ちゅうカラぶろぐ


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新年明けましておめでとうございます。本年もどうぞよろしくお願いします。
 正月三が日からベネズエラでとんでもないことが起きててビビります。ロシアのウクライナ侵攻、パレスチナ情勢に加えて台湾でも火がつきそうになってて嫌でも世界情勢から目の離せない年になりそう。

 こんばんは、小島@監督です。
 ノー天気に映画を楽しめる日常が失われないことを切に祈ります。

 さて、今回の映画は「手に魂を込め、歩いてみれば」です。

 イスラエルによるガザ攻撃が続いていた2024年、イラン出身の映画監督セピデ・ファルシは急ぎ現地へ取材を行い人々の声を聞き取り伝える必要性を感じていた。しかし、封鎖されたガザへ入る術が無い。そこで知人を通して知り合ったガザ在住のフォトジャーナリスト・ファトマ・ハッスーナとコンタクトを取り、彼女とのビデオ通話を中心とした映画の製作を決意する。

 「もし死ぬなら、響き渡る死を」とその人は言った。いよいよジェノサイドの色が濃くなって来たガザ情勢。電気や水のインフラも途絶えがち、食糧も滞り気味、更にイスラエルは「国境なき医師団」のガザ入りをも制限しようとしています。国際情勢の発火点の一つとしてジャーナリストたちの関心も高く、連日ニュースで報じられているだけでなく以前このブログでも紹介した「ネタニヤフ調書」「ノー・アザー・ランド」と言った作品が世に問われています。また、現在の侵攻が始まる前に製作されて当時のガザの様子を捉えた「ガザ・サーフ・クラブ」(2016年)「ガザ 素顔の日常」(2019年)と言った作品もここ数年で相次いで公開され、それらを通して現在の状況に思いを馳せることもできます。
 そんな中で、また一つ力強く尊い作品が生まれました。

 映画のほとんどはセピデ監督とファトマとのビデオ通話を別のスマホで撮影した映像で構成されており、しかも映像も音声も途切れがち。正直言って少なからず見辛い箇所が散見されます。しかし少ない選択肢の中で敢えてこの手法を選び映画にしたセピデ監督の選択は、開幕から程なくして結実していることに観客は気づきます。

 会話の向こうにヘリやドローンのローター音や爆発音が聞こえ、明日をも知れない状況下にありながらファトマは笑顔を絶やさず、故郷を愛し、カメラを手に街を歩き詩も詠む。聡明で多才で現況に諦め切ってはいない。言葉の端々に見えるのはファトマが持つ強さと笑顔を失わない明るさ。蹂躙されゆく街を射し照らす一条の光のよう。なかなか繋がらない通話にハラハラし、接続できたことにホッとする。しかし状況はじわじわと悪くなって行く、そんな表現し難い胸苦しさが全編を貫きます。
 通話の合間に差し挟まれる写真もフォトジャーナリストであるファトマが撮影したもので、破壊されゆくガザ地区を詩情に満ちた写真で切り取っています。

 映画が進むにつれ、度重なる空爆でファトマの友人や家族が命を落とし、ファトマ自身も鬱のような症状を訴えその笑顔にも翳りが見え始めます。それでも絶望の中で僅かな光を見出そうとするファトマを誰が笑うことができましょう。
 しかし現実は残酷で、昨年4月ファトマは家族と共に空爆で死亡したことがワールドニュースでも報じられました。何の因果かセピデ監督はファトマが命を落とす前日に通話しており映画の最後はその映像で締め括られています。その会話の内容と突き付けられた現実との落差にただ呆然と立ち尽くすかのような感覚を味わいました。

 これは、何名と無機質な数字で語られる死者一人一人に人生があったことを教えてくれると同時に、人が持つ美しさと祈りと怒りに満ちたパワフルな映画です。いや、「映画鑑賞」という言葉をどこかで超えた映像体験をもたらす作品でもあります。
 願わくば、この映画が多くの方の目に止まりますように。それこそがファトマの願いでもあるだろうから。

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