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ちゅうカラぶろぐ


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昨日でお盆休みが終わって今日から仕事、という方も多いのではないでしょうか。私は先週の前半だけが休みで後半はもう仕事でしたが、ひたすらゴロ寝したり仲間内で酒を呑んだりカラオケ行ったり超長い映画を観たりアイドルのライブに行ったり何だかんだ充実してました。アイドルライブの方はメンバー全員がバースデーライブ衣装を着る特別公演で、今年1月最推しのバースデーライブ当日高熱出してブッ倒れて行けなかった悔いをようやく晴らせて感無量。

 こんばんは、小島@監督です。
 しかし何故か休日の前日に限ってトラブルで電車が止まっちゃったのだけは玉に瑕。待ちぼうけ食らってる間に映画観に行ったりしたのでただじゃ転びませんでしたがね、フフフ。

 さて、今回の映画は「東京裁判」です。

 1945年、太平洋戦争は日本がポツダム宣言を受け入れ全面降伏する形で8月15日に終結した。終戦後の日本を統治する連合国軍最高司令官ダグラス・マッカーサーは戦後処理の一環として戦争犯罪人の裁判の開始を望み、翌1946年1月19日極東国際軍事裁判所条例が発布された。A級戦犯28名を確定して5月3日に開廷したその裁判は「東京裁判」とも呼ばれている。戦後日本の進路を決定付けたと言って良いその裁判は何を裁き、何が裁かれなかったのか。

 戦後80年という節目の年である今年、特に今月はTV・ラジオ・新聞など大手メディアで様々なアプローチでの回顧特集が組まれています。映画もその例に漏れず、新作でも「木の上の軍隊」「雪風YUKIKAZE」が現在公開中であるほか主にミニシアターを中心に旧作の特集上映も行われています。今回取り上げるこの「東京裁判」もそうした流れの中でリバイバル上映された1本です。

 「東京裁判」は1983年に公開されたドキュメンタリー映画です。監督は「人間の條件」「切腹」などで知られた巨匠・小林正樹で、彼のフィルモグラフィーでは唯一のドキュメンタリーになります。裁判が結審してから25年後、アメリカ国防総省が保管していた記録映像の一般公開を機に企画されたこの作品は50万フィートに及ぶ長尺のフィルムを5年かけて編集した、上映時間4時間37分途中休憩ありという大作です。公開から35年を経た2018年、フィルムの修復・高精細化と音声の修復を施した4Kデジタルリマスター版が製作され翌2019年に全国公開されました。以後毎年夏に各地のミニシアターなどで巡回上映される定番のプログラムになりつつあります。

 膨大な一次資料を丹念に紐解いた、歴史の生き証人のような映画です。
 主軸は確かに東京裁判の模様それ自体にあるのですが、この映画の凄みはそこだけに依拠するものではありません。開幕後は日本が敗戦し東京裁判がいかにして始められたかを日本史ではなく世界史の視点から語ります。世界の大きなうねりの中で覇権を夢見てしまった日本がどんな事件に呼応し、どのような決断をしたか、あるいはせざるを得ないところに追い込まれていたのかを詳細に語り明かして行くのです。世界の動きに連動した日本の動きを有機的に見通す、俯瞰を通り越して鳥瞰図でも見ているかのようなこの非常に高い視座はそれ自体かなり新鮮に思う方も多いはずです。この視点を維持しながら、しかし映画は記録映像そのものの力を最大限に活かして裁判に臨んだ数々の人々のドラマをも活写していきます。天皇の戦争責任を断じたいウェッブ裁判長、マッカーサーの意を汲み天皇の戦争責任を問わない決着を図りたいキーナン検事、そもそもこの軍事裁判の意義に根底から疑問を抱いているパル判事、連合国側から選任されながらも有効な反対尋問を取り続け原子爆弾投下を問題として取り上げたブレイクニー弁護人、そして東條英機ら被告人たち、歴史の結節点での彼らの立ち居振る舞いが肉声と共に綴られている凄みは並大抵のものではありません。裁判中に被告同士で利益が相克し互いに敵対する場面があったかと思えば米ソ間で既に冷戦を思わせる際どいやり取りが出て来たりもします。

 ところで、4Kリマスター版の製作にあたり音声のレストア作業も極めて繊細に行われたようで、その白眉が前半早々に現れます。いわゆる「玉音放送」で天皇が読み上げた詔書の全文が当時の音声をクリアにする形で収録されています。「耐え難きを耐え、忍び難きを忍び」という一節が戦争もののドラマや映画に良く引用されているアレです。超がつくほど有名な玉音放送ですが意外と現在において全てを聞けるプログラムは少ないです。私も今回初めて聴きました。

 前編だけでも桁違いの情報量で尋常じゃない重みがあり、ようやく休憩に入った時にはもうぐったりするほど体力を削られましたがそれでもまだ折り返し(笑)。後編はその上を行く超重量級の圧力が待っています。それでもこの映画に触れた時間は非常に有意義なものでした。右寄りにも左寄りにも耳の痛くなるだろうトピックが多く、「見たいものだけを見て」「知りたいことしか知ろうとしない」人たちの語るものの「軽さ」とは対局の存在です。歴史を知ることはこれから先を考えることの第一歩。先行きの見えない時代の中でそれでも何かを理解しようとするのなら、こうして振り返り続けなければならないのです。敢えて結論を付けていないこの映画は、そうすることの重みと大切さを観る者に伝えてくれているのです。

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