昨日の歌会に参加された皆さん、お疲れ様でした。
3か月ぶりの開催となった歌会、前回同様いろんなことが手探りという感じでなかなかこれまで通りとはいかない難しさを実感しますね。あと個人的に歌会以外ではほとんどカラオケに行かないのでカラオケ自体前回の歌会以来だったから最初は声の出し方から探り探りでしたわ(苦笑)
こんばんは、小島@監督です。
それから、休止期間中に顔を見れた方ってそんなに多くないので大半の方が数か月~年単位ぶりでしたしそういう方たちと言葉を交わせたのも嬉しかったですね。昨今の事情を考えるとまたこれまで通りにコンスタントに、とはいかないでしょうが開催される折はなるたけ顔を出したいと思います。
さて、今回の映画は「星の子」です。
高校受験を控えた林ちひろ(芦田愛菜)は、両親(永瀬正敏・原田知世)と姉(蒔田彩珠)の4人家族だが家庭の様子は普通とは少し違っていた。未熟児として生まれ病弱だったちひろのために両親はあらゆる療法を試した末に心霊療法に辿り着いた。特別な生命力を宿したというその水によってちひろの病状は改善。それを機に両親は「怪しい宗教」にのめりこむようになっていく。そんな両親と距離を置くように姉は家出を繰り返し、やがて戻らなくなってしまう。転居を繰り返すたびに家も狭くなっていった。それでも自分に愛情を注いで育ててくれた両親のことをちひろは大好きだったし、そんな家の事情を知っていても仲良くしてくれる友人もいて、また数学教師の南(岡田将生)への恋心も手伝って学校生活はそれなりに充実していた。
しかし秋も深まり冬に差し掛かろうかというある日に、ちひろの心を揺さぶる事件が起きる。
「信じる」とは、時に美しく純粋であり、時に醜悪な狂気に映るもの。決して起伏の激しいとは言えない、むしろ静かなトーンの物語の中で語られるのは、そんな「信じる」ことへの危うさです。際どい境界線上を揺らぎながら歩き続ける少女の不安定な心情を巧みに描き出します。
この映画をより見事なものにしているのは何と言ってもこれが6年ぶりの映画主演となる芦田愛菜の演技です。少女の心の揺らぎを時に表情一つで演じ切って見せます。当人も撮影時は主人公と同じ15歳だったはずなのですが「少女が良くも悪くも精神的に大人へと成長し始める瞬間」の表情を演じてみせたのにはさすがに唸りました。芦田愛菜、実際のところ今何周目の人生を歩んでいるのでしょうかといぶかってしまうほどの重厚さです。
無論ほかの方の演技も負けていません。というか「演技下手な人が一人もいない」のがこの映画の静かで大きな特徴で、そんな登場人物全員が全員自然な振る舞いをしているのは一見地味ですが実はなかなかの凄みです。
物語の大きな特徴として、主人公・ちひろに対して「実は悪意を向けている人はほとんどいない」ことがあります。それは家族愛であったり友情であったり、あるいは信仰心に根差したものでもあったりと質も深さも様々ですが彼女に向けられているのはほぼ全て善意から来るものです。そうであるが故に作中数少ない彼女に向けられるある「悪意」とそれに晒されたちひろの表情が際立つとも言うのですが。面白いのは「そもそもこの状況が出来上がった発端が、自分自身が宗教染みた水によって体が治ってしまったこと」にあることを当人が気づいているが故に際どく危うい中を歩かねばならないことになってしまっている点です。
クライマックスに、この映画にはかなり長い、カメラの位置さえ固定されたワンカットのシーンが登場します。決して劇的なことが起こるわけではないのですが独特の静謐な緊張感が漂うそのシーンでの会話や表情はどうぞ見逃さないでください。
独特にして生々しい苦みや胸苦しさを感じさせられる1本ではありますが、それ故に人の心に残せる「何か」がある作品とも言えるでしょう。起伏が少ないのでダイナミックな映画が観たいときには向かない作品ですが、秋も深まりつつあるさなかにじわりと染み入るような、こんな1本も時には良いと思いますよ。
3か月ぶりの開催となった歌会、前回同様いろんなことが手探りという感じでなかなかこれまで通りとはいかない難しさを実感しますね。あと個人的に歌会以外ではほとんどカラオケに行かないのでカラオケ自体前回の歌会以来だったから最初は声の出し方から探り探りでしたわ(苦笑)
こんばんは、小島@監督です。
それから、休止期間中に顔を見れた方ってそんなに多くないので大半の方が数か月~年単位ぶりでしたしそういう方たちと言葉を交わせたのも嬉しかったですね。昨今の事情を考えるとまたこれまで通りにコンスタントに、とはいかないでしょうが開催される折はなるたけ顔を出したいと思います。
さて、今回の映画は「星の子」です。
高校受験を控えた林ちひろ(芦田愛菜)は、両親(永瀬正敏・原田知世)と姉(蒔田彩珠)の4人家族だが家庭の様子は普通とは少し違っていた。未熟児として生まれ病弱だったちひろのために両親はあらゆる療法を試した末に心霊療法に辿り着いた。特別な生命力を宿したというその水によってちひろの病状は改善。それを機に両親は「怪しい宗教」にのめりこむようになっていく。そんな両親と距離を置くように姉は家出を繰り返し、やがて戻らなくなってしまう。転居を繰り返すたびに家も狭くなっていった。それでも自分に愛情を注いで育ててくれた両親のことをちひろは大好きだったし、そんな家の事情を知っていても仲良くしてくれる友人もいて、また数学教師の南(岡田将生)への恋心も手伝って学校生活はそれなりに充実していた。
しかし秋も深まり冬に差し掛かろうかというある日に、ちひろの心を揺さぶる事件が起きる。
「信じる」とは、時に美しく純粋であり、時に醜悪な狂気に映るもの。決して起伏の激しいとは言えない、むしろ静かなトーンの物語の中で語られるのは、そんな「信じる」ことへの危うさです。際どい境界線上を揺らぎながら歩き続ける少女の不安定な心情を巧みに描き出します。
この映画をより見事なものにしているのは何と言ってもこれが6年ぶりの映画主演となる芦田愛菜の演技です。少女の心の揺らぎを時に表情一つで演じ切って見せます。当人も撮影時は主人公と同じ15歳だったはずなのですが「少女が良くも悪くも精神的に大人へと成長し始める瞬間」の表情を演じてみせたのにはさすがに唸りました。芦田愛菜、実際のところ今何周目の人生を歩んでいるのでしょうかといぶかってしまうほどの重厚さです。
無論ほかの方の演技も負けていません。というか「演技下手な人が一人もいない」のがこの映画の静かで大きな特徴で、そんな登場人物全員が全員自然な振る舞いをしているのは一見地味ですが実はなかなかの凄みです。
物語の大きな特徴として、主人公・ちひろに対して「実は悪意を向けている人はほとんどいない」ことがあります。それは家族愛であったり友情であったり、あるいは信仰心に根差したものでもあったりと質も深さも様々ですが彼女に向けられているのはほぼ全て善意から来るものです。そうであるが故に作中数少ない彼女に向けられるある「悪意」とそれに晒されたちひろの表情が際立つとも言うのですが。面白いのは「そもそもこの状況が出来上がった発端が、自分自身が宗教染みた水によって体が治ってしまったこと」にあることを当人が気づいているが故に際どく危うい中を歩かねばならないことになってしまっている点です。
クライマックスに、この映画にはかなり長い、カメラの位置さえ固定されたワンカットのシーンが登場します。決して劇的なことが起こるわけではないのですが独特の静謐な緊張感が漂うそのシーンでの会話や表情はどうぞ見逃さないでください。
独特にして生々しい苦みや胸苦しさを感じさせられる1本ではありますが、それ故に人の心に残せる「何か」がある作品とも言えるでしょう。起伏が少ないのでダイナミックな映画が観たいときには向かない作品ですが、秋も深まりつつあるさなかにじわりと染み入るような、こんな1本も時には良いと思いますよ。
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「エヴァ新劇場版」の完結編の封切り日が遂に来年1月23日に決定。したのは良いのですが、待たされすぎて楽しみよりも先に「本当にその日に公開されるの!?」感が先に立ってしまうのが何とも(苦笑)。終わってしまところを観たくないような、でも一日も早く観たい謎のジレンマ。
こんばんは、小島@監督です。
そうは言いながら無論ちゃんと公開されたら即観に行きますとも。
さて、今回の映画は「鬼滅の刃 無限列車編」です。
炭治郎(声・花江夏樹)と善逸(声・下野紘)、伊之助(声・松岡禎丞)の3人は新たな任務を受け列車「無限」に乗り込んだ。そこには煉獄杏寿郎(声・日野聡)が先に乗り込んでいた。鬼殺隊の最高位の一人であり「炎柱」の位を持つ煉獄に、炭治郎は過日の戦いでかつて父より教わった「ヒノカミ神楽」が自身を救ったことへの疑問をぶつけるが、色よい回答は得られなかった。そんな折、車掌が検札に訪れる。切符にハサミが打たれたその直後、列車の中から鬼の気配がし始めた…
最早「社会現象」と呼ぶに相応しいムーブメントを巻き起こしている「鬼滅の刃」は、どこか不思議な雰囲気の作品だなと思っています。これに匹敵する規模の流行を起こした直近の作品と言えば「進撃の巨人」あたりになるのでしょうが、壁に囲まれた街という閉塞感やそれすらも踏みにじるほどの理不尽を前になお刃のような眼を向けて立ち向かう人間たち、という辺りに流行や共感の源泉を見て取れる分ある意味で分かりやすかったのですが、そういう強いフックを最初から持ち得ていたタイプの作品ではありません。特に1,2巻辺りは原作を今読んでみてもかなり地味な部類に入るんじゃないかと思います。ただ冒頭から強く前面に出ていて、かつ炭治郎のモチベーションに大きく寄与しているのが「長男だから」というのは目を引きました。これまで少年バトル漫画ではクローズアップされてこなかった感覚ではないでしょうか。勤勉で責任感が強くそして何より人だけでなく鬼に対してすらその悲哀を掬いとる優しさを持つ少年、確実にこれまでの主人公像とは一線を画します。ある意味で現代的とは言えない思考感覚でもあるでしょう。顔の一部に痣のある炭治郎を筆頭に皆どこかしら「醜」を感じさせる部分を持っているちょっと癖のある和風のビジュアルと共にこの少し古風な感覚が物語を牽引しているのは興味深いところです。
映画は原作の7~8巻の前半に相当する部分を映像化しています。ほぼ全く説明が入らずTVシリーズのラストシーンからそのまま地続きに始まるのでもしTVシリーズなり原作なりを知らないまま突っ込むと面食らうこと必至。その点注意が必要です。
TVシリーズから高いクオリティを誇っていた作画は今作でも見事なもので、「最初から劇場版を意識して作られている」点で更にスケールとカロリーが大きくなっており、単純に観ていて楽しい作りになっています。
またシナリオについても原作への理解度が非常に高いのが特徴です。鑑賞後に原作を読んでみましたがよほどちゃんと咀嚼しないとこういう風には料理し得ないであろうシーンのオンパレードで、原作からのファンも満足のいく出来栄えになっているんじゃないかと思います。つくづく「鬼滅の刃」はスタッフにもキャストにも恵まれた作品だと言えますね。
何より初日だけで10億の興収を叩き出してみせる集客力は本物です。私は公開2日目となる一昨日に観に行きましたがミッドランドスクエアシネマだけで20回以上も上映されると言うのにそのほとんどが満席、それも席数制限をかけていない正真正銘の満席というのはもう長いこと見ていない光景です。この作品で「映画を初めてスクリーンで鑑賞する」なんて子ども達もきっといるかと思うとそれだけで嬉しくなります。暗く厳しい話しか聞かなかった今年の映画館で今度こそ起死回生となる1本が登場しました。もっと先へ、行けるところまで行って欲しい。そして映画館を救っておくれ。がんばれ長男。
こんばんは、小島@監督です。
そうは言いながら無論ちゃんと公開されたら即観に行きますとも。
さて、今回の映画は「鬼滅の刃 無限列車編」です。
炭治郎(声・花江夏樹)と善逸(声・下野紘)、伊之助(声・松岡禎丞)の3人は新たな任務を受け列車「無限」に乗り込んだ。そこには煉獄杏寿郎(声・日野聡)が先に乗り込んでいた。鬼殺隊の最高位の一人であり「炎柱」の位を持つ煉獄に、炭治郎は過日の戦いでかつて父より教わった「ヒノカミ神楽」が自身を救ったことへの疑問をぶつけるが、色よい回答は得られなかった。そんな折、車掌が検札に訪れる。切符にハサミが打たれたその直後、列車の中から鬼の気配がし始めた…
最早「社会現象」と呼ぶに相応しいムーブメントを巻き起こしている「鬼滅の刃」は、どこか不思議な雰囲気の作品だなと思っています。これに匹敵する規模の流行を起こした直近の作品と言えば「進撃の巨人」あたりになるのでしょうが、壁に囲まれた街という閉塞感やそれすらも踏みにじるほどの理不尽を前になお刃のような眼を向けて立ち向かう人間たち、という辺りに流行や共感の源泉を見て取れる分ある意味で分かりやすかったのですが、そういう強いフックを最初から持ち得ていたタイプの作品ではありません。特に1,2巻辺りは原作を今読んでみてもかなり地味な部類に入るんじゃないかと思います。ただ冒頭から強く前面に出ていて、かつ炭治郎のモチベーションに大きく寄与しているのが「長男だから」というのは目を引きました。これまで少年バトル漫画ではクローズアップされてこなかった感覚ではないでしょうか。勤勉で責任感が強くそして何より人だけでなく鬼に対してすらその悲哀を掬いとる優しさを持つ少年、確実にこれまでの主人公像とは一線を画します。ある意味で現代的とは言えない思考感覚でもあるでしょう。顔の一部に痣のある炭治郎を筆頭に皆どこかしら「醜」を感じさせる部分を持っているちょっと癖のある和風のビジュアルと共にこの少し古風な感覚が物語を牽引しているのは興味深いところです。
映画は原作の7~8巻の前半に相当する部分を映像化しています。ほぼ全く説明が入らずTVシリーズのラストシーンからそのまま地続きに始まるのでもしTVシリーズなり原作なりを知らないまま突っ込むと面食らうこと必至。その点注意が必要です。
TVシリーズから高いクオリティを誇っていた作画は今作でも見事なもので、「最初から劇場版を意識して作られている」点で更にスケールとカロリーが大きくなっており、単純に観ていて楽しい作りになっています。
またシナリオについても原作への理解度が非常に高いのが特徴です。鑑賞後に原作を読んでみましたがよほどちゃんと咀嚼しないとこういう風には料理し得ないであろうシーンのオンパレードで、原作からのファンも満足のいく出来栄えになっているんじゃないかと思います。つくづく「鬼滅の刃」はスタッフにもキャストにも恵まれた作品だと言えますね。
何より初日だけで10億の興収を叩き出してみせる集客力は本物です。私は公開2日目となる一昨日に観に行きましたがミッドランドスクエアシネマだけで20回以上も上映されると言うのにそのほとんどが満席、それも席数制限をかけていない正真正銘の満席というのはもう長いこと見ていない光景です。この作品で「映画を初めてスクリーンで鑑賞する」なんて子ども達もきっといるかと思うとそれだけで嬉しくなります。暗く厳しい話しか聞かなかった今年の映画館で今度こそ起死回生となる1本が登場しました。もっと先へ、行けるところまで行って欲しい。そして映画館を救っておくれ。がんばれ長男。
先日ひょんなことからホンダ・フィットを譲り受けることに。仕事でならともかくプライベートでは長く軽自動車しか運転していなかったので普通車の感覚に慣れるべくここ最近は休日の度に時間を作って軽くドライブしています。10年くらい前の型なのですが乗りやすいし軽と比べれば当然ですがシートもゆったり。今はまだちょいと不安なので近所を回るくらいですが慣れれば遠出も良さそうです。
こんばんは、小島@監督です。
せっかくの機会ですし行動限界を少しずつでも広げていきたいですね。
さて、今回の映画は「爆音映画祭」より「機動戦士ガンダム 逆襲のシャア」です。
幾度の戦いを経てもなお地球からの宇宙移民を統制し続ける旧弊と腐敗に満ちた地球連邦政府の在り方に絶望したシャア・アズナブル(声・池田秀一)は「ネオ・ジオン」を結成し反乱の狼煙を上げた。シャアは地球連邦政府があるチベット・ラサへ小惑星「5thルナ」を衝突させる作戦を敢行する。連邦軍外郭団体のアムロ・レイ(声・古谷徹)とブライト・ノア(声・鈴置洋孝)はそれを阻止しようと行動を開始するが。
「爆音映画祭」というのは、通常の上映とは異なり映画館にライブ用の音響機材を設置して特別にチューニングし、通常上映よりも大音響で映画を鑑賞する、という企画でかつてミニシアター「吉祥寺バウスシアター」(2014年に閉館)で特別上映の目玉企画の一つだったものです。評判が広がったことでバウスシアター開催時に企画を立ち上げた樋口泰人氏によりメソッドが組み上げられ2008年以降は全国各地の映画館やライブハウスなどでも開催されるようになりました。名古屋でも109シネマズ名古屋にて時期は不定期ながらほぼ年に1回のペースで開催され、今回で6回目になります。ただ今まで機会ができず、体感するのは今回が初めてになります。
通常より音量が大きめの上映形態であるため、大きな音の迫力が増しているのはもちろん必然的に小さな音も鮮明に聴こえるようになっているのが特徴です。その企画の特性上音楽映画との相性がことのほか良いため編成されるプログラムも音楽映画やミュージカル映画、あるいは音響に特色のある作品が自然と主力になる傾向にあるようで、今年のプログラムも半分はアーティストのドキュメンタリーやライブ映像を楽しむ作品で構成されていました。
アムロとシャアの最後の戦いを描く「機動戦士ガンダム 逆襲のシャア」、いわゆる「逆シャア」はTVシリーズの再構築ではない初めての完全新作劇場版として1988年に製作されました。回転するスペースコロニーの描写などごく限定的ではありますがガンダムシリーズで初めて3DCGが使われた作品でもあります。DVDや配信などで何度も観ている作品ではありますがスクリーンで鑑賞したのは今回が初めてです。
初めてのスクリーン鑑賞がそうさせたのか、はたまた「爆音映画祭」という上映形態がそうさせたのか、良く知っているはずの「逆襲のシャア」という物語に初めて触れたような新鮮な印象を味わいました。というより「今までこの物語を真正面から観た事が1度も無かったのだ」ということを叩きつけられた気分です。開幕のオーケストラの音に鷲掴みされた後は気づけばのめりこんで観ている自分がいました。一軍というより一国を率いようとしているのに本質は自身の持ち得ないものを持っているアムロに対する拘りだけに突き動かされるシャアや、まだその気構えもできない内に「大人の論理」の渦に放り込まれ、更に元々不安定な性格だったクェス・パラヤ(声・川村万梨阿)に翻弄されることで均衡を見失っていくハサウェイ・ノア(声・佐々木望)の心情もよりダイレクトに感じ取れたように思います。
改めてこの作品を観てみたとき、1988年と言えばまだ冷戦期の最中にあって「戦争」と言えば「ベトナム戦争」、あるいは当時よくニュースで報じられていた「イラン・イラク戦争」のイメージも強かったであろう時に既に今日的なテロリズムとの戦いの在り様に富野由悠季監督が直感的に気づいていたような節があります。恐らくこの直感をよりブラッシュアップして映像化したのが後年「∀ガンダム」の序盤で起こる戦いの姿のように思います。しかもそれでさえいわゆる「9.11」の前に作られているところに驚きがあります。
と同時に、この映画の数年後を舞台にした「ガンダムUC」が、ここまでの物語で描かれてきた戦いを体感した者たちがバナージやオードリーに「何か」を伝えようとする描写が多いのも、ガンダムシリーズに「何か」を感じ取った当時の青少年たちが次代の少年たちへ語り継ごうとする試みの物語であったのだとようやく腑に落ちるような感覚も味わいました。
正直言って今回自身の中にここまでの感情を湧き立たせてくれるような映像体験になるなどとは観る前は思ってもおらず、そういう意味では非常に稀有で貴重な体験でした。爆音映画祭、甘く見ていたぜ。機会があったらまた何か観に行こう。
こんばんは、小島@監督です。
せっかくの機会ですし行動限界を少しずつでも広げていきたいですね。
さて、今回の映画は「爆音映画祭」より「機動戦士ガンダム 逆襲のシャア」です。
幾度の戦いを経てもなお地球からの宇宙移民を統制し続ける旧弊と腐敗に満ちた地球連邦政府の在り方に絶望したシャア・アズナブル(声・池田秀一)は「ネオ・ジオン」を結成し反乱の狼煙を上げた。シャアは地球連邦政府があるチベット・ラサへ小惑星「5thルナ」を衝突させる作戦を敢行する。連邦軍外郭団体のアムロ・レイ(声・古谷徹)とブライト・ノア(声・鈴置洋孝)はそれを阻止しようと行動を開始するが。
「爆音映画祭」というのは、通常の上映とは異なり映画館にライブ用の音響機材を設置して特別にチューニングし、通常上映よりも大音響で映画を鑑賞する、という企画でかつてミニシアター「吉祥寺バウスシアター」(2014年に閉館)で特別上映の目玉企画の一つだったものです。評判が広がったことでバウスシアター開催時に企画を立ち上げた樋口泰人氏によりメソッドが組み上げられ2008年以降は全国各地の映画館やライブハウスなどでも開催されるようになりました。名古屋でも109シネマズ名古屋にて時期は不定期ながらほぼ年に1回のペースで開催され、今回で6回目になります。ただ今まで機会ができず、体感するのは今回が初めてになります。
通常より音量が大きめの上映形態であるため、大きな音の迫力が増しているのはもちろん必然的に小さな音も鮮明に聴こえるようになっているのが特徴です。その企画の特性上音楽映画との相性がことのほか良いため編成されるプログラムも音楽映画やミュージカル映画、あるいは音響に特色のある作品が自然と主力になる傾向にあるようで、今年のプログラムも半分はアーティストのドキュメンタリーやライブ映像を楽しむ作品で構成されていました。
アムロとシャアの最後の戦いを描く「機動戦士ガンダム 逆襲のシャア」、いわゆる「逆シャア」はTVシリーズの再構築ではない初めての完全新作劇場版として1988年に製作されました。回転するスペースコロニーの描写などごく限定的ではありますがガンダムシリーズで初めて3DCGが使われた作品でもあります。DVDや配信などで何度も観ている作品ではありますがスクリーンで鑑賞したのは今回が初めてです。
初めてのスクリーン鑑賞がそうさせたのか、はたまた「爆音映画祭」という上映形態がそうさせたのか、良く知っているはずの「逆襲のシャア」という物語に初めて触れたような新鮮な印象を味わいました。というより「今までこの物語を真正面から観た事が1度も無かったのだ」ということを叩きつけられた気分です。開幕のオーケストラの音に鷲掴みされた後は気づけばのめりこんで観ている自分がいました。一軍というより一国を率いようとしているのに本質は自身の持ち得ないものを持っているアムロに対する拘りだけに突き動かされるシャアや、まだその気構えもできない内に「大人の論理」の渦に放り込まれ、更に元々不安定な性格だったクェス・パラヤ(声・川村万梨阿)に翻弄されることで均衡を見失っていくハサウェイ・ノア(声・佐々木望)の心情もよりダイレクトに感じ取れたように思います。
改めてこの作品を観てみたとき、1988年と言えばまだ冷戦期の最中にあって「戦争」と言えば「ベトナム戦争」、あるいは当時よくニュースで報じられていた「イラン・イラク戦争」のイメージも強かったであろう時に既に今日的なテロリズムとの戦いの在り様に富野由悠季監督が直感的に気づいていたような節があります。恐らくこの直感をよりブラッシュアップして映像化したのが後年「∀ガンダム」の序盤で起こる戦いの姿のように思います。しかもそれでさえいわゆる「9.11」の前に作られているところに驚きがあります。
と同時に、この映画の数年後を舞台にした「ガンダムUC」が、ここまでの物語で描かれてきた戦いを体感した者たちがバナージやオードリーに「何か」を伝えようとする描写が多いのも、ガンダムシリーズに「何か」を感じ取った当時の青少年たちが次代の少年たちへ語り継ごうとする試みの物語であったのだとようやく腑に落ちるような感覚も味わいました。
正直言って今回自身の中にここまでの感情を湧き立たせてくれるような映像体験になるなどとは観る前は思ってもおらず、そういう意味では非常に稀有で貴重な体験でした。爆音映画祭、甘く見ていたぜ。機会があったらまた何か観に行こう。
この秋は本来なら春から夏にかけて放送する予定だった作品もずれ込んでいたりするからか、例年よりアニメの新番組が多い印象。番組表チェックしてたら深夜アニメが同時間帯に2つ3つ重なっているのも何だか久しぶり。これも一つの揺り戻しかもしれませんね。
そんな中で私の最注目は何と言っても「ドラゴンクエスト ダイの大冒険」。私が中高生だったころに夢中になって読んだあの漫画がまさか今になって再アニメ化されるとは。しかもスタッフもキャストも良い!初回はアクションに躍動感を持たせつつ手堅く作り上げてる印象で先行きに期待が持てます。あとは原作のラストまで映像化してくれることを祈るのみ!
こんばんは、小島@監督です。
皆さんの今期の期待作は何ですか?
さて、今回の映画は「シリアにて」です。
シリア首都ダマスカスのアパートに住む女主人ウンム・ヤザン(ヒアム・アッバス)は、夫の帰りを待ちながら家族と共にアパートの一室に籠り、隣家のハリマ(ディアマンド・アブ・アブード)夫婦も幼子を伴ってそこに身を寄せ一種のシェルターとして内戦下で息を潜めて生きてきた。その日ハリマの夫はレバノンの首都ベイルートへの脱出の手はずを整えるために協力者の元へ出向くべくアパートを出た矢先にスナイパーに撃たれてしまう。偶然その一部始終を見ていたメイドのデルハニ(ジュリエット・ナヴィ)はそのことをウンムに伝えるがウンムはハリマがアパートの外に出ることを恐れデルハニを押しとどめるのだった。
「21世紀最大の人道危機」とも言われるシリア内戦に関する映画がここ数年公開が相次いでいます。多くはドキュメンタリーですが、事象を俯瞰的に見る事の多いドキュメンタリーとは異なり、今作のようなフィクションではより人の心情のひだをすくい上げられるところに大きな意味があると言えるでしょう。それはひとえにシリア内戦に限らず「戦争」そのものを映画でどう描き上げるかということにも繋がります。それ故にある意味では「この世界の片隅に」と似た視点を持っている作品ともいえます。
この作品最大の特徴、それは「家からほとんど出ない」ことにあります。女性たちが武器を持たぬままに家族を如何にして護ろうとするかに主眼を置いているために外で「どんな戦いが起こっているか」はほとんど意味を持たないのです。外の状況を指し示すのはカーテンの隙間や柵の合間から見える僅かな風景と音のみ。この「音」が秀逸です。銃声、爆撃音、ヘリの飛行音が戦況を伝え、近づく靴音が彼女らの家が暴力に侵食されつつあることを予感させます。この絶望的なまでの閉塞感を伴った緊張感が絶えず続くのがこの映画の特徴です。暴力の描写を極力排したことで却ってその存在を浮き立たせてみせるところに凄みがある作品です。
シリア内戦を長期化させている状況は実際のところとても複雑で、まさに混迷と言わざるを得ない状況ですが、こと一つの「家」に絞り切ってミクロな視点から見せるこの映画は俯瞰的な状況をほとんど説明しない作劇手法と相まって非常に普遍的なものを獲得していると言えるでしょう。単に「人の命と生活が危機に晒されている」という点で見れば戦争の現況がどうとかなど特に意味は無いのです。裏を返せば「予備知識が要らない」ともいえ、キツい題材ではありますが観易い部類の作品に入ります。
ベルリン国際映画祭などで高い評価を得たとはいえ題材が題材なだけに公開が限定的であまり機会を捕まえられない作品ではありますが、今まさに世界の片隅で起きている事象を描き出すこの映画、できれば多くの方にご覧になって頂きたいと思いますね。
そんな中で私の最注目は何と言っても「ドラゴンクエスト ダイの大冒険」。私が中高生だったころに夢中になって読んだあの漫画がまさか今になって再アニメ化されるとは。しかもスタッフもキャストも良い!初回はアクションに躍動感を持たせつつ手堅く作り上げてる印象で先行きに期待が持てます。あとは原作のラストまで映像化してくれることを祈るのみ!
こんばんは、小島@監督です。
皆さんの今期の期待作は何ですか?
さて、今回の映画は「シリアにて」です。
シリア首都ダマスカスのアパートに住む女主人ウンム・ヤザン(ヒアム・アッバス)は、夫の帰りを待ちながら家族と共にアパートの一室に籠り、隣家のハリマ(ディアマンド・アブ・アブード)夫婦も幼子を伴ってそこに身を寄せ一種のシェルターとして内戦下で息を潜めて生きてきた。その日ハリマの夫はレバノンの首都ベイルートへの脱出の手はずを整えるために協力者の元へ出向くべくアパートを出た矢先にスナイパーに撃たれてしまう。偶然その一部始終を見ていたメイドのデルハニ(ジュリエット・ナヴィ)はそのことをウンムに伝えるがウンムはハリマがアパートの外に出ることを恐れデルハニを押しとどめるのだった。
「21世紀最大の人道危機」とも言われるシリア内戦に関する映画がここ数年公開が相次いでいます。多くはドキュメンタリーですが、事象を俯瞰的に見る事の多いドキュメンタリーとは異なり、今作のようなフィクションではより人の心情のひだをすくい上げられるところに大きな意味があると言えるでしょう。それはひとえにシリア内戦に限らず「戦争」そのものを映画でどう描き上げるかということにも繋がります。それ故にある意味では「この世界の片隅に」と似た視点を持っている作品ともいえます。
この作品最大の特徴、それは「家からほとんど出ない」ことにあります。女性たちが武器を持たぬままに家族を如何にして護ろうとするかに主眼を置いているために外で「どんな戦いが起こっているか」はほとんど意味を持たないのです。外の状況を指し示すのはカーテンの隙間や柵の合間から見える僅かな風景と音のみ。この「音」が秀逸です。銃声、爆撃音、ヘリの飛行音が戦況を伝え、近づく靴音が彼女らの家が暴力に侵食されつつあることを予感させます。この絶望的なまでの閉塞感を伴った緊張感が絶えず続くのがこの映画の特徴です。暴力の描写を極力排したことで却ってその存在を浮き立たせてみせるところに凄みがある作品です。
シリア内戦を長期化させている状況は実際のところとても複雑で、まさに混迷と言わざるを得ない状況ですが、こと一つの「家」に絞り切ってミクロな視点から見せるこの映画は俯瞰的な状況をほとんど説明しない作劇手法と相まって非常に普遍的なものを獲得していると言えるでしょう。単に「人の命と生活が危機に晒されている」という点で見れば戦争の現況がどうとかなど特に意味は無いのです。裏を返せば「予備知識が要らない」ともいえ、キツい題材ではありますが観易い部類の作品に入ります。
ベルリン国際映画祭などで高い評価を得たとはいえ題材が題材なだけに公開が限定的であまり機会を捕まえられない作品ではありますが、今まさに世界の片隅で起きている事象を描き出すこの映画、できれば多くの方にご覧になって頂きたいと思いますね。
ちょっとした経緯で、先日マリオットアソシア豊橋までデザートブッフェに行ってきました。しかもソロで!一人焼肉の経験はあるけどまさかおひとり様デザートブッフェする日が来ようとは(笑)全力でスイーツを満喫。こういう時は摂取カロリーなんて気にしないぜ!ただ全種完食できなかったのが少々心残りでしたけれども!
また、現在のようなコロナ禍を受けてこういうブッフェ、それも特に人の出入りの多いホテルではどのように運営するのかというのも個人的に気になっていたところで、テーブルの配置とかスタッフの動きとかも興味深かったですね。あと、てっきり完全アウェイかと思ったら私同様に男の一人客が他にもいてそのうちの一人は持ち時間の半分で全種類完食して颯爽と立ち去って行きました。強者は何処にでもいる。
こんばんは、小島@監督です。
まぁそういう興味はさておきスイーツは本当に美味しかったのでタイミングが合えばまた行こう。次はさすがに誰か誘い出したい(笑)
さて、今回の映画は「TENET テネット」です。
ウクライナのオペラハウスでテロ事件が勃発。満席の観客が大量虐殺されるのを阻止すべく特殊部隊員の男(ジョン・デイビッド・ワシントン)は、メンバーたちと共に突入する。虐殺の阻止には成功するものの仲間を救うために身代わりとなって囚われてしまう。証拠隠滅のために自殺用の毒薬を飲む男。しかし男は別の場所で目を覚ました。毒薬はすり替えられていたのだ。男に新たな任務が告げられる。
「未来からやってきた敵と戦い、世界を救え」
そして男は時間を逆行する現象と、それを利用した武器があることを知る。キーワードは「TENET」、その言葉の使い方で未来が決まるという。巨大な陰謀の阻止を命じられた男の戦いが始まる。
「ダークナイト」3部作などで知られるハリウッドきってのフィルムメーカー・クリストファー・ノーラン。その新作は、彼が何度もギミックとして使ってきた「時間」というものをいよいよ軸からいじり出してきたアクション・サスペンスです。「映画はスクリーンで観る」ということそのものに強いこだわりのあるノーラン監督、コロナ禍で大作映画が次々と延期やネット配信に切り替えていく中で敢えて劇場公開に踏み切ってくれました。おかげで期間の長短はあれ世界中の映画館が休業の憂き目に遭いましたが、そんな映画館に観客を呼び戻してくれたと、ある意味で救世主的な1本です。撮影がIMAXフィルムで行われ、IMAXが上映の基本フォーマットであるため、一般的なスクリーンでは左右が一部トリミングされた状態で上映されています。
デジタルが基本の昨今に敢えてフィルム撮影を貫き通す姿勢は健在。どころかエッジがどんどんかかっていて、廃館となったオペラハウスを改装してエキストラで満席にした上でアクションを展開したり、ジェット機の爆発シーンを作るために中古の本物のジャンボジェットを用立てて爆破したり、何なら本物の金塊をバラまいてみせたりもします。お金の掛け方が凄すぎるというかほとんどノーブレーキでやりたい放題です。実物を使えばいいというものでもないですが、それを最大限に利用して最新のVFXと真っ向勝負できる映像を作ってしまうのがノーラン流。「通常の時間軸にいる者と逆行した時間の中にいる者」とが戦うアクションなど未見性満載の映像を圧倒的な迫力で楽しむことができます。
一方でこの映画は欠点が非常にはっきりしています。全てを解きほぐしていけばこの映画は「特殊任務を受けたエージェントが辛い目に遭っているヒロインを助け仲間と共に世界を揺るがす陰謀を阻止する」という、王道かつシンプルともいえるスパイアクションなのですが、語り口が難解すぎる上にしかもかなり説明下手なのです。言葉で全てを説明すればいいというものでもありませんが、観客全員が映画の登場人物のように短い説明で全部を理解できるわけではないので、設定の主題そのものが人によっては何度も観ないと飲み込めないようなものは説明も描写も足りてないと言わざるを得ません。恐らくこの設定、どちらかと言えば映画より小説向きのような気がします。
大きな欠点がありそれ故に相性の善し悪しが強い作品とは言え、この作品は事実上約半年ぶりの正真正銘の「大作」映画であることに違いはありません。私は全力で楽しんでしまいました。現実に根差したドラマも悪くはないですが、観客を一時非日常に引き込む、まさに映画の魔法に満ちたスケールの大きな作品を楽しめる久しぶりの機会です。こういう作品に飢えてた方は多いのでは。是非スクリーンで観る楽しさを噛み締めてみてほしいですね。
また、現在のようなコロナ禍を受けてこういうブッフェ、それも特に人の出入りの多いホテルではどのように運営するのかというのも個人的に気になっていたところで、テーブルの配置とかスタッフの動きとかも興味深かったですね。あと、てっきり完全アウェイかと思ったら私同様に男の一人客が他にもいてそのうちの一人は持ち時間の半分で全種類完食して颯爽と立ち去って行きました。強者は何処にでもいる。
こんばんは、小島@監督です。
まぁそういう興味はさておきスイーツは本当に美味しかったのでタイミングが合えばまた行こう。次はさすがに誰か誘い出したい(笑)
さて、今回の映画は「TENET テネット」です。
ウクライナのオペラハウスでテロ事件が勃発。満席の観客が大量虐殺されるのを阻止すべく特殊部隊員の男(ジョン・デイビッド・ワシントン)は、メンバーたちと共に突入する。虐殺の阻止には成功するものの仲間を救うために身代わりとなって囚われてしまう。証拠隠滅のために自殺用の毒薬を飲む男。しかし男は別の場所で目を覚ました。毒薬はすり替えられていたのだ。男に新たな任務が告げられる。
「未来からやってきた敵と戦い、世界を救え」
そして男は時間を逆行する現象と、それを利用した武器があることを知る。キーワードは「TENET」、その言葉の使い方で未来が決まるという。巨大な陰謀の阻止を命じられた男の戦いが始まる。
「ダークナイト」3部作などで知られるハリウッドきってのフィルムメーカー・クリストファー・ノーラン。その新作は、彼が何度もギミックとして使ってきた「時間」というものをいよいよ軸からいじり出してきたアクション・サスペンスです。「映画はスクリーンで観る」ということそのものに強いこだわりのあるノーラン監督、コロナ禍で大作映画が次々と延期やネット配信に切り替えていく中で敢えて劇場公開に踏み切ってくれました。おかげで期間の長短はあれ世界中の映画館が休業の憂き目に遭いましたが、そんな映画館に観客を呼び戻してくれたと、ある意味で救世主的な1本です。撮影がIMAXフィルムで行われ、IMAXが上映の基本フォーマットであるため、一般的なスクリーンでは左右が一部トリミングされた状態で上映されています。
デジタルが基本の昨今に敢えてフィルム撮影を貫き通す姿勢は健在。どころかエッジがどんどんかかっていて、廃館となったオペラハウスを改装してエキストラで満席にした上でアクションを展開したり、ジェット機の爆発シーンを作るために中古の本物のジャンボジェットを用立てて爆破したり、何なら本物の金塊をバラまいてみせたりもします。お金の掛け方が凄すぎるというかほとんどノーブレーキでやりたい放題です。実物を使えばいいというものでもないですが、それを最大限に利用して最新のVFXと真っ向勝負できる映像を作ってしまうのがノーラン流。「通常の時間軸にいる者と逆行した時間の中にいる者」とが戦うアクションなど未見性満載の映像を圧倒的な迫力で楽しむことができます。
一方でこの映画は欠点が非常にはっきりしています。全てを解きほぐしていけばこの映画は「特殊任務を受けたエージェントが辛い目に遭っているヒロインを助け仲間と共に世界を揺るがす陰謀を阻止する」という、王道かつシンプルともいえるスパイアクションなのですが、語り口が難解すぎる上にしかもかなり説明下手なのです。言葉で全てを説明すればいいというものでもありませんが、観客全員が映画の登場人物のように短い説明で全部を理解できるわけではないので、設定の主題そのものが人によっては何度も観ないと飲み込めないようなものは説明も描写も足りてないと言わざるを得ません。恐らくこの設定、どちらかと言えば映画より小説向きのような気がします。
大きな欠点がありそれ故に相性の善し悪しが強い作品とは言え、この作品は事実上約半年ぶりの正真正銘の「大作」映画であることに違いはありません。私は全力で楽しんでしまいました。現実に根差したドラマも悪くはないですが、観客を一時非日常に引き込む、まさに映画の魔法に満ちたスケールの大きな作品を楽しめる久しぶりの機会です。こういう作品に飢えてた方は多いのでは。是非スクリーンで観る楽しさを噛み締めてみてほしいですね。
先週CDと配信がリリースされた「アイドルマスター」シリーズ15周年記念曲「なんどでも笑おう」が記念曲に相応しい名曲でつい何度もリピートしてしまいます。
この曲に乗せて展開する15周年記念PVも絶品。マジで涙目。
こんばんは、小島@監督です。
来年2月の開催が告知されたバンダイナムコフェスではきっとこの歌も披露されるはず。またアイマスに限らず多くのファンにとっても約1年ぶりのライブになるかもしれず、何としても現地に乗り込みたいですね。
さて、今回の映画は「劇場版ヴァイオレット・エヴァーガーデン」です。
C.H.郵便社で代筆業を勤めるヴァイオレット・エヴァーガーデン(声・石川由依)は、かつて戦場で、誰より大切な人であったギルベルト・ブーゲンビリア少佐(声・浪川大輔)から別れの際に聞かされた言葉の意味を理解できぬままに生きてきたが、代筆業を営む中で人の心の機微を学びその真意を探る日々を過ごしていた。
ヴァイオレットはギルベルトの母の月命日に彼の代わりを担うかのように花を手向けに訪れていた。そこでギルベルトの兄ディートフリート(声・木内秀信)と再会する。戦後数年の時を経てもその消息の掴めないギルベルトをもう忘れるべきだとディートフリートに訴えられるがヴァイオレットはそれを拒んだ。
そんな折、ヴァイオレットの元にユリス(声・水橋かおり)と名乗る少年から代筆の依頼が入り、ヴァイオレットはその少年の元へと赴く。一方、C.H.郵便社では社長のクラウディア・ホッジンス(声・子安武人)が郵便物の保管庫で宛先不明で戻されてきた1通の手紙を発見するのだった…
暁佳奈の小説を原作に2018年に製作されたTVシリーズの完結編に当たるエピソードであり、同時に昨年7月の火災事件で多数の死傷者を出した京都アニメーションの再建後第1作となる映画です。当初1月公開の予定だったと聞きますが、2度の延期を経て先週ようやく封切りとなりました。丁度公開2日目となる先週19日から映画館の席数制限が解除となり、私が鑑賞した回も7割以上の客入りになっており、ようやくこういう光景が戻ってきたかと感慨深い気持ちになりました。
渾身、と言っていい出来栄えの映画です。髪の毛1本、僅かな所作一つとておろそかにしない繊細なビジュアル、出演している声優陣の熱のこもった演技、時に荘厳に、時にリリカルに奏でられる音楽、それら全てが相乗して観客の感情に訴えてきます。TVシリーズを観ていない私でもボロボロ涙が出てくるほど響いてくるくらいだったので思い入れの強い方にとっては尚更揺さぶられるものがあったでしょう。「京都アニメーションはこういう作品を作ってくれるところだった」と思い出させてくれるに十分です。
想いを代筆し、人と人との心をつなぎながら「心」への理解を深めていくヴァイオレットの姿は、SNSを始めとした伝達ツールが発達しながらむしろ拒絶や断絶が広がっていったり、コロナ禍でこれまでと同じような人との接し方さえままならない昨今にあっては示唆するものが多いことでしょう。奇しくも昨年発売され世界的にも高い評価を得たゲーム「デス・ストランディング」が同じように隔絶された人々を繋ぐ配達人の物語であったこととも相似した印象を受けます。また期せずして、というべきでしょうか、京都アニメーションの再出発となる作品がこういう物語をしていることにどこか運命的なものを感じずにはいられません。
映画とは、本来ならばその作品で見せている、語られているものが全てであり、完成に至るまでの背景が作品の評価に直結するべきではないと思っています。しかし「完成して世に出たこと自体が一つの奇跡」であることを私を含めこの作品を見に足を運ぶ観客の大半が知っている今回に限っては例外にならざるを得ないでしょう。恐らくこの作品がフラットに評価されるようになるにはあと5年か10年か、事件のことを知らない人が知らないまま観るようになる日が来るまで待たねばならないと思われます。ですがこの想い、この感覚を居合わせた観客たちと共有できるのもまた今だけのもの。TVシリーズを見たかどうかなど関係無くあの事件に衝撃を受けた方ならばどうか、この新たな旅立ちの物語を映画館で見届けてほしいと思いますね。
この曲に乗せて展開する15周年記念PVも絶品。マジで涙目。
こんばんは、小島@監督です。
来年2月の開催が告知されたバンダイナムコフェスではきっとこの歌も披露されるはず。またアイマスに限らず多くのファンにとっても約1年ぶりのライブになるかもしれず、何としても現地に乗り込みたいですね。
さて、今回の映画は「劇場版ヴァイオレット・エヴァーガーデン」です。
C.H.郵便社で代筆業を勤めるヴァイオレット・エヴァーガーデン(声・石川由依)は、かつて戦場で、誰より大切な人であったギルベルト・ブーゲンビリア少佐(声・浪川大輔)から別れの際に聞かされた言葉の意味を理解できぬままに生きてきたが、代筆業を営む中で人の心の機微を学びその真意を探る日々を過ごしていた。
ヴァイオレットはギルベルトの母の月命日に彼の代わりを担うかのように花を手向けに訪れていた。そこでギルベルトの兄ディートフリート(声・木内秀信)と再会する。戦後数年の時を経てもその消息の掴めないギルベルトをもう忘れるべきだとディートフリートに訴えられるがヴァイオレットはそれを拒んだ。
そんな折、ヴァイオレットの元にユリス(声・水橋かおり)と名乗る少年から代筆の依頼が入り、ヴァイオレットはその少年の元へと赴く。一方、C.H.郵便社では社長のクラウディア・ホッジンス(声・子安武人)が郵便物の保管庫で宛先不明で戻されてきた1通の手紙を発見するのだった…
暁佳奈の小説を原作に2018年に製作されたTVシリーズの完結編に当たるエピソードであり、同時に昨年7月の火災事件で多数の死傷者を出した京都アニメーションの再建後第1作となる映画です。当初1月公開の予定だったと聞きますが、2度の延期を経て先週ようやく封切りとなりました。丁度公開2日目となる先週19日から映画館の席数制限が解除となり、私が鑑賞した回も7割以上の客入りになっており、ようやくこういう光景が戻ってきたかと感慨深い気持ちになりました。
渾身、と言っていい出来栄えの映画です。髪の毛1本、僅かな所作一つとておろそかにしない繊細なビジュアル、出演している声優陣の熱のこもった演技、時に荘厳に、時にリリカルに奏でられる音楽、それら全てが相乗して観客の感情に訴えてきます。TVシリーズを観ていない私でもボロボロ涙が出てくるほど響いてくるくらいだったので思い入れの強い方にとっては尚更揺さぶられるものがあったでしょう。「京都アニメーションはこういう作品を作ってくれるところだった」と思い出させてくれるに十分です。
想いを代筆し、人と人との心をつなぎながら「心」への理解を深めていくヴァイオレットの姿は、SNSを始めとした伝達ツールが発達しながらむしろ拒絶や断絶が広がっていったり、コロナ禍でこれまでと同じような人との接し方さえままならない昨今にあっては示唆するものが多いことでしょう。奇しくも昨年発売され世界的にも高い評価を得たゲーム「デス・ストランディング」が同じように隔絶された人々を繋ぐ配達人の物語であったこととも相似した印象を受けます。また期せずして、というべきでしょうか、京都アニメーションの再出発となる作品がこういう物語をしていることにどこか運命的なものを感じずにはいられません。
映画とは、本来ならばその作品で見せている、語られているものが全てであり、完成に至るまでの背景が作品の評価に直結するべきではないと思っています。しかし「完成して世に出たこと自体が一つの奇跡」であることを私を含めこの作品を見に足を運ぶ観客の大半が知っている今回に限っては例外にならざるを得ないでしょう。恐らくこの作品がフラットに評価されるようになるにはあと5年か10年か、事件のことを知らない人が知らないまま観るようになる日が来るまで待たねばならないと思われます。ですがこの想い、この感覚を居合わせた観客たちと共有できるのもまた今だけのもの。TVシリーズを見たかどうかなど関係無くあの事件に衝撃を受けた方ならばどうか、この新たな旅立ちの物語を映画館で見届けてほしいと思いますね。
アップした後しばらくするまで気づきませんでしたが、前回で通算450回を超えてました。書きも書いたり、いよいよ500の大台が見えてきました。ここまで続けられるとは、自分でも結構驚いています。
こんばんは、小島@監督です。
そんなこんなですが、皆さんこれからもよろしくお願いします。
さて、今回の映画は「事故物件 恐い間取り」です。
芸人・山野ヤマメ(亀梨和也)は中井大佐(瀬戸康史)と共にお笑いコンビ「ジョナサンズ」を組んでいたが10年経っても芽が出ず、限界を感じた中井からコンビ解散を切り出された。突然ピン芸人となり途方に暮れるヤマメに番組プロデューサーの松尾(木下ほうか)は心霊バラエティー番組への出演を条件に、かつて殺人事件が起きた部屋、即ち「事故物件」に住むことを要求する。ヤマメは逡巡するものの、芸人として名を売るラストチャンスともいえるその申し出を受けることにしたのだった。
メ~テレの持つCSチャンネル・エンタメ~テレにて2011年より不定期に製作されている「北野誠のおまえら行くな。」での企画の一つとして事故物件に住み始めたのをきっかけに企画終了後も「事故物件住みます芸人」として数々の事故物件に住むほか全国各地の心霊スポットを探訪し動画配信したりトークライブを行う芸人・松原タニシ。その彼がこれまで歴訪した物件を間取り図付きで紹介し2018年に上梓した「事故物件怪談 恐い間取り」を原作にしたホラー映画です。作品の出自や亀梨和也がホラー初主演する話題性や、ハリウッド大作の新作が延期続きだったりようやく映画館の席数制限も緩和されそうだったりということも手伝ってか封切りから2週連続で観客動員数のトップを走っています。監督は「女優霊」「リング」など1990年代から邦画ホラーを牽引し続け今年もドラマ「恐怖新聞」を手掛ける中田秀夫が務めています。
作中4つの物件が登場しますが、内3つは原作にも登場するものである上、更にその内の1つは実際にその場所をロケ地として撮影されたそうです。
この映画、主人公が芸人だからなのかちょっとユニークな肌触りをしています。恐怖の対象に踏み込む要因が功名心からというのはまだともかく、特に序盤から中盤は「生活が懸かっているので何か起きてくれないとマジで困る」という状況が出来上がっているのが他のホラーにはあまり見られない面白さがあります。事故物件を題材に取った映画としては2016年に「残穢」という作品がありましたが、そうなった原因をどこまでも深堀していこうとした「残穢」とは対照的に「怪奇現象が起こるかどうか」自体が興味の対象で特にその原因を深く追求したりはしないのも特徴と言えるでしょう。
芸人というには素朴な性格をしている主人公ヤマメと、野心はあれど際どい局面では友情が先に立ってしまう相方の中井、「ジョナサンズ」の数少ないファンでTV局で再会したのをきっかけに親交を深め、結果なし崩し的に巻き込まれることになる女性・梓(奈緒)という何だか又吉直樹の小説を思わせるような3人の関係性の描写も悪くなく、そのフィルモグラフィーから中田秀夫監督はどうしても作品がホラーに偏りがちですが実はそういう要素の無い人間ドラマも作ってみたいんじゃないかという気もします。
一方でエンタメ性を強調したいのか怪奇描写がかなり率直に過ぎる傾向があることや、作中各所に松竹芸能の芸人が続々と登場するのも相まってかなりカラッとした作風になっており、ホラー映画としてはかなり薄味と言わざるを得ません。実のところ芸人が一人くらい壊れようが気にも留めない番組プロデューサーとかヤマメに事故物件を紹介する不動産屋の女性営業・横水(演じる江口のりこの怪演も必見)の方がよほど怖いくらいです。終盤ヤマメが4つ目に訪れる物件で起こるクライマックスはある意味でその最たるものでここではもう完全に怖さより面白の方が先に立ってしまっています。
しかしこの詰めの甘い、ハードルの下を易々とくぐってしまうどちらかと言えばボンクラ映画の類に入ってしまうような作品ではありますが、私、何だかんだかなり楽しめてしまいました。割と好きかもしれません、コレ。鑑賞後に話のネタにしやすい気やすさもあり、9月に入ってもまだ暑い日が続く中で一時涼むにはこれくらいの軽さが丁度いいようにも思います。ご興味のある方はどうぞ。
こんばんは、小島@監督です。
そんなこんなですが、皆さんこれからもよろしくお願いします。
さて、今回の映画は「事故物件 恐い間取り」です。
芸人・山野ヤマメ(亀梨和也)は中井大佐(瀬戸康史)と共にお笑いコンビ「ジョナサンズ」を組んでいたが10年経っても芽が出ず、限界を感じた中井からコンビ解散を切り出された。突然ピン芸人となり途方に暮れるヤマメに番組プロデューサーの松尾(木下ほうか)は心霊バラエティー番組への出演を条件に、かつて殺人事件が起きた部屋、即ち「事故物件」に住むことを要求する。ヤマメは逡巡するものの、芸人として名を売るラストチャンスともいえるその申し出を受けることにしたのだった。
メ~テレの持つCSチャンネル・エンタメ~テレにて2011年より不定期に製作されている「北野誠のおまえら行くな。」での企画の一つとして事故物件に住み始めたのをきっかけに企画終了後も「事故物件住みます芸人」として数々の事故物件に住むほか全国各地の心霊スポットを探訪し動画配信したりトークライブを行う芸人・松原タニシ。その彼がこれまで歴訪した物件を間取り図付きで紹介し2018年に上梓した「事故物件怪談 恐い間取り」を原作にしたホラー映画です。作品の出自や亀梨和也がホラー初主演する話題性や、ハリウッド大作の新作が延期続きだったりようやく映画館の席数制限も緩和されそうだったりということも手伝ってか封切りから2週連続で観客動員数のトップを走っています。監督は「女優霊」「リング」など1990年代から邦画ホラーを牽引し続け今年もドラマ「恐怖新聞」を手掛ける中田秀夫が務めています。
作中4つの物件が登場しますが、内3つは原作にも登場するものである上、更にその内の1つは実際にその場所をロケ地として撮影されたそうです。
この映画、主人公が芸人だからなのかちょっとユニークな肌触りをしています。恐怖の対象に踏み込む要因が功名心からというのはまだともかく、特に序盤から中盤は「生活が懸かっているので何か起きてくれないとマジで困る」という状況が出来上がっているのが他のホラーにはあまり見られない面白さがあります。事故物件を題材に取った映画としては2016年に「残穢」という作品がありましたが、そうなった原因をどこまでも深堀していこうとした「残穢」とは対照的に「怪奇現象が起こるかどうか」自体が興味の対象で特にその原因を深く追求したりはしないのも特徴と言えるでしょう。
芸人というには素朴な性格をしている主人公ヤマメと、野心はあれど際どい局面では友情が先に立ってしまう相方の中井、「ジョナサンズ」の数少ないファンでTV局で再会したのをきっかけに親交を深め、結果なし崩し的に巻き込まれることになる女性・梓(奈緒)という何だか又吉直樹の小説を思わせるような3人の関係性の描写も悪くなく、そのフィルモグラフィーから中田秀夫監督はどうしても作品がホラーに偏りがちですが実はそういう要素の無い人間ドラマも作ってみたいんじゃないかという気もします。
一方でエンタメ性を強調したいのか怪奇描写がかなり率直に過ぎる傾向があることや、作中各所に松竹芸能の芸人が続々と登場するのも相まってかなりカラッとした作風になっており、ホラー映画としてはかなり薄味と言わざるを得ません。実のところ芸人が一人くらい壊れようが気にも留めない番組プロデューサーとかヤマメに事故物件を紹介する不動産屋の女性営業・横水(演じる江口のりこの怪演も必見)の方がよほど怖いくらいです。終盤ヤマメが4つ目に訪れる物件で起こるクライマックスはある意味でその最たるものでここではもう完全に怖さより面白の方が先に立ってしまっています。
しかしこの詰めの甘い、ハードルの下を易々とくぐってしまうどちらかと言えばボンクラ映画の類に入ってしまうような作品ではありますが、私、何だかんだかなり楽しめてしまいました。割と好きかもしれません、コレ。鑑賞後に話のネタにしやすい気やすさもあり、9月に入ってもまだ暑い日が続く中で一時涼むにはこれくらいの軽さが丁度いいようにも思います。ご興味のある方はどうぞ。