時代を作ったのか、それとも時代に求められたのか、ただ間違い無く「昭和」という時代を語る時に欠かせない一人であった長嶋茂雄さんの訃報が先週流れました。
自分はさすがに監督になってからの活躍しか知りませんが、高度経済成長期の輝かしさとセットで語られる選手時代から生涯をかけてプロ野球の発展に尽力し「ミスタープロ野球」と異名を取るほどにプロ野球の象徴として、文字通り「偶像」という意味でのアイドルであり続けた存在であったろうと思います。その業績についてはこれから総括されていくことでしょう。
謹んでご冥福をお祈りいたします。
こんばんは、小島@監督です。
さて、今回の映画は「無名の人生」です。
端正な顔立ちだが寡黙で何を考えているか分からない性格故にいじめられている少年「せーちゃん」(声・ACE COOL)は、かつて両親を自己で失い今は養父ひろし(声・宇野祥平)と共に暮らしている。ある時、転校生「キン」(声・田中偉登)との出会いをきっかけにアイドルを志すようになる。
コロナ禍をきっかけに独学でアニメを学び制作した短編作品「MAHOROBA」と「無法の愛」が自主映画祭で高く評価された気鋭の映像作家・鈴木竜也。その鈴木監督が1年半の時間をかけて一人で作り上げたという初の長編作品です。プロデューサーとして同じくインディーズアニメとして高く評価された「音楽」を手掛けた岩井澤健治がクレジットされていますが、作品を劇場公開へ向けての道筋を付けるために参加した、ということらしくアニメ製作そのものは鈴木監督が全てを一人で担ったそうです。
商業ベースの作品からはまず出てくることは無い、強烈な個性を感じさせる作品です。画質は決して高い方ではなく、この辺りは個人製作故の限界でもあるでしょう。しかし異様なまでの作家の自我の発露がほとばしっています。あとダンスのシーンがわずかにあるのですがカクカクした妙にシュールな動きをしているのがちょっとクセになります。
物語はチャプター形式で展開し、時間の流れと共に主人公を指す名称も変わっていきます。あらすじで書いた「せーちゃん」というのもあくまで親友となるキンがそう呼んでいたに過ぎず、愛称・敬称・蔑称、便宜的な呼称まで含めて多様な呼び名で彼は呼ばれ、作中に本名で呼ばれることは一度しかありません。「無名の人生」というタイトルから名も無き市井の人の一生を追う物語かと予想しましたが、観るとそうではないことに気づきます。とは言え物語を牽引するのは伏線を張って綺麗に収束していくような見事さではなく、予測不可能な人生が如くどこまでもアナーキーかつアクロバティックな無軌道さです。アイドルを目指している前半はいざともかくそこからどんどんととんでもない方向へ転がっていくので完全に置いてけぼりになる人も少なくないでしょう。
チャプターごとでは画面のアスペクト比までも切り替わるフリーダムなスタイルはどこかグザヴィエ・ドランを思い起こさせます。シンプルな描線ビジュアルは表情に乏しいものの、出演陣の演技がそれを補ってくれています。いますが、やっぱりそれでも相当に分かりにくいです(笑)
作品の締めくくりに流れるエンドクレジットにも驚かされました。制作資金をクラウドファンディングで調達し、エンディングで出資者の名をクレジットする作品も珍しくなくなりましたが、この作品のエンディングでは何と300人を超える出資者全員の似顔絵が流れてくるのです。こんなの見たことありません。
歪なこともお構いなし、この狂気のような独創性。インディーズでしか成し得ない作品世界です。相当はっきり好き嫌いが分かれる作品ですがこういうのは途中で止められる配信やBlu-rayなどでは味わいきれない「何か」があるのでスクリーンで観た方が多分楽しい。映画の裾野には、時にこんなユニークな力作が潜んでいます。
自分はさすがに監督になってからの活躍しか知りませんが、高度経済成長期の輝かしさとセットで語られる選手時代から生涯をかけてプロ野球の発展に尽力し「ミスタープロ野球」と異名を取るほどにプロ野球の象徴として、文字通り「偶像」という意味でのアイドルであり続けた存在であったろうと思います。その業績についてはこれから総括されていくことでしょう。
謹んでご冥福をお祈りいたします。
こんばんは、小島@監督です。
さて、今回の映画は「無名の人生」です。
端正な顔立ちだが寡黙で何を考えているか分からない性格故にいじめられている少年「せーちゃん」(声・ACE COOL)は、かつて両親を自己で失い今は養父ひろし(声・宇野祥平)と共に暮らしている。ある時、転校生「キン」(声・田中偉登)との出会いをきっかけにアイドルを志すようになる。
コロナ禍をきっかけに独学でアニメを学び制作した短編作品「MAHOROBA」と「無法の愛」が自主映画祭で高く評価された気鋭の映像作家・鈴木竜也。その鈴木監督が1年半の時間をかけて一人で作り上げたという初の長編作品です。プロデューサーとして同じくインディーズアニメとして高く評価された「音楽」を手掛けた岩井澤健治がクレジットされていますが、作品を劇場公開へ向けての道筋を付けるために参加した、ということらしくアニメ製作そのものは鈴木監督が全てを一人で担ったそうです。
商業ベースの作品からはまず出てくることは無い、強烈な個性を感じさせる作品です。画質は決して高い方ではなく、この辺りは個人製作故の限界でもあるでしょう。しかし異様なまでの作家の自我の発露がほとばしっています。あとダンスのシーンがわずかにあるのですがカクカクした妙にシュールな動きをしているのがちょっとクセになります。
物語はチャプター形式で展開し、時間の流れと共に主人公を指す名称も変わっていきます。あらすじで書いた「せーちゃん」というのもあくまで親友となるキンがそう呼んでいたに過ぎず、愛称・敬称・蔑称、便宜的な呼称まで含めて多様な呼び名で彼は呼ばれ、作中に本名で呼ばれることは一度しかありません。「無名の人生」というタイトルから名も無き市井の人の一生を追う物語かと予想しましたが、観るとそうではないことに気づきます。とは言え物語を牽引するのは伏線を張って綺麗に収束していくような見事さではなく、予測不可能な人生が如くどこまでもアナーキーかつアクロバティックな無軌道さです。アイドルを目指している前半はいざともかくそこからどんどんととんでもない方向へ転がっていくので完全に置いてけぼりになる人も少なくないでしょう。
チャプターごとでは画面のアスペクト比までも切り替わるフリーダムなスタイルはどこかグザヴィエ・ドランを思い起こさせます。シンプルな描線ビジュアルは表情に乏しいものの、出演陣の演技がそれを補ってくれています。いますが、やっぱりそれでも相当に分かりにくいです(笑)
作品の締めくくりに流れるエンドクレジットにも驚かされました。制作資金をクラウドファンディングで調達し、エンディングで出資者の名をクレジットする作品も珍しくなくなりましたが、この作品のエンディングでは何と300人を超える出資者全員の似顔絵が流れてくるのです。こんなの見たことありません。
歪なこともお構いなし、この狂気のような独創性。インディーズでしか成し得ない作品世界です。相当はっきり好き嫌いが分かれる作品ですがこういうのは途中で止められる配信やBlu-rayなどでは味わいきれない「何か」があるのでスクリーンで観た方が多分楽しい。映画の裾野には、時にこんなユニークな力作が潜んでいます。
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