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ちゅうカラぶろぐ


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年に1回あるかないかですが、業界向けの展示会でブースに立つことがあります。先週それがあったのですが、丸一日立ちっぱなしになるので終わる頃には足が棒のようになって久々に足に湿布貼って寝ました。結局翌日の筋肉痛からは逃れられなかったですが(苦笑)

こんばんは、小島@監督です。
でも日ごろ基本的に内勤なのでたまにこういうことに携わるのは結構楽しかったり。

さて、この連休は全国各地でイベントが開催され、遠征したという方も多いんじゃないかと思います。私も遠征こそしませんでしたが一つ、観てきました。
「THE IDOLM@STER 765 MILLIONSTARS HOTCHPOTCH FESTIV@L!!」Day2のライブビューイングです。
現在いくつものタイトルが展開するアイマス、その内の本家アイマスとミリオンライブの2タイトル合同ライブイベントという形で7,8日の2日間日本武道館で開催されました。

タイトルの「HOTCHPOTCH」とは「ごった煮」という意味で、作品をクロスオーバーし誰が何を歌うかを読ませないサプライズ性の強いセットリストにしてあったのが最大の特徴です。身も蓋も無い話ですがアイマスは765プロのCDは日本コロムビアから、ミリオンライブのCDはランティスからリリースされていることもあり、発売元から「ごった煮」なのもポイントです。
また、今夏リリースされたソーシャルゲーム、「アイドルマスター ミリオンライブ! シアターデイズ」、通称「ミリシタ」で新登場した2人のキャラクター、白石紬役南早紀さんが初日に、桜守歌織役香里有佐さんが2日目に登場しそのお披露目的な意味合いも持たせていました。
この2人に限らず初日と2日目でキャストを総入れ替えしてセットリストもほぼフルチェンジ。そんなところも「ごった煮」の一部分でしょう。
実はアイマスライブは最近になって演出が変わりセットリストの傾向にも変化が現れました。以前は曲や曲にまつわるトピックなども絡めたストーリー性の強い構成をしていましたが、現在は曲のテンポや曲調、ジャンルなど「曲そのもの」のノリを重視する構成になっており、特に今回のようなコンセプトのステージとは高相性だったと言えますね。

そんなDay2のセットリスト、ほぼアップテンポの曲のみで構成され非常にボルテージをp上げやすい構成をしていました。765プロの曲としては「マリオネットの心」「arcadia」「メリー」「Little Match Girl」など。中には7年ぶりの披露という曲もあり、P歴もだいぶ長くなってきた私にはこの辺はとても嬉しくなる選曲でした。また、「arcadia」では香里有佐さんが初登場にも関わらず伸びやかなヴォーカルで存在感を示してみせて、これからの活躍に期待を持たせてくれました。
ミリオンライブの曲としては「Shooting Stars」「Sweet Sweet Soul」「侠気乱舞」「ジャングル☆パーティー」など。中でも765プロのメンバーのみでの披露となった「侠気乱舞」は、さすが一日の長というか、先輩アイドルたちの貫禄を見せつける圧巻のパフォーマンスでした。

そして何より終盤の「アライブファクター」はまさにこのライブの白眉と言って良いでしょう。大規模イベントでは初めてCDオリジナルの如月千早役今井麻美さんと最上静香役田所あずささんのデュオでの披露となったこの曲は、アイマスが誇る2人のディーヴァが全力を尽くして切り結ぶ「決闘」のようなパフォーマンスにスクリーン越しですら蒼い炎が見えるかのような凄みに満ちていました。アイマスが今後どれほど続くことになるかは分かりませんが、きっと長く語り草になるのではないでしょうか。

またステージ全体で特に目を引いたのが秋月律子役若林直美さん。全出演者中最年長なのですが、当人と半分くらいの年齢の人と並んで踊っても見劣りしないどころか一番動きがキレていて華があるという物凄さに目が離せませんでした。アレはもうスキージャンプの葛西紀明やサッカーの三浦知良とかと同種のレジェンド的な何かのようです。鍛え方が違うというか、人間は結構やればできるものだと感心します。私も頑張ろう。

アイマスが持つ引き出しの多さをまざまざと見せつけたこのイベント、がっつり楽しませてもらいました。また同様のコンセプトでイベントやってくれると嬉しいなぁ。

ところでこのイベント、ユニークな試みというかあるいはそんなに集客が良かったのか、ライブビューイングのアンコール上映が決定しました。今月20日に初日が、21日に2日目がそれぞれ再上映されます。「ディレイビューイング」と称しているので恐らくほぼそのまま再上映してくれることでしょう。今回見逃した方も、あるいはもう一度観たいパフォーマンスがある方も検討してみてはいかがでしょうか。

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今月から始まるTVシリーズ「THE IDOLM@STER SideM」のプレ・エピソードとなる「Episode of Jupiter」が先日放送されました。
「THE IDOLM@STER」に登場したジュピターが登場時所属していた961プロを離れフリーとなったのち「SideM」の舞台となる315プロに入るまでを描く物語で、前日譚であると同時にアニメアイマスの後日譚であり更に劇場版アイマスのサイドストーリーでもあるという、複数のシリーズを結び付ける物語で、アメリカのドラマではたまに見かけることがありますが日本のアニメでこういうエピソードが単発で製作されて地上波で全国放送…というのは意外に珍しいのではないでしょうか。
作品自体もこの特殊な位置づけを最大限に利用したネタを豊富に盛り込んでいたほか、フリーになった途端に大手事務所に所属していた頃はスタッフがやってくれていたことを全て自分たちでこなさなくては行けなくなってパンクしかかるなどなかなか生っぽい葛藤を描く骨太な物語で、40分弱の短い尺とは思えぬ濃密な作品になっていて正直期待以上でした。
この「Episode of Jupiter」からアイマスに入ってみる、というのもアリかもしれません。ここから始めることも遡ることもできる素敵な作品になっています。

こんばんは、小島@監督です。
これは今週から始まる「SideM」本編も楽しみ。

さて、今回の映画は「エイリアン:コヴェナント」です。

22世紀初頭、宇宙船コヴェナント号は冷凍ポッドに入った2,000人の入植者、1,140体分の胎芽を乗せて惑星オリガエ6へ入植のために向かっていた。
その最中、予期せぬエネルギーバーストを浴びたコヴェナント号は多大な損害を受け、航行中の管理を任されていたアンドロイドのウォルター(マイケル・ファスベンダー)はクルーをコールドスリープから覚醒させるが、開閉装置の故障で船長ブランソン(ジェームズ・フランコ)のポッドが開かず窒息死してしまう。
副官オラム(ビリー・クラダップ)が指揮を執ることになり、ブランソンの妻ダニエルズ(キャサリン・ウォーターストン)らクルーたちは船長を喪った悲しみを癒す間も無く船の修復作業にかからねばならなくなった。
通信機器の修復に当たっていたテネシー(ダニー・マクブライド)は、謎めいた電波を受信する。発信源を調査すると現在位置に近い恒星系に生物が居住可能な惑星があることが判明する。目的地オリガエ6に着くにはあと7年かかるがこの惑星ならば2週間で到着できる。そう判断したオラムはダニエルズの反対も聞かずに惑星に降り立つことを決めるのだった。

2012年に製作された「プロメテウス」の続編にして「エイリアン」(1979年製作)に繋がる物語にしてホラー史上に残るモンスター「ゼノモーフ(このシリーズでの成体エイリアンの呼称。「エイリアン2」でこの名が初めて登場する)」の起源に迫る作品が現在公開中です。実は監督リドリー・スコットがタイトルに「エイリアン」の名を冠した作品を手掛けるのは1作目以来実に38年ぶりだったりします。

敢えて「エイリアン」の名を冠さずに作られた前作「プロメテウス」もそうでしたが、今作も物語の基本的な構成は「エイリアン」1作目と相似しています。1作目と違うのは「プロメテウス」ではゼノモーフはもちろん人類も含めて数多くの生命が「エンジニア(1作目では「スペース・ジョッキー」とも呼称された巨人たちのこと)」のどのような干渉によって進化の軌道に乗ったかを描いており、今作ではアーキタイプとなる生命がいかにしてゼノモーフと呼ばれるモンスターへと変貌していくかが描かれます。

「プロメテウス」に引き続き今作も宗教的なモチーフを非常に多く取り込んでいます。そもそもタイトルの「コヴェナント」自体が「聖約(聖なるものとの契約)」を意味する言葉で、さしずめクルーたちを十戒を授与されたモーゼに、入植者たちを海を渡り新天地を目指したユダヤの民に見立てているといったところでしょうか。
ただポイントとしては、「プロメテウス」では陰に陽に盛り過ぎたため宗教的側面が前に出過ぎたと思ったのか、モチーフの見せ方が善作よりも分かりやすくなり、代わってSFホラーのテイストが強調された作りになっています。

ただこの作劇の変化は映画全体の緊張感を高めた反面、描く要素の多さに物語が振り回されたような印象も受けます。早い話、登場人物の行動が全体的に場当たり的でバカっぽいのです。登場人物の数人はわざわざ死亡フラグを自分から踏みに行っているようにしか見えず、ほとんどギャグになってしまっている人物もいます。

「エイリアン」ほどホラーとして研ぎ澄まされてもいず、「プロメテウス」ほど知的にも作られていない上にこのシリーズならではの特徴的な設定の一つともいえる「アンドロイド」についても物語の核の部分に深く関わっているため、シリーズの全くの初見の方にあまり優しい作風ではなく、物語を理解するには最低限「エイリアン」と「プロメテウス」の2作品の鑑賞が必須、というなかなか人に薦めづらい作品ではありますが、1点、「映画を深読みする、紐解いてみる」ということを1度してみたいとお考えの方には絶妙な難易度で読み解くためのモチーフが隠されているためトライしてみるには楽しいのではと思います。
もちろん、シリーズのファンなので新作は取り敢えず観ておきたいという方もどうぞ。80歳になってもまだこんな映画作ってしまうファンキーなリドリー・スコットの手腕を楽しんでみてください。

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日曜日の朝7時に異様な存在感を放っていたアニメ「ヘボット!」が遂に最終回に。
「クトゥルフ神話のパロディだから探偵を狂言回しにする」「セガ成分多めのゲームパロディを盛り過ぎたからしれっと井上和彦ネタを混ぜる」「フィリップ・K・ディックのパロディだからリドリー・スコットとついでにウォシャウスキー姉妹も混ぜ込む」ような本来的なターゲット層のお子様どころかその親御さんまでも簡単に振り落として疾走していく濃厚なネタを大量投入する上に、本筋としても多元宇宙をベースにしたかなりガチのSFを展開する無茶苦茶ぶり。流行りを投入するというより、観る者の読書&映画鑑賞遍歴に挑戦してくるようなネタが多いのが特徴でした。
非常に自由奔放に作られている分ネタがツボにハマらないとまるで面白くないという当たりハズレの大きさも一つの味、綺麗にまとまった作品が多い昨今には珍しい型破りなアニメで何だかんだガッツリ楽しませてもらいました。アニメってまだまだ色々やれそう。

こんばんは、小島@監督です。
とは言えこんなアレなアニメが途絶えないのも疲れるので何年に1本でいいや(笑)

さて、今回の映画は「ダンケルク」です。

1940年5月。ドイツ軍は破竹の勢いで侵攻を重ねオランダ、ベルギー、ルクセンブルク、そしてフランスが瞬く間に撃破された。
街中での襲撃を辛うじて躱してフランス北端ダンケルクの海岸までたどり着いたトミー(フィン・ホワイトヘッド)は、そこで追い詰められ撤退の船を待つ40万人の英仏連合軍の姿を見る。
一方、イギリス本国では英国海軍がダンケルクに取り残された同胞たちを救助すべく不足する艦船を民間船舶を徴用することで賄おうとしていた。小型プレジャーボートの船長ミスター・ドーソン(マーク・ライランス)は息子ピーター(トム・グリン=カーニー)、その友人ジョージ(バリー・コーガン)と共に自ら航海に乗り出す。
また、空では撤退作戦支援のために3機のスピットファイアが発進。パイロットのファリア(トム・ハーディ)は船団を狙うドイツ軍爆撃機と遭遇する。
陸で、海で、空で。絶体絶命の地から生還するための戦いが始まる。

大作と呼べる規模で、しかし作家性の強い作品を発表し続ける稀代の映像作家クリストファー・ノーラン。その最新作は、彼のフィルモグラフィの中で初めて史実をベースにした作品です。ダンケルクに取り残された兵士たちを民間も含めた800隻以上の船舶が救援に向かい空軍もスピットファイアを度々発進させてドイツ軍の襲撃に備え、30万人以上の脱出を成功させた、いわゆる「ダイナモ作戦」の姿を描きます。

しかしそこはノーラン、一般的なイメージの戦争映画とは大きく趣の異なる作品に仕立て上げました。
この映画、何より先ず非常に台詞が少ないです。状況を説明するような台詞やシーンもほとんど無く、冒頭いきなりドイツ軍の襲撃を受け必死に逃走するトミーの姿を映し出し、そこから106分、一切途切れることなく観客を戦場のど真ん中に叩き込みます。
「ダイナモ作戦」に対する予備知識はあるに越したことはないでしょうが、無くても問題はありません。ノーランはこの映画で「戦争」を描くことに重きを置いていないからです。作中「敵」であるはずのドイツ軍の姿が一切登場しないこともそれを象徴しています。「人VS人」というより「人VS戦争(と言う災厄)」というような位置づけで概念的なものとして観るのが妥当のように思います。

この映画にはトミー、ドーソン、ファリアという3人の主人公が登場しますが、それぞれの作中で描写される時間も違います。トミーが約1週間のサバイバルを描き出していくのに対しドーソンは1日、ファリアに至っては僅か1時間ほどの出来事です。時系列が違う3つの物語を同時進行させながら、しかしやがてそれらは密接に複雑に絡みつつやがて集束していきます。
3つの物語は全て俯瞰的ではなく主観的で、「3つ見せるから物事をある程度俯瞰できる」形になっていて登場人物的には見えるものが全部、という描き方しているのも特徴的です。

CGを使いたがらないノーランのこだわりは今作でも遺憾なく発揮され、というか集大成と言って良いレベルで画面に活かされています。特にスピットファイアの空戦は、実機を飛ばすことでしか成し得ない迫力を持ったアングルが続々登場するほか、冷たい昏さが差し迫ってくるような海の色調も目を引きます。
そして特に今作では音響も出色。秒針の音と通奏低音のような不安定な音が組み合わさったハンス・ジマーの手による劇伴が作中ほぼ鳴りやまず、観る者の不安と緊張を煽り心を削っていくその手管には唸るほかありません。

また、ノーランのこだわりは「観る」と言う点においても活かされ、この「ダンケルク」は複数の上映形式で配給され通常のデジタル上映のほか、より濃密な情報量を欲するならIMAX、作品の雰囲気にマッチした質感を楽しみたいなら35㎜フィルム版と、環境が許せばその選択が可能と言うのもポイントです。私は今回35㎜フィルム版で鑑賞しましたが、フィルムに走るキズがディテールにこだわった映像とマッチしクラシックな味わいを増して「映画を観てる」という実感がより深まる印象でした。

ノーラン作品にしては短い106分という尺ではあるものの、全力疾走感が強く正直とても疲れる映画のため気楽なものを観たい時には全く向かない作品ですが、興味があるなら見逃す手はありません。娯楽性と作家性の両方を備えたこういう骨太な作品はスクリーンで味わってこそ。是非、極限の脱出劇を体感してみてください。

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昨日に歌会に参加された皆さんお疲れ様でした。
今回は個人的に約3か月ぶりの参加だったことやもうとにかく何か歌いたい気分だったこともあってちょ~っとばかり飛ばし過ぎました(苦笑)同室の初参加の方、ご迷惑でなければ良かったのですが。
昨日は台風の影響もあって少し早めに上がらせて頂きましたが、せっかくの連休だったのでできれば食事会までご一緒したかった…

こんばんは、小島@監督です。
実は昨日の台風で自宅の庭木が折れて今日はその後始末で大変でした。そんなに背の高い木でないとはいえ鋸と枝切り鋏で裁断してまとめるだけで昼までかかってしまいました。

さて、今回の映画は「すばらしき映画音楽たち」です。

「007」「サイコ」「ロッキー」「スターウォーズ」「ロード・オブ・ザ・リング」「パイレーツ・オブ・カリビアン」…ハリウッド映画を彩ってきた名作の数々には常に忘れがたい映画音楽たちが寄り添ってきた。映画史に輝くそのメロディたちは一体どのようにして生まれたのか。その秘密が紐解かれる。映画音楽が誕生して観客の耳に届くまでの製作過程を豊富な作品群を引用しながら語り明かされるドキュメンタリー。

映画と言うものが世に誕生して120年余り、「映画」を題材にしたドキュメンタリー映画も数多く作られるようになってきましたが、初めて「映画音楽」にスポットを当てたドキュメンタリー映画が登場です。
サイレント時代、映画館に少なくとも1台オルガンがあった時代から現代までの映画音楽の変遷と観客の感情を監督の意図通りに導いていくその技巧などを当事者や関係者のインタビューを交えて語られていきます。

初めて映画音楽に交響楽を用いた「キングコング」、ビッグバンドジャズを初めて本格的に取り入れた「007/ドクター・ノオ」、西部劇のイメージを定着させたと言われる「続・夕陽のガンマン/地獄の決斗」など映画史的にエポックとされた作品や、不安定な音で観客に不安を煽る「めまい」、僅か2音で迫る恐怖を表現した「ジョーズ」、旋律で巧みに観客を視線誘導する「カールじいさんの空飛ぶ家」など技巧的にすぐれた作品などを数多く引用しながら映画音楽の魅力について語っていきます。
もちろん「スターウォーズ」や「E.T.」「バットマン」「ジュラシック・パーク」「ハリー・ポッター」「パイレーツ・オブ・カリビアン」などがきっと誰の耳にも一つは残るであろうあのメロディたちがどのようにして生まれ映画製作に衝撃を与えたかなども語られ、いわゆるアートドキュメンタリーとも違う知的興奮にワクワクします。

この映画の監督はマット・シュレーダー。アメリカ最大の放送局CBSでプロデューサーとして徴収された税金の乱用などを取り上げ活躍し3度のエミー賞に輝いた人物ですが、なんとこの映画を撮りたいがためにそのCBSを退職したそうです。
その熱意と丹念な取材が成し得た技でしょう、製作に絡む裏話や技術的アプローチのかなり深入りした話が次々登場しかなり濃密な内容の作品です。

この映画の欠点と言えば2点。一つは上映時間。95分と比較的短めで観やすいのですが、時間に対して取り上げているトピックが多すぎるため、更に深く掘り下げてほしいもの(これは人によって違うかと思います)が出てきてもサラッと流されたように感じてしまうのがもったいなく、普段映画はなるたけ短めがいいと思っている私にしては珍しいのですが、あと15~20分長くてもいいかなと思います。
もう一点は上映館の少なさです。東海三県では1館しかない上にしかも期間が1週間のみという短さで鑑賞の機会が少なすぎるのが実にもったいない。ドキュメンタリー映画というと敷居が高く感じられる方も多いのですが、ここまで見慣れない方でも観やすい作品もそうそうないのですけれど。

機会を捕まえにくいのが最大の難点ですがどこかでチャンスがあれば是非ご覧になっていただきたい作品ですね。観ればきっと何か映画が観たくなりますよ(笑)

余談ですがこの映画はハリウッド映画について語られていますが、同じアプローチで日本映画や日本アニメについてまとめた作品も観てみたいですね。どちらもハリウッドとは違う独自の歴史と発展を遂げてきた分野なのでかなり面白いものになると思うのですが。

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先日金曜ロードショーで放送された「バトル・シップ」、ご覧になった方、録画した方も多いと思います。もともと6月に放送予定だったのですが直前に米海軍駆逐艦とフィリピン船籍コンテナ船の衝突事故が発生し、その影響で放送が延期に。ところが先日の放送を直前にまたしても海軍が事故を起こして放送の危機。不思議なほどネタに事欠かない作品です。
大味もいいところの映画なのでボンクラ映画スキーの間でも好みが分れたりする1本ですが、「バトルシッパー」と呼ばれる熱狂的なファンを獲得し地上波放送に絡んでTwitterなどSNSで盛り上がれるところなどどこか「コマンドー」と似たような立ち位置を獲得しつつありますね。

こんばんは、小島@監督です。
名画、ともまた違いますが意外とこういう不思議な愛され方をする映画もなかなか出てこないもの。忘れた頃にまたフイッと現れてほしいものですね。

さて、今回は映画館の話。と言っても既にこのブログでも何度も上映作品を取り上げている所ですが。
JR名古屋駅太閤通り口から歩いて2~3分。ビックカメラ近くの小さなビルの1階にあるミニシアター、そう「シネマスコーレ」です。
映画館自体の概要も私のブログの5月15日の回「劇場版シネマ狂想曲~名古屋映画館革命」の回で紹介しているのでそちらを参照してください。

で、このシネマスコーレ、足を運んだことのある方でもご存知ない方が結構いらっしゃるのでは、と思われるトピックがありまして、それは独立系ミニシアターとしては極めて珍しいことに何と3D映画の上映が可能なのです。
導入は2012年。「フラッシュバックメモリーズ3D」(監督松江哲明)と言う映画を上映する際、監督の親交のある副支配人坪井篤史が監督の意図通りに上映したいという熱意の元、そのたった1本の映画のために導入されました。その後いくつかの作品で3D上映が行われましたが基本的に常時3D作品を上映するわけではなく特別企画扱いのためなかなか鑑賞の機会に巡り会えず、今回ようやくそれが叶いました。
シネマスコーレの3Dは、元来それを上映するために設計されていないところに3Dのシステムを入れ込んでいるので一般的なシネコンとは少し見え方が違います。今回最後列の座席から観てみたのですが、噂に聞く通り最前列や2列目の人の頭を越えて映像が飛び出してくる瞬間があります。かなり新鮮な、それでいてどこか懐かしい感覚で、昔赤と青の2色セロハンの眼鏡で立体感を出す「オバケのQ太郎」の短編アニメ映画を観た事がありますがそれをフッと思い出しました。ついでに言えば3Dで観るには近過ぎる最前列ではどんな風に見えるのか、興味が湧きますね。


因みに今回観たのは「ピラニア3D」、2010年に製作された作品で監督は「ミラーズ」や「マニアック」などホラー映画を主に手掛けるアレクサンドル・アジャ。突発した地震により発生した地割れによって地底湖に眠っていた絶滅したはずのピラニアの祖先が蘇り、観光シーズンの到来を迎え賑わうヴィクトリア湖畔に集まった人間たちを襲うという内容の、早い話がB級モンスター映画です。
水着姿のおねーさんたちや頭の悪そうな男たちが次から次へと襲われ、しかも結構盛大に血しぶきが飛び交うエロとグロとバカ満載の正直品の良い作品ではない(というより意図的にそう撮っている)のですが、何故かエリザベス・シュー、リチャード・ドレイファス、クリストファー・ロイド、ヴィング・レイムス、イーライ・ロスとキャスト陣が超豪華。ついでに言うと吹替えも三石琴乃、小山力也、東地宏樹、櫻井孝宏、坂本真綾、釘宮理恵、田村ゆかりとこちらも超豪華。
クライマックス、湖畔のフェスタに集った人々が大挙したピラニアに襲われてゆくシーンは大量のアイディアを惜しげも無くハイペースで畳みかける阿鼻叫喚ぶりがなかなかの迫力です。
真面目に観るには頭が痛くなるけれど、全て「そういうもの」と割り切って楽しむならかなり楽しいタイプの作品で、そういう意味では大人な楽しみ方を要求してくる映画です。私としてもたまに観る分には楽しいけど、こういうのばっかり観たいワケじゃないっす(笑)

なお、ちゃっかり「ピラニア・リターンズ」なる続編もあり、実はそれも今回の企画上映「スコーレ夏のぶっとび3D☆祭り」のラインナップの一つだったりします。このピラニア2作と「ファイナルデッドサーキット3D」(2009年製作。監督デビッド・リチャード・エリス)の3本が2~3日交替で今月15日までレイトショー上映しています。どれも良い感じに人がホイホイ死ぬスプラッターな作品なのでアレですが、普段とちょっぴり違う映像体験を楽しんでみたい方はこの機会にどうぞ。



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日中はまだ暑い日が続くものの朝晩は気温が下がるようになってきて、というのにも関わらず窓を開けっ放しにして寝てしまってちょいと風邪っぽいというボンクラをかましてしまった週末、季節の変わり目は油断できませんね~。

こんばんは、小島@監督です。
何だかんだともうすぐ夏も終わり。過ごしやすい季節になってきました。

さて、今回の映画は「君の膵臓をたべたい」です。

かつて母校だった高校に国語教師として勤める「僕」(小栗旬・北村匠海(高校生時))は、老朽化から取り壊しの決まった図書館の蔵書整理を任された。在学時、図書委員として図書館に籠り書庫の整理に携わっていたことを教頭が覚えていたのだ。
12年ぶりに図書館に立ち入り、栗山(森下大地)ら手伝いの生徒たちと蔵書整理を行う中で、「僕」はかつて心を通わせた少女・山内桜良(浜辺美波)との数か月を追想してゆく。


小説投稿サイト「小説家になろう」に投稿され、その後出版されるに至り、特に10代から強い支持を集める小説が実写映画化。大作ひしめくサマーシーズン真っ只中での封切りながら公開6週目を迎えても興行成績ベストテンにランクインし続ける人気作品になっています。
原作はタイトルこそ知っていたものの読んだことはない上に、もともとこういうタイプの作品を積極的に観に行くガラでもないのですが、今回は何だか興味が湧いて観に行ってきました。

難病を抱えた少女と出会う少年、というありきたりともいえる古典的な題材ながら、しかし単純なラブストーリーとしては描かれず、むしろその交流を通して自身の殻を破り成長しようとする重層的な青春心理ドラマとして描かれているのが特徴です。
飛び抜けて印象に残る凄いシーンがいくつもある、というでもないのですが、描かれるエピソードの全てが繊細で儚い美しさをまとった作品です。
人と深く関わりたがらない性格ながら内に芯の強さを秘める「僕」と快活ながら内面に影を孕む桜良は互いに惹かれあいながら、しかし恋人同士にまでは発展していきません。恋心というには相手に深入りしながらも、その先の喪失が避けられないと分かりきっているが故に恋人という関係に発展することを恐れる2人はその微妙な距離感ゆえに分かりやすい「恋人」という記号を超えた関係へと昇華していくことになります。

パンフレットを読んで知ったのですが、この映画は一点、原作に大きなアレンジを加えて製作されいます。原作は高校時代だけで完結しているそうですが映画では12年後の「僕」が追想する形を取っています。
このアレンジ、構成としてはいささか強引だったと言わざるを得ず、原作未読でもわかってしまうくらいの齟齬がいくつか見受けられますし、結果的にかなりご都合が過ぎる形になってしまった部分もあり、原作に強い思い入れのある方やロジカルな作劇を好む方には否定的に観てしまうのも頷けます。
ですがそういった欠点を差し引いてもこのアレンジは決して間違ってはいないと思えます。追想するというこのスタイルを取ったことで、主人公の心理描写に俯瞰的な視点を加えて得られた詩的なノスタルジーは紛れもなくこの映画の魅力の一つと言って良いでしょう。
余談ですが作中重要な意味合いを持つ図書館の撮影に使われたのは、アニメ「けいおん!」でもモデルとして使われたとされる豊郷小学校。数多くの訪問者を集めましたし、施設内やその周辺に見覚えのある方も多いのではないでしょうか。

そしてこの映画最大の魅力は2人の主人公、高校生の「僕」役北村匠海と山内桜良役浜辺美波2人の演技です。
特に浜辺美波が本当に素晴らしい。若手の俳優の中にはごくまれに、作品の題材や役柄、それを演じる時期などの全てが噛み合った時に眩しいくらいの輝きを見せることがありますが、本作の浜辺美波にはそれがあります。恐らくあと1年早くても遅くてもこの輝きは見られなかったことでしょう。まさに「今」しか成し得ない輝きがスクリーンから溢れています。

ちょっとグロテスクでホラーなタイトルの意味が明かされる頃には全てが愛おしくなってくる、そしてそんな情感を最高の余韻へと導いてくれるMr.Childrenによるエンディングテーマ「himawari」も素晴らしく、思いがけず素敵な青春映画に出会えました。
何年も経った後にフッと思い出して懐かしい気分になれるような、そんな作品です。話題作ですし間をおかずTVで観られる日も来るかと思いますが、その日を待つにはもったいない、是非スクリーンで味わっていただきたい映画ですね。

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先日、2年ほど前に「酒は充分知った。これからは食だ」と、定年まで数年を残して調理師免許を取るべく退職した職場の元先輩に思いがけず再会。近況を尋ねたら今秋から遂にワインバーを開店するとのこと。もう数年先の事かと思っていたら予想以上に早かった。…のは良いのですが、退職した時よりえらい太ってて驚きました。どんだけリタイア生活満喫してましてん(苦笑)

こんばんは、小島@監督です。
取り敢えず、開店したら一度行ってみなくちゃ。仕事帰りに寄るにはかなり行きづらい場所なのが難点だけど。

さて、ここしばらく試験だ何だで新作映画を観に行けていないので今回は少し前にリバイバル上映で観たクラシックな作品をご紹介。今回の映画は、「天使の入江」です。

パリの生真面目な銀行員のジャン(クロード・マン)は、友人のキャロン(ポール・ゲール)に半ば強引に連れ出されたアンガンのカジノで大勝ちし大金を獲得した。ギャンブルの魅力にハマり出したジャンはキャロンの誘いに乗り、より大きな勝負に出るために父親に勘当されるのも構わずパリを離れ南仏のニースへと向かった。
ニース到着後、逗留先となる安ホテルを見つけたジャンはそのまま「天使の入江」と呼ばれる海岸近くにあるカジノへと繰り出していく。そこでジャンはルーレットのテーブルで以前アンガンのカジノで見かけた女性を見つけ声をかける。ジャッキー(ジャンヌ・モロー)と名乗るその女性と意気投合したジャンはギャンブルのパートナーとなって2人で勝ちを重ねていった。
しかしある時2人は大負けし、ほぼ無一文になってしまったジャッキーはジャンのホテルに転がり込み、そこでかつてギャンブルのために夫と息子を捨てたことを告白する。翌朝、今度こそギャンブルと決別しようとジャッキーは独り駅へと向かうのだが。

1962年にフランスで製作された映画で、監督はジャック・ドゥミ。ドゥミは1960年代にフランスで起きた映画の潮流「ヌーヴェルヴァーグ」の代表的な監督の一人で、近年その監督作品が妻であり映画監督でもあるアニエス・ヴァルダや盟友であるカメラマン故・ラウル・クタールの協力と監修のもと相次いで4Kによるデジタル修復版が製作されており、今年その内のいくつかがアニエス・ヴァルダの初期作品と共に「ドゥミとヴァルダ、幸福についての5つの物語」と題して全国のミニシアターで順次特集上映が行われています。

話を映画に戻しましょう。開幕、ミシェル・ルグランの手によるテーマ曲と共に「天使の入江」を歩くジャッキーの姿を映したと思ったらそのまま猛スピードで後退してゆくファーストショットが強烈な印象を観る者に与え、その後のうねりを予感させます。
この映画、ジャック・ドゥミが後に名作と呼ばれる「シェルブールの雨傘」の準備に入ろうとしたところ、資金集めが思うように行かず、その資金を調達するために「だったらもう1本書いて当ててやらぁ!」と勢い任せにシナリオを書き上げ撮影まで漕ぎ着けたという逸話があり、だからなのでしょうか、勝つ時も負ける時も大きい2人の感情の交感はあまりに激情かつ刹那的でテンションが高いというか変に切迫した雰囲気が漂います。因みにこの激情が功を奏したか、「天使の入江」公開の翌年に資金繰りの問題は解決し「シェルブールの雨傘」は製作が開始され、翌1964年に公開に至っています。

ギャンブルのスリルに溺れ刹那的な感情のままに生きるジャッキーは、しかしどこか無垢な純真さを併せ持ち、無垢であるが故に破滅的な「冒険」への誘惑に抗えない。それはジャンにしても同じで、作中何度も映し出される勢いよく回転するルーレットの姿はそのまま2人を翻弄する運命の象徴でしょう。

実はそういった映画の主題とは別に個人的に印象に残ったのはカジノの情景です。最初のアンガン、メインとなるニース、後半2人が訪れることになるカンヌ、作中3か所のカジノが登場するのですが後になるほどその内装やスタッフの所作が洗練されていきます。特にカンヌの両替所のスタッフの手つきの滑らかさなど何故かやけに目に焼き付いてます。ホント、良い手さばきしてるんですよ。

物語の構図だけ観ればダメな男女のどうしようもない逃避行のような道行きを描いただけの話ですが、何故かこれが妙に美しい。「ルーレットであんなにポンポン勝ててたまるかー!」とかそういう野暮は一先ず置いて(笑)、回るルーレットに身を投げ出した2人が最後にどこに行き着くのか、もし機会が出来たなら是非その目で確かめてみてください。



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