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ちゅうカラぶろぐ


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ようやくこういう事もできるようになってきたというか、昨日は気心の知れた仲間で数人集まって持ち寄った酒を飲みながら「アイドルマスター ミリオンライブ」の配信を楽しむ、なんてことをやってました。そこそこまとまった酒量で呑むの自体が数か月ぶりで自覚してる以上に酒に弱くなっていたのにちょっと驚いてしまったというか(苦笑)翌日二日酔いにならないように後々いろいろ手を尽くす羽目に。何とか問題無く今日を迎えております(笑)

 こんばんは、小島@監督です。
 は~それにしてもそろそろライブを現地で楽しみたい。

 さて、今回の映画は「デッド・ドント・ダイ」です。

 アメリカの田舎町センターヴィル。警察署長クリフ(ビル・マーレイ)と巡査ロニー(アダム・ドライバー)は日課の巡回がてら住民同士のトラブルの対処に当たっていた。森に暮らす世捨て人ボブ(トム・ウェイツ)に鶏を盗まれたと白人至上主義の農夫フランク(スティーブ・ブシェミ)から通報があったのだ。ひとまずその場を収めるクリフとロニー。
 些細なトラブルは絶えないが、穏やかに続く日常。しかし最近何かが歪み始めていた。日没時間が徐々に遅くなり、時計やスマホの電池が突然切れて動かなくなり無線も調子がおかしい。ペットが突如主人を襲ったり家畜が失踪したりと動物たちも異常な行動が目立ち始めた。
 そしてある夜、墓地で死体が棺を壊し地中から這い出て歩き始めた…

 コロナ禍で公開延期になった映画はもう数えきれないくらいありますが、そういった作品たちの中にようやく封切られるタイトルが出始めました。結果的にその先鞭をつけた格好となったのがこの「デッド・ドント・ダイ」です。監督はジム・ジャームッシュ。3人の男女の何気ない日常をスタイリッシュなモノクロ映像で展開した「ストレンジャー・ザン・パラダイス」(1984年)、テーブルに置かれたコーヒーとたばこを起点に様々な登場人物による与太話が繰り広げられる「コーヒー&シガレッツ」(2003年)、街と同じ名前を持つバスの運転手のある1週間を描いた「パターソン」(2016年)など、ハリウッドとは距離を置き独自の作風でインディペンデント映画を製作し続ける巨匠が初めてゾンビ映画を手掛けました。もっとも彼のフィルモグラフィを見れば「ジャンル映画」に手を出したのはコレが初めてではなく1995年にはジョニー・デップを主演に迎えた西部劇「デッドマン」(こんなタイトルだけどゾンビは出ない)、永遠の命を持て余した吸血鬼のカップルを描いたティルダ・スウィントン&トム・ヒドルストンのW主演のヴァンパイア映画「オンリー・ラヴァーズ・レフト・アライヴ」(2013年)なんてのもあるので思いついたらやってみるタイプの人なのでしょう。

 そういう人が製作した作品なのでゾンビ映画に対するアプローチも「歩み寄る」のではなく自分に「引き寄せる」ように作っています。そのため定石をだいぶ外れた作品に仕上がっています。街に迫る不穏な空気を描き出す前半部に思いのほか時間を割いておりゾンビが出るのは後半に差し掛かってからだったり、登場人物が突如として「第四の壁」を破るようなメタ・フィクショナルな発言をしたり。伏線が全てきっちりと回収されるワケではなくかなりの要素がほったらかしにされる人を食ったような作りもジャームッシュ映画らしいと言えばらしいです。

 ゾンビの描き方もなかなかに特徴的で、「生前こだわっていたものに無意識に引かれる」という設定の下、様々なスタイルのゾンビが登場。特にスマホ片手にWi-FiとBluetoothを求め彷徨う「Wi-Fiゾンビ」はその極め付きと言えるでしょう。総じてゾンビというものを通してある種のアイロニーを描き出そうとしているように見えます。

 終末的な世界観に緩めの笑いを随所にまぶした、相当に好みが分かれるタイプの異色作です。見慣れたゾンビ映画を気楽に楽しみたい方には却ってお勧めできませんが、「ヘンテコな映画」を見てみたい方にはこの独特な波長の作品、試してみる価値はあると思いますよ。   


 

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ありがたいことにというか、先週から「アイドルマスター ミリオンライブ」がこれまでに開催された単独大型ライブイベントの全公演を約1か月かけて配信するという企画を展開中です。昨日は2ndライブDay2が配信されていました。開催時期は2015年4月初頭。この約3か月後にアイマス10周年記念ライブが西武ドームで開催されて私も観に行っています(何ならブログも書いてます)が、このミリオン2ndは観に行けずじまいだったので嬉しい限り。
 ライブから5年経った今でも語り草となっている「曲がサビの手前で止まってしまうが観客が曲を歌い繋いで、それを受けて出演者がアドリブでアカペラのまま歌いきる」というハプニングの模様の全貌をようやく観ることができました。というかその瞬間が来るまで、コレがそのライブだったことを失念していたのでかなりの驚き。恐らく急ピッチで機材復旧していたであろう長い暗転もハンドクラップとコールで場の空気を冷まさないようにする観客たちに刺激されたのか、再開後の出演者たちのパフォーマンスも明らかにスイッチが入っていてその熱量がうねりを生み、初見の身にも熱くなるものがありました。観終えた後これをその日その時に観られなかったのが少しだけ悔やまれましたね(苦笑)

 こんばんは、小島@監督です。
 そのミリオンライブ、今週は初のツアーとなった3rdライブ全公演を14日の日曜日まで毎日日替わりで配信しています。多くの出演者がツアー中にブレイクスルーを果たしているのが分かりますし、千秋楽にはこれまた今でも語り草となっている名台詞が飛び出す瞬間もあるのでアイマスPでない方も是非。

 さて、今回の映画は「ひまわり」(HDレストア版)です。

 第二次世界大戦のさなか、ナポリの海岸で出会い恋に落ちたジョヴァンナ(ソフィア・ローレン)とアントニオ(マルチェロ・マストロヤンニ)。アントニオは徴兵が決まっていたが結婚すれば休暇がもらえることを知り2人は結婚。しかし休暇は瞬く間に過ぎ去り、戦地へ派遣されたくないアントニオは精神病を装って兵役を逃れようとするが看破され、極寒のソ連戦線へ送り込まれてしまう。
 時は流れ終戦の時を迎えたがアントニオは帰還しなかった。彼の母親(アンナ・カレナ)と共に引き揚げを待ち続けるジョヴァンナだったが行方不明の報が届くのみ。しかし復員兵の一人がアントニオを覚えていた。諦めきれないジョヴァンナは微かな可能性を信じソ連へと向かう。

 冒頭とラストシーンに映し出されるどこまでも広がるひまわり畑のショットが印象的な、1970年にイタリア・フランス・ソ連の合作で製作され日本でも同年公開されたメロドラマの傑作です。今年公開50周年を記念しHDレストアを施されて現在営業再開した各地の映画館で順次公開が始まっています。主演にはイタリアを代表する女優で度々来日もしているソフィア・ローレンと、1960年代から1996年に没するまで同じくイタリアを代表する名優であったマルチェロ・マストロヤンニ。監督は1940年代から「靴みがき」や「自転車泥棒」など市井の悲喜劇を描き、イタリアの作劇スタイル「ネオ・リアリズモ」の旗手として活躍したヴィットリオ・デ・シーカが手掛けました。この映画について更にいえばヘンリー・マンシーニの手によるテーマ曲も有名で、知らず聞いたことのある方も多いのではと思います。

 映画は序盤イタリアの男女の恋を軽妙に描いたのち、アントニオが戦地へ派遣されてから一気に悲劇性が高まります。そして夫を探してソ連へ赴いたジョヴァンナに思わぬ事実が付きつけられます。
 半世紀前の映画に対して言うのも何ですが、筋立てだけで言えば「良くある話」です。ただ繊細な男女の機微の表現に加え、それを演じる主演2人の演技の見事さと耳に残る音楽が重なると、「良くある話」も「類まれな作品」へと変わる好例と言えるでしょう。

 実はこの映画、面白いことに本国以上に特に日本でだけ評価が高い作品です。描かれている事柄やその描き方に日本人の琴線にことさらに触れる何かがあったのでしょうか。デ・シーカ監督作品としてもソフィア・ローレン主演作品としても各国の映画祭などでの評価は他と比べるとそれほど高いわけではありません。それゆえ作品資料も少なくマスターテープも残っておらず(現時点では)一つのネガも見つかっていないため、上映用のポジからHDマスターを作成しそれを基本素材として傷などを除去するレストア作業を行ったそうです。しかもその作業の一連は日本で行われました。そのため結果的に最も修復度合いが高い素材を日本が有している形になっているとか。日本よりフィリピンでの知名度の方が高い「ボルテスV」のような例もありますし、作品というのは時に数奇な形で生き残ります。

 日本でこそ愛されたこの普遍的で抒情的な物語、今観るからこその味わいもあるのではと思います。クラシックだからとスルーせず、スクリーンで楽しめるこの機会に是非どうぞ。

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水樹奈々の全国ツアー全公演の中止やアニサマが来年への延期など大型ライブイベントの中止・延期がここ数日に相次いで発表されました。アニサマ、実はチケットを入手していたので開催されれば初めての現地参戦になる予定だったのですが、それは来年以降に持ち越しのようです。現時点であと1件、開催の可否を運営側が保留しているライブがあるのですが、それを除くと今夏の私の予定は事実上の白紙。夏が始まる前に終わってしまいそうです。

 こんばんは、小島@監督です。
 緊急事態宣言も解除され、6月に入った今日から通常営業に戻ったところも多いのですが、まだまだこれまで通りとは行かないですね。

 さて、今回の映画は「AKIRA」AKIRAです。

 1988年、関東で「新型爆弾」が爆発したのを機に第三次世界大戦が勃発。
 それから31年後、戦後復興した「ネオ東京」では軍と反政府ゲリラの衝突が続いていた。
 不良少年の金田(声・岩田光夫)は仲間の甲斐(声・草尾毅)・山形(声・大倉正章)・鉄雄(声・佐々木望)らとつるんで暴走行為に明け暮れる日々を過ごしていた。ある日暴走中に鉄雄はタカシ(声・中村龍彦)と衝突する。子供でありながら老人のようなタカシの姿に鉄雄は愕然とする。更に鉄雄を助けようとした金田たちの前に軍が現れ、鉄雄は軍によって研究所に連れ去られてしまった…

 1980年代のアニメというのは、高畑勲・宮崎駿・富野由悠季といった70年代以前から製作に携わってきたクリエイター達が監督として脂が乗り始めていた一方、庵野秀明・河森正治などが新世代として台頭し始め、それまでのイメージであった「子供の観るもの」だけではなくなりつつあった時代で、爛熟し始めていた時期とも言えるでしょう。家庭用ビデオの普及によりテレビアニメだけではなくリリース形態がビデオフォーマットのみのOVA(オリジナル・ビデオ・アニメーション)が製作され始め、よりコアなターゲットに訴求する作品が生まれやすい地盤ができつつある時期でもありました。
 そんな最中の1988年に製作・公開されたのがこの「AKIRA」です。作中の時期と重なるということもあってか、公開から30数年を経た今年、4Kリマスターによる画質向上と音源のリミックスを施したIMAX版が製作されIMAXシアターを擁する各地のシネコンで上映されています。IMAX版、封切りは4月初頭だったので恐らく当初の予定ではゴールデンウイーク向けの大作が公開されるまでの繋ぎのプログラムだったと思うのですが、全てが延期されている今は事実上のロングラン状態に。そのおかげで観ることができました。

 映画序盤に登場する「急制動をかけた金田のバイクが路面に火花を散らしながら画面手前から奥へと滑っていく」ショットが、その後洋の東西を問わず現在に至るも多くの映像作品でインスパイアされているほど、多大な影響を及ぼした作品です。それだけではなくテールライトの残像が尾を引くように軌跡を描きバイクの挙動を表現する、広角や望遠といったレンズを意識した構図を多用するなど当時としては斬新な映像表現が目白押し。動きのダイナミズム、緻密な背景作画、容赦のないバイオレンス描写など海外での「ジャパニメーション」のイメージに先鞭をつけた作品と言えるでしょう。今観ても異常なほどの情報量。これまで何度か自宅で鑑賞したことはあるのですが、スクリーンで観ると桁違いです。エネルギーの奔流がほとんどそのまま叩き付けられているような感覚さえ味わいます。

 現在の視点で観ると興味深いところとしてはビジュアルのイメージ。軍と反政府ゲリラの衝突の様子は安保闘争や全共闘運動を思わせますし、現在では水質浄化が進み魚も棲めるようになった河川もゴミが漂う汚水のままであったり、発展した科学と昭和的な情緒が同居するサイバーパンクな都市のイメージと合わせてそのビジュアルはどこかノスタルジック。80年代を体感したことのない方には古くも新しくもあるこのビジュアルは不思議な印象を受けるのではないでしょうか。

 「AKIRA」は日本のアニメを紐解いていくときに避けては通れない作品の一つ。不意にグロテスクな描写も出てきたりはしますが、そういうのが苦手な方でもスクリーンで観られるこの機会を利用して、世界にすら影響を与えたマグマのようなエネルギーを味わってみてほしいですね。

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くだんの10万円こと「特定給付金」、ようやく私の所にも近日入ることになりそう。地域によっては入る以前にまだ申請書も届いていないところもあるそうですし、何よりマイナンバーを利用してのオンライン申請の方が却って遅くなりそうというのがちょっとアレですが頂けるのはとてもありがたい。約1か月半ほど出勤日が週2~3日という日々が続き、それ以外の日は休業扱いでいわゆる休業手当の方になってしまうため、実はトータルでなかなかに実入りが減っています。ので、給付金はその補填に充てることになりそう。まぁ仕事そのものが吹っ飛んだ方も少なくない中でこの程度で済んでいる上、何より外出の機会も減って相当出費も抑え込めているので比較的ダメージは少なく収まっているのでまだマシというところでしょうか。

 こんばんは、小島@監督です。
 ところでマスクの方はまだ届いていません。いろいろ言われている物の実物を早く見てみたいのですがそれはまだ先のことになりそう。

 さて、先週名古屋駅周辺の各映画館が遂に営業再開に。とは言っても販売する席数を通常の4~5割程度に減らしたり営業時間を短めにしたり、上映作品にしてもごく僅かながら「営業再開後に順次公開」という形で封切りが段取りされた作品があるものの、ほとんどは休業前に上映していたものをそのままスライドしているか旧作で編成していてまだまだ本格的な再開とまではいかない、というのが実情ですが、それでもようやくスクリーンで映画を楽しめる場が戻ってきました。私も昨日早速観てきましたよ!というワケで今回6週ぶりに「映画館で観た映画」の感想。
 今回の映画は「プロメア」です。

 突如炎を操れるようになった人類「バーニッシュ」が世界中に現れ惑星規模の発火現象「世界大炎上」が発生し世界人口の半分が焼失してより30年。炎上テロを繰り返すバーニッシュの集団「マッドバーニッシュ」の猛威に抗うべく、特殊装備を以てバーニッシュ火災に対抗する救命消防隊「バーニングレスキュー」が組織された。
 新米隊員のガロ・ティモス(声・松山ケンイチ)は、火災現場でマッドバーニッシュの首魁リオ・フォーティア(声・早乙女太一)と出会う。機転を用いてリオの逮捕に成功するガロだったが、それが地球規模の危機と立ち向かう戦いの始まりとなるのだった。

 旧作の再上映の何がありがたいって「見逃した作品を観られる」ところにあったりします。「プロメア」はちょうど1年前の昨年5月に封切られた映画で、監督今石洋之・脚本中島かずき・製作スタジオはトリガーと「天元突破グレンラガン」「キルラキル」の布陣が再結集して製作されたオリジナル作品です。音楽も「キルラキル」のサントラを務めた澤野弘之が担当しているほか、キャストも脇役に檜山修之・小西克幸・小清水亜美・柚木涼香・稲田徹など過去にどちらかに出演した声優が多いのも特徴。この辺り、TVシリーズではなく劇場新作だからこそテイストの分かる人たちで固めた、という一面もあるのかもしれません。

 映画はノリの良いセリフと勢いの良い作画にエモーションを乗せた、実に「アニメを観る楽しみ」に満ちた作品になっています。バーニッシュが操る炎を敢えて曲線ではなく四角や三角を用いた直線的でソリッドなビジュアルにしているのも物理的なリアリティを無視できるアニメならではの面白い表現です。
 プロット自体はシンプルなのに、恐ろしく速いテンポに圧倒的なまでの情報量を乗せてくるので相当に濃密に見えてしまうのもいかにも今石・中島コンビ作品らしい楽しさです。勢い任せに見えてある種計算尽くのこの2人が仕掛けていることなので終盤の「グレンラガン」のセルフパロディに「マジンガーZ」を上乗せしたようなアレとかソレとかも恐らく狙ってやっています。

 無茶苦茶なまでにノリのいいこの作品の意外ともいえる見どころに主演声優陣の演技があります。ガロ役松山ケンイチ、リオ役早乙女太一もさることながら物語のカギを握る人物クレイ・フォーサイト役を演じる堺雅人の演技が素晴らしい。ドラマや映画の印象からしてこういう叫び声を上げられる方だとは知りませんでしたよ。と言いたくなるくらいの熱演にして怪演。古くは「戦闘要請雪風」の主人公深井零を好演して評価を得たりしているので実はアニメと相性が良いのかもしれませんね。

 よくよく考えればご都合主義も過ぎるくらいなのにコレはコレで良いか、と妙に力業で納得させられてしまう逸品。少々エキセントリックなところはありますが「アニメだからできる」ことに溢れた快作です。
 未見の方は是非どうぞ。

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東京や大阪などまだ継続中のところはあるものの他の所では緊急事態宣言が解除され、休業要請も徐々に緩和中でようやく「日常」が戻ろうとしています。映画館も愛知県では大手シネコンはまだ再開時期を明確にしていないものの、シネマテークが20日、シネマスコーレが23日に営業再開を告知。岐阜県では岐阜市と関市のシネックスが16日から再開。三重では109四日市が15日から再開。三重県下唯一のミニシアター伊勢新富座も30日に再開の予定だそうです。とは言え新作はほぼ全てが延期になってしまっているため旧作のみの上映となっているよう。この辺りは東京・大阪が動き出さないと難しいようですね。

 こんばんは、小島@監督です。
 でも映画がまた観られるようになる日々ももうすぐ!

 さて、今回の映画は「∀ガンダム Ⅰ 地球光」及び「Ⅱ 月光蝶」です。

 月の民「ムーンレィス」の人々は地球への帰還を果たそうとし、その先遣として環境適応テストを兼ねロラン・セアック(声・朴璐美)ら少年少女たちを地球へ送り込んで生活させた。川で溺れているところを鉱山主のハイム家の娘キエル(声・高橋理恵子)とソシエ(声・村田秋乃)に救われたロランはそれが縁で鉱山で職を得、その後技術面の覚えの良さを見込まれてハイム家の運転手となった。
 その頃大陸への移住を希望するムーンレィスの入植要請に応対していたイングレッサ領主グエン・サード・ラインフォード(声・青羽剛)は彼らの技術力の高さを危惧し市民軍「ミリシャ」の増強を図る。
 ロランとソシエが参加することになった神像「ホワイトドール」の元で執り行われる成人式の夜、月の軍「ディアナ・カウンター」がモビルスーツを以てイングレッサを襲撃。街を蹂躙する。モビルスーツが発したビームに呼応しホワイトドールは起動した。偶然乗り込むことになったロランとソシエは長い眠りから覚めたホワイトドールの力を目の当たりにする。

 1999年から2000年にかけて放送された「∀ガンダム」、その全50話を再構成し2部作として製作された劇場版で2002年に公開されました。今では辞書にまで乗るようになった単語「黒歴史」を生み出した作品でもあります。デジタルでの作業が主流になりつつある中でセル画でペイントされたカットも多く過渡期のものらしい風合いの作品になっています。
 アニメ・実写を問わず2部作・3部作の作品を一挙に製作して連続公開する形態は度々見受けられますが、この作品は日本で初めて「サイマル・ロードショー」という2作品を日替わりで上映する方式が取られました。

 2作合わせると4時間半となかなかの長尺ですが、ベースとなるTVシリーズが全50話あるため基本となる物語を追うのが精いっぱいの総集編ではあります。「∀ガンダム」は本筋だけでなく、例えばホワイトドールで牛を運んだり洗濯をしたり、あるいは老婆がたった一人でモビルスーツに戦いを挑んだり、そんな単発のエピソードにも光るものが多く、またそういう積み重ねの中で重層的に描かれる人物描写や世界観に魅力のあるシリーズであるため、それらの多くを「行間」に押し込めてしまっているのでどこか物足りなくはあります。

 しかしじゃあ全くもってつまらない作品なのか、というとそれがそうでもない不思議。編集のリズム感が良いというか「駆け足で展開しているはずなのに駆け足しているように見えない」ような印象があります。
 同時に新たに作り起されたシーンや、TVシリーズを全面的にブラッシュアップしたシーンの多くが戦闘シーンではなく食事であったり祭りであったり、人の営みを描くシーンに費やされていることも起因しているでしょう。一時は「皆殺しの富野」とまで言われた富野由悠季監督ですが「ブレンパワード」あたりから作品の雰囲気に変化が生じていて、特にこの「∀ガンダム」では何かを掴んだのではないでしょうか。後の「オーバーマン・キングゲイナー」や「Gのレコンギスタ」で観られるようなテイストが見受けられるようになってきています。

 「∀ガンダム」を語る上でもう一つ外せないのが菅野よう子の手による音楽です。フルオーケストラの荘厳なシンフォニーだけでなくケルト調のサウンドや成人式の儀式のシーンで登場する素朴な祭りの歌まで、ジャンルという垣根を飛び越えたサウンドの数々が物語を彩ります。正直言ってこの音楽が無ければ「∀ガンダム」の評価はもっと低いものになっていたんじゃないかとさえ思える素晴らしい楽曲の数々で、個人的には「予約してまでサントラCDを買った」のは今のところ「∀ガンダム」が最後です。劇場版でもその手腕は存分に活かされ、その楽曲群が富野監督の独特な編集に乗った時にもたらされる相乗効果が奇妙なまでに心地良いのです。

 さっきのサントラの件だけではないですが、この「∀ガンダム」という作品、私としては丁度大学生活も後半に差し掛かりこれから社会に出ようかという時期に観ていたこともあって単に2色ではない様々な価値観が相乗も相克もするこの物語に受けた影響はかなり大きく、今観てると当時の自分の心情が思い出されてちょいとほろ苦くなったり変な笑いが出たりしますが(苦笑)、それでも忘れ難い作品です。せっかくだしまた久しぶりにTVシリーズ見返そうかな。

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運動不足がたたりすぎて土踏まずが攣ったりとかしてますが、国を挙げて「家にいろ」と言われてるので何だかんだ引きこもり生活を満喫しつつある今日この頃。先日は「リアル脱出ゲーム」を手掛ける謎解き集団「SCRAP」がプロデュースする「リモート脱出ゲーム」なんてものに挑戦しました。
 「ある2つの通信基地からの脱出」と題したそれは、「北極と南極にある秘密組織の通信基地に潜り込んだ2人のエージェントが互いに連絡を取りながら脱出を図る」という体で、対になっている「南極キット」か「北極キット」を用意してLINEやビデオ通話を利用して謎を解いていくというもので、実際プレイしてみた感想としては、何というか笑えます、ええ(笑)。このブログを読んでいる方でこれからプレイされる方もいらっしゃるかと思うのでどこがとは言いませんが。でもこういう「遊び」もあるのだなと感心する面白さでしたよ。

 こんばんは、小島@監督です。
 ちょっと性格が悪いですが「リモート脱出ゲーム」、今度は人がやってるところを後ろで眺めてたい。大丈夫!終わるまではずっと黙ってるから(笑)!

 さて、今回の映画は「きっと、うまくいく」です。

 長く音信不通だった親友ランチョー(アーミル・カーン)が街に戻ってくるという報せを受けたファルハーン(マドハヴァン)とラージュー(シャルマン・ジョシ)は母校に向かった。
 10年前、彼らは理系の名門ICEの生徒だった。ランチョーは成績優秀で明るく、それでいて何物にも媚びず、譲れないとあれば鬼のように厳しいヴィールー学長(ボーマン・イラニ)にも一歩も引かない、学園一の人気者だった。彼らは共に青春を過ごし、そして卒業と共にランチョーは誰にも何も告げずに姿を消したのだった…

 2009年にインドで製作され、日本では2013年に公開された作品です。インド映画としては当時の歴代最高の興行収入を叩き出したほかスティーブン・スピルバーグやブラッド・ピットなども賞賛の声を浴びせるなど世界的にも評価が高く、2017年にはメキシコでリメイクが製作されるなど各国でリメイク権獲得の動きがありました。

 邦題こそ「きっと、うまくいく」と感動ドラマメインの真面目そうなタイトルをしていますが原題は「3 idiots」(直訳すれば「3バカ」)なので基本はコメディです。新入生いびりを強烈な方法でやり返したりかなりパワフルな笑いの取り方をしてきます。しかしその一方で高度経済成長期にあったインドの陰の部分もあぶり出していきます。急激な経済成長がもたらした経済格差、学歴や経済的な成功を求められるあまりにそのプレッシャーに耐え切れなかった若い自殺者が増えていることなどが描かれます。この映画が製作された当時、世界の自殺者の23%がインドだったというWHO(世界保健機構)の報告もあり大学を舞台に描く以上無視できなかったのでしょう。勝利至上主義に囚われた大人たちによって探求心よりも即物的な結果を求められる学生たち。それに振り落とされた者たちは容赦なく排除され潰されていき命を絶つ者も現れます。
 ランチョーたちはこれに抗います。大人たちの権威に葛藤したり立ち向かったりしながら自身の生きる道を見出し、やがてそれは旧弊に縛られた大人たちの意識も変えてゆくようになります。ある「時代」の中で作られたからこその熱量とも言えるでしょう。これが眩しいくらいに輝きを放ちます。

 映画は過去と現在を行き来しながら3人がどんな学生時代を過ごしたか、そして姿を消したランチョーがどんな生き方をしてどこにいるのかを描いていきます。喜怒哀楽、すべての感情をこれでもかとばかりに盛り込みながら同時にあらゆる伏線を収束させ大団円へと駆け抜けていきます。このストーリーテリングの手腕があまりにも見事。またインド映画お定まりのゴージャスな歌と踊りのいわゆる「マサラ」な部分は意外と薄めなのでその辺りが苦手な方にも結構見やすい部類に入る作品ではないでしょうか。
 長大なことがお約束のインド映画らしく上映時間は171分と長いですが、そんなこと気にもならないくらいに面白いです。それでも長さがハードルになりそうな方はちょうど映画の真ん中あたりで画面に「Interval」と表示されるので(インド本国では2部構成で上映されたため途中で休憩が入った)、そこで一旦区切りにしても良いかと思います。

 映画に求められる全部がこの中にあると言っても過言ではなく、映画の「パワー」を実感できる作品です。不安とストレスで殺伐とした言葉が行き交う日々が続きますが、ひと時この至上の余韻を味わっていただけたらと思いますね。
  
 
 
  

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緊急事態宣言に基づく自粛の影響が長引くにつれ、お酒を含めた飲食の傾向が大きく変わってきました。「オンライン飲み会」をする人が増えたことで結果的に「宅呑み」需要が上り、ビールやチューハイの缶だけでなく、実は通販では自分で店で買って持ち帰るには重たい一升瓶の日本酒や焼酎の売上が伸びたりしています。また卸業者的にはテイクアウトを始める飲食店が増えたので持ち帰り用の容器や割りばしなどの需要が増加したりしました。

 こんばんは、小島@監督です。
 オンライン飲み会、私もやってみましたが際限なく駄話して時間が過ぎていく感じが(苦笑)でもやっぱり人と飲むなら実際に顔合わせて飲みたいですね。テイクアウトして自宅で食べたりもいいですが、その「場」で食べてるから良い、というのもありますし。

 さて、今回の映画は「ワンダー 君は太陽」です。

 難病「トリーチャー・コリンズ症候群」により産まれた頃から何度も手術を重ねてきた少年オーガスト(オギー)・プルマン(ジェイコブ・トレンブレイ)。両親のイザベル(ジュリア・ロバーツ)とネイト(オーウェン・ウィルソン)から教育を受けてはいたたものの一度も学校に行ったことのなかったオギーだったが病状が一段落したことで学校に通えるようになる。しかし病により変形してしまったオギーの顔を見た生徒たちはなかなか受け入れられず、いじめにまで遭ってしまいオギーはふさぎ込んでしまう。 
 両親の励ましを受けたオギーは何とか立ち直り懸命に行動を起こす。そうした中でジャック・ウィル(ノア・ジュープ)という少年と友達になったオギーは少しずつ学校生活に馴染んでいくが…

 2017年に製作され(日本公開は翌2018年)、難病を抱えた少年が自らの世界を広げていく様と、それに寄り添い生きる家族の姿をユーモラスかつ繊細に描き出し各所で称賛を浴びた作品です。
 異質な存在に対して笑顔で残酷な言葉を浴びせかける子、見た目が違うけど話してみると賢いし面白いヤツだからと段々と仲良くなりオギーを受け入れていく子、どちらも子供らしい姿であり、それらに晒される日々の中でオギーは自身の内面も成長させながら同時に周囲の状況をも変化させていきます。
 面白いのはこの映画、決してオギー一人にスポットを当て続けるわけではない点です。始めにオギーが学校に行くことになったことで生じた困難と葛藤を描きますがその後、オギーの姉のヴィア(イザベラ・ヴィドヴィッチ)、ヴィアの親友のミランダ(ダニエル・ローズ・ラッセル)、そしてジャック・ウィルと章立てを変えてそれぞれの視点で物語が語られオギーが起こした影響が波及していくと共に片面的でない内面が描き出され徐々に重層化していきます。

 この作品を手掛けたのはスティーブン・チョボウスキー。いわゆるスクールカーストの最下層となった青年の心情を繊細に描いた作品「ウォールフラワー」で評価を集め、近年ではエマ・ワトソンが主演した実写版「美女と野獣」の脚本を務めた人物です。

 一人の少年を起点に子供も大人も皆何かしらの影響を受け成長してゆく、主人公の見た目に眩みがちですがこれは人種や体型など他の事象へも置換可能で「ただ異質であるが故に」起きている差別やいじめに対してどう向き合うべきかの示唆も与えてくれる寓話的な内容であると言えるでしょう。
 ストレスや不安を何かにぶつけたくなる日々が続いていますが、少し立ち止まることを余儀なくされているこの時間にこういう物語に触れることで得られるものもあると思います。是非多くの方にご覧になって頂きたいですね。

 それにしてもできれば来週はまだ無理でも再来週かその次くらいには公開中の作品の感想が書きたいですのぅ。そろそろ映画館で映画が観たい。やっぱりね、映画館で観るのが良いんですよ。

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