約10年間楽しませてもらって来た「僕のヒーローアカデミア」がいよいよ今週で最終回。これまでの積み重ねの全てが収束して行った最終決戦の昂揚とは打って変わって、1人1人の痛みと後悔、そして踏み出す一歩をじっくりと描くエピローグはまさに万感の極み。最後に緑谷出久たちはどこへたどり着くのか、放送が待ち遠しいような、彼らとの別れを迎えたくないようなそんな複雑な気分です。
こんばんは、小島@監督です。
最終回放送に合わせてFINAL SEASON全話を一挙上映するイベントも。先約が無ければ行きたかった…ッ!
さて、今回の映画は「果てしなきスカーレット」です。
16世紀デンマーク、王弟クローディアス(声・役所広司)と王妃ガートルード(声・斉藤由貴)の謀略により国王アムレット(声・市村正親)は処刑された。父の復讐を誓った王女スカーレット(声・芦田愛菜)だったが、果たすことなくクローディアスにより毒を盛られ気付いたときには「死者の国」にいた。現世で死んだ者が堕とされる場所だという死者の国だが、何故かクローディアスもまたこの世界にいることを知り、改めて復讐を果たすことを誓った。
そんな中、スカーレットは現代の日本から死者の国にやって来た看護師・聖(声・岡田将生)と出会う。成り行きで共に死者の国を旅することになった2人。この出会いはスカーレットの復讐に何をもたらすのか。
「時をかける少女」「竜とそばかすの姫」などで現代日本アニメーションのトップクリエイターの1人である細田守監督、大きな規模で公開されるのが常の監督なので万人向けの映画を作れる方のように思えますがその実かなり思想が強い方です。「バケモノの子」(2015年)以降原作・脚本も一手に手掛けているのもフィルムメーカーとしての我の強さ故でしょう。そんな細田守監督、今は古典に興味があるのでしょうか、「竜とそばかすの姫」では「美女と野獣」が大きくフィーチャーされていましたが、今作ではシェイクスピアの「ハムレット」をベースにダンテの「神曲」の要素などを織り交ぜたダークファンタジーを作り上げて来ました。
蓋を開けたらあまりの不入りに驚きましたが、では愚にもつかない程の駄作かと言えばそんなことはありません。生者の世界と死者の世界を手描きの2Dとセルルックの3DCGとで描き分けたビジュアルはその色彩感覚、カット単位の情報量の多さも相まって迫力充分です。エフェクトを多用して迫力を醸成する昨今の主流とは一線を画し、映像の面白さで言ったら間違いなく今年トップクラスでしょう。
問題とされるシナリオですが、破綻していると言われてもいますが実は意外とロジカル。言っては何ですが「ハウルの動く城」以降の宮崎駿監督作品の方がよほど破綻しています。
恐らくはハムレットとオフィーリアの要素を両方入れ込ませたであろうスカーレットは変に人物像がブレたキャラクターとして描かれていますが、少女期に父を謀殺され復讐を誓った時にある意味で成長が止まっており、肉体的な成熟とは裏腹に精神面では未成熟という歪つさを宿していると言えば理解できます。
映像の力が強い割にはセリフで語っている比率が高いのはシェイクスピアを意識しているからでしょうか。シェイクスピア劇というのはまずセリフやダイアログを意識して組み上げるものと聞きます。ただそれ故に例えば「鬼滅の刃」のような多弁さとは別種の、アニメにしては珍しい過剰さが付いて回るのでその辺が気になる人には気になってしまうでしょう。
何より、出演者の皆さんとても良い演技をしてくれているものの、芦田愛菜、岡田将生を筆頭に役所広司、市村正親、斉藤由貴、吉田鋼太郎、松重豊、染谷将太らというそうそうたるメンバーでシェイクスピア劇の翻案をやるならそれはもう舞台で観たくないかい?という欲求を越えるイメージを提供し切れていないのが一番の問題のように思えます。
400館規模で公開されるにしては「商品」としての性格より作家の我が前面に出た「作品」としての個性が強すぎるためストライクゾーンが異様に狭く、正直ちょっと薦めづらいのも確かです(苦笑)。しかし否定が強めの賛否両論になるのは頷けますが、初動からつまずいたのにはやはり驚きを隠せません。TV局主導やタイアップ攻勢を含めた宣伝戦略の在り方など映画興行も時代が変わりつつあるのかもしれませんね。それでも配信で流れるようになったり地上波放送が繰り返されたりする内に評価がちょっとずつ変わっていくような、そんな予感もあるような無いような。ただ今更来場者特典付けるのはさすがに遅いとしか(苦笑)
こんばんは、小島@監督です。
最終回放送に合わせてFINAL SEASON全話を一挙上映するイベントも。先約が無ければ行きたかった…ッ!
さて、今回の映画は「果てしなきスカーレット」です。
16世紀デンマーク、王弟クローディアス(声・役所広司)と王妃ガートルード(声・斉藤由貴)の謀略により国王アムレット(声・市村正親)は処刑された。父の復讐を誓った王女スカーレット(声・芦田愛菜)だったが、果たすことなくクローディアスにより毒を盛られ気付いたときには「死者の国」にいた。現世で死んだ者が堕とされる場所だという死者の国だが、何故かクローディアスもまたこの世界にいることを知り、改めて復讐を果たすことを誓った。
そんな中、スカーレットは現代の日本から死者の国にやって来た看護師・聖(声・岡田将生)と出会う。成り行きで共に死者の国を旅することになった2人。この出会いはスカーレットの復讐に何をもたらすのか。
「時をかける少女」「竜とそばかすの姫」などで現代日本アニメーションのトップクリエイターの1人である細田守監督、大きな規模で公開されるのが常の監督なので万人向けの映画を作れる方のように思えますがその実かなり思想が強い方です。「バケモノの子」(2015年)以降原作・脚本も一手に手掛けているのもフィルムメーカーとしての我の強さ故でしょう。そんな細田守監督、今は古典に興味があるのでしょうか、「竜とそばかすの姫」では「美女と野獣」が大きくフィーチャーされていましたが、今作ではシェイクスピアの「ハムレット」をベースにダンテの「神曲」の要素などを織り交ぜたダークファンタジーを作り上げて来ました。
蓋を開けたらあまりの不入りに驚きましたが、では愚にもつかない程の駄作かと言えばそんなことはありません。生者の世界と死者の世界を手描きの2Dとセルルックの3DCGとで描き分けたビジュアルはその色彩感覚、カット単位の情報量の多さも相まって迫力充分です。エフェクトを多用して迫力を醸成する昨今の主流とは一線を画し、映像の面白さで言ったら間違いなく今年トップクラスでしょう。
問題とされるシナリオですが、破綻していると言われてもいますが実は意外とロジカル。言っては何ですが「ハウルの動く城」以降の宮崎駿監督作品の方がよほど破綻しています。
恐らくはハムレットとオフィーリアの要素を両方入れ込ませたであろうスカーレットは変に人物像がブレたキャラクターとして描かれていますが、少女期に父を謀殺され復讐を誓った時にある意味で成長が止まっており、肉体的な成熟とは裏腹に精神面では未成熟という歪つさを宿していると言えば理解できます。
映像の力が強い割にはセリフで語っている比率が高いのはシェイクスピアを意識しているからでしょうか。シェイクスピア劇というのはまずセリフやダイアログを意識して組み上げるものと聞きます。ただそれ故に例えば「鬼滅の刃」のような多弁さとは別種の、アニメにしては珍しい過剰さが付いて回るのでその辺が気になる人には気になってしまうでしょう。
何より、出演者の皆さんとても良い演技をしてくれているものの、芦田愛菜、岡田将生を筆頭に役所広司、市村正親、斉藤由貴、吉田鋼太郎、松重豊、染谷将太らというそうそうたるメンバーでシェイクスピア劇の翻案をやるならそれはもう舞台で観たくないかい?という欲求を越えるイメージを提供し切れていないのが一番の問題のように思えます。
400館規模で公開されるにしては「商品」としての性格より作家の我が前面に出た「作品」としての個性が強すぎるためストライクゾーンが異様に狭く、正直ちょっと薦めづらいのも確かです(苦笑)。しかし否定が強めの賛否両論になるのは頷けますが、初動からつまずいたのにはやはり驚きを隠せません。TV局主導やタイアップ攻勢を含めた宣伝戦略の在り方など映画興行も時代が変わりつつあるのかもしれませんね。それでも配信で流れるようになったり地上波放送が繰り返されたりする内に評価がちょっとずつ変わっていくような、そんな予感もあるような無いような。ただ今更来場者特典付けるのはさすがに遅いとしか(苦笑)
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