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ちゅうカラぶろぐ


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先週「今帰宅困難者状態です」とブログに書きましたが、その後結局電車の運行再開が23時過ぎる状況だったため帰宅は断念してホテルに泊まることに。最近の宿泊事情は伝え聞いてはいたのですが、実際利用してみるとその状況を実感します。何せ22時過ぎに宿を探し始めて15分と経たずに部屋が見つかった上にオープンして5年も経ってないようなビジネスホテルでも4,000円しないとかカプセルホテルとさして変わらない価格で泊まれるとは。しかもGoToトラベルが使えるとのことで何割かは国が持ってもらえる感じに。

 こんばんは、小島@監督です。
 とは言えやっぱり自宅の方が落ち着く(笑)

 さて、今回の映画は「海辺の映画館 キネマの玉手箱」です。

 広島県尾道市。海辺にたたずむ映画館「瀬戸内シネマ」が閉館の日を迎えようとしていた。最後の企画であるオールナイトでの「日本の戦争映画特集」上映のさなか、劇場を包んだ雷光と共に毬夫(厚木拓郎)、鳳介(細山田隆人)、茂(細田善彦)の3人は映画の世界へとトリップしてしまう。3人は映画の世界を彷徨いながら自分たちと同じように映画の世界に取り込まれた少女・希子(吉田玲)を救おうと奔走するが…

 今年4月10日に世を去った映画監督・大林宣彦。彼の最後の作品は奇しくもそれと同じ日に公開予定でしたがコロナ禍により夏にずれ込む形となりました。ようやく公開されたその作品は、まさに巨匠のラストメッセージとも言うべき作品に仕上がっていました。
 
 大林宣彦監督は初めての長編作品であった「HOUSE」(1977年)からずっと既存の枠に囚われない自由な作風の方でしたが、最後の作品でもあるこの「海辺の映画館」もその奔放さにまず驚かされます。戦争映画と共に映画の歴史と近現代の戦争を紐解く、というような形は見せているものの映画の定石なんて完全に無視。時にモノクロ、時にサイレント、時にミュージカル、語り口そのもののスタイルもポンポン変わる上にホイホイ観客に向けても語り掛けるので時間も空間も次元さえも無秩序。時系列さえバラバラ。ジャンルによるカテゴライズなど最早無意味。いや確かにタイトルには「玉手箱」とありますけれども!大林宣彦監督はそういうワンダーランドな映画を作っちゃう人、という予備知識が無いとこんな常識の通用しない作品は開始5分と経たずに置いてきぼりにされてそのまま追いつけずに終わってしまう方もいるはずです。
 夢や記憶というのは時に時間的な順序では並ばず印象の強さで並んでいたりするもの。とすればこの映画は大林宣彦監督の映画的記憶を物語や時間的な整合性を無視してダイレクトに映像化したもの、とも取れるでしょう。

 ではただ過去だけを回顧するための作品かと言えばそうではありません。これほど奔放な作品でありながらこの映画が伝えようとするメッセージはとてもシンプルで、それ故に力強いものです。映画で描かれる戦争を通して実際の戦争のありようを考察し、それを以て明確な「反戦」のメッセージを打ち出し、開幕はただ無秩序にしか見えないこの映画に、実は激情によって支えられた1本の強い柱があることに気づかされます。例え虚構を通しても過去を変えることはできないが、虚構を以て過去を知り得たことで未来を変えるための力へと変えてほしい、そんな祈りのようなものを感じます。ある意味で、これが大林宣彦監督の映画というものへの愛の形なのでしょう。

 そのエッジの効きすぎた作風を別にして、この映画唯一にして最大の欠点はその熱量さながらに長い上映時間です。実に179分。巨匠が刻み込んだ異様ともいえる熱量を約3時間浴び続けることになるのでま~疲れます。ぶっちゃけ途中で眠くもなりました(苦笑)それでもその熱さが比類ない映像体験を観る者にもたらしてもくれるのです。
 製作中は同時に闘病中だったと聞きます。後付けでなく、たとえ存命中にこの映画を観れたとしても「この人はこれで最後にするつもりなんだ」と予感めいたものを感じ取ったことでしょう。文字通り命を削って生まれたこの作品は、大林宣彦監督の「集大成」であり「走馬灯」であり、そして「遺言」とも言うべき映画です。長いわ自由過ぎるわで観易いタイプの作品ではないですが、それでも多くの方に観て頂きたい一本ですね。

 
 
 

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コレを書いているまさに今、私、帰宅困難者の真っ最中!「所により雷を伴う強い雨」と天気予報では言ってましたが自分の通勤経路にストライクでしたわよ(苦笑)

 こんばんは、小島@監督です。
 今日を無事に乗り切れるのか、事件はリアルタイムで起こっている。

 さて、今回の映画は「真夏の夜のジャズ 4K」です。

 1958年夏、アメリカ、ロードアイランド州ニューポート。街は熱気と狂騒に包まれ始めていた。全米各所から人が集まり、移動遊園地が営業を始める。野外ステージの前には大量の座席が並べられ来場者の訪れを待つ。そしてジミー・ジュフリー・スリーの「トレイン・アンド・ザ・リバー」がフェスの始まりを告げた。

 1954年に初開催されたニューポート・ジャズフェスティバルは何度か中止の憂き目に(コロナ禍の影響を受けて今年も中止になった)あったことはあれど現在に至るまで続けられ、ジャズフェスの代名詞ともいえる存在です。また多くの演奏がラジオやTVで中継されたりするのと同時に録音もされ、後にレコードやCD化されてリリースされたりもしてきました。そんなジャズフェスの1958年開催の模様を撮影しドキュメンタリー映画として製作され1960年に公開されたのがこの「真夏の夜のジャズ」です。音楽映画の一つの金字塔としてミニシアターなどで度々リバイバル上映されるタイトルでもありますが、公開から60周年という今年4Kリマスター版が製作され現在全国公開されています。

 まず何より伝説的ともいえるミュージシャンたちのプレイを楽しめるのが最大のポイントです。「ジャズの父」とまで言われたルイ・アームストロング、カリスマ的な即興演奏のスタイルで魅せるセロニアス・モンク、ハスキー・ヴォイスと独特の歌唱法でスターとなったアニタ・オデイ、ギターリフを駆使したスタイルを確立させ「ロックの創始者」と言われたチャック・ベリーなどが次々と登場しそのパフォーマンスで楽しませてくれます。映画には登場していませんがこの年のニューポート・ジャズフェスティバルにはモダンジャズを代表する名サックスプレイヤーであったジョン・コルトレーンも出演していたそうで、一線級が勢揃いしていたんですね。

 この映画を特徴づけるもう一つの要素、それはステージ以外の映像にあります。かなり観客を写したショットが多く1950年代後半のファッションを楽しめるほか、同時期にニューポートで開催されていたヨットレース、「アメリカズカップ」の様子も収録されています。音楽とスポーツ、人々を熱狂させる2つが同時期に開催されていたニューポート、それはもう熱かったことでしょう。
 また一方で、出演者の顔ぶれに対して観客の方は黒人の方の比率が少ないことが分かります。いわゆる「公民権運動」が盛んになるまでにはもう数年の時間が必要で、そうなる前の様子をわずかながら見て取ることができます。

 そのショットやどこかMVっぽさもかんじさせる編集まで含めてとにかくクールでカッコいいこの映画を撮影・監督したのはバート・スターン。当時は新進気鋭の写真家で、後年エリザベス・テイラーやオードリー・ヘプバーン、トルーマン・カポーティなどを撮影したことで知られ、特に死去6週間前のマリリン・モンローを撮影した写真集「The Last Sitting」が彼の名を不動のものにしました。

 83分と短い上映時間でありながら濃密な映像・音楽体験を観る者に与えてくれる、60年経っても今なお色褪せない逸品です。ジャズに興味があっても無くても是非ご覧になっていただきたい。
 ところで今年の秋は音楽映画が目白押し。ルチアーノ・パヴァロッティの生涯を綴った「太陽のテノール」、オアシス解散以後のリアム・ギャラガーを追った「アズ・イット・ワズ」、ジャズの帝王と言われたマイルウ・デイヴィスの人物像を紐解く「クールの誕生」、世界の音楽を変えたとまで言われる音楽レーベル・モータウンを考察する「メーキング・オブ・モータウン」などドキュメンタリーだけでも花盛り。片っ端から観たいぜ!しばらくブログの内容が偏ったらすいません(笑)!

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先日久しぶりにワインをブラインドテイスティングする機会があったのですが、大体の産地くらいは掴めたものの品種まではイメージが湧かない中途半端な印象に自分の感覚が鈍っているのを実感してしまいました。このコロナ禍で数か月まともに「ワインをテイスティングする」ということから離れていたツケを叩きつけられたような感じです。ちゃんと味を知る機会を作らねばなるまいて。

 こんばんは、小島@監督です。
 またいろいろ勉強し直しだな~

 さて、今回の映画は「劇場版Fate/stay night [Heaven's feel] Ⅲ spring song」です。

 少年は遂に覚悟を決めた。
 真実から目を逸らさず、一人の少女を救い、自分の選んだ正義を貫くことを決めた。
 歪みに歪んだ「第五次聖杯戦争」のさなか、兄・慎二を殺害し自身の犯した罪に溺れ体を黒く染め上げた間桐桜(声・下屋則子)は、祖父・臓硯(声・津嘉山正種)の思惑をも超えて暴走してゆく。
 そんな桜を救うべく立ち上がることを決めた衛宮士郎(声・杉山紀彰)は、行動を開始する。その士郎に意外にも言峰綺麗(声・中田譲治)が助力を申し出るのだった。

 2004年に発売されたヴィジュアルノベルゲール「Fate/stay night」、3つのルートで構成されたその作品の最後のルート、間桐桜をメインヒロインとするシナリオなので「桜ルート」と通称される「Heaven's Feel」を3部作として劇場公開するプロジェクトの最終章が遂に公開です。初めて「Fate/stay night」がアニメ化されたのは2006年なので実に10年以上の時をかけて映像化が完結したことになります。
 
 3部作通して高いレベルの映像を維持している作品ですが、さすが最終章だけあって入魂の映像美で圧倒してきます。静的なシーンはどこまでも端正に、動的なシーンでは文字通り縦横無尽にキャラクターが躍動します。アニメ映画としてこの画面のハイカロリーぶりはシンプルに「売り」と言える部分で、スクリーンで味わう醍醐味に溢れていると言えるでしょう。

 物語の方も長大なシナリオの中盤~終盤のエピソードを吟味・咀嚼し構成され、クライマックスまで熱量を高めていくことに成功していて見事です。メインヒロインである桜の心情描写、その桜と凛の関係性、「第4のヒロイン」ともいうべきイリヤのクローズアップの度合い、そして衛宮士郎と言峰綺麗の相克など要所を押さえつつ、時に原作に対して更に一歩踏み込んでみせるあたりに監督須藤友徳と脚本桧山彬の作品への理解度の高さが垣間見えます。
 
 もう一つ、この映画はテンポというかリズムがとても良い。特にラスト間近に凛が桜へ向けたある質問に対し桜が応えるまでの「間」は出色で、作品の進行速度をプレイヤーが恣意的に決められるゲームにはなし得ない映像作品ならではのものと言えます。映像化に当たりちゃんと製作陣が「映画」であることを意識し続けたことが結実した瞬間でした。
 惜しむらくは本来なら3月末に公開するはずだったことで、ラストシーンの美しさはできればやっぱり春に観たかったなぁというか。おのれコロナ。

 この作品、公開日がお盆休み中だったおかげで初日を捕まえて観に行きましたが、その日は席数を半数にしているとは言え最終的に全上映回がほぼ満席となったそうで、私も久々にキャラクターTシャツを着てる人やら缶バッジやストラップをいくつもデイパックに装着してる人を見かけました。映画界隈も厳しい話の多い昨今でしたが久しぶりの明るいニュースだったように思えます。これに続く作品が増えてくるようになると嬉しいですね。
 

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日本を始めアジア圏ではまだ劇場公開の余地が残されているそうですが、再三の公開延期を受けてディズニーの「ムーラン」が遂に劇場上映を取りやめ公式配信サービス「Disney+」での独占配信に切り替えた、という報を先日聞きました。ディズニーからのコメントでは言及はされていませんでしたが最近の米中関係の急速な悪化も無視できない要因ではあったでしょう。しかしこれで配信での収益がそれなりの数字を出してしまう(またその可能性は十分にある)と、これまで以上にハリウッドメジャーは配信重視の方針に追従してしまいそうな懸念があります。既に今、ハリウッド大作の新作映画がここ数か月まるで入ってきていない状態ですし、映画の在り方そのものが変わりつつあるような気がします。

 こんばんは、小島@監督です。
 でもできれば大作映画は映画館の大きなスクリーンで観たい。迫力が段違いですし。

 さて、今回の映画は「ドラえもん のび太の新恐竜」です。

 のび太(声・大原めぐみ)は恐竜博の化石発掘体験で卵型の化石を見つけた。それを恐竜の卵と信じるのび太はドラえもん(声・水田わさび)に頼み込んで「タイムふろしき」を出してもらい化石の時間を戻しにかかる。翌朝その化石はのび太の期待通りに卵となり、中から双子の恐竜が誕生した。前肢に羽毛を持つその恐竜はドラえもんが持つ22世紀の百科事典にも記載が無く新種の恐竜である可能性を秘めていた。のび太は双子の恐竜にキュー(声・遠藤綾)とミュー(声・釘宮理恵)と名付け育てることにする。
 育て始めてからしばらくしたある日、のび太はミューが滑空するところを目撃する。この恐竜は空を飛べる!しかも体格も日に日に大きくなってきている。2匹を現代で育てることに限界が来たことを悟ったのび太はドラえもんやジャイアン(声・木村昴)たちの協力を得て、2匹を白亜紀の世界へ帰すことを決心するのだった。

 ドラえもん誕生50周年と劇場映画通算40作目を記念して作られたのは、第1作目「のび太の恐竜」を発展的にリメイクした1本です。「のび太の恐竜」は声優陣やスタッフが刷新されてすぐの2006年にも一度リメイクされていますが、基本原作に忠実なスタンスで作られていた2006年版と違い今回の「新恐竜」は「卵の化石から恐竜が孵ってしまい白亜紀の世界へ戻しに行く」という基本プロットのみを踏襲し新しい物語を作り上げています。その土台となるものは「のび太の恐竜」が作られた1980年からのこの40年間で進められてきた恐竜や古生物学の新たな知見と、原作者藤子・F・不二雄への多大なリスペクトです。
 登場する恐竜はフタバスズキリュウのピー助から滑空できる新種の羽毛恐竜へ。さらにミューと比較してキューの方は体格も小さく尻尾も短い、飛べないというハンディキャップを有しておりその成長がのび太の成長ともシンクロする構成となっています。
 中盤から登場するタイムパトロール隊が藤子・F・不二雄のコミック「T・Pぼん」で登場するチェックカードを使うシーンが出てきたり、思いもかけないキャラクターをカメオ出演させたりするギミックも楽しいですね。

 原作ではのび太たちの行く手を遮る敵として恐竜ハンターが中盤から登場していましたが今作ではその存在が匂わされる程度で登場はせず、代わってクライマックスを盛り上げるのは近年発見が相次ぎ研究が進められるアズダルコ科と思しき肉食の巨大翼竜(シルエットが一瞬現れるだけの初登場シーンがモンスター映画を思わせて実に秀逸)襲来と、恐竜を絶滅させるに至るカタストロフ「巨大隕石衝突」です。ここでキューの持つハンディキャップが大きな意味を持つ構成も見事と言えるでしょう。

 のび太が昭和的な根性論に走りすぎのきらいがあるのが難点ではありますが、「のび太の新恐竜」は物語を構成する様々な要素が巧く絡み合い、藤子・F・不二雄のいう「SF(すこしふしぎ)」マインドを存分に楽しめる快作に仕上がっています。
 本来なら例年通り3月に公開され春休みを彩るタイトルの一つになるはずでしたが、延期となりようやく先日8月7日(実はのび太の誕生日でもある)に封切られました。サマーシーズンにドラえもん映画が公開されるのは「STAND BY MEドラえもん」以来5年ぶり。これを系譜に含めないとするなら1981年に公開された「ぼく桃太郎のなんなのさ」以来39年ぶりになります。コロナ禍による際どい状況が続きハリウッドメジャーの新作も続々延期されて公開の目途も立たない作品が相次ぐ、映画産業にかつてない逆風が吹く中で、恐らくこの「のび太の新恐竜」が背負うものもこれまでにない重さであることでしょう。ファミリー層を中心としたメインストリームへ訴求する映画の今後を占う作品として切実に売れてほしいと願っています。

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先週このブログで熱中症にかかってしまったと書きましたが、実はその後が大変でした。一旦は引いた熱が再発した上に顔の一部が赤く腫れあがって一度は左目が半分ほどしか開かないほどに。医師の診察を受けたら、皮膚表面の傷に溶連菌や連鎖球菌が入り込んで高熱と共に患部に腫れが出る「丹毒」という病気と診断されました。
 で、今もなお抗生剤を処方されてる真っ只中でございます。見事に効いてくれたのでありがたい限り。週の後半から出勤できるようにもなりました。

 こんばんは、小島@監督です。
 いや~何にしてもえらい目に遭いましたわ…(苦笑)

 さて、今回の映画は「遊星からの物体X」です。

 南極、アメリカ南極観測隊第4基地。そこへ1匹の犬を追ってノルウェー観測隊のヘリが現れた。執拗に犬を狙うが失敗し、手違いからヘリも爆発。それでも攻撃を止めようとしないノルウェー観測隊の銃がアメリカ基地の隊員を負傷させたため隊長ギャリー(ドナルド・モファット)が射殺した。
 ノルウェー観測隊に何が起きたのか探るためヘリ操縦士のマクレディ(カート・ラッセル)らはノルウェー基地へ向かう。そこで彼らが見たのは焼失した建物や何かを取り出したと思しき氷塊、そしておぞましいまでに異様な形に変形し固まった焼死体であった。 
 異変はアメリカ基地でも起き始めていた。収容された犬の体が変形しグロテスクな姿へ変異して犬小屋の他の犬を襲い始めたのだ…

 ジョン・W・キャンベルの短編小説「影が行く」を原作に1982年に製作されたSFホラーです。1951年にもこの小説を原作にした「遊星よりの物体X」という映画がありましたがそれのリメイクというより原作小説のより忠実な映像化というのが近いようです。監督は「ハロウィン」シリーズや「エスケープ・フロム・LA」などを手掛けたジョン・カーペンター。音楽は「ニュー・シネマ・パラダイス」「海の上のピアニスト」などで知られるエンニオ・モリコーネが担っています。人や犬など一部はそのままなのにそれとは似ても似つかないグロテスクな姿になる「物体」は数人の手によりデザインされたものですが、中でもロブ・ボッティン(「ハウリング」で役者を狼男に全身変装させる特殊メイクで高い評価を得たメイクアップアーティスト)の功績が大きく、後のSFXやクリーチャーデザインに多大な影響を与えました。

 ぶっちゃけこの映画、私とても大好きで今までに何回も観ていますし何ならDVDも持ってるくらいです。好き過ぎるけど人に薦めるとなるとどうもありきたりの言葉になってしまうのがもどかしいくらいです。
 公開時は「E.T.」と同時期だったらしく興行的には苦戦したと聞きますが、閉鎖空間で人間に擬態したエイリアンとの死闘や、メンバー間での疑心暗鬼を描き出すこの映画は筋立てからして魅力的。南極というロケーション、そこに数万年の昔から眠りについていた異星生物というシチュエーションなどにどこかラブクラフトの「狂気の山脈にて」を思い起こさせるところもありますね。思いもかけないタイミングで姿を現す「物体」のおぞましさと恐ろしさ、それと知恵と死力を尽くして戦う人間の勇気や意地、今観ても色褪せない凄みがあります。
 女性が全く登場しないドライさ加減も昨今にはない部分と言えるでしょう。2011年にこの映画の続編にして前日譚となる「遊星からの物体X ファーストコンタクト」が製作されましたがこちらでは数人の女性が出演しています。

 この映画、2018年に4Kデジタルリマスター版が製作され、以来各地のシネコンやミニシアターで断続的に上映が行われてきましたが、ライセンスの終了に伴う最終上映が先週8日より名古屋シネマスコーレにて始まっています。ここを逃すともう滅多にスクリーン鑑賞できる機会はなさそうですし、興味のある方はどうぞお見逃しなく。

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8月に入ってようやく長い雨が明けて夏らしい気候になってきました。で、出かけてみたら体が暑さと日光に慣れてなくて熱中症に。気を付けていたけどやってしまったわ…マスクしながらの外出は思いのほかヤバいです。皆さんもお気をつけて。

 こんばんは、小島@監督です。
 結局今日になっても熱が引かなかったので仕事は休みにしてもらいました。症状が発熱だけで咳ものどの痛みも無いし食欲も残っていることから保健所に相談しても「PCR検査は受けなくていい」とのことでひたすらに自宅で静養。皆さん、マジで気を付けてください。
 
 さて、今回の映画は「ハニーランド 永遠の谷」です。

 北マケドニア。一人の中年女性が崖の上を歩いていく。際どい道も構わず進んでいく。崖の岩の狭間にはミツバチの巣があった。手袋もつけずに巣から蜂蜜を採集していく姿に、女にとっては慣れた仕事であることが見て取れる。
「半分は私に、半分はあなたに」女はそう言った。それが何世代にも渡って絶え間なく続いてきた営みのように。
 ある日、女の家の隣にトルコ人の一家が移住してくる。女の静かな暮らしが突如賑やかになった。移住を繰り返しながら酪農を営む一家だったが、蜂蜜が金になるのを知ると見様見真似で養蜂を始めた…

 その国名からして論争のある北マケドニア共和国、ギリシャの北に隣接するその国の映画が日本に入ってくるのはもしかしたら初めてなんじゃないでしょうか。アメリカのアカデミー賞で初めて長編ドキュメンタリー賞と国際映画賞(旧外国語映画賞)にダブルノミネートされたことも報じられたこの映画、観てみるとその映像のスケールに圧倒されます。
 養蜂家の女性とその母親、トルコ人一家の二つに密着取材すること3年、400時間というフッテージを90分ちょっとに編集し凝縮されて作られています。

 その膨大な映像量とナレーションを排した構成ががなし得たというか、「脚本があるんじゃないのこれ?」と言いたくなるほどドキュメンタリーというよりは劇映画のようにあまりに綺麗に、あまりに見事に物事が展開します。
 自然とのバランスを崩さない生き方を貫く女性と、資本主義の誘惑に負けて無謀な養蜂をやり始めるトルコ人一家、そういう対比が明確になっていき人間の欲望が美しい風景に傷を残すさまを目撃していくことになります。

 寓話的なエピソードを美しい映像に乗せて展開する、フィルムメーカーの労力が活きた佳作です。名古屋での上映は終盤に差し掛かっていますが、厳しい暑さを一時忘れる助けに、こんな映画はいかがでしょうか。

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昨日一昨日と「アイドルマスター」が15周年を迎えて両日「だいたい15時間生配信」と称してアニメシリーズや過去のライブ映像を15時間(実際のところは17時間くらい)、それこそ早朝から深夜までブチ抜きで配信するイベントをやっていました。一昨日は仕事だったので大して観れませんでしたが昨日は食事と家事に当ててた時間以外はほぼずっと鑑賞。10周年記念ライブの映像は今改めて見返すと当時は全く気付かなかったような発見も結構あって面白かったですね。

 こんばんは、小島@監督です。
 とは言え本来なら今年は15周年のメモリアルイヤーでビッグイベントがいくつも開催されていたはず。そう思うとおのれコロナ。ライブ、また観たいですね…

 さて、今回の映画は「ドヴラートフ レニングラードの作家たち」です。

 1971年、ソ連・レニングラード。小説家セルゲイ・ドヴラートフ(ミラン・マリッチ)は厳しさを増す政府の統制下において自身の作品を発表できないでいた。元妻のエレーナ(ヘレナ・スエツカヤ)と別れ、娘ともたまにしか会えない日々。新聞や雑誌の小さな記事で糊口をしのぎ、詩人のヨシフ・ブロツキー(アルトゥール・ベスチャスヌイ)と共に発表の場を得るために闘うがなかなかその機会は訪れない。そんな中、友人で画家のダヴィッド(ダニーラ・コズロフスキー)に闇取引の容疑で捜査の手が伸びようとしていた。

 1970年代初頭のソ連と言えばフルシチョフが亡くなりブレジネフ第一書記とコスイギン首相が政府のトップにいた時期で、冷戦下ではありましたがアメリカとの間に戦略兵器制限交渉、いわゆる「SALT」締結に向けて動いていた時期でもあります。映画で言えばこの頃アンドレイ・タルコフスキー監督が「惑星ソラリス」を発表したりしていますが正直文学方面についてはあまり明るくはなく、それゆえ今回観たこの映画の題材は新鮮で興味を惹かれるものでした。
 監督は「フルスタリョフ、車を!」(1998年製作)などで知られるアレクセイ・ゲルマンの息子で、製作半ばで亡くなった父の遺作である「神々のたそがれ」(2013年製作)を作品を引き継ぎ完成させたアレクセイ・ゲルマン・ジュニア。

 作品を発表できずに彷徨と葛藤を重ねるドヴラートフたち作家や芸術家の姿を描くこの物語は、時にユーモアを交えはしますが基本的にはかなり淡々としています。そうであるが故に却って息苦しさが伝わってきます。鈍色が覆うような色調の映像も印象的で、この辺りは撮影を担ったウカシュ・ジャル(「ゴッホ~最期の手紙」でゴールデングローブ賞など世界で評価された)の功績も大きいでしょう。反面、ある程度の知識を観客が持っていることが前提で作られているようなところもあり、私のようにこの分野に明るくないと少々置いてきぼりを食らう場面もあります。そして淡々としてる分、置いて行かれると眠くなるのでご注意ください。私!?いやぁ~HAHAHA(そっと目をそらす)

 なかなか興味深いのはドヴラートフは別に反体制派を標榜しているわけではない点です。この頃ソ連にはソルジェニーツィンという公然と体制に戦いを挑んだ作家もいましたが、ドヴラートフは決してそうではなく「書きたいものが時の政府の求めるものに合わない」だけ、でありだからこそ時代の空気が重くのしかかってくる、というのは現代日本でも共通しそうな感覚とも言えるでしょう。「表現の自由」とは、自分とは相容れない類の表現を「自分は気に入らなくてもそういうのがあって良い」と容認するところにあるからです。他者への許容量が低くなる昨今と相まって、半世紀前のレニングラード(現・サンクトペテルブルク)の姿を克明に描写しようという姿勢の向こうに現代へのテーゼが見えます。

 もう一つこの映画を特徴的にしているものに音楽があります。使われている音楽の基本が何とジャズ。パンフレットの解説を読むまでほとんど知りませんでしたが、60年代後半にソ連や隣国ポーランドではジャズがムーブメントを起こしフェスイベントも開催されていたようです。ブレジネフ政権下ではこれも抑圧されていたようですが、カフェなどで秘かに演奏され続けていたそうです。ジャズは時代を象徴する音楽だったようですね。
 作りそのものよりも題材がかなり人を選ぶタイプの映画ですが、描き上げるテーマは今でこそ伝わるものと言えます。ご興味のある方は是非。

 ところで余談ですが今回のこの映画を観る際、クラウドファンディング「ミニシアター・エイド」の返礼品の一つである「未来チケット」を受け取ってきました。

これはあらかじめ自分で指定した映画館でのみ使えるチケットで、有効期限は再来年まで。私は6枚もらえるコースを選んでいてシネマテークとシネマスコーレで3枚ずつを割り振っています。期限まで結構時間はありますけど、できれば今年のうちに使い切ってしまえるくらいに足を運びたいですね。

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