分かっててやってるとしか(笑)
主人公となる少女フィービーにしてもポッドキャストにしても世間一般からちょっと浮いたようなキャラとして描かれていたり、母キャリーがシングルマザーとして苦労を重ねているところなど全体の途上人物が少ないからこそできる人物造形の妙が随所で光り、それらが物語の中でちゃんと活きていて終盤には家族の再生劇に繋がっていく構成も楽しい。少年少女のひと夏の冒険譚でもあり、レイ・パーカー・ジュニアのあのテーマ曲も相まってある種のノスタルジーを覚え、それがまた心地良くもある作品です。
「ゴーストバスターズ」は1984年に1作目、2作目が1989年に製作されたのち、3作目の企画が度々上がるものの出演者の足並みが揃わずに難航し、2014年にスペングラー博士役のハロルド・ライミスが急逝したことで製作が頓挫。企画自体は2016年に製作されたリブート版の基礎になっていきます。2016年版を手掛けたポール・フェイグは続編ではなく女性4人チームの物語として再出発され、興行的に大成功を収めました。そのヒットが今作誕生のきっかけになっているという紆余曲折な経緯を持っています。
そして奇しくもプロデューサーとして参加したこの映画がアイヴァン・ライトマンにとって最期の作品となったのは奇妙な運命の巡り合わせとしか言いようがありません。
製作中、アイヴァンはジェイソンの仕事ぶりをずっと横で見ていたそうです。作中フィービーは祖父の遺志を継ぐ決意をしますが、製作規模としては初めての大作となる作品を「ゴーストバスターズ」のスピリットを受け継ぎながらも自身の持ち味を崩すことなく仕上げていく息子ジェイソンの姿を観てアイヴァンはきっと満足していたことでしょう。
コメディを主戦場に活躍を続けたアイヴァン・ライトマン、アクションスターだったアーノルド・シュワルツェネッガーに「ツインズ」(1988年)でコメディへの道を開いたのも大きな功績の一つでした。映画史に着実にその足跡を残した偉大なクリエイターに最大限の敬意をこめて。
Rest in peace。
実は何だかんだ最低日数も使えていなかった有休を消化するために只今6連休の真っ最中です。もう年度末も近いし飛び飛びで休みを取るのも面倒だったのでまとめて取ることにしました。こんな時期に体調不良でもないのに1週間近い休みを取った事無かったので何だか不思議な気分。
当初はアイマスライブを観るために遠征しようかと考えたりしていたのですが、このご時世で泊りがけの移動するのにちょいと躊躇してチケットを流してしまったので予定のほとんどが無くなってしまい、むしろ休みの直前に改めて思い立ったものを予定に突っ込んだりしていますが自宅にいる時間が多く、今のところ久しぶりにまとまったゲーム時間ができてるだけのような気も(笑)
こんばんは、小島@監督です。
ま、そうは言いながら取り敢えずまずは「マクロスΔ」を完走したりしましたね!
さて、一昨日の土曜日バンテリンドームまで「ラブライブ!サンシャイン!! Aqours 6th LoveLive! ~KU-RU-KU-RU Rock 'n' Roll TOUR~OCEAN STAGE」Day1を観に行ってきました。ええ!昨日のかときちさんのブログにも書かれていたのと同じヤツです!まさかのネタ被り!意外!
配信のライブはいくつか観てきましたが実際に現地で観るライブは実に10か月ぶり。「ラブライブ!」は2019年開催のバンナムフェスに出演していたのを観た事があるきりで単独ライブを現地勢するのは初めてです。
バックスクリーンのアニメ映像とステージの出演者たちの動きがシンクロする「μ’s」からの伝統ともいえるスタイルは健在。どころか3面あるスクリーンをフル活用してステージのパフォーマンスも最大限引き出して見せて進化が伺え、職人的な編集の技を堪能できます。配信で鑑賞していた方はあれを観ていたのでしょうか。うっかりするとそちらばかり観てしまいそうなくらいでした。
昨年の大みそかに開催されていたカウントダウンライブではMCパートを充実させていたり、事前に収録したラジオ番組風のトークを流し番組内で曲が使われている、という体で曲の方をライブで見せると言ったパートがあったりと趣向に富んでいましたが、今回は変に奇をてらったようなことはせず、インターミッションで出演者が舞台裏に引いている最中は定番曲をヘヴィロックアレンジしたものをメドレーで流す(しかもこのアレンジがかなりカッコいい。音源が欲しくなりました)程度で、演出のスタイルとしては清々しいまでの全力全開の真っ向勝負。だからこそ昨今の状況を受けての発声禁止という中でも聴いてて時に涙目になってしまうほどボルテージが上がるステージでした。
以前から一度ちゃんと観てみたいと思っていた要素を満載にしてくれていたのも嬉しいところ。というか皆さん運動量凄いのに中でも特に渡辺曜役斉藤朱夏さんの一人ずば抜けて高い身体能力が見せるダンスのキレには痺れますね(笑)
ところでアンコール前に思わぬ光景が。
誰かが言い出して準備した人たちがいたのか、アリーナからスタンドにかけて、サインライトでAquors9人のイメージカラーで虹が出来上がったのです。驚いたものの「このビッグウェーブは乗るしかない!」と私もそのエリアの色でライト振りましたよ。アンコールで再登場した出演者たちが相当に驚いていて、黒澤ルビィ役降幡愛さんなどは感極まって涙声になってた当たり恒例行事というのでもないようで、かなり不思議で、でも壮観な光景でした。あれを直に観れたのは大きい。
もともと一昨年に5大ドームツアーが企画されていたAquorsでしたがコロナ禍で全て白紙となり、2年越しでようやく再始動できるかというところで今回もまたギリギリまで開催が危ぶまれるという中、出演者の皆さんもかなりの苦悩や葛藤を抱えてらしたようで、MCでは端々にそれが覗いていました。名古屋と埼玉の2会場で行われる今回のツアーですがこういう状況の中、次の公演が無事に開催されるかどうかも不安定。だからこそ今やれる全部をやり切ろうとしている出演者やスタッフ、そしてそれに応える観客たちが作り上げるステージ。
素敵なものが観れました。やっぱりライブって良いですね。
当初はアイマスライブを観るために遠征しようかと考えたりしていたのですが、このご時世で泊りがけの移動するのにちょいと躊躇してチケットを流してしまったので予定のほとんどが無くなってしまい、むしろ休みの直前に改めて思い立ったものを予定に突っ込んだりしていますが自宅にいる時間が多く、今のところ久しぶりにまとまったゲーム時間ができてるだけのような気も(笑)
こんばんは、小島@監督です。
ま、そうは言いながら取り敢えずまずは「マクロスΔ」を完走したりしましたね!
さて、一昨日の土曜日バンテリンドームまで「ラブライブ!サンシャイン!! Aqours 6th LoveLive! ~KU-RU-KU-RU Rock 'n' Roll TOUR~OCEAN STAGE」Day1を観に行ってきました。ええ!昨日のかときちさんのブログにも書かれていたのと同じヤツです!まさかのネタ被り!意外!
配信のライブはいくつか観てきましたが実際に現地で観るライブは実に10か月ぶり。「ラブライブ!」は2019年開催のバンナムフェスに出演していたのを観た事があるきりで単独ライブを現地勢するのは初めてです。
バックスクリーンのアニメ映像とステージの出演者たちの動きがシンクロする「μ’s」からの伝統ともいえるスタイルは健在。どころか3面あるスクリーンをフル活用してステージのパフォーマンスも最大限引き出して見せて進化が伺え、職人的な編集の技を堪能できます。配信で鑑賞していた方はあれを観ていたのでしょうか。うっかりするとそちらばかり観てしまいそうなくらいでした。
昨年の大みそかに開催されていたカウントダウンライブではMCパートを充実させていたり、事前に収録したラジオ番組風のトークを流し番組内で曲が使われている、という体で曲の方をライブで見せると言ったパートがあったりと趣向に富んでいましたが、今回は変に奇をてらったようなことはせず、インターミッションで出演者が舞台裏に引いている最中は定番曲をヘヴィロックアレンジしたものをメドレーで流す(しかもこのアレンジがかなりカッコいい。音源が欲しくなりました)程度で、演出のスタイルとしては清々しいまでの全力全開の真っ向勝負。だからこそ昨今の状況を受けての発声禁止という中でも聴いてて時に涙目になってしまうほどボルテージが上がるステージでした。
以前から一度ちゃんと観てみたいと思っていた要素を満載にしてくれていたのも嬉しいところ。というか皆さん運動量凄いのに中でも特に渡辺曜役斉藤朱夏さんの一人ずば抜けて高い身体能力が見せるダンスのキレには痺れますね(笑)
ところでアンコール前に思わぬ光景が。
誰かが言い出して準備した人たちがいたのか、アリーナからスタンドにかけて、サインライトでAquors9人のイメージカラーで虹が出来上がったのです。驚いたものの「このビッグウェーブは乗るしかない!」と私もそのエリアの色でライト振りましたよ。アンコールで再登場した出演者たちが相当に驚いていて、黒澤ルビィ役降幡愛さんなどは感極まって涙声になってた当たり恒例行事というのでもないようで、かなり不思議で、でも壮観な光景でした。あれを直に観れたのは大きい。
もともと一昨年に5大ドームツアーが企画されていたAquorsでしたがコロナ禍で全て白紙となり、2年越しでようやく再始動できるかというところで今回もまたギリギリまで開催が危ぶまれるという中、出演者の皆さんもかなりの苦悩や葛藤を抱えてらしたようで、MCでは端々にそれが覗いていました。名古屋と埼玉の2会場で行われる今回のツアーですがこういう状況の中、次の公演が無事に開催されるかどうかも不安定。だからこそ今やれる全部をやり切ろうとしている出演者やスタッフ、そしてそれに応える観客たちが作り上げるステージ。
素敵なものが観れました。やっぱりライブって良いですね。
大体いつもアッパーでどんな深刻な状況でも絶対にしんみりさせたままにはしておかない作風が印象的だった「トロピカル〜ジュ!プリキュア」が終了し、その余韻も冷めやらぬ中、新シリーズ「デリシャスパーティ♡プリキュア」がスタート。物語の導き手がオネエキャラと言うのも当世らしい感じですが、何より「500Kcalパンチ」の語感のインパクトが最高。また1年間楽しませてもらえそうです。
こんばんは、小島@監督です。
「食」がテーマの一つだけあり初回の料理作画のシズル感はどれもかなりのものでしたが、あのクオリティで1年間やり切れるのかしら。
さて、今回の映画は「大怪獣のあとしまつ」です。
突如襲来し、首都圏を蹂躙して人々を恐怖に陥れた大怪獣。しかし、突如として発現した原因不明の光により怪獣は死んだ。人々は歓喜に沸いたが一方で大きな問題が残された。
「この死体、誰が後始末するの?」
新たな観光資源として利用することも試みられたが巨大な死体は腐敗により徐々に膨張が進みいずれ大爆発を起こして周囲を汚染しかねないことが判明する。
巨大怪獣の死体処理というミッションを任されたのは首相直轄組織・特務隊の帯刀アラタ(山田涼介)だった。果たしてアラタは大爆発を阻止し怪獣の死体を後始末できるのか?
「映画」と言うのはやはり魔物。そしてある意味でギャンブルと言うのを迂闊にも忘れていました。特にコメディというのは結構難しい代物で、観る側のセンスと作り手のセンスが上手く噛み合えば爆発しますが相性によっては地獄を見ます。自宅で観ている分には合わなければさっさと止めてしまえば良いだけの話ですが、映画館で観るとなるとそうもいきません。だからコメディを観る時はそれなりに選んでるつもりだったんですが今回は思いっきり掴んでしまいました(苦笑)
倒した、あるいは倒れた怪獣をどうするか、という主題は一見ユニークに思えますが全く前例が無いわけでは無くむしろ結構使われてきたモチーフです。例えば「パシフィック・リム」(2013年)では怪獣の死体を始末する建設車両群やその死体を利用して漢方薬を作るブローカーなどが登場したりします。他にも「ウルトラマンティガ」(1996年)に漂着した怪獣の腐乱死体をどう対処するか、というエピソードがありますし「ゴジラxメカゴジラ」(2002年)ではゴジラの遺骸をベースにメカゴジラ「機龍」が建造されます。ただ、大抵は世界観をより掘り下げるためであったりTVシリーズの1エピソードのように短編で使われることが多いため、今作みたいにそれを長編映画の主題として製作されたのは初めてではないかと思います。なかなか攻めた着眼点を「インスタント沼」(2009年)「俺俺」(2013年)などシュールなシチュエーションの不条理劇を得意とする三木聡監督がどう料理するのか、という期待で鑑賞しました。
世界観の詰めがいささか甘くは感じたもののシナリオがどうしようもないほど破綻しているワケではありません。山田涼介、土屋太鳳、西田敏行、濱田岳を筆頭とした俳優陣の演技も悪くなく、小道具なども凝っていて映像やサウンドデザインも結構ちゃんと迫力があります。ですが、私には作中繰り出されるギャグとの相性が致命的に最悪でした。例えて言うならそう「職場の飲み会で上司が周囲が引いてるのも気づかず時代遅れでセクハラ紛いの下ネタを延々と喋り続けるのを聞く羽目に陥っている」というところでしょうか。しかもかなり冗長。この内容で上映時間115分は長すぎる。と言うかこの企画で良くこれだけの予算規模とキャストを獲得できたものと心底感心します。もっとずっとチープに出来ていればまだ納得出来る部分が多く、そのギャップの凄まじさに困惑しました。
また、恐らくある程度意識的にやっているのでしょうが、この映画、「パシフィック・リム」や「シン・ゴジラ」のパロディと思しきシーンも登場します。ですが結果的にそれが笑いに繋がるというよりこの2作が何を作品からオミットすることで評価を得るに至ったかを鮮明に浮き彫りにします。そんな映画が東宝ではなく松竹と東映の共同出資で製作・配給されているのも何とも皮肉めいています。
主題に対するアプローチの濃度がシーン単位で大きく乱高下するが故の観る側のスタンスの掴み辛さも手伝って、自分は映画については結構悪食だと思っていたのですが、観てるのがあまりに苦痛になり途中で席を立ちたい欲求に駆られるなどまだまだ修行が甘かったようです。これも経験と言い聞かせて何とか最後まで観ましたけれども。
公開直後からかなりの酷評に晒され炎上気味のこの映画、全国300館規模の公開作品にしてはかなり尖っていることとこれまでの特撮や怪獣映画をパロディ、というより下品に揶揄していると取れてしまうくだりがいくつも散見されるためそりゃあ脊髄反射的にキレる人も出てきてしまうだろうとは思います。が、一方で滅多に観られないタイプの作品であることも確か。もともと三木聡監督の作風が気に入ってる方なら尚更楽しめるでしょう。そうでない方も劇物扱いの映画がどういうものかを確かめてみたい人は鑑賞料金と2時間を投げ捨てるくらいのつもりで行けば、話のネタになるだけの映像体験ができるかもしれません。
こんばんは、小島@監督です。
「食」がテーマの一つだけあり初回の料理作画のシズル感はどれもかなりのものでしたが、あのクオリティで1年間やり切れるのかしら。
さて、今回の映画は「大怪獣のあとしまつ」です。
突如襲来し、首都圏を蹂躙して人々を恐怖に陥れた大怪獣。しかし、突如として発現した原因不明の光により怪獣は死んだ。人々は歓喜に沸いたが一方で大きな問題が残された。
「この死体、誰が後始末するの?」
新たな観光資源として利用することも試みられたが巨大な死体は腐敗により徐々に膨張が進みいずれ大爆発を起こして周囲を汚染しかねないことが判明する。
巨大怪獣の死体処理というミッションを任されたのは首相直轄組織・特務隊の帯刀アラタ(山田涼介)だった。果たしてアラタは大爆発を阻止し怪獣の死体を後始末できるのか?
「映画」と言うのはやはり魔物。そしてある意味でギャンブルと言うのを迂闊にも忘れていました。特にコメディというのは結構難しい代物で、観る側のセンスと作り手のセンスが上手く噛み合えば爆発しますが相性によっては地獄を見ます。自宅で観ている分には合わなければさっさと止めてしまえば良いだけの話ですが、映画館で観るとなるとそうもいきません。だからコメディを観る時はそれなりに選んでるつもりだったんですが今回は思いっきり掴んでしまいました(苦笑)
倒した、あるいは倒れた怪獣をどうするか、という主題は一見ユニークに思えますが全く前例が無いわけでは無くむしろ結構使われてきたモチーフです。例えば「パシフィック・リム」(2013年)では怪獣の死体を始末する建設車両群やその死体を利用して漢方薬を作るブローカーなどが登場したりします。他にも「ウルトラマンティガ」(1996年)に漂着した怪獣の腐乱死体をどう対処するか、というエピソードがありますし「ゴジラxメカゴジラ」(2002年)ではゴジラの遺骸をベースにメカゴジラ「機龍」が建造されます。ただ、大抵は世界観をより掘り下げるためであったりTVシリーズの1エピソードのように短編で使われることが多いため、今作みたいにそれを長編映画の主題として製作されたのは初めてではないかと思います。なかなか攻めた着眼点を「インスタント沼」(2009年)「俺俺」(2013年)などシュールなシチュエーションの不条理劇を得意とする三木聡監督がどう料理するのか、という期待で鑑賞しました。
世界観の詰めがいささか甘くは感じたもののシナリオがどうしようもないほど破綻しているワケではありません。山田涼介、土屋太鳳、西田敏行、濱田岳を筆頭とした俳優陣の演技も悪くなく、小道具なども凝っていて映像やサウンドデザインも結構ちゃんと迫力があります。ですが、私には作中繰り出されるギャグとの相性が致命的に最悪でした。例えて言うならそう「職場の飲み会で上司が周囲が引いてるのも気づかず時代遅れでセクハラ紛いの下ネタを延々と喋り続けるのを聞く羽目に陥っている」というところでしょうか。しかもかなり冗長。この内容で上映時間115分は長すぎる。と言うかこの企画で良くこれだけの予算規模とキャストを獲得できたものと心底感心します。もっとずっとチープに出来ていればまだ納得出来る部分が多く、そのギャップの凄まじさに困惑しました。
また、恐らくある程度意識的にやっているのでしょうが、この映画、「パシフィック・リム」や「シン・ゴジラ」のパロディと思しきシーンも登場します。ですが結果的にそれが笑いに繋がるというよりこの2作が何を作品からオミットすることで評価を得るに至ったかを鮮明に浮き彫りにします。そんな映画が東宝ではなく松竹と東映の共同出資で製作・配給されているのも何とも皮肉めいています。
主題に対するアプローチの濃度がシーン単位で大きく乱高下するが故の観る側のスタンスの掴み辛さも手伝って、自分は映画については結構悪食だと思っていたのですが、観てるのがあまりに苦痛になり途中で席を立ちたい欲求に駆られるなどまだまだ修行が甘かったようです。これも経験と言い聞かせて何とか最後まで観ましたけれども。
公開直後からかなりの酷評に晒され炎上気味のこの映画、全国300館規模の公開作品にしてはかなり尖っていることとこれまでの特撮や怪獣映画をパロディ、というより下品に揶揄していると取れてしまうくだりがいくつも散見されるためそりゃあ脊髄反射的にキレる人も出てきてしまうだろうとは思います。が、一方で滅多に観られないタイプの作品であることも確か。もともと三木聡監督の作風が気に入ってる方なら尚更楽しめるでしょう。そうでない方も劇物扱いの映画がどういうものかを確かめてみたい人は鑑賞料金と2時間を投げ捨てるくらいのつもりで行けば、話のネタになるだけの映像体験ができるかもしれません。