本来なら休みやすい閑散期なのに色々とワケありで実質2週間休み無しというエグい期間をどうにか脱したら昨日は約半日眠り込んでました。実は無休3週目に突入する可能性も生じていたのですが、何とか回避できてホッとしています。
こんばんは、小島@監督です。
次に似たような事態になった時は絶対に1日だけでも休みを確保しようと心に決めました。
さて、そんなワケでしばらく映画を観に行くどころではなかったので今週は自宅で鑑賞した中から1本。今回の映画は「千年女優」です。
戦前から戦後にかけて長く使われてきた映画会社「銀映」のスタジオが老朽化のために取り壊されることになった。若い頃に銀映に所属し、今は映像制作会社「LOTUS」の社長を務める立花(声・飯塚昭三、佐藤政道(青年期))は、銀映のドキュメンタリー制作のために伝説の大女優・藤原千代子(声・荘司美代子、小山茉美(20~40代)、折笠富美子(10~20代))へのインタビューを企画する。約30年間表舞台に立たず、取材も一切受けなかった千代子に、立花はインタビュー前にある小箱を渡す。その小箱には古い鍵が入っていた。
2010年に46歳の若さで没したアニメーション監督今敏、生涯で手掛けた4本の劇場用長編は全てが代表作と言っていい唯一無二の存在感を放ったクリエイターです。その今敏監督が2001年に発表した長編が「千年女優」です。当時設立されてまだ日の浅かった文化庁メディア芸術祭アニメーション部門大賞に「千と千尋の神隠し」と同時受賞したほか、国内外で高い評価を得た作品です。ソフト化はもちろんされているものの案外サブスク系の配信からは縁遠かった1本ですが、今月からNetflixでの視聴が可能になり鑑賞のハードルがグッと下がりました。私もかなり長い間遠ざかっていたのですが今回を機に久しぶりの鑑賞です。
手掛けた4本の長編全てがオリジナル作品であった今敏監督、全てに通底して使われていたモチーフが「虚構と現実の混濁」です。次第に現実と虚構の境界が曖昧になっていく中で登場人物だけでなく観る者も翻弄していくのが特徴で、それはこの「千年女優」でも変わりません。立花の千代子へのインタビューが進むにつれ、現在と過去、そして千代子が出演した映画と言う虚構がシームレスに混じりあっていきます。「千年女優」の面白いところは、そういった虚実混交がただ観客を惑わす叙述トリックのように使われるのではなくユーモラスな冒険活劇として描き出し、その幻惑的な奔流に飲まれること自体を楽しませる作風をしている点です。
時代も虚構も行き来しながら描かれるのは幼い日に千代子が出会った「鍵の君」(声・山寺宏一)への恋心とそれに突き動かされる情熱的な姿です。故に、千代子は全編を通して良く走ります。駆け抜けていると言っても良い。恋しい人を追い求め走り続ける千代子の姿、ただそれだけに見事なまでの映画的快感が宿っているところにこの映画の凄みがあります。
また、「千年女優」は今敏監督作品と切り離して語れない要素の一つである平沢進の音楽が初めて使われた作品でもあります。作中のエピソードは時代も場所も変えながらも基本的には「追い、走り、時に転ぶ」を繰り返す物語であるものの、そのリフレインは平沢進のプログレッシブ・サウンドが彩ることでただの繰り返しではなくなり、前述の「ただ走るだけのシーンに映画的快感が宿る」ことをより確かなものにしています。
ラストシーンで千代子が言い放つセリフが小粋でありながらも衝撃的で、不思議な爽やかさと同時に「転ばされた」感覚を観客に残す見事な大団円。しかもそれでいて上映時間が87分というコンパクトさ。最初から最後まで高密度に楽しませてくれます。
アニメならではの表現と映画ならではの味わいが詰め込まれた、稀代のクリエイターであった今敏監督のテイストを存分に味わえるこの1本、Netflixでの配信を機により多くの方の目に触れて再確認と再評価が進むと嬉しいですね。
こんばんは、小島@監督です。
次に似たような事態になった時は絶対に1日だけでも休みを確保しようと心に決めました。
さて、そんなワケでしばらく映画を観に行くどころではなかったので今週は自宅で鑑賞した中から1本。今回の映画は「千年女優」です。
戦前から戦後にかけて長く使われてきた映画会社「銀映」のスタジオが老朽化のために取り壊されることになった。若い頃に銀映に所属し、今は映像制作会社「LOTUS」の社長を務める立花(声・飯塚昭三、佐藤政道(青年期))は、銀映のドキュメンタリー制作のために伝説の大女優・藤原千代子(声・荘司美代子、小山茉美(20~40代)、折笠富美子(10~20代))へのインタビューを企画する。約30年間表舞台に立たず、取材も一切受けなかった千代子に、立花はインタビュー前にある小箱を渡す。その小箱には古い鍵が入っていた。
2010年に46歳の若さで没したアニメーション監督今敏、生涯で手掛けた4本の劇場用長編は全てが代表作と言っていい唯一無二の存在感を放ったクリエイターです。その今敏監督が2001年に発表した長編が「千年女優」です。当時設立されてまだ日の浅かった文化庁メディア芸術祭アニメーション部門大賞に「千と千尋の神隠し」と同時受賞したほか、国内外で高い評価を得た作品です。ソフト化はもちろんされているものの案外サブスク系の配信からは縁遠かった1本ですが、今月からNetflixでの視聴が可能になり鑑賞のハードルがグッと下がりました。私もかなり長い間遠ざかっていたのですが今回を機に久しぶりの鑑賞です。
手掛けた4本の長編全てがオリジナル作品であった今敏監督、全てに通底して使われていたモチーフが「虚構と現実の混濁」です。次第に現実と虚構の境界が曖昧になっていく中で登場人物だけでなく観る者も翻弄していくのが特徴で、それはこの「千年女優」でも変わりません。立花の千代子へのインタビューが進むにつれ、現在と過去、そして千代子が出演した映画と言う虚構がシームレスに混じりあっていきます。「千年女優」の面白いところは、そういった虚実混交がただ観客を惑わす叙述トリックのように使われるのではなくユーモラスな冒険活劇として描き出し、その幻惑的な奔流に飲まれること自体を楽しませる作風をしている点です。
時代も虚構も行き来しながら描かれるのは幼い日に千代子が出会った「鍵の君」(声・山寺宏一)への恋心とそれに突き動かされる情熱的な姿です。故に、千代子は全編を通して良く走ります。駆け抜けていると言っても良い。恋しい人を追い求め走り続ける千代子の姿、ただそれだけに見事なまでの映画的快感が宿っているところにこの映画の凄みがあります。
また、「千年女優」は今敏監督作品と切り離して語れない要素の一つである平沢進の音楽が初めて使われた作品でもあります。作中のエピソードは時代も場所も変えながらも基本的には「追い、走り、時に転ぶ」を繰り返す物語であるものの、そのリフレインは平沢進のプログレッシブ・サウンドが彩ることでただの繰り返しではなくなり、前述の「ただ走るだけのシーンに映画的快感が宿る」ことをより確かなものにしています。
ラストシーンで千代子が言い放つセリフが小粋でありながらも衝撃的で、不思議な爽やかさと同時に「転ばされた」感覚を観客に残す見事な大団円。しかもそれでいて上映時間が87分というコンパクトさ。最初から最後まで高密度に楽しませてくれます。
アニメならではの表現と映画ならではの味わいが詰め込まれた、稀代のクリエイターであった今敏監督のテイストを存分に味わえるこの1本、Netflixでの配信を機により多くの方の目に触れて再確認と再評価が進むと嬉しいですね。
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