何か今日でTwitterを使い始めて丁度9年らしいです。実は最初は中学の同窓生との連絡用に作ったアカウントだったのですが、今やすっかり映画とアニメとアイマスのことばかり呟くオタクアカウントに(笑)。始めて半年くらい経った辺りからハッシュタグを使ってこのブログと紐づけるようになったので「#chukara」のタグももう8年以上使っている計算になります。
こんばんは、小島@監督です。
気づけば遠くまで来てしまったものよ。しかも全然成長している感が無い(苦笑)
さて、今回の映画は「ナタ転生」です。
かつて神々の死闘が繰り広げられた大陸。それより3,000年以上の時を経た現在、「東海市」では財閥企業である「徳興グループ」が支配し激しい貧富の格差に晒されていた。バイク好きの青年・李雲祥(声・楊天翔)は時にストリートレースで賞金を稼ぎ、普段は非合法スレスレの荷物を運ぶ密輸屋として奔放な生活を送っていた。幼馴染みで妹分でもあるカーシャ(声・朱可兒)と共に過ごす裕福とは言えないが充実した日々。しかし徳会長(声・宣曉鳴)の息子である三公子(声・凌振赫)が李雲祥のバイクに目を付けそれを欲しがった事で急変する。三公子は部下を伴い李雲祥とカーシャを襲撃。どうにかそれをかわして三公子に反撃することに成功する李雲祥だったが、激昂した三公子はその手から氷の矢を放った。それにより形勢は逆転される。しかし重傷を負ったカーシャの姿と自身の生命への危機が李雲祥の中に秘められた力を呼び起こした。李雲祥の中には3,000年以上前に神々と死闘を繰り広げたナタの魂が眠っていたのである。
日本もアメリカも凌ぎ今や世界一のアニメ大国となった中国。製作本数だけでなく質的な面でも今や日本を凌駕しつつあります。日本でもロングヒットとなった「羅小黒戦記」が記憶に新しいところですが、またしてもパワフルな作品が日本へ上陸してきました。
日本でも藤崎竜の手による漫画版などで知られる「封神演義」、それをベースに人気キャラクターであるナタ(哪吒)の魂を持った青年が戦いの渦に巻き込まれる姿を描く3DCGアニメーションです。
冒頭、「AKIRA」や「レディ・プレイヤー1」を思わせるバイクレースのシーンから始まるこの映画は、ハリウッド映画やゲームなどの影響を随所に感じさせながらもエネルギッシュな語り口で観る者を強烈に引っ張ります。かなり展開が早い部類に入る作品ですが映像とセリフを組み合わせて設定を理解させるバランス感覚が見事で、親切で観易い作品と言えるでしょう。エンドクレジット後にもうワンシーンある、マーベル映画によく観られる作りをしているのですが、ちゃんと「続きがあるよ!」と字幕で表示される辺りも親切です(笑)
3DCGというツールの使いぶりも見事でスピード感を出したいあまりに観客を「酔わせてしまう」というようなことがありません。しかも驚くことにこういった観客への配慮を怠っていないにも関わらずやりたい事を全部盛りにしてしまう、できてしまう「勢い」があるのがポイントです。特にアクションシークエンスのアイディアと演出の豊富さは驚異の一言。このクリエイターの熱量の凄みにはどこか1980年代から90年代にかけて急伸長した日本アニメに観られるものと似たようなものを感じます。それだけ今の中国市場には勢いがあるといえます。
もう一つ、この作品の主舞台である「東海市」の1930年代の上海を思い起こさせるような頽廃的な背景や美術も見事です。驚くことに背景については場面単位で建物の要素を抽出して街を自動生成するアルゴリズムを作り上げたそうで、その技術力にも感服します。
どこかアール・デコ調の車やバイクのデザインや、意外に義手や義足をした登場人物が多く機械的な要素が前面に出ている点などサイバーパンクやレトロフューチャーのテイストも強く、この世界観自体が「刺さる」人も多いことでしょう。
当初からシリーズ化する気満々だったらしく、いくつかの要素は語り切らないまま終局を迎えますが、とにかくどのキャラクターも活き活きしていてラストまで来る頃には多くの方が「こいつらをもっと観ていたい!」と思えるようになっているんじゃないでしょうか。実際は私は続きが観たい。次回作にはナタに負けず劣らず人気の高い「あの人」も登場するようですし。
「羅小黒戦記」と比べるとだいぶ公開規模が小さいのが難点ですが、現代中国のエンターテインメントのエネルギーを如実に感じられるこの作品、できれば多くの方に観て頂きたいと思いますね。
こんばんは、小島@監督です。
気づけば遠くまで来てしまったものよ。しかも全然成長している感が無い(苦笑)
さて、今回の映画は「ナタ転生」です。
かつて神々の死闘が繰り広げられた大陸。それより3,000年以上の時を経た現在、「東海市」では財閥企業である「徳興グループ」が支配し激しい貧富の格差に晒されていた。バイク好きの青年・李雲祥(声・楊天翔)は時にストリートレースで賞金を稼ぎ、普段は非合法スレスレの荷物を運ぶ密輸屋として奔放な生活を送っていた。幼馴染みで妹分でもあるカーシャ(声・朱可兒)と共に過ごす裕福とは言えないが充実した日々。しかし徳会長(声・宣曉鳴)の息子である三公子(声・凌振赫)が李雲祥のバイクに目を付けそれを欲しがった事で急変する。三公子は部下を伴い李雲祥とカーシャを襲撃。どうにかそれをかわして三公子に反撃することに成功する李雲祥だったが、激昂した三公子はその手から氷の矢を放った。それにより形勢は逆転される。しかし重傷を負ったカーシャの姿と自身の生命への危機が李雲祥の中に秘められた力を呼び起こした。李雲祥の中には3,000年以上前に神々と死闘を繰り広げたナタの魂が眠っていたのである。
日本もアメリカも凌ぎ今や世界一のアニメ大国となった中国。製作本数だけでなく質的な面でも今や日本を凌駕しつつあります。日本でもロングヒットとなった「羅小黒戦記」が記憶に新しいところですが、またしてもパワフルな作品が日本へ上陸してきました。
日本でも藤崎竜の手による漫画版などで知られる「封神演義」、それをベースに人気キャラクターであるナタ(哪吒)の魂を持った青年が戦いの渦に巻き込まれる姿を描く3DCGアニメーションです。
冒頭、「AKIRA」や「レディ・プレイヤー1」を思わせるバイクレースのシーンから始まるこの映画は、ハリウッド映画やゲームなどの影響を随所に感じさせながらもエネルギッシュな語り口で観る者を強烈に引っ張ります。かなり展開が早い部類に入る作品ですが映像とセリフを組み合わせて設定を理解させるバランス感覚が見事で、親切で観易い作品と言えるでしょう。エンドクレジット後にもうワンシーンある、マーベル映画によく観られる作りをしているのですが、ちゃんと「続きがあるよ!」と字幕で表示される辺りも親切です(笑)
3DCGというツールの使いぶりも見事でスピード感を出したいあまりに観客を「酔わせてしまう」というようなことがありません。しかも驚くことにこういった観客への配慮を怠っていないにも関わらずやりたい事を全部盛りにしてしまう、できてしまう「勢い」があるのがポイントです。特にアクションシークエンスのアイディアと演出の豊富さは驚異の一言。このクリエイターの熱量の凄みにはどこか1980年代から90年代にかけて急伸長した日本アニメに観られるものと似たようなものを感じます。それだけ今の中国市場には勢いがあるといえます。
もう一つ、この作品の主舞台である「東海市」の1930年代の上海を思い起こさせるような頽廃的な背景や美術も見事です。驚くことに背景については場面単位で建物の要素を抽出して街を自動生成するアルゴリズムを作り上げたそうで、その技術力にも感服します。
どこかアール・デコ調の車やバイクのデザインや、意外に義手や義足をした登場人物が多く機械的な要素が前面に出ている点などサイバーパンクやレトロフューチャーのテイストも強く、この世界観自体が「刺さる」人も多いことでしょう。
当初からシリーズ化する気満々だったらしく、いくつかの要素は語り切らないまま終局を迎えますが、とにかくどのキャラクターも活き活きしていてラストまで来る頃には多くの方が「こいつらをもっと観ていたい!」と思えるようになっているんじゃないでしょうか。実際は私は続きが観たい。次回作にはナタに負けず劣らず人気の高い「あの人」も登場するようですし。
「羅小黒戦記」と比べるとだいぶ公開規模が小さいのが難点ですが、現代中国のエンターテインメントのエネルギーを如実に感じられるこの作品、できれば多くの方に観て頂きたいと思いますね。
PR
東京や大阪を対象にまたしても緊急事態宣言が。寄りにも寄って金曜日の夜に発令されたためイベントやプロスポーツ関係、各種施設なども対応に追われる様がニュースで報じられたりしてました。映画館も都心部のシネコンには休業要請が出たりしています。
また、間の悪いことにその週末は「アイドルマスターシャイニーカラーズ」の3rdツアー東京公演の開催日でもあり、運営側も相当苦慮したのでしょう、初日は観客を入れて2日目は無観客の配信のみという形に。当然現地のチケットは払い戻しです。今月は出費が嵩んでいるので当初は配信の視聴も見送るつもりでいましたが、この理不尽とも言える状況はさすがに居た堪れず、昨日のday2のみですが配信チケットを買ってライブを鑑賞してました。開演が予定より2時間も押したのは急な開催方式の転換によるトラブルが発生した面もあったはずです。
また感染者が増えている状況なので致し方ないのかもしれませんが、文化的事業に対するダメージがもう大きすぎる。それでもなおオリンピック開催に向けて動いている都や政府の動きとのギャップも含めてさすがに私も憤りの方が大きくなってきています。
こんばんは、小島@監督です。
映画もまた封切りが次々と延期になっていますが、せめて行けるものは行こうと思っている今日この頃。
さて、今回の映画は「ノマドランド」です。
2011年、リーマンショックによる不況の影響を受けネバダ州の街「エンパイア」は所有する企業が破綻したことにより閉鎖され、ファーン(フランシス・マクドーマンド)は住む家を失った。
ファーンはキャンピングカーを改造し荷物を積み込み車上生活を送りながらAmazon物流センターやキャンプ場など季節労働を渡り歩き全米を移動する「ノマド」として生きることを決意する。
ファーンは行く先々で様々な理由で車上生活を選んだノマド達と出会いその交流の中で車上生活の術を学んでいくファーンの、長い長い旅路とは。
実際にノマドとなって生活しながら彼らの生活ぶりを取材したノンフィクション作家ジェシカ・ブルーダーの著書「ノマド 漂流する高齢労働者たち」をベースとし、「スリー・ビルボード」などで高い評価を得るフランシス・マクドーマンドが主演とプロデュースを兼ねて映画化された作品です。各国の評論家や映画ファンからの絶賛を受け、既にベネチア国際映画祭金獅子賞、トロント国際映画祭観客賞、ゴールデングローブ賞作品賞・監督賞を受賞し、まさに今日アカデミー賞でも作品賞を受賞するなど今年の賞レースを席巻しています。
非常に独特な雰囲気に包まれた作品です。カメラは主人公ファーンが車上生活に苦闘しながら多くを学び喜怒哀楽を発していく様を付かず離れず寄り添っていきます。しかも興味深いことにファーンが出会うノマド達は作中最も深く交流を重ねることになる初老のノマド・デヴィッドを演じるデヴィッド・ストラザーン以外はほぼ実際にノマドの人たちであり、数名は本人役でファーンに深く関わる人物として登場します。この劇映画でありながらもドキュメンタリーのような手触りの作風がこの映画を他に類を観ないものにしています。また、様々な容貌を見せる砂漠を背景にしたロードムービーでもあるこの作品はどこか1960~70年代に隆盛したアメリカン・ニューシネマ的な雰囲気を漂わせてもおり、しかもそれを手掛けたのが中国出身の女性監督であるクロエ・ジャオ、というのも実に興味深いところです。
ファーンが家を失った街・エンパイアは実際にネバダ州に存在した街で、建築資材大手であったUSジプサムが従業員のために街ごと所有していましたが経営破綻と共にその機能も失い郵便番号さえ無くなってしまいました。無論そうして住む場所を失った人たちを救済する措置もあるのですがそこからこぼれた人も少なくないのが実相で、作中深くは描かれないものの、ファーンが旅路の中で出会う人々も多かれ少なかれそういったバックボーンを抱えています。
しかし、それでも老後に差し掛かった身でありながら車上生活を選び取った彼らにはある種の「芯」があり、先行きの見えない不透明さを抱えながらも荒涼として見える路上でこそ解放される魂があることをこの映画は見出します。それを象徴するのが作中ある人物が言う「この生活にはさよならが無い」です。別れてもこの道の先のどこかでまた会える。死に別れたとしてもその思い出を誰かに語ることで記憶されていく。高齢で車上生活を続ける「ノマド」たちは紛れもなく社会問題ではありますが、弱者であることを自覚しているが故に知らない誰かとも通じ合い思いやる生き方を見せる、どこかシンプルですらある優しさを持つ彼らの姿に、映画の余韻と共に観る者の心に残す「何か」があることでしょう。
この作品がコロナ禍が席巻する世界で称賛される理由は確かにあると感じられる映画です。今だからこそ観る意味もあるでしょう。上映は終盤に差し掛かっているようですが、アカデミー賞受賞を追い風にロングランになる可能性もあります。決してダイナミックな映画ではないので好き嫌いはあるでしょうが、それでも多くの方にご覧になって頂きたい1本ですね。
また、間の悪いことにその週末は「アイドルマスターシャイニーカラーズ」の3rdツアー東京公演の開催日でもあり、運営側も相当苦慮したのでしょう、初日は観客を入れて2日目は無観客の配信のみという形に。当然現地のチケットは払い戻しです。今月は出費が嵩んでいるので当初は配信の視聴も見送るつもりでいましたが、この理不尽とも言える状況はさすがに居た堪れず、昨日のday2のみですが配信チケットを買ってライブを鑑賞してました。開演が予定より2時間も押したのは急な開催方式の転換によるトラブルが発生した面もあったはずです。
また感染者が増えている状況なので致し方ないのかもしれませんが、文化的事業に対するダメージがもう大きすぎる。それでもなおオリンピック開催に向けて動いている都や政府の動きとのギャップも含めてさすがに私も憤りの方が大きくなってきています。
こんばんは、小島@監督です。
映画もまた封切りが次々と延期になっていますが、せめて行けるものは行こうと思っている今日この頃。
さて、今回の映画は「ノマドランド」です。
2011年、リーマンショックによる不況の影響を受けネバダ州の街「エンパイア」は所有する企業が破綻したことにより閉鎖され、ファーン(フランシス・マクドーマンド)は住む家を失った。
ファーンはキャンピングカーを改造し荷物を積み込み車上生活を送りながらAmazon物流センターやキャンプ場など季節労働を渡り歩き全米を移動する「ノマド」として生きることを決意する。
ファーンは行く先々で様々な理由で車上生活を選んだノマド達と出会いその交流の中で車上生活の術を学んでいくファーンの、長い長い旅路とは。
実際にノマドとなって生活しながら彼らの生活ぶりを取材したノンフィクション作家ジェシカ・ブルーダーの著書「ノマド 漂流する高齢労働者たち」をベースとし、「スリー・ビルボード」などで高い評価を得るフランシス・マクドーマンドが主演とプロデュースを兼ねて映画化された作品です。各国の評論家や映画ファンからの絶賛を受け、既にベネチア国際映画祭金獅子賞、トロント国際映画祭観客賞、ゴールデングローブ賞作品賞・監督賞を受賞し、まさに今日アカデミー賞でも作品賞を受賞するなど今年の賞レースを席巻しています。
非常に独特な雰囲気に包まれた作品です。カメラは主人公ファーンが車上生活に苦闘しながら多くを学び喜怒哀楽を発していく様を付かず離れず寄り添っていきます。しかも興味深いことにファーンが出会うノマド達は作中最も深く交流を重ねることになる初老のノマド・デヴィッドを演じるデヴィッド・ストラザーン以外はほぼ実際にノマドの人たちであり、数名は本人役でファーンに深く関わる人物として登場します。この劇映画でありながらもドキュメンタリーのような手触りの作風がこの映画を他に類を観ないものにしています。また、様々な容貌を見せる砂漠を背景にしたロードムービーでもあるこの作品はどこか1960~70年代に隆盛したアメリカン・ニューシネマ的な雰囲気を漂わせてもおり、しかもそれを手掛けたのが中国出身の女性監督であるクロエ・ジャオ、というのも実に興味深いところです。
ファーンが家を失った街・エンパイアは実際にネバダ州に存在した街で、建築資材大手であったUSジプサムが従業員のために街ごと所有していましたが経営破綻と共にその機能も失い郵便番号さえ無くなってしまいました。無論そうして住む場所を失った人たちを救済する措置もあるのですがそこからこぼれた人も少なくないのが実相で、作中深くは描かれないものの、ファーンが旅路の中で出会う人々も多かれ少なかれそういったバックボーンを抱えています。
しかし、それでも老後に差し掛かった身でありながら車上生活を選び取った彼らにはある種の「芯」があり、先行きの見えない不透明さを抱えながらも荒涼として見える路上でこそ解放される魂があることをこの映画は見出します。それを象徴するのが作中ある人物が言う「この生活にはさよならが無い」です。別れてもこの道の先のどこかでまた会える。死に別れたとしてもその思い出を誰かに語ることで記憶されていく。高齢で車上生活を続ける「ノマド」たちは紛れもなく社会問題ではありますが、弱者であることを自覚しているが故に知らない誰かとも通じ合い思いやる生き方を見せる、どこかシンプルですらある優しさを持つ彼らの姿に、映画の余韻と共に観る者の心に残す「何か」があることでしょう。
この作品がコロナ禍が席巻する世界で称賛される理由は確かにあると感じられる映画です。今だからこそ観る意味もあるでしょう。上映は終盤に差し掛かっているようですが、アカデミー賞受賞を追い風にロングランになる可能性もあります。決してダイナミックな映画ではないので好き嫌いはあるでしょうが、それでも多くの方にご覧になって頂きたい1本ですね。
先日、ずっとやらなきゃな~と思っていたスマホの機種変更を遂に実行。5年使っていたiPhone6sからiPhone12miniへスイッチ。iPhone12mini、最近のスマホの大型化に逆行する小型機でiPhone6sよりもほんの少し小さいです。ただ全面ディスプレイになったので画面サイズは大きくなってます。電器店で色々実機を触ってみて一番手に馴染んだのがコレでした。これで急激な発熱に悩まされずに「ウマ娘」を楽しめそう。
こんばんは、小島@監督です。
いやもちろんそれだけのために買ったわけじゃないですよ(笑)
さて、今回の映画は「午前十時の映画祭」より「ザ・ロック」です。
アメリカ海軍で特殊部隊を指揮し数々の武功を上げたハメル准将(エド・ハリス)は、しかし過去の作戦で軍に見捨てられ多くの部下を失ったことで軍と政府に怒りを覚えていた。名誉も与えられず遺族への補償も無く命を落とした部下たちに報いるためにハメルは反乱を起こす。兵器保管庫からVXガスとミサイルを強奪。今は観光名所となったアルカトラズ刑務所を観光客を人質にして占拠し政府を相手に脅迫する。
事件を受けてFBI長官ウォマック(ジョン・スペンサー)は人質の解放と兵器の無力化のために海軍特殊部隊ネイビーシールズの派遣を要請し、化学兵器のスペシャリストとしてFBI特別捜査官のグッドスピード(ニコラス・ケイジ)を招聘する。そしてアルカトラズ侵入のための案内人として当局に幽閉されている、かつて唯一アルカトラズからの脱走を成功させた元・イギリス秘密情報部員ジョン・メイソン(ショーン・コネリー)を呼び寄せるのだった。
シネコンで毎朝10時に名画を上映する「午前十時の映画祭」は、昨年で一旦終止符が打たれたものの特に一斉休業明けで新作も全く無い状況のシネコンをプログラム面で支え、結果的に旧作の再発見に繋がったのも功を奏したのか、約1年の休止期間を経て再開されました。その幕開けのプログラムとして選ばれたのがこの「ザ・ロック」です。
「ザ・ロック」は1996年製作。監督は後年「トランスフォーマー」シリーズを手掛けることになるマイケル・ベイ。プロデュースは今もヒットメーカーとして多くの作品の製作を担うジェリー・ブラッカイマーと「ビバリーヒルズコップ」(1984年)や「トップガン」(1986年)などを成功させたドン・シンプソンが手掛けました。ドン・シンプソンはこの「ザ・ロック」公開前にドラッグの過剰摂取による心臓麻痺でこの世を去っており、これが彼の遺作となっています。また、実はノンクレジットながら脚本の一部リテイクをクエンティン・タランティーノが行っています。
個人的には1990年代のアクション映画の中でも最高峰ではなかろうかと思うくらいには気に入っている作品です。マイケル・ベイ監督はこれがまだ長編2作品目というキャリアでしたがこの時点で既に「ベイ・ヘム」(マイケル・ベイと破壊行為を意味する単語「mayhem」を合わせた造語)と呼ばれる製作スタイルを確立させており、ダイナミズムとカタルシスに満ちた展開で135分という上映時間を牽引します。近年ではだいぶ先鋭化されてしまっているきらいがありますが、まだいくらかの泥臭さも残っているこのくらいの時期の作品の方が結構観易いと思われる方も多いのではないでしょうか。
また、何よりこの映画は俳優陣の演技が素晴らしい。老いたジェームズ・ボンドのようなキャラクターを演じるショーン・コネリー、普段は内勤なのにいきなり最前線に送り込まれて困り果てる捜査官役のニコラス・ケイジ、悲壮な決意と覚悟を秘めて行動を起こす准将を演じるエド・ハリス、それら主演に加えてそれぞれに関わるサブキャラクターを演じる脇役たちも皆決まっていて、このアンサンブルが荒唐無稽ともいえる物語に強い説得力を与えてくれます。
昨年10月に没したショーン・コネリーは2003年の「リーグ・オブ・レジェンド」を最後に数作のナレーションや声の出演を除いてスクリーンから去り、2006年に俳優業も引退しているためそのキャリアの終盤に差し掛かった頃の作品ですが、とにかく全編にわたり渋さとカッコ良さが全開で観る者を惹きつけてくれます。
「午前十時の映画祭」は館によって観られる順番が違うので上映がもう終わった所とこれから始まるところがありますが、近場で機会が掴めそうなら是非観て頂きたい1本です。特にまだ新作の大作映画の上映が少ない昨今では旧作とは言えこのエネルギッシュな作品は映画を観る楽しさを思い出させてくれる1本になるはずです。また未見の方は映画館でなくともレンタルや配信でも良いのでこの物語を味わってみてほしいですね。
こんばんは、小島@監督です。
いやもちろんそれだけのために買ったわけじゃないですよ(笑)
さて、今回の映画は「午前十時の映画祭」より「ザ・ロック」です。
アメリカ海軍で特殊部隊を指揮し数々の武功を上げたハメル准将(エド・ハリス)は、しかし過去の作戦で軍に見捨てられ多くの部下を失ったことで軍と政府に怒りを覚えていた。名誉も与えられず遺族への補償も無く命を落とした部下たちに報いるためにハメルは反乱を起こす。兵器保管庫からVXガスとミサイルを強奪。今は観光名所となったアルカトラズ刑務所を観光客を人質にして占拠し政府を相手に脅迫する。
事件を受けてFBI長官ウォマック(ジョン・スペンサー)は人質の解放と兵器の無力化のために海軍特殊部隊ネイビーシールズの派遣を要請し、化学兵器のスペシャリストとしてFBI特別捜査官のグッドスピード(ニコラス・ケイジ)を招聘する。そしてアルカトラズ侵入のための案内人として当局に幽閉されている、かつて唯一アルカトラズからの脱走を成功させた元・イギリス秘密情報部員ジョン・メイソン(ショーン・コネリー)を呼び寄せるのだった。
シネコンで毎朝10時に名画を上映する「午前十時の映画祭」は、昨年で一旦終止符が打たれたものの特に一斉休業明けで新作も全く無い状況のシネコンをプログラム面で支え、結果的に旧作の再発見に繋がったのも功を奏したのか、約1年の休止期間を経て再開されました。その幕開けのプログラムとして選ばれたのがこの「ザ・ロック」です。
「ザ・ロック」は1996年製作。監督は後年「トランスフォーマー」シリーズを手掛けることになるマイケル・ベイ。プロデュースは今もヒットメーカーとして多くの作品の製作を担うジェリー・ブラッカイマーと「ビバリーヒルズコップ」(1984年)や「トップガン」(1986年)などを成功させたドン・シンプソンが手掛けました。ドン・シンプソンはこの「ザ・ロック」公開前にドラッグの過剰摂取による心臓麻痺でこの世を去っており、これが彼の遺作となっています。また、実はノンクレジットながら脚本の一部リテイクをクエンティン・タランティーノが行っています。
個人的には1990年代のアクション映画の中でも最高峰ではなかろうかと思うくらいには気に入っている作品です。マイケル・ベイ監督はこれがまだ長編2作品目というキャリアでしたがこの時点で既に「ベイ・ヘム」(マイケル・ベイと破壊行為を意味する単語「mayhem」を合わせた造語)と呼ばれる製作スタイルを確立させており、ダイナミズムとカタルシスに満ちた展開で135分という上映時間を牽引します。近年ではだいぶ先鋭化されてしまっているきらいがありますが、まだいくらかの泥臭さも残っているこのくらいの時期の作品の方が結構観易いと思われる方も多いのではないでしょうか。
また、何よりこの映画は俳優陣の演技が素晴らしい。老いたジェームズ・ボンドのようなキャラクターを演じるショーン・コネリー、普段は内勤なのにいきなり最前線に送り込まれて困り果てる捜査官役のニコラス・ケイジ、悲壮な決意と覚悟を秘めて行動を起こす准将を演じるエド・ハリス、それら主演に加えてそれぞれに関わるサブキャラクターを演じる脇役たちも皆決まっていて、このアンサンブルが荒唐無稽ともいえる物語に強い説得力を与えてくれます。
昨年10月に没したショーン・コネリーは2003年の「リーグ・オブ・レジェンド」を最後に数作のナレーションや声の出演を除いてスクリーンから去り、2006年に俳優業も引退しているためそのキャリアの終盤に差し掛かった頃の作品ですが、とにかく全編にわたり渋さとカッコ良さが全開で観る者を惹きつけてくれます。
「午前十時の映画祭」は館によって観られる順番が違うので上映がもう終わった所とこれから始まるところがありますが、近場で機会が掴めそうなら是非観て頂きたい1本です。特にまだ新作の大作映画の上映が少ない昨今では旧作とは言えこのエネルギッシュな作品は映画を観る楽しさを思い出させてくれる1本になるはずです。また未見の方は映画館でなくともレンタルや配信でも良いのでこの物語を味わってみてほしいですね。
リリース以降大ヒットを記録している「ウマ娘」、先日通話アプリ「Discord」を介して一人がプレイしているのを実況しつつ「如何にすれば目標を達成できるか」を数人がかりであれこれとやり取りしながら進める、というのに参加してみたのですがこれが滅茶苦茶楽しいのです。気づけば翌日出勤だと言うのに深夜にまで及んでしまい寝不足で仕事する羽目に(笑)
こんばんは、小島@監督です。
いや~人のプレイ見てるの参考になるわ~。
さて、今回の映画は「モンスターハンター」です。
現実世界とは異なる並行世界「新世界」、そこでは強力なモンスターを狩るために訓練されたハンターたちがいた。アドミラル(ロン・パールマン)と呼ばれる男が率いるハンターの一団は、ある時モンスター・ディアブロスの強襲を受け離れ離れになってしまう。
一方で現実世界では、アメリカ陸軍レンジャーのアルテミス大尉(ミラ・ジョヴォヴィッチ)率いる国連のセキュリティチームが砂漠で行方不明になった隊の捜索に当たっていた。そこに不気味な嵐が近づき飲まれてしまう。嵐が過ぎ去った時、チームは砂漠の様相が一変していることに驚愕する。そこで行方不明になった兵士たちの遺体を発見した彼らは更に巨大なモンスターの襲撃を受けるのだった。
カプコンの同名ゲームを原作に、「バイオハザード」シリーズの映画化で名を馳せたポール・W・S・アンダーソン監督と主演ミラ・ジョヴォヴィッチという布陣で実写映画化した作品です。カプコンとソニーが再びタッグを組んでゲームを映画化、というタームに原作と独特の距離感を持たせながら興行的に大成功した経験を持つこの布陣はある意味で必然とも言えるでしょう。
実のところ、原作に対し強いリスペクトを持っているだろう割に自分のフィールドに引き寄せて映画を作ってしまうポール・W・S・アンダーソン監督のテイストは今作でもそのままです。
正直言って大味にも程がある作品です。近年はゲーム原作の映画化でも原作へのリスペクトを作品に落とし込みそれを活かした映画が作られるようになってきましたが、この「モンスターハンター」はそうなる前の雰囲気を色濃く残した作品に仕上がってしまっています。
ビジュアルセンスは悪くないものの、いくつもの謎や伏線を提示する割にそれに対してあまり興味を示さないシナリオの在り方そのものが大問題で全体的に知能指数の低い作品です。原作には全くそんな要素はありませんが、元々身体能力や戦闘技術が強い人が異世界でも割とすぐにそのルールを理解し、自身の能力を活かしてモンスターと戦うという流れはどこか「なろう系」ライトノベルを思わせ、それをハリウッドレベルの画作りで映像化しているのでなかなか独特の味わいがあります。
一方でアクションシークエンスはそのアイディアだけでなく、主演ミラ・ジョヴォヴィッチと主人公アルテミスが新世界で出会うハンターを演じるトニー・ジャーの両者の体のキレが素晴らしく、特に中盤に登場する些細な行き違いから両者がガチンコファイトするシーンはピカイチの出来栄えです。ただ「モンスターハンター」というタイトルで一番アクションが冴えるのが人間対人間のシーンというのが問題というだけです。
ただ色々ボロクソに言わざるを得ない割に個人的には「だがそれが良い」で突っ切れて楽しんでしまった1本なのでこんなに言ってるのに実は結構お気に入り。
何よりちゃんとお金をかけて画面作りがされて、かつ何も難しいことを考えなくていい、ただ派手な映像に身を委ねればいい映画は本当に久しぶりでこういう「ボンクラ映画」に飢えに飢えていた私のような向きには原作に対しての忠実さの度合いなど気にせずこのノー天気エンターテインメントをどうぞ観に行っていただきたいと思いますね。劇場から出た途端に忘れてしまいそうな作品も時には必要なのですよ。ま、原作に強い思い入れが無いから言えることかもしれませんがね(笑)!
こんばんは、小島@監督です。
いや~人のプレイ見てるの参考になるわ~。
さて、今回の映画は「モンスターハンター」です。
現実世界とは異なる並行世界「新世界」、そこでは強力なモンスターを狩るために訓練されたハンターたちがいた。アドミラル(ロン・パールマン)と呼ばれる男が率いるハンターの一団は、ある時モンスター・ディアブロスの強襲を受け離れ離れになってしまう。
一方で現実世界では、アメリカ陸軍レンジャーのアルテミス大尉(ミラ・ジョヴォヴィッチ)率いる国連のセキュリティチームが砂漠で行方不明になった隊の捜索に当たっていた。そこに不気味な嵐が近づき飲まれてしまう。嵐が過ぎ去った時、チームは砂漠の様相が一変していることに驚愕する。そこで行方不明になった兵士たちの遺体を発見した彼らは更に巨大なモンスターの襲撃を受けるのだった。
カプコンの同名ゲームを原作に、「バイオハザード」シリーズの映画化で名を馳せたポール・W・S・アンダーソン監督と主演ミラ・ジョヴォヴィッチという布陣で実写映画化した作品です。カプコンとソニーが再びタッグを組んでゲームを映画化、というタームに原作と独特の距離感を持たせながら興行的に大成功した経験を持つこの布陣はある意味で必然とも言えるでしょう。
実のところ、原作に対し強いリスペクトを持っているだろう割に自分のフィールドに引き寄せて映画を作ってしまうポール・W・S・アンダーソン監督のテイストは今作でもそのままです。
正直言って大味にも程がある作品です。近年はゲーム原作の映画化でも原作へのリスペクトを作品に落とし込みそれを活かした映画が作られるようになってきましたが、この「モンスターハンター」はそうなる前の雰囲気を色濃く残した作品に仕上がってしまっています。
ビジュアルセンスは悪くないものの、いくつもの謎や伏線を提示する割にそれに対してあまり興味を示さないシナリオの在り方そのものが大問題で全体的に知能指数の低い作品です。原作には全くそんな要素はありませんが、元々身体能力や戦闘技術が強い人が異世界でも割とすぐにそのルールを理解し、自身の能力を活かしてモンスターと戦うという流れはどこか「なろう系」ライトノベルを思わせ、それをハリウッドレベルの画作りで映像化しているのでなかなか独特の味わいがあります。
一方でアクションシークエンスはそのアイディアだけでなく、主演ミラ・ジョヴォヴィッチと主人公アルテミスが新世界で出会うハンターを演じるトニー・ジャーの両者の体のキレが素晴らしく、特に中盤に登場する些細な行き違いから両者がガチンコファイトするシーンはピカイチの出来栄えです。ただ「モンスターハンター」というタイトルで一番アクションが冴えるのが人間対人間のシーンというのが問題というだけです。
ただ色々ボロクソに言わざるを得ない割に個人的には「だがそれが良い」で突っ切れて楽しんでしまった1本なのでこんなに言ってるのに実は結構お気に入り。
何よりちゃんとお金をかけて画面作りがされて、かつ何も難しいことを考えなくていい、ただ派手な映像に身を委ねればいい映画は本当に久しぶりでこういう「ボンクラ映画」に飢えに飢えていた私のような向きには原作に対しての忠実さの度合いなど気にせずこのノー天気エンターテインメントをどうぞ観に行っていただきたいと思いますね。劇場から出た途端に忘れてしまいそうな作品も時には必要なのですよ。ま、原作に強い思い入れが無いから言えることかもしれませんがね(笑)!
何の因果か久しぶりに資格試験を受けることになりそう。どうせなら暇な時間の多かった昨年の内に受けたかった気がしないでもないですが、半年後くらいに良い報告ができると良いなぁ。
こんばんは、小島@監督です。
鈍った頭でどこまでやれるか分からないけど、ま、やってみますか。
さて、昨日はガイシホールまで「THE IDOLM@STER SHINY COLORS 3rdLIVE TOUR PIECE ON PLANET / NAGOYA」day2を観に行って来ました。現地で観る大規模ライブとしては昨年2月に大阪ドームで開催されたシンデレラガールズの7thライブ以来実に1年2ヶ月ぶりになります。コロナ禍が発生してからのこの1年余り、配信での鑑賞は何度かしており、それはそれで楽しいものではありましたが観れば観るほど生で音を体感する事への欲求はいやますばかりで、もう渇望していたと言っても良いくらいです。ですので今回のライブは開催日を心待ちにしていました。
またアイマスに限らず今のこの状況下でライブイベントがどう行われているかを1度ちゃんと観ておきたいと考えていたことも事実で、入場前の検温や席数制限されて両隣の座席に貼り紙がされて塞がれている様を現場で見ることもできました。
先月、というか2週間前に2ndライブが開催されたばかりのシャイニーカラーズ、コロナ禍を受けて延期されたが故ではありますが、結果的に間髪入れずに3rdライブツアーが開催される格好になりました。観てる側としてはほとんど地続きの様な感覚ですがちゃんとコンセプトも違いますしイベントとしては別種のものとして組み立てられていました。
ライブが始まって実感したのは何より自分の中にある「飢え」。マスク必須で声を出しての応援ができないという制限が掛かっていると言うのに圧倒的なまでの多幸感と充足感が全身を突き抜けます。パステルカラーなイメージと王道のアイドルポップを聴かせるイルミネーションスターズ、ゴシック調のビジュアルでヘヴィロックを叩きつけるアンティーカ、元気一杯賑やかでアッパーなナンバーにコール入れられないのがチョイと新手の拷問でしたがそれもまた楽しい放課後クライマックスガールズ、ほろ苦い青春を感じさせる楽曲で聴く者の心に一陣の風が吹き抜けるノクチル、トランスミュージックに敢えて和風の衣装というミスマッチでグルーヴを生み出すストレイライト、アルストロメリアに至っては「Anniversary」という名のバラードのその荘厳なメロディに気付けばボロ泣きしていたり。ユニットや出演者達が見せるパフォーマンスの数々、その一つ一つがどうしようもない程に楽しいのです。
冷静に俯瞰して見れば頻繁にMCを挟んで細かくブロック分けをしていたのは会場内の換気というだけでなく何らかの事情でセットリストを短縮や変更しなければならない事態に備えての事でしょうし、現在の国や自治体が求める開催基準との擦り合わせの中で窮屈にならざるを得ない部分というのもあったんだろうと思います。
それでもようやく観客を入れてのライブが出来るようになって来た事、またシャイニーカラーズとしてもたった2週間しか経っていないというのに2ndライブより成長している出演者が何人もいるのに驚かされ、決して全てが停滞するばかりではなかった事を実感し嬉しくなります。
さすがにまだ遠征するのは気後れするので3rdツアーで後に控える東京公演と福岡公演は自宅から配信を観ることになるでしょうけれど、そういうのを楽しみしても良いのだと思えることが嬉しいですね。
いつか、また以前のように声援を掛けても良い日が来たら全力でコール入れたい曲に目星も付けれましたしね(笑)!
こんばんは、小島@監督です。
鈍った頭でどこまでやれるか分からないけど、ま、やってみますか。
さて、昨日はガイシホールまで「THE IDOLM@STER SHINY COLORS 3rdLIVE TOUR PIECE ON PLANET / NAGOYA」day2を観に行って来ました。現地で観る大規模ライブとしては昨年2月に大阪ドームで開催されたシンデレラガールズの7thライブ以来実に1年2ヶ月ぶりになります。コロナ禍が発生してからのこの1年余り、配信での鑑賞は何度かしており、それはそれで楽しいものではありましたが観れば観るほど生で音を体感する事への欲求はいやますばかりで、もう渇望していたと言っても良いくらいです。ですので今回のライブは開催日を心待ちにしていました。
またアイマスに限らず今のこの状況下でライブイベントがどう行われているかを1度ちゃんと観ておきたいと考えていたことも事実で、入場前の検温や席数制限されて両隣の座席に貼り紙がされて塞がれている様を現場で見ることもできました。
先月、というか2週間前に2ndライブが開催されたばかりのシャイニーカラーズ、コロナ禍を受けて延期されたが故ではありますが、結果的に間髪入れずに3rdライブツアーが開催される格好になりました。観てる側としてはほとんど地続きの様な感覚ですがちゃんとコンセプトも違いますしイベントとしては別種のものとして組み立てられていました。
ライブが始まって実感したのは何より自分の中にある「飢え」。マスク必須で声を出しての応援ができないという制限が掛かっていると言うのに圧倒的なまでの多幸感と充足感が全身を突き抜けます。パステルカラーなイメージと王道のアイドルポップを聴かせるイルミネーションスターズ、ゴシック調のビジュアルでヘヴィロックを叩きつけるアンティーカ、元気一杯賑やかでアッパーなナンバーにコール入れられないのがチョイと新手の拷問でしたがそれもまた楽しい放課後クライマックスガールズ、ほろ苦い青春を感じさせる楽曲で聴く者の心に一陣の風が吹き抜けるノクチル、トランスミュージックに敢えて和風の衣装というミスマッチでグルーヴを生み出すストレイライト、アルストロメリアに至っては「Anniversary」という名のバラードのその荘厳なメロディに気付けばボロ泣きしていたり。ユニットや出演者達が見せるパフォーマンスの数々、その一つ一つがどうしようもない程に楽しいのです。
冷静に俯瞰して見れば頻繁にMCを挟んで細かくブロック分けをしていたのは会場内の換気というだけでなく何らかの事情でセットリストを短縮や変更しなければならない事態に備えての事でしょうし、現在の国や自治体が求める開催基準との擦り合わせの中で窮屈にならざるを得ない部分というのもあったんだろうと思います。
それでもようやく観客を入れてのライブが出来るようになって来た事、またシャイニーカラーズとしてもたった2週間しか経っていないというのに2ndライブより成長している出演者が何人もいるのに驚かされ、決して全てが停滞するばかりではなかった事を実感し嬉しくなります。
さすがにまだ遠征するのは気後れするので3rdツアーで後に控える東京公演と福岡公演は自宅から配信を観ることになるでしょうけれど、そういうのを楽しみしても良いのだと思えることが嬉しいですね。
いつか、また以前のように声援を掛けても良い日が来たら全力でコール入れたい曲に目星も付けれましたしね(笑)!
いろんなものがリメイクされたりリブートされたりする昨今ですが、さすがに「ムテキング」リブートはなかなかに驚きました。またスタッフがえらい豪華。キービジュアルがスタイリッシュな割にバタ臭くて思わずフフっとなりました。最近リメイクものと言えば90年代のものが主流かと思っていたのですが、また凄いところを掘り返してきたものです。自分が幼稚園児くらいの頃に使ってた浮き輪が確かムテキングだった記憶が薄っすらと。多分自分が初めて観たタツノコヒーローがこれだったんじゃないかと思います。
こんばんは、小島@監督です。
放送は今秋予定とか。ちょっと楽しみにしていよう。今観ると自分には合わないかもですが(笑)
さて、今回の映画は「ヒーリングっど♡プリキュア ゆめのまちでキュン!っとGoGo!大変身!!」です。
花寺のどか(声・悠木碧)たちは東京へやってきた。街全体で展開している大イベント、心に思い描いた夢を映し出せる「ゆめアール」を体感するためだ。そのデバイスである「ゆめペンダント」を受け取ったのどか達は街中を飛び交う魚たちを目撃したり、自分たちの服装を一瞬で思い思いのものに変えたりできる「ゆめアール」の凄さに驚きながら東京の街を遊びまわる。
渋谷のスクランブル交差点に特設ステージが作られ「ゆめアール」のイメージキャラクターでモデルをしている少女・カグヤ(声・小林星蘭)のライブイベントが始まった。しかしその時エゴエゴ(声・高木渉)と名乗るモンスターの襲撃を受ける。プリキュアに変身して戦うのどかたちだったが変幻自在のエゴエゴの前に苦戦を強いられた。だが、そこにキュアドリーム・夢原のぞみ(声・三瓶由布子)らプリキュア5のメンバーが救援に駆け付けた!
先月最終回を迎えた「ヒーリングっど♡プリキュア」の単独タイトルでのプリキュア映画が先日封切りされ、2年ぶりに春の映画館にプリキュアがカムバック。私も早速観に行ってきました!ええ、このブログ書き始めてから9年間全作網羅してますからね!引き際を見失ったとも言いますがね!最早春と秋はこいつを観ないと何だか落ち着かないのさ!
昨年コロナ禍を受けて映画公開とTVシリーズの制作スケジュールが大幅に変更を余儀なくされた関係で、単独タイトルの劇場版としてはプリキュアシリーズで初めて番組終了後の公開となりました。例年10月後半に封切られるプリキュア映画ですが、今回の「ヒーリングっど♡プリキュア」も特に最終回後を想起させるセリフやシーンも無く、また作中ののどかたちの服装や街路樹が紅葉している描写が入っているなど秋のイメージが多いところから察するに、当初は例年と同時期での公開を目指して準備していたんじゃないかと思います。この辺り、10年前の東日本大震災の際、放送スケジュールがずれたことをきっかけに秋の劇場版を脚本から作り直したという「スイートプリキュア♪」ともまた違う対応を取ったのだろうと推察します。
さて、今回の「ヒーリングっど♡プリキュア」、ゲストとして「Yes!プリキュア5GoGo!」のメンバーが勢ぞろいして登場します。プリキュア5はまだ当時プリキュアシリーズとしても何かしらのアイテムを使ったアクションよりもフルコンタクトなガチンコアクションの方を主流として描かれていた頃なのでそれを受けてかなり手数の多いアクションが展開します。中でも今作のヴィランであるエゴエゴとの最初のバトルシーンではその魅力が全開。ちょっとカポエイラみたいな動きも差し挟まれたりして縦横無尽なアクションの妙味を存分に堪能できます。
また、今や男性キャラのイメージの方が強くなったキュアドリーム役三瓶由布子さん(「エウレカセブン」レントン役、「アイドルマスターSideM」秋月涼役)、キュアルージュ・夏木りん役竹内順子さん(「NARUTO」うずまきナルト役、「イナズマイレブン」円堂守役)の少女声の演技が聴けるのは、TVシリーズを知らない向きには新鮮に映るのではないでしょうか。
物語の方もゲストヒロイン・カグヤとその母・我修院サレナ(声・勝生真沙子)との複雑な確執を中心に、深入りしようと思えばどこまでも深くなれるテーマをサラッとメインターゲットである子供たちにも分かり易く語ってみせ、シナリオのレベルが高い1本となっています。個人的にコレを観た前後の時期は仕事に追い詰められて精神的にもだいぶギスギスとささくれていた状態だったのですが、真っ直ぐ誰かを助けることに迷わないプリキュアたちの姿に、気づけば涙を流して観ていました。普段と違う精神状態だったので何でもない時期に見れていたらまた違っていたでしょうけれど。
併映作品である現行シリーズ「トロピカル~ジュ!プリキュア」の短編も本編のアッパーなノリをそのまま5分間に凝縮して見せているハイテンションぶりが楽しい1本。「ヒーリングっど♡プリキュア」の後に上映されるのでどこかメインディッシュの後のデザートみたいな軽やかさがあります。
プリキュアというシリーズに求められるものがちゃんと揃っている総じて満足度の高い1本。アプリを利用してプリキュア5のメンバーの行動を詳細に描くボイスドラマを配信したり、ミニ色紙を配布したりと様々な趣向も用意されています。ご興味のある方はどうぞ映画館へ。
こんばんは、小島@監督です。
放送は今秋予定とか。ちょっと楽しみにしていよう。今観ると自分には合わないかもですが(笑)
さて、今回の映画は「ヒーリングっど♡プリキュア ゆめのまちでキュン!っとGoGo!大変身!!」です。
花寺のどか(声・悠木碧)たちは東京へやってきた。街全体で展開している大イベント、心に思い描いた夢を映し出せる「ゆめアール」を体感するためだ。そのデバイスである「ゆめペンダント」を受け取ったのどか達は街中を飛び交う魚たちを目撃したり、自分たちの服装を一瞬で思い思いのものに変えたりできる「ゆめアール」の凄さに驚きながら東京の街を遊びまわる。
渋谷のスクランブル交差点に特設ステージが作られ「ゆめアール」のイメージキャラクターでモデルをしている少女・カグヤ(声・小林星蘭)のライブイベントが始まった。しかしその時エゴエゴ(声・高木渉)と名乗るモンスターの襲撃を受ける。プリキュアに変身して戦うのどかたちだったが変幻自在のエゴエゴの前に苦戦を強いられた。だが、そこにキュアドリーム・夢原のぞみ(声・三瓶由布子)らプリキュア5のメンバーが救援に駆け付けた!
先月最終回を迎えた「ヒーリングっど♡プリキュア」の単独タイトルでのプリキュア映画が先日封切りされ、2年ぶりに春の映画館にプリキュアがカムバック。私も早速観に行ってきました!ええ、このブログ書き始めてから9年間全作網羅してますからね!引き際を見失ったとも言いますがね!最早春と秋はこいつを観ないと何だか落ち着かないのさ!
昨年コロナ禍を受けて映画公開とTVシリーズの制作スケジュールが大幅に変更を余儀なくされた関係で、単独タイトルの劇場版としてはプリキュアシリーズで初めて番組終了後の公開となりました。例年10月後半に封切られるプリキュア映画ですが、今回の「ヒーリングっど♡プリキュア」も特に最終回後を想起させるセリフやシーンも無く、また作中ののどかたちの服装や街路樹が紅葉している描写が入っているなど秋のイメージが多いところから察するに、当初は例年と同時期での公開を目指して準備していたんじゃないかと思います。この辺り、10年前の東日本大震災の際、放送スケジュールがずれたことをきっかけに秋の劇場版を脚本から作り直したという「スイートプリキュア♪」ともまた違う対応を取ったのだろうと推察します。
さて、今回の「ヒーリングっど♡プリキュア」、ゲストとして「Yes!プリキュア5GoGo!」のメンバーが勢ぞろいして登場します。プリキュア5はまだ当時プリキュアシリーズとしても何かしらのアイテムを使ったアクションよりもフルコンタクトなガチンコアクションの方を主流として描かれていた頃なのでそれを受けてかなり手数の多いアクションが展開します。中でも今作のヴィランであるエゴエゴとの最初のバトルシーンではその魅力が全開。ちょっとカポエイラみたいな動きも差し挟まれたりして縦横無尽なアクションの妙味を存分に堪能できます。
また、今や男性キャラのイメージの方が強くなったキュアドリーム役三瓶由布子さん(「エウレカセブン」レントン役、「アイドルマスターSideM」秋月涼役)、キュアルージュ・夏木りん役竹内順子さん(「NARUTO」うずまきナルト役、「イナズマイレブン」円堂守役)の少女声の演技が聴けるのは、TVシリーズを知らない向きには新鮮に映るのではないでしょうか。
物語の方もゲストヒロイン・カグヤとその母・我修院サレナ(声・勝生真沙子)との複雑な確執を中心に、深入りしようと思えばどこまでも深くなれるテーマをサラッとメインターゲットである子供たちにも分かり易く語ってみせ、シナリオのレベルが高い1本となっています。個人的にコレを観た前後の時期は仕事に追い詰められて精神的にもだいぶギスギスとささくれていた状態だったのですが、真っ直ぐ誰かを助けることに迷わないプリキュアたちの姿に、気づけば涙を流して観ていました。普段と違う精神状態だったので何でもない時期に見れていたらまた違っていたでしょうけれど。
併映作品である現行シリーズ「トロピカル~ジュ!プリキュア」の短編も本編のアッパーなノリをそのまま5分間に凝縮して見せているハイテンションぶりが楽しい1本。「ヒーリングっど♡プリキュア」の後に上映されるのでどこかメインディッシュの後のデザートみたいな軽やかさがあります。
プリキュアというシリーズに求められるものがちゃんと揃っている総じて満足度の高い1本。アプリを利用してプリキュア5のメンバーの行動を詳細に描くボイスドラマを配信したり、ミニ色紙を配布したりと様々な趣向も用意されています。ご興味のある方はどうぞ映画館へ。
一昨日の土曜の夜、東北から関東にかけて強い地震が。先月にも強い地震がありましたしその余震、ということだと思いますが、間の悪いことにまさにその時刻首都圏各地でイベントの真っただ中。場所によっては淀みなくそのまま進行していたところもあるようですが、幕張で開催されていたアイマスライブは運営側が一時中断を判断するまでの間を出演者たちが世界観を壊さぬままMCで繋ぐという離れ業をやってのけたとか。たまたま今回は配信での視聴も見送っていたので詳細は分からないのですが出演者も観客もハラハラした時間だったことでしょう。
こんばんは、小島@監督です。
昨年散々疫病に振り回され、ようやくライブができるようになったら今度は地震とかなかなかにあんまりな話でござる。何の障害も無くライブが楽しめる日が早く戻ってほしいですね。
さて、今回の映画は「すばらしき世界」です。
旭川刑務所、一人の男が刑期を終え出所の時を迎えていた。男の名は三上正夫(役所広司)。やくざ者を刺殺し殺人罪によって13年間懲役刑に服していたのだ。上京した三上は身元引受人である弁護士・庄司(橋爪功)に迎えられ、再出発を誓う。
一方、TV局を辞め小説家を志す青年・津乃田(仲野太賀)のもとにプロデューサーの吉澤(長澤まさみ)からコンタクトが入る。出所者が社会復帰し、生き別れた母親と再会を果たす…そんな番組を製作しようとした吉澤は三上を対象に選びその取材を津乃田に依頼したのだ。「身分帳」と題されたノートの束を前に津乃田は寒気すら覚える。人生の大半を刑務所で過ごしてきた男に社会復帰などできるのか。
庄司によって手配された下町の小さなアパートで三上の新生活が始まろうとしていた。
映画監督・是枝裕和によって見出された西川美和監督は、「ディア・ドクター」での偽医者や「夢売るふたり」では結婚詐欺師の夫婦だったり、いつも社会の主線から外れた人を主人公に据えた作品を発表し続けてきました。一貫してオリジナル作品を発表し続けた西川監督が初めて佐木隆三の小説「身分帳」を原作として映画を作り上げましたが、その姿勢は今回も変わりません。極めてヘビーな題材をどこかユーモラスを交えながらも骨太に語り上げます。
長く刑務所にいた男が出所したら世間がすっかり変わってしまいやくざ者の居場所がほとんど無くなっていた、というのは実は近年何本かの映画が製作されているモチーフで、奇しくも同時期に「ヤクザと家族 The Family」という映画も公開されています。この十数年で暴対法や暴対条例が次々と施行され、これまでの暴力団としての活動も締め上げられているだけでなく更生したくともそれがしにくくなっているというジレンマもこの作品では丹念に描かれています。
ある意味では浦島太郎のような状態となった三上は、一般社会から見れば日常に放り込まれた異物でしかなく、これまでの極道のような生活と堅気の生活との間で揺れ、自身がやったことへの後悔はあれどその生き方が間違っていたとは思わない三上は社会の中で見えない軋轢と戦わねばならなくなります。
哀しいかなそんな三上が最も生き生きとしている時が暴力をふるっている時、という皮肉。誰かを助けたくて拳を振るうものの、振るった時点でその言動全てが自身の履歴も込みで「悪」と断じられる社会の中で突きつけられる窮屈さに苦しめられるのです。
一方で庄司や津乃田など、それまでの三上の生き方の中では無かった人々との関りが双方にとって影響を与える様も描いているのがポイントです。どちらもが一歩踏み込んだ時に見えてくるものがあり、これが無ければもっと薄っぺらい作品になっていたに違いなく、その姿勢の見事さには感服せざるを得ません。
そしてこの映画、何より主演役所広司の演技がもう絶品です。何が凄いって開始数分で「役所広司」ではなく「三上正夫」を観ている気分にさせられるその圧倒的実在感にです。「すばらしき世界」は彼の長いキャリアの中でも特筆すべき1本となるのではないかとすら思います。
洋画の配給がまだまだ滞り気味というのも追い風となっているのかもしれませんが、この作品に限らず実はここ最近邦画で秀作が立て続けに公開されています。そろそろ映画館での鑑賞にハードルが低くなってきているこの昨今に、邦画の魅力を劇場で再発見してみてほしいですね。
こんばんは、小島@監督です。
昨年散々疫病に振り回され、ようやくライブができるようになったら今度は地震とかなかなかにあんまりな話でござる。何の障害も無くライブが楽しめる日が早く戻ってほしいですね。
さて、今回の映画は「すばらしき世界」です。
旭川刑務所、一人の男が刑期を終え出所の時を迎えていた。男の名は三上正夫(役所広司)。やくざ者を刺殺し殺人罪によって13年間懲役刑に服していたのだ。上京した三上は身元引受人である弁護士・庄司(橋爪功)に迎えられ、再出発を誓う。
一方、TV局を辞め小説家を志す青年・津乃田(仲野太賀)のもとにプロデューサーの吉澤(長澤まさみ)からコンタクトが入る。出所者が社会復帰し、生き別れた母親と再会を果たす…そんな番組を製作しようとした吉澤は三上を対象に選びその取材を津乃田に依頼したのだ。「身分帳」と題されたノートの束を前に津乃田は寒気すら覚える。人生の大半を刑務所で過ごしてきた男に社会復帰などできるのか。
庄司によって手配された下町の小さなアパートで三上の新生活が始まろうとしていた。
映画監督・是枝裕和によって見出された西川美和監督は、「ディア・ドクター」での偽医者や「夢売るふたり」では結婚詐欺師の夫婦だったり、いつも社会の主線から外れた人を主人公に据えた作品を発表し続けてきました。一貫してオリジナル作品を発表し続けた西川監督が初めて佐木隆三の小説「身分帳」を原作として映画を作り上げましたが、その姿勢は今回も変わりません。極めてヘビーな題材をどこかユーモラスを交えながらも骨太に語り上げます。
長く刑務所にいた男が出所したら世間がすっかり変わってしまいやくざ者の居場所がほとんど無くなっていた、というのは実は近年何本かの映画が製作されているモチーフで、奇しくも同時期に「ヤクザと家族 The Family」という映画も公開されています。この十数年で暴対法や暴対条例が次々と施行され、これまでの暴力団としての活動も締め上げられているだけでなく更生したくともそれがしにくくなっているというジレンマもこの作品では丹念に描かれています。
ある意味では浦島太郎のような状態となった三上は、一般社会から見れば日常に放り込まれた異物でしかなく、これまでの極道のような生活と堅気の生活との間で揺れ、自身がやったことへの後悔はあれどその生き方が間違っていたとは思わない三上は社会の中で見えない軋轢と戦わねばならなくなります。
哀しいかなそんな三上が最も生き生きとしている時が暴力をふるっている時、という皮肉。誰かを助けたくて拳を振るうものの、振るった時点でその言動全てが自身の履歴も込みで「悪」と断じられる社会の中で突きつけられる窮屈さに苦しめられるのです。
一方で庄司や津乃田など、それまでの三上の生き方の中では無かった人々との関りが双方にとって影響を与える様も描いているのがポイントです。どちらもが一歩踏み込んだ時に見えてくるものがあり、これが無ければもっと薄っぺらい作品になっていたに違いなく、その姿勢の見事さには感服せざるを得ません。
そしてこの映画、何より主演役所広司の演技がもう絶品です。何が凄いって開始数分で「役所広司」ではなく「三上正夫」を観ている気分にさせられるその圧倒的実在感にです。「すばらしき世界」は彼の長いキャリアの中でも特筆すべき1本となるのではないかとすら思います。
洋画の配給がまだまだ滞り気味というのも追い風となっているのかもしれませんが、この作品に限らず実はここ最近邦画で秀作が立て続けに公開されています。そろそろ映画館での鑑賞にハードルが低くなってきているこの昨今に、邦画の魅力を劇場で再発見してみてほしいですね。