ちゅうカラぶろぐ


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職場では何度か使ったことがあるのですが、プライベートではほぼ使ったことが無いに等しいZoomで先日初オンライントーク参加してました。Discordなら時折使ってるのですが、ツールが変わると勝手も変わるのでそもそも始めるまでに戸惑ってしまったり。でも使えるものが増えるのは楽しいですね。

 こんばんは、小島@監督です。
 だいぶ長いこと会えてない人たちだけど、いずれオンラインじゃなく酒を酌み交わしたいものですね。

 さて、今回の映画は「機動戦士ガンダム 閃光のハサウェイ」です。

 宇宙世紀0105年、シャア・アズナブルがアクシズ落としを敢行した第二次ネオ・ジオン戦争が終結してより12年後、地球連邦政府の腐敗は更に進み、増え過ぎた人口を強制的に宇宙へ連行する「人狩り」まで行われるようになっていた。その連邦政府に対し、政府高官を暗殺する手段で抵抗を開始する組織が誕生した。それが「マフティー」である。
 地球圏の重要な政策が話し合われる「アデレード会議」、その参加者たちを乗せた往還シャトル「ハウンゼン365便」、ハサウェイ・ノア(声・小野賢章)はそこに乗っていた。同じ便にはダバオ空軍基地司令に赴任するため地球に向かう連邦軍将校ケネス・スレッグ大佐(声・諏訪部順一)と予知に近い洞察力を持つ謎めいた美少女ギギ・アンダルシア(声・上田麗奈)も同乗していた。そこに、「マフティー」を名乗るハイジャック犯たちが急襲、シャトルを占拠したのだった…

 「逆襲のシャア」から12年後の世界を舞台にした「機動戦士ガンダム」を手掛けた富野由悠季監督自身の手による小説「閃光のハサウェイ」を原作とし三部作の予定で映像化するプロジェクト、今作はその1作目に当たる映画です。「Gジェネレーションズ」などゲームでは何度か登場していますが長くアニメ化が熱望されてきました。当初は昨年公開予定でしたがコロナ禍により延期を余儀なくされ、その後も度々再延期となったため無期延期となりはすまいかとちょっと心配しましたが無事公開されて少しホッとしています。
 もう少し作品の沿革を語ると、原作小説「閃光のハサウェイ」は厳密には映画「逆襲のシャア」の続編ではありません。「逆襲のシャア」のシナリオ第1稿をベースにした小説「ベルトーチカ・チルドレン」の続編になります。更に言えば富野由悠季監督、映画の方の「逆襲のシャア」に沿ったストーリーラインに前日譚などのエピソードを大幅に追加した「ハイ・ストリーマー」という小説も書いています。このややこしい辺りをちゃんと意識しているというか、今回の映画では「小説の映像化」という体を取りながらもアニメの続編としても観られるように上手くセリフが工夫されています。
 また、富野由悠季監督作品というのは独特のリズム感のダイアローグをしているのですが、今作のシナリオはこの癖みたいなものを原作のテイストを残しつつも上手く匂いを消しているような印象を受け、新しい観客も取り入れたい作り手の意識みたいなものが感じ取れます。

 映画の方は期待値の高さを裏切らない、実にハイカロリーな映像を楽しめる1本です。キャラクターはどこまでも端正に、モビルスーツのバトルシーンはダイナミックに。イメージビジュアルや撮影ボードをフル活用し細部に至るまで綿密に設計された画面が全編に渡って展開します。「ウィッチハンターロビン」や「虐殺器官」など洋画的な雰囲気を持ったスタイリッシュな作風で知られる村瀬修功監督の手腕が遺憾なく発揮された映像と言えるでしょう。
 テロリズムとの戦い(というか主役がテロリスト側)を主軸にしているからかモビルスーツの戦闘シーンが夜間戦闘が主体となっているのですが、高精細な背景美術に支えられたハイスピードなバトルシークエンスは「初見ではちょっと目で追いきれなかった」という自分のダメさ加減はさておき(苦笑)、この夜間戦闘の画のキレは今後のガンダムシリーズ、引いてはロボットアニメの一つの指針となるのではないでしょうか。そう思わせられてしまうくらいのパワフルなシーンが展開します。30年以上前に書かれた小説ながら国家間の戦闘の次にはテロリズムとの戦いに移行していく様を看破しているあたり、むしろ現在でこそ物語に入りやすい骨格をしているのではないでしょうか。

 もう一つ、これは個人的にツボだった箇所なのですが、ヒロイン・ギギ・アンダルシア役上田麗奈の演技が絶品です。近年は多彩な役をこなしその演技力に定評のある彼女ですが、今作の天然でハサウェイやケネスを振り回すギギ役はそんな彼女の代表作になりそうな雰囲気です。もちろん上田麗奈だけではなくハサウェイ役小野賢章、ケネス役諏訪部順一のほか津田健次郎、種崎敦美、早見沙織、山寺宏一など鉄板のキャスト陣をしており、また「逆襲のシャア」でハサウェイを演じた佐々木望も刑事警察機構調査部長ゲイス・H・ヒューゲスト役で出演しています。声優の顔の見えない演技ができる人たちが勢揃いしているのも手伝って、音の面でも没入度の高い作品となっています。

 三部作の序章ということで、物語は本格的にエンジンがかかるところで終わってしまいますし第2作についてもまだ何の告知も無いのが現状ですが、それでも新たな誕生を告げるこの作品を、スクリーン全体を使い切る躍動感と共に是非堪能していただきたいですね。

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春アニメもそろそろ佳境を迎えつつあるところですが、今期個人的にとても新鮮な気持ちで楽しんでる作品があります。主舞台が岐阜県多治見市である「やくならマグカップも」です。多治見市は単純に自分の通勤途上であり、また亡父が闘病生活を送っていた頃、多治見市の病院に入院しており一時期毎日のように見舞いなどで通っていたため結構馴染みがある場所です。良く知ってる場所がアニメの「聖地」として全国放送されている、という状況がこれほど楽しいものだとは思ってもいず、何だか毎回ウキウキしながら観ています。

 こんばんは、小島@監督です。
 その内ブラブラ散歩しに行こう、何たって定期券の範囲で行けるしね(笑)!

 さて、今回の映画は「緑の牢獄」です。

 沖縄、西表島。沖縄県で第二の大きさを誇るその島にはかつて炭鉱があった。今は廃鉱となりそこは無秩序な緑に覆われている。そこからほど近いところに老婆が暮らしている。その老婆・橋間良子さんは台湾で生まれ、10歳で父と共に西表島に連れてこられた彼女は、それからの80年のほとんどをこの島で過ごし、今はたった一人で家を守っている。眠れない夜には炭鉱での暗い過去、忘れたくても消えない記憶が彼女を襲う。人生の晩年に、彼女がカメラに向けて語る想いとは。

 筑豊炭田や三池炭鉱など九州には名高い炭鉱が多く存在していましたが、西表島にあったという炭鉱はそれほど深く知られてはいないように思います。私もそれがあったことくらいしか知りませんでしたし、この映画を観ようとしたきっかけもそもそも「期限が近い無料券があったから休みの日に時間が合うものを観てきた」だけで特に直前までマークもしていなかった作品です。でもそう言ったところにこそ思わぬ出会いもあったりするもの。

 1930年代に最盛期を迎えていたという西表炭鉱は、しかし離島という土地柄から労働者の大半は島外から集められました。日本各地からだけでなく台湾や中国などから実情も知らされずに連れてこられた人々も多くいました。いわゆる「タコ部屋労働」を強いられた者も多くおり、中には薬物中毒にされた者もいたようです。離島という逃げ場の無いロケーションも手伝い、そこはまさに「牢獄」とも呼べる状況だったことは想像に難くありません。戦前・戦中史の中においても忘却の彼方へ追いやられようとしている歴史を、一人の老婆を通してフィルムに刻み付ける試み、それがこの映画「緑の牢獄」です。
 監督は台湾出身の映画人・黄インイク。これがまだ長編2作目ですが丹念なフィールドワークの成果とも言えるこの作品は企画段階から注目され、ベルリン国際映画祭などで入選を果たしています。

 うるさいくらいのセミの声やマングローブの深緑に覆われた廃校、亜熱帯の暑さをダイレクトに伝えるような画の中に佇む良子さんの姿を、映画は丁寧に綴っていきます。その顔に深く刻まれたシワやシミに長い島暮らしの哀歓が見て取れ、どこか取り留めないように見える語りの内容もさることながら、流暢な台湾語と沖縄なまりの日本語が垣根無く入り混じるその口調それ自体に、その向こうに重い歴史が横たわっているのがくみ取れます。島民の誰かと語っている時はともかく何がしか独白する時は2つの言葉が境目なく出てくるためか、良子さんの言葉には全て字幕を用意してくれているのが助かります。

 この映画に対する感想をより複雑なものにしている要素が2つあります。一つは撮影開始後に良子さんの家の離れに下宿を始めたというアメリカ人青年・ルイスの存在です。ルイスは良子さんと独特の距離感を保っていますが映画も後半に入るとこの関係性、というよりルイスと集落の住民との関係性に変化が訪れます。その変化の様に「離島」という閉塞的な空間の狭隘さを見て取ることができますが、敢えてこういうものをオミットしなかった監督のセンスが見事です。
 もう一つは映画後半から登場するフィクションの映像です。それは不意に現れます。良子さんの語る記憶をより「記憶」として刻み付けようというものでしょうか。ドキュメンタリー映画ながらユニークなアプローチです。とは言え人によっては感情を誘導されているようで反目を覚える箇所かもしれません。また、黄インイク監督はこの際に撮影したフィクションパートで構成した「草原の焔」という短編映画を「緑の牢獄」と同時に発表しています。

 時の流れの中に埋もれようとしている歴史に、それに真摯に向き合った者にだけなしうる方法で映像として刻み込まれた、そういう「熱さ」を宿した映画です。全くノーマークで観に行った作品でしたが思いもかけず心を揺さぶられました。ミニシアターだからこそ出会える作品ともいえるでしょう。映画への逆風が止まない昨今ですが、こういうのが上映される素地と体力は残り続けていて欲しいですね。

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昨日、「THE IDOLM@STER SHINY COLORS 3rdLIVE TOUR PIECE ON PLANET / FUKUOKA」Day2を配信で観ていました。先月名古屋から始まったシャイニーカラーズ3rdツアーの千秋楽です。初日からわずか2か月でレベルが大きく上がっている者が何人もいるだけでも驚くのに、この福岡公演が事実上の初登場になる「SHHis(シーズ)」が既に他のメンバーとタメを張れるパフォーマンスを見せたのに驚異を覚えます。また、ライブ終盤にはアイマス15周年記念曲「なんどでも笑おう」が。先日のミリオンライブでのイベントでも歌われたこの曲、これからシンデレラガールズやSideMのイベントも控えているので一つ一つこの曲を繋いでいってくれるのではという期待も生まれます。何よりとんでもなく熱量の高いステージに、自宅でPCの小さな画面で観ていただけなのに心底昂揚しました。

 こんばんは、小島@監督です。
 制約が多い中でも「強い」ものを魅せてくれる人たちを観ていると、こちらとしても元気をもらえますね。

 さて、今回の映画は「ガメラ3 邪神覚醒」ドルビーシネマ版です。

 1999年、鳥類学者・長峰真弓(中山忍)は赤道直下の村で発見されたギャオスの死体を調査していた。一方、沖ノ鳥島近海を調査していた深海探査船「かいこう」は、深海で「ガメラの墓場」とでも言うべき夥しいほどのガメラの骨を発見する。
 奈良県に住む少女・比良坂綾奈(前田愛)と弟の悟(伊藤隆大)は4年前に発生したガメラとギャオスの戦いに巻き込まれ両親を喪い親戚の家に引き取られていた。内心にガメラへの憎悪を募らせる綾奈は、ある日、同級生から度胸試しとして古くから「柳星張」という存在がが眠るとされる洞窟でそれを封印する石を持ってくるようにそそのかされる。

 1999年に製作・公開された「平成ガメラ三部作」の完結編となる作品です。ガメラシリーズ55周年を記念して昨秋から三部作がドルビーシネマ版にアップグレードされ順次劇場公開されています。

 人間が怪獣を見上げるショットの多い平成ガメラ三部作は、全作を通して怪獣をいわば「厄災」として描いてきたシリーズですがこの3作目に至り「ガメラに家族を殺された少女」という存在が登場します。憎悪が物語の原動力の一つとなり、怪獣がもたらす破壊が文字通りのカタストロフィとして描かれます。また、前作「レギオン襲来」からあった黙示録的世界観がより強調されているのも特徴です。興味深いことにこの破局的な終末と向き合う人々の姿を描く物語は何もこの作品に限ったことではなくまさに世紀末かつ千年紀の終わりであった1990年代後半に、「新世紀エヴァンゲリオン」を筆頭にサブカルチャー関連では散見されていました。日本だけでなく洋画でも「アルマゲドン」(1998年)「エンド・オブ・デイズ」(1999年)やドラマ「ミレニアム」(1996~99年)などが製作されているので日本だけの現象ではなかったように思います。
 ところで、この「邪神覚醒」では二十八宿や巫女の血統など東洋的というか伝奇的要素も加味されているのですが、正直ちょっと嚙み合わせが悪いというか上手く作用していないのが残念なところ。特に思わせぶりに登場する内閣官房・朝倉美都(山咲千里)とプログラマー・倉田真也(手塚とおる)の2人はやたらと悪目立ちする割には物語をちゃんと牽引できておらず、据わりの悪さを覚えます。

 一方、怪獣映画としてのスペクタクルはシリーズ最高と言って過言ではないでしょう。前半の渋谷を壊滅状態に追い込むガメラとギャオスの死闘、クライマックスの当時改築されたばかりの京都駅を舞台に展開する怪獣映画史上初の屋内戦の迫力はその白眉ともいえます。昔観た時はもう少し画面が暗かったような記憶があるのですが、この辺りはドルビーシネマ版ならではなのか、より色調が豊かになったように思います。記憶違いでなければこの精彩は昔観た事のある方も結構新鮮に映るのではないでしょうか。

 まさかこの半年の間に1990年代を代表するこの怪獣映画を全作スクリーンで立て続けに鑑賞できる日が来るとは思いも寄りませんでした。相変わらず新作映画が上映されにくい日々が続き、緊急事態宣言の延長によって映画館自体も休業を迫られたりと苦しい時期が続く中ですが、旧作を再発見できる機会が増えているのは決して悪いことばかりではないと信じたいですね。でも土日休業を強いられるのは正直あんまりでござる。

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昨日富士急ハイランドコニファーフォレストで開催された「THE IDOLM@STER MILLION LIVE! 7thLIVE Q@MP FLYER!!! Reburn」を配信で観ていました。本来なら昨年開催される予定でしたがコロナ禍で延期となったイベントです。ライブタイトルに「Reburn」という言葉が後から付されているのが象徴的です。初の野外ライブということで、野外ならではの演出がふんだんに盛り込まれており映像で観ても「強い」画が次々と出てくる様に、PCの小さなモニターで観ているのがもどかしくなるほど。できれば現地で観たかったとの思いが強くなりました。

 こんばんは、小島@監督です。
 まだまだ気軽に遠征してライブを観に行ける日々は先になりそうです。

 さて、今回の映画はしばらくぶりに配信の作品から1本。「ヒトラーを殺し、その後ビッグフットを殺した男」です。

 1987年、愛犬と共に平穏に暮らす老人・カルヴィン(サム・エリオット)には秘密があった。若き日の彼はエージェントとして歴史の陰でヒトラー暗殺に成功していたのだ。しかしその事実は公になることはなく世界を変えられなかった無力感と恋人と死別し添い遂げられなかった後悔を抱えて生きてきた。
 そんな男の元にある日FBIが訪れる。山林地帯で多発している殺人事件、それは「ビッグフット」と呼ばれる得体のしれない存在の仕業というのだ。しかもそれに殺された遺体は未知のウィルスで汚染されていた。このままでは病原体の感染拡大までも引き起こされてしまう。FBIはエージェントであったカルヴィンにビッグフット殲滅を依頼しに来たのだ。

 勉強とか部屋の掃除とかのBGMに、音楽ではなく何か映像を流す方もいらっしゃるかと思います。私の場合、「X-FILES」とか「HAWAII FIVE-O」とかの基本1話完結のスタイルを取る海外ドラマを吹替版で流すことが多いのですが、たまにB~C級のモンスター映画にすることがあります。ぶっちゃけ真面目に見る気が無いから面白い作品である必要が無いので「時間の無駄」とかレビューされている物でも何の問題無くむしろそういうのが見たい時もあったりします。今回の映画もそうやって流し見しようとしていた1本です。
 「ヒトラーを殺し、その後ビッグフットを殺した男」なんてどう贔屓目に見ても頭が悪いとしか言いようがないこのタイトルで、しかし描かれているのは積年の後悔を抱きながら生き続けた男の晩節を描いた哀歌だと誰が想像できましょうか。ちょっとウキウキしながらアホ映画かけようとしてたんですよ、私。率直に言ってタイトルに「ビッグフット」が入ってる作品は基本クソ映画です。ええ、何ならAmazonプライムでもNETFLIXでも適当に検索をかけてみてください。きっと偏頭痛がします。だというのに、まさかこんなヘドロじみたところに一粒の金が眠っていようとは。

 この主人公カルヴィンを演じたのはサム・エリオット。1960年代の終わりから現在に至るまで映画やドラマに出演を続ける名優で、2018年には「アリー/スター誕生」でアカデミー賞助演男優賞に初ノミネートされました。また、製作総指揮を担ったダグラス・トランブルは「2001年宇宙の旅」や「未知との遭遇」のVFXを手掛けデジタル・エフェクトのパイオニアとされるレジェンド的人物です。キャストもスタッフもこの珍奇なタイトルからは想像もつかない渋く重厚な布陣です。 
 表情一つ、所作一つに哀切が滲むサム・エリオットの演技を骨太なカメラワークとBGMが支えます。タイトル通りちゃんとヒトラーは出ます。ビッグフットも出ます。ですが、実は思いのほかアクションシーンは少ない映画です。70代後半のサム・エリオットに激しいアクションは難しい、というのもあったでしょうが描くべきは老いた男が自身の矜持を懸けて最後の戦いに臨む姿そのものであり、どう戦ったかは最小限で十分だからでしょう。ラストシーンが醸し出す余韻の深さにはちょっと胸にこみあげるものがありました。

 ハリウッドメジャーな作品や文学映画だけを追っていては決して目に留まることの無い場所にありながら、ボンクラ映画を観たい向きには本気過ぎてそっぽを向かれてしまう、映画と言う広大な海の中でポツンと存在する孤島のような1本です。しかしそこで消えていってしまうにはあまりに惜しい魅力に満ちていて、映画が持つ魔法の不思議さに驚かされます。これぞ怪作。完全に油断していました。Amazonプライムなどで観ることができますので、この私のブログを読んでちょっとでも気になってくださった方は是非トライしてみて欲しいですね。 


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先日の話になりますが、トランペット奏者・数原晋さんの訃報が流れてきました。
 スタジオミュージシャンとして長く活躍されてきた方で、ジャンルを問わず、それこそクレジットされていないものまで含めると数え切れないほどの作品に関わってきた方です。有名な所だけでも「金曜ロードショー」の初代オープニングだった「フライデー・ナイト・ファンタジー」や「必殺仕事人」のテーマ、「ルパン三世のテーマ」、「天空の城ラピュタ」でのパズーの吹くトランペット「ハトと少年」、「ONE PIECE」や「さよなら絶望先生」などの劇判にも参加していたのでほとんどの方がそれと知らずともその音色を耳にしているはずです。
 また一人、偉大な方が世を去っていきました。謹んでご冥福をお祈りします。

 こんばんは、小島@監督です。
 先週の「金曜ロードショー」では追悼と感謝の意味を込めて初代オープニングを復刻して放送されました。私としてはあれを聴いて育った、というか自分にとっての「映画」の原体験を象徴する曲でもあるのでやっぱり落ち着けるものがありますね。

 さて、今回の映画は「るろうに剣心 最終章 The Final」です。

 幕末の動乱の中で「人斬り抜刀斎」と呼ばれる志士がいた。新時代・明治を迎えその男・緋村剣心(佐藤健)は二度と人を斬らないことを誓い、刀を逆刃刀に持ち替え不殺の流浪人として市井の人々を護るために剣を振るう。
 1879年、今は東京・神谷道場に身を寄せる剣心は日本転覆を目論む志々雄一派との死闘を終え、師範代・神谷薫(武井咲)や喧嘩屋・相楽左之助(青木崇高)らと共に穏やかな日々を過ごしていた。
 元新撰組であり今は内務省警視局に勤める斎藤一(江口洋介)は志々雄一派に甲鉄艦を手配した武器商人の情報を得て横浜に来ていた。その男・雪代縁は斎藤を認めると不敵な笑みを浮かべて一つの質問を投げた。
 「緋村抜刀斎の左頬に、十字傷はまだあるか?」

 2012年に公開された実写映画版「るろうに剣心」は、興行的にも高い評価を収めその後2014年に原作の京都編に当たるエピソードを「京都大火編」「伝説の最期編」の二部作として製作、連続公開されました。それから7年、いよいよ原作の最終章に当たる「人誅編」と「追憶編」が映画化されます。本来は昨年の同時期に公開の予定でしたがコロナ禍を受けて1年延期に。時間ができたからなのか、映像と音声をアップグレードしたIMAX版も同時に公開となりました。
 原作では「人誅編」の最中に「追憶編」が組み込まれ、その後「人誅編」の完結へと向かうのですが、映画版では「The Final」として人誅編を先に最後まで見せ、その後に「The Beginning」として追憶編を見せる構成を取っています。

 その「The Final」は、物語の熱量とアクションのキレが高いレベルで融合した、見事なエンターテインメントに仕上がっています。アクション監督・谷垣健治が仕掛ける、いわゆる時代劇的なチャンバラとは大きく一線を画す剣戟アクションは更にアイディアとスケールが上がり、邦画でここまでの物が観られるのかという驚きがあります。
 第1作を撮影した際はさすがにここまで製作できるようになるとは考えていなかったでしょう、原作では人誅編に登場する戌亥番神と外印が映画版では1作目に既に登場してしまっているため、登場人物にいくらかの変更が施されていますが、基本的なストーリーラインは原作と大きく離れてはいません。むしろ漫画でしかやれない部分を上手くオミットして構成したなという印象です。結果的にメインキャラでもモブみたいな扱いになってしまっている人もいて収まりが悪く感じる部分もありますが、「縁の剣心への復讐」という骨格がガッチリしているのでさほど不格好ということはありません。

 また、コロナ禍が治まり切らない「今」観ているからこその感慨として、とにかくその「画」の強さが上げられます。明治の東京の街をセットで構築し多くのエキストラを動員して撮影するそのスケール、恐らく今はやりたくてもやれないことではないでしょうか。手間も人も惜しまずに作り上げた映画だけが為しうるダイナミズムをこの作品は持っています。本来であればこれは感慨など覚えなくても良いはずの箇所であり、またともすれば今後数年は断絶されてしまいそうな技術の結集でもある作り上げられた画の強さに、ある種の切なさのような感慨を覚えずにはいられません。

 作中回想シーンで僅かに登場する剣心の妻・雪代巴を演じる有村架純の佇まいが実に美しく、彼女がヒロインとなる「The Beginning」への期待を否が応にも高めてくれます。結末を先に持ってきたことで最終作となる次作にも何かしらの「仕掛け」があるのではないか?という期待もありますね。
 緊急事態宣言の発令区域が更に拡大されていく中で映画館への逆風もまた強くなりつつありますが、これからしばらくは難しくなりそうなスケール感を持って製作された「るろうに剣心 最終章」、上映されるエリアに居るファンたちには是非とも盛り上げてほしい1本ですね。

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面積の差で休業要請の度合いが違っていたり、営業はしても良いから酒類の提供は禁止という業態があったりと言った緊急事態宣言とか蔓延防止措置と言っても腰の据わらない中途半端さに、連休前後は仕事の面でも振り回されて正直かなりうんざりしています。人が集まるのがよろしくない、という話なのにお酒だけ禁止したところで効果があるワケなかろうに。

 こんばんは、小島@監督です。
 東京の方ではドイツビールの祭典「オクトーバーフェスト」が開催していたりもするのですがビールはテイクアウトオンリーで会場内では飲めないという悪い冗談みたいな開催手法を強いられていたりしてどうにも忸怩たるものを感じます。

 さて、今回の映画は「名探偵コナン 緋色の弾丸」です。

 江戸川コナン(声・高山みなみ)と毛利小五郎(声・小山力也)、蘭(声・山崎和佳奈)と少年探偵団のメンバーたちは鈴木園子(声・松井菜桜子)のツテで4年に1度開催されるスポーツの祭典「ワールド・スポーツ・ゲームズ(WSG)」の東京大会開催を記念するパーティーへと出席していた。パーティーの最中、突然会場の照明が落ち、非常灯が点いた時には園子の父・史郎(声・松岡文雄)の姿が消えていた。停電中に青白い火花を目撃していたコナンは史郎がスタンガンで気絶させられ拉致されたと推測。時間的にまだパーティー会場であるホテルから出ていない可能性を推理し少年探偵団と共に史郎を発見することに成功する。
 捜査に来ていた目暮警部(声・茶風林)から史郎同様にWSGスポンサーの社長で同様に拉致されていた者がいることを知る。コナンは更に15年前にアメリカでもWSGスポンサーが拉致される事件があった事を知るのだった。

 当初は昨年4月に公開予定でしたがコロナ禍拡大により延期となり、1度は10月公開で調整していたものの再延期となり結局1年間の休止期間を余儀なくされた「劇場版名探偵コナン」がようやくスクリーンに帰ってきました。
 大幅なプロモーション活動の変更を迫られた中で思わぬ副産物も生まれています。今作「緋色の弾丸」でクローズアップされる赤井一家をフィーチャーしたエピソードで構成された総集編「緋色の不在証明」が製作され劇場公開された点です。「緋色の不在証明」は音声を劇場仕様にリマスターし一部に新作映像が用意されてはいるものの、古いところで10年は前に放送されたエピソードを採録しているためか映像のクオリティがバラバラでスクリーン鑑賞に耐えないシーンも見受けられますが、軽く忘れかけていたところを再確認して映画への期待を高めてくれるに丁度良い1本だったといえるでしょう。これまでも1日限りのイベント上映という形態で劇場版でメインとなる人物に因んだエピソードが上映された事はありましたが、限定上映に近かったとは言えそれなりの規模でのロードショーは初めての試みであったと思われます。思いがけず興行成績も良かったようで、来年以降もこの手法は継続されるかもしれません。

 「緋色の弾丸」の方に話を戻しましょう。
 冒頭、ハーモニカのソロによるロッシーニの「ウィリアム・テル序曲」が奏でられる中でセリフも少なめに展開されるコナンシリーズにしては異色の導入部に引き込まれますが基本的には劇場版名探偵コナンのご多分に漏れず、今回もスケールの大きな事件にコナンたちが挑むアクション・エンターテインメントに仕上がっています。推理よりも画面のハッタリを重視した作りも近年の傾向そのままで、最終的には「これ被害総額どれくらいになるんだ…?」と思わずにはいられないくらいのカタストロフィがクライマックスに待っています。

 今作のちょっとした見どころとして、物語の主舞台の一つが名古屋市(及び中部国際空港)である点が上げられます。名古屋城や金シャチ横丁、オアシス21など見慣れた場所がいくつも登場する、というだけでなくその場所を知っているが故に「ちょっと不自然な速度で移動している」のが見えてしまって何だかフフっとなります。名古屋に土地勘がある者だけの特権みたいな部分ですが、ご覧になる際は注目してほしい箇所ですね。黙ってても気になるところかもしれませんが(笑)

 登場人物の多さに比して群像劇としてはキレが悪く、粗さも目立つ作品ではありますがゴールデンウィークの顔ともいえる作品が1つ帰ってきてくれたのは素直に嬉しい。またしても緊急事態宣言が発令されて、東京や大阪では上映が中断される憂き目に遭ってはいますが、観られる地域の方には是非とも足を運んで盛り上げていってもらいたい作品といえますね。

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何か今日でTwitterを使い始めて丁度9年らしいです。実は最初は中学の同窓生との連絡用に作ったアカウントだったのですが、今やすっかり映画とアニメとアイマスのことばかり呟くオタクアカウントに(笑)。始めて半年くらい経った辺りからハッシュタグを使ってこのブログと紐づけるようになったので「#chukara」のタグももう8年以上使っている計算になります。

 こんばんは、小島@監督です。
 気づけば遠くまで来てしまったものよ。しかも全然成長している感が無い(苦笑)

 さて、今回の映画は「ナタ転生」です。

 かつて神々の死闘が繰り広げられた大陸。それより3,000年以上の時を経た現在、「東海市」では財閥企業である「徳興グループ」が支配し激しい貧富の格差に晒されていた。バイク好きの青年・李雲祥(声・楊天翔)は時にストリートレースで賞金を稼ぎ、普段は非合法スレスレの荷物を運ぶ密輸屋として奔放な生活を送っていた。幼馴染みで妹分でもあるカーシャ(声・朱可兒)と共に過ごす裕福とは言えないが充実した日々。しかし徳会長(声・宣曉鳴)の息子である三公子(声・凌振赫)が李雲祥のバイクに目を付けそれを欲しがった事で急変する。三公子は部下を伴い李雲祥とカーシャを襲撃。どうにかそれをかわして三公子に反撃することに成功する李雲祥だったが、激昂した三公子はその手から氷の矢を放った。それにより形勢は逆転される。しかし重傷を負ったカーシャの姿と自身の生命への危機が李雲祥の中に秘められた力を呼び起こした。李雲祥の中には3,000年以上前に神々と死闘を繰り広げたナタの魂が眠っていたのである。

 日本もアメリカも凌ぎ今や世界一のアニメ大国となった中国。製作本数だけでなく質的な面でも今や日本を凌駕しつつあります。日本でもロングヒットとなった「羅小黒戦記」が記憶に新しいところですが、またしてもパワフルな作品が日本へ上陸してきました。
 日本でも藤崎竜の手による漫画版などで知られる「封神演義」、それをベースに人気キャラクターであるナタ(哪吒)の魂を持った青年が戦いの渦に巻き込まれる姿を描く3DCGアニメーションです。

 冒頭、「AKIRA」や「レディ・プレイヤー1」を思わせるバイクレースのシーンから始まるこの映画は、ハリウッド映画やゲームなどの影響を随所に感じさせながらもエネルギッシュな語り口で観る者を強烈に引っ張ります。かなり展開が早い部類に入る作品ですが映像とセリフを組み合わせて設定を理解させるバランス感覚が見事で、親切で観易い作品と言えるでしょう。エンドクレジット後にもうワンシーンある、マーベル映画によく観られる作りをしているのですが、ちゃんと「続きがあるよ!」と字幕で表示される辺りも親切です(笑)
 3DCGというツールの使いぶりも見事でスピード感を出したいあまりに観客を「酔わせてしまう」というようなことがありません。しかも驚くことにこういった観客への配慮を怠っていないにも関わらずやりたい事を全部盛りにしてしまう、できてしまう「勢い」があるのがポイントです。特にアクションシークエンスのアイディアと演出の豊富さは驚異の一言。このクリエイターの熱量の凄みにはどこか1980年代から90年代にかけて急伸長した日本アニメに観られるものと似たようなものを感じます。それだけ今の中国市場には勢いがあるといえます。

 もう一つ、この作品の主舞台である「東海市」の1930年代の上海を思い起こさせるような頽廃的な背景や美術も見事です。驚くことに背景については場面単位で建物の要素を抽出して街を自動生成するアルゴリズムを作り上げたそうで、その技術力にも感服します。
 どこかアール・デコ調の車やバイクのデザインや、意外に義手や義足をした登場人物が多く機械的な要素が前面に出ている点などサイバーパンクやレトロフューチャーのテイストも強く、この世界観自体が「刺さる」人も多いことでしょう。

 当初からシリーズ化する気満々だったらしく、いくつかの要素は語り切らないまま終局を迎えますが、とにかくどのキャラクターも活き活きしていてラストまで来る頃には多くの方が「こいつらをもっと観ていたい!」と思えるようになっているんじゃないでしょうか。実際は私は続きが観たい。次回作にはナタに負けず劣らず人気の高い「あの人」も登場するようですし。

 「羅小黒戦記」と比べるとだいぶ公開規模が小さいのが難点ですが、現代中国のエンターテインメントのエネルギーを如実に感じられるこの作品、できれば多くの方に観て頂きたいと思いますね。

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