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ちゅうカラぶろぐ


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コロナ禍で歌会が休止になってこっちカラオケからだいぶ遠ざかってしまっていたのですが、昨日久しぶりに歌ってきました。いや~思った以上に歌唱力落ちててびっくりしました(苦笑)喋ると歌うでは使う筋肉って結構違うというか、月一ペースだったとしてもお腹から声出す時間作ってたのは割と大きかったのねと実感します。

 こんばんは、小島@監督です。
 ちょっと状況も落ち着いてきたし、また気軽にカラオケできるようになると良いなぁ。

 さて、今回の映画は「007/ノー・タイム・トゥ・ダイ」です。

 スペクターとの死闘の後、ジェームズ・ボンド(ダニエル・クレイグ)はマドレーヌ・スワン(レア・セドゥ)と共にイタリアを訪れていた。かつて愛した女性・ヴェスパーの墓参りに来たボンドは、そこでスペクターの残党たちの襲撃を受ける。どうにか敵を退けることに成功したもののマドレーヌの関与を疑ったボンドは彼女を信じられなくなり、2人は別れてしまった。
 それから5年後、MI6を退官したボンドはジャマイカで隠棲していた。
 ある時、ボンドの元を旧友であり元CIAエージェントのフェリックス・ライター(ジェフリー・ライト)が訪ねてくる。フェリックスはボンドにロンドンでスペクターに誘拐された細菌学者オブルチェフ(デヴィッド・デンシック)の救出を依頼するのだった。

 散々待たせやがって…!と言いたくなるくらい度重なる延期を乗り越え遂に007の新作が公開されました。そして15年間ジェームズ・ボンドを演じ続けたダニエル・クレイグの卒業となる作品です。

 半世紀以上に渡り続く「007」シリーズは、主人公ジェームズ・ボンドを誰が演じたかで作品の雰囲気を変えつつも骨格の部分では同じスタイルを貫いて作を重ねてきました。ですが6代目となるダニエル・クレイグが演じるに至り、「007」はその基本骨子を踏襲しながらもよりダイナミックかつエモーショナルに「ジェームズ・ボンド」というキャラクターを掘り下げて来るようになりました。何より5作品を通し物語に連続性を持たせたことが大きいです。「カジノ・ロワイヤル」(2006年)ではジェームズ・ボンドは00ナンバーを与えられたばかりの新米エージェントに過ぎず、まだ青臭さを残していました。続く「慰めの報酬」(2009年)では前作のラストシーン直後から始まる文字通りの続編であり、前作で為しえなかった復讐を遂げる物語でもありました。そして「スカイフォール」(2012年)では通過儀礼とも言うべきある事件を以て遂に1人前のエージェントに足る存在となったボンドは「スペクター」(2015年)でようやくこれまでのシリーズのようなワールドワイドなスケールと荒唐無稽さと共に宿敵となる存在と死闘を繰り広げます。
 そしてこれまでの4作を受けてダニエル・クレイグ・ボンドの最終作となる「ノー・タイム・トゥ・ダイ」ではこれまでの成長譚の総決算を行い万感込み上げる中で驚くような場所に物語が着地します。

 ボンド同様、物語の主線上にいるのが前作から引き続いてヒロインとなるマドレーヌ。今作のヴィランであるサフィン(ラミ・マレック)がボンドよりもむしろマドレーヌの方に因縁を宿したキャラクターとして登場し、そこにボンドとマドレーヌの因縁、更に前作でボンドの手により捕えられ獄中生活を送るブロフェルド(クリストフ・ヴァルツ)が絡んでくるなかなか複雑な構図をしています。それにより特に前半はかなり先読みのできない展開を見せてきます。しかも面白いことにその前半で一番目立つのはこの4人ではなく別の人物。ボンドをサポートすべくフェリックスが派遣した新人エージェント・パロマ(アナ・デ・アルマス)です。「007」の王道を行くようなセクシーなドレスで登場し、新人だからとイマイチ頼りなさげに見えていざ戦闘になったら尋常じゃなく強いというそのギャップが萌える。しかもやる事やりきったら颯爽と去っていきそのまま全く登場しなくなる潔さ。思いがけない牽引力を秘めたキャラクターが前半を彩ります。

 ただ勿体無いなと思うのは、MI6を退官したボンドの前に新たな00エージェント・ノーミ(ラシャーナ・リンチ)が現れたり、もう一人かなり意外な人物が登場したりするのですが、それが終盤のクライマックスでどことなく持て余し気味になっているように見受けられるところです。全部が上手く噛み合えばクライマックスの感動は二乗にも三乗にもなったかもしれませんが、そうはならずどこか段取り優先に見えてしまうので少しもどかしく感じます。ついでにいうとこの終盤はロケーションと空間設計とアクションの構成も奇妙に噛み合わないので正直ちょっと弾みが足りません。

 それでも物語の最後の着地点はダニエル・クレイグが演じたジェームズ・ボンドのまさに有終の美とも言えるでしょう。その区切りの見事さと共に作中で描かれた「多様性」への萌芽は「007」というシリーズの今後の可能性を予感させます。時代が移り行く中で変わりゆくものと変えないもの、変えてはいけないものとどうバランスを取っていくのか。「007」が見せる未来が楽しみです。


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先週ハイルさんのブログでも触れられていましたが、作曲家のすぎやまこういちさんの訃報が先日流れました。
 何より「ドラゴンクエスト」が金字塔で、ゲームミュージックの新たな地平を拓いた方と言っても過言ではないでしょう。それ以外でも「伝説巨神イデオン」「サイボーグ009」「帰ってきたウルトラマン」などのアニメ・特撮番組の劇判や主題歌、映画「ゴジラVSビオランテ」のBGM、「アイドルマスター」でもカバーされたこともある「亜麻色の髪の乙女」など特に1960年代後半に隆盛したグループ・サウンズ系への楽曲提供や東京競馬場で使用されるファンファーレ、更には議員への応援曲の提供などその活躍は実に多岐に渡りました。
 また右派の論客としても精力的に活動を行い、意見広告などを出したりしていたのでゲームミュージックに馴染みの薄い方の中にはこちらの方で印象の強い方もいらっしゃるのではないでしょうか。
 時期はまだ発表されていませんが発売を控えている「ドラゴンクエストⅫ」が遺作となるようですね。

 こんばんは、小島@監督です。
 謹んでお悔やみ申し上げます。今はちょっといろいろ忙しいので何ですが、落ち着いたら久しぶりにドラクエをプレイしようかな。

 さて、今回の映画は「レミニセンス」です。

 地球温暖化による海面上昇が深刻化し、世界各地の沿岸都市が海に沈みつつある近未来。ニック・バニスター(ヒュー・ジャックマン)は相棒のワッツ(タンディ・ニュートン)と共に「記憶潜入(レミニセンス)エージェント」として心に傷を抱えた顧客に過去の思い出を追体験させるサービスを提供していた。
 ある日、その日の営業を終了しようとしていたニックの前に一人の女性が駆け込んでくる。メイ(レベッカ・ファーガソン)と名乗る女性は「失くした家の鍵を探して欲しい」とニックに仕事を依頼する。ニックはメイの謎めいた佇まいに強く惹かれ、やがて二人は恋人同士となるが、ある時突然メイはニックの前から姿を消してしまった…

 「ダークナイト」や「インターステラー」で兄クリストファー・ノーランと共に共同で脚本を執筆したジョナサン・ノーラン、そしてそのジョナサン・ノーランと共にSFドラマ「ウエストワールド」を手掛けるリサ・ジョイ、そのタッグによる「記憶」をテーマにしたSFサスペンスです。
 海面上昇と共に減りゆく土地を巡って世界各地で紛争が起き、その戦争にも疲れ果てた人々が諦めにも似た感傷と共にかつての幸せな記憶に救いを求める、という世界観の中である日突然消えた女性の行方を追い求め、同時に彼女が関わっているかもしれない事件に巻き込まれていく男の姿が描かれます。

 「記憶潜入装置」というガジェットとその見せ方、少しずつ海に侵食されゆく中で麻薬と犯罪が跳梁する都市、画面全体で醸し出され全編を貫く澱むような頽廃的な空気感が絶品の1本です。ヒュー・ジャックマンの渋いモノローグと共に見せる水没都市のビジュアルイメージに酔わされたら後は物語の波に身を任せればいい逸品です。少々トリッキーに見えますが、大掛かりに観客を騙しにかかるというよりは主人公ニックの心情描写をより掘り下げるために使っているのが特徴で、水没都市というビジュアルも非常に抒情的に使われています。作中にギリシャ神話のオルフェウスのエピソードが象徴的に語られているのもまたその抒情性に一役買っていますね。 

 ユニークな舞台設定をしている一方で、語り口はとてもエモーショナル。また「ファム・ファタール(運命の女)」を追い事件に飛び込む男、という構図はレイモンド・チャンドラーやウィリアム・アイリッシュのようなオールディーズのハードボイルド小説そのもので、一見先鋭的に思わせて実はかなりクラシックです。言い方を変えれば古風で落ち着いた語り口をしており、予告編ではトリッキーかつスタイリッシュなSFサスペンスの様な雰囲気でしたがこの辺り少々予告編詐欺感がありますね(苦笑)

 監督を担ったリサ・ジョイはドラマ製作では実績があるものの長編映画はこれが初めてだとか。既に円熟の領域に達している手腕で、今後どんな作品を発表してくるのか楽しみな人が登場しました。
 モダンとクラシックが同居したかのような、それでいて思いのほかウェットなところに着地するフィルムノワール。「記憶」というものの甘さと苦さを見事に描き上げた一本です。腰を落ち着けて映画を1本楽しみたい向きにはぴったり。諦観に彩られ、郷愁に人々が身を委ねる街で男が最後にどんな決断を下すのか。どうぞスクリーンで確かめてみてください。

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昨日開催された「THE IDOLM@STER CINDERELLA GIRLS 10th ANNIVERSARY M@GICAL WONDERLAND TOUR!!! MerryMaerchen Land」Day2を配信にて鑑賞。シンデレラガールズ10周年を記念するライブツアー、本来なら先月開催予定だった愛知公演が皮切りとなるはずでしたが延期となり、この福岡公演が最初のステージとなりました。
 ソロ曲を重点にしつつ、ユニット曲では敢えてCDでのオリジナルメンバーを完全に排しての歌唱を行ったり、固定されたイメージを逆手に取った遊び心満載のステージでした。シンデレラガールズでも増えてきたハロウィンの楽曲を随所に配して季節感が前に出てきているのも楽しいところでした。
 …というところは良いのですが、トラブルがあったらしくライブ終盤にサーバーダウン。配信が20~30分全く観られない状況に。クライマックスでお預けを食らうと感情の持って行き場が無くなります。アーカイブ配信で確認すれば良いことではあるのですが、リアルタイムで観られないのは痛手でした。

 こんばんは、小島@監督です。
 コロナ禍を受けて配信ライブも充実してきましたが、やはり現地が最強であるということを突きつけられましたね。来月の幕張公演はどうにか現地勢したいぜ。

 さて、今回の映画は「シャン・チー テン・リングスの伝説」です。

 アベンジャーズ達がサノスを下して後の世界。サンフランシスコのホテルで駐車場係をしている青年・ショーン(シム・リウ)は、友人のケイティ(オークワフィナ)とバスに乗り込んだところを武装した謎の集団に襲撃される。ショーンは辛くも撃退に成功するが母の形見であったペンダントを奪われてしまう。
 ショーンには襲撃者の背後の存在に心当たりがあった。同じペンダントを持つ妹・シャーリン(メンガー・チャン)が次に襲われると確信したショーンは、押しかけてきたケイティと共にマカオへ向かう。その機中でショーンはケイティに自身が幼い頃から暗殺者としての訓練を受けてきたこと、実父ウェンウー(トニー・レオン)が秘密組織「テン・リングス」の長であること、そして本名が「シャン・チー」であることを告げるのだった。

 7月公開の「ブラック・ウィドウ」で2年ぶりにスクリーンに帰ってきた「マーベル・シネマティック・ユニバース(MCU)」、「ブラック・ウィドウ」は時系列的に「インフィニティ・ウォー」前の物語であり、いわば番外編やエピローグ的な性格を有していましたが、いよいよ新章の開幕と言った趣です。
 その「シャン・チー」、登場人物の大半がアジア系なら作中でのセリフも半分が中国語、というかなりユニークな作りをしています。正直鑑賞中は「アメリカ映画を観ている」ということを半分忘れかけていました。2018年に製作された「ブラックパンサー」がキャスト・スタッフともにアフリカ系が勢揃いしたことは記憶に新しいですが、作中の会話まで非英語が半分を占めるというのはそれよりも更に一歩踏み込んだ印象です。もちろん作中のセリフのほとんどが日本語だったクリント・イーストウッド監督の「硫黄島からの手紙」(2006年)という前例もありますが、「父親たちの星条旗」と対として二部作で製作されたものと、10年以上連綿と続くシリーズの系譜の一つとして登場したというのはまた趣が異なるものがあります。

 物語の印象を率直に言えば往年の香港武侠映画です。特に「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・チャイナ」などで知られるツイ・ハーク作品辺りのイメージ。その中に更に例えばそれは「グリーン・デスティニー」(2000年)であったり、「レッド・ブロンクス」(1995年)辺りのジャッキー・チェン作品であったり、あるいはドラゴンボールやポケットモンスターのような日本アニメであったりと言ったイメージが雑多に盛り込まれた印象です。言うなれば「ハリウッドに影響を与えたアジアンカルチャーの集合体」のような作品、と言えばよいでしょうか。そもそも「シャン・チー」というキャラクター自体がブルース・リーがもたらしたカンフーブームをきっかけに誕生したキャラクターだそうで、ある意味でこの作品のテイストも自然の流れというところでしょう。
 無論それらがただの劣化コピーではなくリスペクトと共に作品内に昇華されているところが見事です。また、かなり奔放な作りをしていながら、一方で何者でもなかった青年が大いなる力と共に使命と責任に目覚める、という流れはアメコミ映画の王道であり、それらが両立した形で作品世界の中に内包してしまえる「MCU」の懐の深さにも改めて驚かされます。
 
 ほとんど映画出演が無かったのに大抜擢という新鋭シム・リウの演技が輝く一方でトニー・レオン、ミシェル・ヨーというアジアの大ベテランの演技が光るところもポイント。特にアクションもバリバリこなすトニー・レオンの存在感が圧巻です。香港映画を楽しんできた向きにはこの辺りも見どころです。

 ところでこの映画、マーベル映画の人気を早くから下支えしてきた日本・韓国・台湾や近年の伸長著しい中国をはじめとするアジア市場へのファンコールに応えたような趣が強いのですが、最近の対立感情が強まりつつある米中関係を象徴してか、中国では未だ許可が下りず上映開始の目途が立っていないのはいささか皮肉が過ぎるというべきでしょうか。
 ハリウッド映画を取り巻く情勢も刻々と変化しているなと実感できる作品です。ちょうど新章の幕開けという意味では新たに入りやすい位置づけをしていますし、MCUにこれまで興味をあまり持てなかった人も、トライしてみてはいかがでしょう。

 
 

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昨年からの懸案事項の一つだったタブレットの方の機種変更を「iPad mini」の新モデル発売を機にようやく実行に移しました。
 先代は何せ6年以上使っていたのでさすがにガタが来始めていたのもあったのですが、新しいiPad mini、ゲームをプレイしてみても動画を再生してみても画質音質が格段に向上してビビります。

 こんばんは、小島@監督です。
 iPad mini 6、サイズ感も丁度良くて色々使いでがありそう。

 さて、先日「辻凪子・大森くみこ ジャムの月世界活弁旅行」というイベントに行ってきました。サイレント映画を弁士の活弁付きで楽しもうというイベントです。
 音の無いサイレント映画に活弁を乗せて観る、というのは1900~20年代に隆盛していた鑑賞方法です。トーキーつまり音声付きが映画の基本となってからは衰退してしまいましたが、現在でも話芸の一つとして活動を続けている人たちがいます。
 長く多くの映画を観てきましたが、この形式で映画を楽しむのは初めての経験です。実のところ現在1920年代以前の映画をDVDや配信などで観る際には既に弁士によるナレーションが付されているものもあるのですが、実際に観てみるとやはり一味も二味も違いました。

 今回上映されたのはコメディ色の強い短中編を4本。
 1本目は「迷惑帽子」。映画の上映が始まる映画館を舞台に派手ででかい飾りを付けた帽子をかぶった貴婦人が次々と映画館前方の席を陣取っていく、という内容の約3分の短編です。1909年の作品で監督は映画芸術の基本を作ったと言われるD・W・グリフィス。「國民の創生」(1915年)や「イントレランス」(1916年)が特に知られています。この映像に合わせてイベントの諸注意を織り込んでいく弁士大森くみこさんの話芸が見事。
 
 2本目は「月世界旅行」。科学者たちがロケットで月へ飛び、不可思議な冒険を経験します。1902年にジョルジュ・メリエスが手掛けた13分の短編で、「世界初のSF映画」とも言われる、映画の歴史を語る上で外すことのできない1本です。複数のシーンを繋いでフィルムを「編集する」という今ではスマホ1台でもできるくらい一般的に浸透したテクニックがこの映画で初めて取り入れられました。

 3本目は「ぱん。」。小さなパン屋を舞台にドタバタが繰り広げられます。今回のイベントに登場した辻凪子さんが阪元裕吾監督と共同で手掛けた17分の短編で、2017年に製作されました。これのみもともと音声のある通常の映画(何なら劇中歌まである)を敢えて音声を消して活弁を乗せる方式で上映されました。劇中歌もライブで歌うなかなかに意欲的な試みで、スラップスティックでスピード感のある内容と活弁がマッチしていてコレはコレで興味深い1本でした。

 4本目は「キートンの探偵学入門」。1924年、バスター・キートンが監督と主演をこなした45分の中編です。探偵に憧れる映写技師の青年が思わぬ事件に巻き込まれます。途中夢の中で映画に入り込んだキートンが次々に切り替わる場面展開に翻弄されたりと言った映像トリックがふんだんに盛り込まれているほか、バイクチェイスや走る列車の上でのスタントと言ったバスター・キートンの身体能力の高さが可能にしたスタントの数々が楽しめるこの作品は高い評価を受け(とはいえ本国での初上映時は興行的にはイマイチだったとか。)、アメリカ国立フィルム登録簿に保存されています。何より白眉は中盤で登場するビリヤード。「13番ボールが悪漢の手により爆弾入りの物にすり替わっている」という状況の中で次々決まるスーパーショットに目を奪われます。
 活弁の魅力を一番感じたのもこの作品で、キャラクターたちのセリフ回しだけでなく状況説明の巧みさも相まって心底楽しい1本になりました。

 4本の上映後にはアフタートーク。活弁士は活弁の台本を自分で書いて用意すること(そのため同じ映画でも弁士によってテイストが変わる)や、今回の公演では天宮遥さんが務めたピアノ演奏は、基本的に弁士の喋りに合わせて終始アドリブで演奏することなど興味深い話も多々。今回のイベントに登場した辻凪子さんは今、新作で活弁用のためのサイレント映画を準備しているそうでそのチャレンジングな試みがどのように結実するか楽しみです。
 温故知新、とはこういうことを言うのでしょう。実に刺激的で楽しい時間でした。また機会があれば是非行きたいですね。阪東妻三郎とかの時代劇も観てみたい。  

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実は今、根っこが割れた奥歯の治療を続けています。数か月前に定期歯科検診やって見つかりました。大抵の場合は抜いてインプラントにする類のものですが、名古屋市内に自歯を活かして治療する歯科医院があると聞いて今はそこに通っています。
 先日、先々治療を進めるのに割れた歯の小さな破片を抜く必要が生じて、親知らずを抜いた時以来の抜歯をしてきました。麻酔が効いてたからなのかその歯科医の腕がいいのか、ものの十数分で終わってましたが(笑)
 今は抜いた方であまり嚙まないで欲しいと言われてるので正直ちょっと食事で苦心中。治療が終わるまであと数か月は苦労しそうです。

 こんばんは、小島@監督です。
 まぁでも皆さん歯の定期検診はやっておいた方が良いですよ。

 さて、今回の映画は「リョーマ! 新生劇場版テニスの王子様」です。

 全国大会制覇の後、武者修行のために単身渡米した越前リョーマ(声・皆川純子)は、ロスアンゼルスで家族旅行中の同級生の竜崎桜乃(声・高橋美佳子)がギャングに絡まれている所に遭遇する。桜乃を救おうとリョーマはテニスボールを放つが、どこからか飛んできたもう一つのテニスボールとぶつかるや突如2人は閃光に包まれた。
 気が付くと状況が大きく変わっていた。街に飾られたポスターでリョーマは父・越前南次郎(声・松山鷹志)が現役引退を決意した全米オープン決勝が間近に控えていることを知る。つまり自分たちは過去にタイムスリップしている!「サムライ南次郎」と呼ばれた父が引退した理由を知り、また現役時代の父のプレーを一目見るべく、リョーマは桜乃を伴い南次郎に会いに行くのだったが。

 映画を観に行く動機も色々で、私の場合題材や粗筋を見て気になるか、原作や主演俳優、監督のファンだからというのが大勢を占めるのですが、今回は「ファンが観に行っても良く分からなかった」「気が付いたら飲まれていた」「ほぼマサラ」という妙な評判が公開後に聞こえてきて興味が湧き、つい観に行ってしまいました。正直なところ「テニスの王子様」は原作も読んでないわアニメも観た事無いわでほとんど知らないも同然です。タイトル自体は有名なおかげで主人公の越前リョーマと手塚国光(声・置鮎龍太郎)と跡部景吾(声・諏訪部順一)の3人がせいぜい分かるくらい。20年続くタイトルをほぼ予備知識ゼロで観に行くと言うのもなかなか新鮮でした。

 開幕1分、いきなり「それ」は始まります。初速で最高速度に達し作品世界に叩き込まれたらあとは理性が作品を理解しようとする以上の速さと強さで引き込み続けます。ミュージカル映画の形を取っているので開幕すぐに歌って始まる作品なんて珍しくもないのですがそれでも呆気にとられたというか度肝を抜かれました。
 つまるところ、映画は越前リョーマが自身のテニスへの想いの原点を再確認する物語、ということに尽きるのですが、その見せ方が他とは明らかに一味も二味も違います。作劇のセオリーもロジックも全て無視、辻褄もあまり合っていない。作品内に理性的に状況を俯瞰する存在がいない、端的に言ってツッコミ役もいません。およそ「文脈を読む」という劇映画を観るに当たって当然のように自分が今までやっていたことがまるで通用しない作りに、気づけば確かに「飲まれて」いました。トリッキーな作りに翻弄されると言うのともまた違います。唐突に歌とダンスでゴリ押しにかかる辺りはなるほどインド映画っぽくもありますがそれとも雰囲気がまた違う。言わば「直球を投げて来ているのは分かるが打ち返せる気がしない」のです。これほど豪腕な作りをしているのにしかもそれが不快ではない、どころかやたらと面白いというのが恐ろしい。作り手から「観る者全員を楽しませよう」という強いエネルギーをひしひしと感じます。
 「テニスの王子様」はいわゆる2.5次元の先駆的作品でありミュージカルの方も20年近い実績を持っています。そんなミュージカル「テニスの王子様」の文法をそのままアニメの方へ逆輸入しているような印象も受けます。

 CGアニメ映画として観た場合に映像のクオリティが高いかというと実はそうでもなく、一世代前のような印象すらあるビジュアルしているのですが、正直観てるとまるで気にもなりません。そんなこと気にしてると確実に振り落とされるからです。これを観に来た以上このウェーブに乗り切らねばもったいない!そんな気にさせられてしまう謎のパワーがあります。

 なおこの映画、「Decide」と「Glory」という2種類の作品が同時公開されています。ストーリー自体は変わらず、登場人物と作中のシーンが一部違うというパラレルな作りになっています。特定のキャラクターのファンの方はそれが出ている方を選べば良いですし、そうでない方はどちらを選ぼうがブッ飛ぶので時間の合う方を選べば良いかと思います。私が今回観たのは「Glory」の方。こちらでは近年単独でCMに出たりするようになった跡部景吾が登場。バスローブ姿で1曲歌ってくれます。どんな状況かは上手く説明できないので言いません(笑)
 また驚くことに劇中歌の全ては原作者・許斐剛の作詞作曲だそうです。何て多才なんだ!
 本編終了後には桁違いに存在する「テニスの王子様」のキャラクターソングの中から選りすぐりをリミックスしたメドレーで見せるMVがまるで歌劇の後のレビューのように展開。最後まで全力で楽しませてくれます。

 20年続く作品の新作の劇場版を製作するにあたり「従来のファンを意識しつつ予備知識を必要としない」映画を作る、というアンビバレンツな命題にこういう解を用意できる方たちがいようとは。「テニスの王子様」のファンの方はもちろん、全く知らない人もこれは是非軽率に観に行ってポカンとなって頂きたい。娯楽と言うものの目的が日常の憂さを一刻忘れさせて元気をもらうと言う事にあるとするなら、これこそ極めて純度の高いエンターテインメントです。いや~映画って奥が深い。

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数か月前にTwitterで展開したキャンペーンにノリで応募したら当選してしまい、村瀬修功監督のサインが入った「機動戦士ガンダム 閃光のハサウェイ」ポスターが先日送られてきました。

 実は昨年も電撃文庫が実施した同様のキャンペーンでライトノベルが当たったりして、この手のヤツは意外と当たりがあるものだなぁ、と感じます。

 こんばんは、小島@監督です。
 それにしても実物を見るとニヤニヤしてしまうぜ。

 さて、今回の映画は「夏のホラー秘宝まつり2021」より「ブラック・サバス 恐怖!三つの顔」です。

 案内人ボリス(ボリス・カーロフ)は語る。この世には人智を超えた恐怖が横たわっていることを。それは時に思わぬ形で顔を見せることを。彼が語る3つの物語とは。

 「夏のホラー秘宝まつり」とは東京のミニシアター・キネカ大森が主催する特集上映企画で、今年で8回目になります。名古屋では毎回シネマスコーレで上映されています。新旧問わず様々な、中にはかなりニッチでカルトな作品も上映するプログラムなので観る観ないに関わらず上映作品は毎回チェックしています。正直全く食指が伸びない年もあるのですが、今年はイタリアの名匠マリオ・バーヴァを特集すると知ってこれは何か観ておかねばなるまいと、うまい具合に時間の都合がついたところで1本観てきました。

 マリオ・バーヴァは1930年代から撮影監督として映画製作に携わり、1957年から監督も行うようになった人物です。1960年の「血塗られた墓標」で高い評価を得、1963年の「知りすぎた少女」では「ジャッロ」(過度の流血を見せるスプラッター描写にスタイリッシュなカメラワークと色彩感覚を上乗せて展開するイタリアのサスペンスやホラー映画を指す)というジャンルの源となる1本とされています。
 活躍の場をイタリアから移すようなことはなく、生涯にわたり低予算の作品を多く手掛けていたことから知名度はそれほど高くはないように思えますが、リドリー・スコットやマーティン・スコセッシ、大林宣彦など多くの映画人に影響を与えたとされる人物で、特に最高傑作と呼び声高い1966年の「呪いの館」は後年のJホラー映画にもその影響が見て取れるとも言われるほどです。1980年に病没しましたが、没後40年となる昨年に彼の業績を回顧する作品群が一斉にBlu-ray化されるなどホラー映画の歴史を辿る上で外せない人物の一人と言えるでしょう。

 「ブラック・サバス 恐怖!三つの顔」は1963年に製作された1本です。深夜にかかり続ける脅迫電話におののく女性の姿を描いた第1話「電話」、旅人が一夜の宿を求めた家で、そこに住む家族の父が吸血鬼となって帰ってくる第2話「ヴルダラク」、急死した富豪の老婆から高価な指輪をかすめ取った事で悪霊に襲われる看護婦の恐怖を描く第3話「水滴の音」の短編3話で構成されたオムニバス映画になります。
 筋立て自体は古典怪談のテイストが強すぎて今観ると古色蒼然と言った趣です。低予算もさることながら、僅かでもロケを行っているのが第2話のみで基本的にどれも限定された空間で撮影されているあたり恐らくかなりの短期間で作られたのではないかと思います。
 しかし、それでも「つまらない」とは思わないのは、撮影と演出の手腕がなせる業でしょう。特に第3話は老婆の死体のインパクトに加えて、屋外のネオンサインを点滅させることで恐怖心を煽るそのセンスが抜群です。似たような見せ方をするホラーやスリラーにいくつか思い起こさせるものもあるのですが、もしかしたらその源流にこのような作品がいるのかもしれません。
 各話のオチはベタとも言える物ながら映画全体を〆るラストシーンのとぼけた味わいと言い古いB級ホラーと言えどなかなかに油断できない逸品でした。

 映像表現の変遷も様々なアプローチで紐解くことができますが、いくつかの源にはこういう作品が眠っていたりします。掘り起こしてみると案外新鮮。メジャーな楽しみ方ではないかもですが、時にはそういうのに触れてみるのも楽しいですよ。
 
 

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昨日と一昨日、本来なら常滑市の愛知県国際展示場でライブを予定していたものの延期になった「アイドルマスターシンデレラガールズ」が、一種の代替企画として7年前に開催された1stライブを無料配信してくれ、私もせっかくの機会にと懐かしさ混じりで鑑賞してました。
 ドーム球場でもやれるようになった今と違って会場は席数2,200程度の舞浜アンフィシアター。演出も素朴だし出演者にも声が震えてるのが分かるくらい硬くなっている人がいたり観客の側もまだこなれていなかったり。そんなシンデレラガールズの出発点。なかなか感慨深いものがあります。
 当時私はDay1のみライブビューイングで観ているのですが、たまたまその日仕事が早く片付いたのと職場から近いセンチュリーシネマで上映してくれたのもあって急に思い立って駆け込んで観るというエクストリームなことしてました。そういうことをやろうとして普通に当日券が取れる程度の時期でもあったんですね。

 こんばんは、小島@監督です。
 ああ、会場でライブが観たい。

 さて、今回の映画は「アナザーラウンド」です。

 歴史教師のマーティン(マッツ・ミケルセン)は仕事でも行き詰まり、夜勤続きの妻アニカ(マリア・ボネヴィー)とはすれ違い、無気力な日々を過ごしていた。
 ある日、同僚で心理学教師のニコライ(マグナス・ミラン)の誕生パーティーに招かれたマーティン。その席でニコライはマーティンにノルウェー人哲学者フィン・スコルドゥールが提唱するある理論について語った。それは「人間は血中アルコール濃度を0.05%に保つと体にやる気と自信がみなぎり人生が向上する」というものだった。空虚な日々にうんざりしていたマーティンは仲間に促されるままに酒を煽り、久しぶりの高揚感を味わう。
 翌朝、マーティンは一人酒席で聞いた仮説の実証を始める。つまり始業前に飲酒を行ったのだ。マーティンが一人実験を始めた事を知ったニコライは馬鹿な実験で終わらせないためにと論文にまとめることに。同僚の体育教師のトミー(トマス・ボー・ラーセン)と音楽教師のピーター(ラース・ランゼ)も加わり4人は検証実験を始めるのだった。

 連綿と息づくバイキングの遺伝子がそうさせるのか、北欧の人たちは酒に強い人たちが多いそうです。日本では飲酒は20歳になってから、となっていますがこの映画の舞台であるデンマークではお酒の購入が16歳から、レストランなどでの飲酒は18歳からと規定はされているものの飲酒そのものに対する年齢制限は設けられておらず、早い人では12歳ごろから飲酒しているそうで、結果的に酒量も多くなり、デンマーク人の飲酒量は他のヨーロッパ諸国の飲酒量の2倍近くになるという統計もあるとか。そんなデンマークで、「飲酒で人生が向上する」という仮説に飛び込む男たちの人生模様を描く作品です。

 内容が内容なだけにま~良くお酒を飲む映画です。それも多種多様。高校生が隠れて飲酒するのもアレなのにここでは中年のおっさん4人が「理論を検証する」という名目のもと仕事中に隠れて飲み続けるので余計にタチが悪い(笑)実はマーティンだけでなく4人が4人とも生活に対し何がしかの行き詰まりを感じており、アルコールの接種がそういう現状を打破するための冒険のきっかけとして描くのがポイントです。どうにかして人生をもっと活き活きとしたものにしたい、そんな想いは誰しもが持っているものではないでしょうか。
 4人はアルコールを起爆剤にそれまでの殻を破ろうと奮起します。少しずつアクティブになっていく様に、「これは飲酒を礼賛する映画なのか」といぶかる向きもあるかもしれません。しかし、もちろんそうはなりません。行く先には思わぬ(いやある意味で想定通りの)落とし穴も待っています。

 けれど、ここで肯定しているのは「お酒を飲んで気が大きくなったことで何かの一歩を踏み出した」ことのみ。あくまでもきっかけの材料としてのみでそれで何もかもハッピーには描いていません。この辺りのバランス感覚は見事というほかありませんが、飲酒そのものに否定的な感覚を抱いている人にはこの微かなセンチメンタリズムももしかしたら眉を顰めるものかもしれません。

 ところで、これは劇映画なので当然飲酒でアッパーになったりへべれけになって正体を無くす様も全てがしらふでの演技です。ですが、これが観てて驚くぐらいの「飲酒した人の動きそのもの」で主演マッツ・ミケルセン以下俳優陣の演技の凄みに圧倒されます。特にマッツ・ミケルセンはクライマックスでダンスを披露するシーンが登場するのですが、ここでの動きが圧巻。円熟の域に達した名優の練達の演技を楽しむことができます。

 お酒で人生全てが上手くいくならそんなに楽なことはない。けれどもちろんそうはならない。そんな人生の哀歓をユーモラスかつビターに描き切る佳作。人によってはかなり「刺さる」作品ではないかと思います。
 ところで、日本では0.15mg/Lつまり0.03%で酒気帯び運転となり、0.05%では一発免停になりますので決して作中の真似して飲酒運転は致しませんように(笑)。

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