ちゅうカラぶろぐ


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実は今、根っこが割れた奥歯の治療を続けています。数か月前に定期歯科検診やって見つかりました。大抵の場合は抜いてインプラントにする類のものですが、名古屋市内に自歯を活かして治療する歯科医院があると聞いて今はそこに通っています。
 先日、先々治療を進めるのに割れた歯の小さな破片を抜く必要が生じて、親知らずを抜いた時以来の抜歯をしてきました。麻酔が効いてたからなのかその歯科医の腕がいいのか、ものの十数分で終わってましたが(笑)
 今は抜いた方であまり嚙まないで欲しいと言われてるので正直ちょっと食事で苦心中。治療が終わるまであと数か月は苦労しそうです。

 こんばんは、小島@監督です。
 まぁでも皆さん歯の定期検診はやっておいた方が良いですよ。

 さて、今回の映画は「リョーマ! 新生劇場版テニスの王子様」です。

 全国大会制覇の後、武者修行のために単身渡米した越前リョーマ(声・皆川純子)は、ロスアンゼルスで家族旅行中の同級生の竜崎桜乃(声・高橋美佳子)がギャングに絡まれている所に遭遇する。桜乃を救おうとリョーマはテニスボールを放つが、どこからか飛んできたもう一つのテニスボールとぶつかるや突如2人は閃光に包まれた。
 気が付くと状況が大きく変わっていた。街に飾られたポスターでリョーマは父・越前南次郎(声・松山鷹志)が現役引退を決意した全米オープン決勝が間近に控えていることを知る。つまり自分たちは過去にタイムスリップしている!「サムライ南次郎」と呼ばれた父が引退した理由を知り、また現役時代の父のプレーを一目見るべく、リョーマは桜乃を伴い南次郎に会いに行くのだったが。

 映画を観に行く動機も色々で、私の場合題材や粗筋を見て気になるか、原作や主演俳優、監督のファンだからというのが大勢を占めるのですが、今回は「ファンが観に行っても良く分からなかった」「気が付いたら飲まれていた」「ほぼマサラ」という妙な評判が公開後に聞こえてきて興味が湧き、つい観に行ってしまいました。正直なところ「テニスの王子様」は原作も読んでないわアニメも観た事無いわでほとんど知らないも同然です。タイトル自体は有名なおかげで主人公の越前リョーマと手塚国光(声・置鮎龍太郎)と跡部景吾(声・諏訪部順一)の3人がせいぜい分かるくらい。20年続くタイトルをほぼ予備知識ゼロで観に行くと言うのもなかなか新鮮でした。

 開幕1分、いきなり「それ」は始まります。初速で最高速度に達し作品世界に叩き込まれたらあとは理性が作品を理解しようとする以上の速さと強さで引き込み続けます。ミュージカル映画の形を取っているので開幕すぐに歌って始まる作品なんて珍しくもないのですがそれでも呆気にとられたというか度肝を抜かれました。
 つまるところ、映画は越前リョーマが自身のテニスへの想いの原点を再確認する物語、ということに尽きるのですが、その見せ方が他とは明らかに一味も二味も違います。作劇のセオリーもロジックも全て無視、辻褄もあまり合っていない。作品内に理性的に状況を俯瞰する存在がいない、端的に言ってツッコミ役もいません。およそ「文脈を読む」という劇映画を観るに当たって当然のように自分が今までやっていたことがまるで通用しない作りに、気づけば確かに「飲まれて」いました。トリッキーな作りに翻弄されると言うのともまた違います。唐突に歌とダンスでゴリ押しにかかる辺りはなるほどインド映画っぽくもありますがそれとも雰囲気がまた違う。言わば「直球を投げて来ているのは分かるが打ち返せる気がしない」のです。これほど豪腕な作りをしているのにしかもそれが不快ではない、どころかやたらと面白いというのが恐ろしい。作り手から「観る者全員を楽しませよう」という強いエネルギーをひしひしと感じます。
 「テニスの王子様」はいわゆる2.5次元の先駆的作品でありミュージカルの方も20年近い実績を持っています。そんなミュージカル「テニスの王子様」の文法をそのままアニメの方へ逆輸入しているような印象も受けます。

 CGアニメ映画として観た場合に映像のクオリティが高いかというと実はそうでもなく、一世代前のような印象すらあるビジュアルしているのですが、正直観てるとまるで気にもなりません。そんなこと気にしてると確実に振り落とされるからです。これを観に来た以上このウェーブに乗り切らねばもったいない!そんな気にさせられてしまう謎のパワーがあります。

 なおこの映画、「Decide」と「Glory」という2種類の作品が同時公開されています。ストーリー自体は変わらず、登場人物と作中のシーンが一部違うというパラレルな作りになっています。特定のキャラクターのファンの方はそれが出ている方を選べば良いですし、そうでない方はどちらを選ぼうがブッ飛ぶので時間の合う方を選べば良いかと思います。私が今回観たのは「Glory」の方。こちらでは近年単独でCMに出たりするようになった跡部景吾が登場。バスローブ姿で1曲歌ってくれます。どんな状況かは上手く説明できないので言いません(笑)
 また驚くことに劇中歌の全ては原作者・許斐剛の作詞作曲だそうです。何て多才なんだ!
 本編終了後には桁違いに存在する「テニスの王子様」のキャラクターソングの中から選りすぐりをリミックスしたメドレーで見せるMVがまるで歌劇の後のレビューのように展開。最後まで全力で楽しませてくれます。

 20年続く作品の新作の劇場版を製作するにあたり「従来のファンを意識しつつ予備知識を必要としない」映画を作る、というアンビバレンツな命題にこういう解を用意できる方たちがいようとは。「テニスの王子様」のファンの方はもちろん、全く知らない人もこれは是非軽率に観に行ってポカンとなって頂きたい。娯楽と言うものの目的が日常の憂さを一刻忘れさせて元気をもらうと言う事にあるとするなら、これこそ極めて純度の高いエンターテインメントです。いや~映画って奥が深い。

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数か月前にTwitterで展開したキャンペーンにノリで応募したら当選してしまい、村瀬修功監督のサインが入った「機動戦士ガンダム 閃光のハサウェイ」ポスターが先日送られてきました。

 実は昨年も電撃文庫が実施した同様のキャンペーンでライトノベルが当たったりして、この手のヤツは意外と当たりがあるものだなぁ、と感じます。

 こんばんは、小島@監督です。
 それにしても実物を見るとニヤニヤしてしまうぜ。

 さて、今回の映画は「夏のホラー秘宝まつり2021」より「ブラック・サバス 恐怖!三つの顔」です。

 案内人ボリス(ボリス・カーロフ)は語る。この世には人智を超えた恐怖が横たわっていることを。それは時に思わぬ形で顔を見せることを。彼が語る3つの物語とは。

 「夏のホラー秘宝まつり」とは東京のミニシアター・キネカ大森が主催する特集上映企画で、今年で8回目になります。名古屋では毎回シネマスコーレで上映されています。新旧問わず様々な、中にはかなりニッチでカルトな作品も上映するプログラムなので観る観ないに関わらず上映作品は毎回チェックしています。正直全く食指が伸びない年もあるのですが、今年はイタリアの名匠マリオ・バーヴァを特集すると知ってこれは何か観ておかねばなるまいと、うまい具合に時間の都合がついたところで1本観てきました。

 マリオ・バーヴァは1930年代から撮影監督として映画製作に携わり、1957年から監督も行うようになった人物です。1960年の「血塗られた墓標」で高い評価を得、1963年の「知りすぎた少女」では「ジャッロ」(過度の流血を見せるスプラッター描写にスタイリッシュなカメラワークと色彩感覚を上乗せて展開するイタリアのサスペンスやホラー映画を指す)というジャンルの源となる1本とされています。
 活躍の場をイタリアから移すようなことはなく、生涯にわたり低予算の作品を多く手掛けていたことから知名度はそれほど高くはないように思えますが、リドリー・スコットやマーティン・スコセッシ、大林宣彦など多くの映画人に影響を与えたとされる人物で、特に最高傑作と呼び声高い1966年の「呪いの館」は後年のJホラー映画にもその影響が見て取れるとも言われるほどです。1980年に病没しましたが、没後40年となる昨年に彼の業績を回顧する作品群が一斉にBlu-ray化されるなどホラー映画の歴史を辿る上で外せない人物の一人と言えるでしょう。

 「ブラック・サバス 恐怖!三つの顔」は1963年に製作された1本です。深夜にかかり続ける脅迫電話におののく女性の姿を描いた第1話「電話」、旅人が一夜の宿を求めた家で、そこに住む家族の父が吸血鬼となって帰ってくる第2話「ヴルダラク」、急死した富豪の老婆から高価な指輪をかすめ取った事で悪霊に襲われる看護婦の恐怖を描く第3話「水滴の音」の短編3話で構成されたオムニバス映画になります。
 筋立て自体は古典怪談のテイストが強すぎて今観ると古色蒼然と言った趣です。低予算もさることながら、僅かでもロケを行っているのが第2話のみで基本的にどれも限定された空間で撮影されているあたり恐らくかなりの短期間で作られたのではないかと思います。
 しかし、それでも「つまらない」とは思わないのは、撮影と演出の手腕がなせる業でしょう。特に第3話は老婆の死体のインパクトに加えて、屋外のネオンサインを点滅させることで恐怖心を煽るそのセンスが抜群です。似たような見せ方をするホラーやスリラーにいくつか思い起こさせるものもあるのですが、もしかしたらその源流にこのような作品がいるのかもしれません。
 各話のオチはベタとも言える物ながら映画全体を〆るラストシーンのとぼけた味わいと言い古いB級ホラーと言えどなかなかに油断できない逸品でした。

 映像表現の変遷も様々なアプローチで紐解くことができますが、いくつかの源にはこういう作品が眠っていたりします。掘り起こしてみると案外新鮮。メジャーな楽しみ方ではないかもですが、時にはそういうのに触れてみるのも楽しいですよ。
 
 

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昨日と一昨日、本来なら常滑市の愛知県国際展示場でライブを予定していたものの延期になった「アイドルマスターシンデレラガールズ」が、一種の代替企画として7年前に開催された1stライブを無料配信してくれ、私もせっかくの機会にと懐かしさ混じりで鑑賞してました。
 ドーム球場でもやれるようになった今と違って会場は席数2,200程度の舞浜アンフィシアター。演出も素朴だし出演者にも声が震えてるのが分かるくらい硬くなっている人がいたり観客の側もまだこなれていなかったり。そんなシンデレラガールズの出発点。なかなか感慨深いものがあります。
 当時私はDay1のみライブビューイングで観ているのですが、たまたまその日仕事が早く片付いたのと職場から近いセンチュリーシネマで上映してくれたのもあって急に思い立って駆け込んで観るというエクストリームなことしてました。そういうことをやろうとして普通に当日券が取れる程度の時期でもあったんですね。

 こんばんは、小島@監督です。
 ああ、会場でライブが観たい。

 さて、今回の映画は「アナザーラウンド」です。

 歴史教師のマーティン(マッツ・ミケルセン)は仕事でも行き詰まり、夜勤続きの妻アニカ(マリア・ボネヴィー)とはすれ違い、無気力な日々を過ごしていた。
 ある日、同僚で心理学教師のニコライ(マグナス・ミラン)の誕生パーティーに招かれたマーティン。その席でニコライはマーティンにノルウェー人哲学者フィン・スコルドゥールが提唱するある理論について語った。それは「人間は血中アルコール濃度を0.05%に保つと体にやる気と自信がみなぎり人生が向上する」というものだった。空虚な日々にうんざりしていたマーティンは仲間に促されるままに酒を煽り、久しぶりの高揚感を味わう。
 翌朝、マーティンは一人酒席で聞いた仮説の実証を始める。つまり始業前に飲酒を行ったのだ。マーティンが一人実験を始めた事を知ったニコライは馬鹿な実験で終わらせないためにと論文にまとめることに。同僚の体育教師のトミー(トマス・ボー・ラーセン)と音楽教師のピーター(ラース・ランゼ)も加わり4人は検証実験を始めるのだった。

 連綿と息づくバイキングの遺伝子がそうさせるのか、北欧の人たちは酒に強い人たちが多いそうです。日本では飲酒は20歳になってから、となっていますがこの映画の舞台であるデンマークではお酒の購入が16歳から、レストランなどでの飲酒は18歳からと規定はされているものの飲酒そのものに対する年齢制限は設けられておらず、早い人では12歳ごろから飲酒しているそうで、結果的に酒量も多くなり、デンマーク人の飲酒量は他のヨーロッパ諸国の飲酒量の2倍近くになるという統計もあるとか。そんなデンマークで、「飲酒で人生が向上する」という仮説に飛び込む男たちの人生模様を描く作品です。

 内容が内容なだけにま~良くお酒を飲む映画です。それも多種多様。高校生が隠れて飲酒するのもアレなのにここでは中年のおっさん4人が「理論を検証する」という名目のもと仕事中に隠れて飲み続けるので余計にタチが悪い(笑)実はマーティンだけでなく4人が4人とも生活に対し何がしかの行き詰まりを感じており、アルコールの接種がそういう現状を打破するための冒険のきっかけとして描くのがポイントです。どうにかして人生をもっと活き活きとしたものにしたい、そんな想いは誰しもが持っているものではないでしょうか。
 4人はアルコールを起爆剤にそれまでの殻を破ろうと奮起します。少しずつアクティブになっていく様に、「これは飲酒を礼賛する映画なのか」といぶかる向きもあるかもしれません。しかし、もちろんそうはなりません。行く先には思わぬ(いやある意味で想定通りの)落とし穴も待っています。

 けれど、ここで肯定しているのは「お酒を飲んで気が大きくなったことで何かの一歩を踏み出した」ことのみ。あくまでもきっかけの材料としてのみでそれで何もかもハッピーには描いていません。この辺りのバランス感覚は見事というほかありませんが、飲酒そのものに否定的な感覚を抱いている人にはこの微かなセンチメンタリズムももしかしたら眉を顰めるものかもしれません。

 ところで、これは劇映画なので当然飲酒でアッパーになったりへべれけになって正体を無くす様も全てがしらふでの演技です。ですが、これが観てて驚くぐらいの「飲酒した人の動きそのもの」で主演マッツ・ミケルセン以下俳優陣の演技の凄みに圧倒されます。特にマッツ・ミケルセンはクライマックスでダンスを披露するシーンが登場するのですが、ここでの動きが圧巻。円熟の域に達した名優の練達の演技を楽しむことができます。

 お酒で人生全てが上手くいくならそんなに楽なことはない。けれどもちろんそうはならない。そんな人生の哀歓をユーモラスかつビターに描き切る佳作。人によってはかなり「刺さる」作品ではないかと思います。
 ところで、日本では0.15mg/Lつまり0.03%で酒気帯び運転となり、0.05%では一発免停になりますので決して作中の真似して飲酒運転は致しませんように(笑)。

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昨日開催された「ウマ娘3rdEVENT WINNING DREAM STAGE」Day2の配信を鑑賞しました。初期から応援していた人たちが身近に何人もいるので何となく意外に思われるかもしれませんが、ウマ娘のイベントをちゃんと観てみたのは初めてです。実はアニメ見始めたのも今年に入ってからだったりするのですよ。好評のゲームとアニメの勢いそのままのボルテージ高いステージを満喫。自宅のモニターでの鑑賞なのがもどかしいくらいでした。

 こんばんは、小島@監督です。
 一度現地で観てみたいですね。あとコール入れたいですね!

 さて、今回の映画は「フリー・ガイ」です。

 「フリー・シティ」、それはルール無用のオンラインゲーム。プレイヤーは「サングラス族」と呼ばれるサングラスをかけたアバターを操作しゲームの中で自由に行動できる。プレイヤーは街の中で銃撃戦を行い、銀行強盗を働き、無法であるだけよりレベルアップできるのだ。
 平凡な銀行員のNPCであるガイ(ライアン・レイノルズ)は、毎朝決まった時間に目を覚まし、同じコーヒーを注文し、銀行に出勤しては何度も強盗に遭う毎日を送っていた。ある日、ガイは「モロトフ・ガール」ミリー(ジョディ・サマー)というミステリアスなサングラス族の女性に一目惚れしてしまう。そのことを親友のバディ(リル・レル・ハウリー)に話すが、「サングラス族は同じサングラス族しか相手にしない」と一笑に付されてしまう。そんな折、いつものように銀行強盗の襲撃を受けたガイは意を決して反撃に出、サングラスを奪い取ることに成功する。それを掛けてみたガイは、目の前に驚くべき世界が広がるのを目撃した!

 いや、コレは面白い!!
 自分の役割だけをこなし続けてきたNPCつまりモブキャラが自分の人生を生きようと奮闘します。現実と虚構の境界にメタ的な構造を持つ映画と言えば近年では「LEGOムービー」(2014年)という作品がありますが、「作りこまれた世界観の中で生きてきた男がそこからの脱出を図る」という点で傑作と誉れ高い「トゥルーマン・ショー」(1998年)を彷彿とさせる部分もあります。監督は「ナイト・ミュージアム」や「リアル・スティール」手掛けたショーン・レヴィが務めました。

 物語の軸は2つ。1つは恋心をきっかけに自分の役割を逸脱して1つの人格として成長していくガイの冒険、もう1つはかつてパートナー・キーズ(ジョー・キーリー)と共に製作したシステムがゲーム内で盗用されているとしてゲームの中でその証拠を探すため活動するミリー、この2つが実に有機的に絡み合います。更にガイは自身がゲーム内のモブキャラであることを知りません。だからガイが役割を逸脱し始めた時、誰もガイがNPCであることに気づきません。しかしガイの起こす行動は、やがて世界(ゲーム)のルールを変え、プレイヤーたちの意識をも変えていくことになります。この二重世界の設定が作品を実に味わい深いものにしています。そして単なるファンタジーではなく「ゲーム」と「現実」という観客がイメージしやすいファクターにしてあることも功を奏していると言えるでしょう。

 もちろん単にコメディ色の強いエンターテインメントとして観ても楽しさ満載。配給元の20世紀FOXが製作途中でディズニー傘下となったからか、クライマックスでは贅沢なクロスオーバーが実現したりしています。このお祭り感はさすがハリウッド。

 ただの「背景」でしかなかった者たちに意識を向けられるようになる、それは極端に言えば想像力の喚起です。作中に登場する悪役であるアントワン(タイカ・ワイティティ)はそれが決定的に欠如したキャラクターとして登場しているのが象徴的です。
 上手く戯画化された明るい作風の中に骨太なテーマと現実への風刺が見える、心底楽しくそして考えさせられる極めて優れた作品に仕上がっています。
 緊急事態宣言が続き、外出もはばかられる状況が続く中も響き、評価の割に興行成績はなかなか芳しくないようですが、心底楽しい一本です。映画館で鑑賞するのにもまた心理的ハードルが高くなってる昨今ですが、是非多くの方に観て頂きたい、そして日頃の憂さを一刻忘れさせてくれる楽しさを満喫して欲しいですね。

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なんと今回で500回目の更新になります。500回て!もちろん今年に入ったあたりから「500回目は到達しよう」と意識はするようになりましたが、良くまぁここまで来たものだと自分自身に感心します。
 9年半やってきて個人的に思い入れのあるものだったり撮った監督本人や主演俳優の方からリアクション頂けて驚いたものとかもあるのですが、「書いてみたら思いがけずたくさんリアクションを頂いたもの」というのもあります。その最たる回が「テラフォーマーズ」。かなりいろんな方にお褒めの言葉を頂いたりネタにして頂きました(笑)

 こんばんは、小島@監督です。
 これだけ長期にわたりこんな文章を書ける場が続いてくれたことにも感謝。なかなか歌会とはいかない状況が続いていますが、これからも続けられる限りは続けていきますよ。

 そして今日も通常営業。今回の映画は「僕のヒーローアカデミア ワールドヒーローズミッション」です。

 人類の8割が何らかの「個性」を持って生まれてくる「超人社会」、しかしその中には世代を経るごとに深く混ざり合った「個性」がやがて人類を滅亡に導くとする思想「個性終末論」を掲げる者たちもいた。世界中の「個性」保持者の殲滅を目論むカルト集団「ヒューマライズ」が不穏な動きをしていることを掴んだ世界中のヒーローたちが招集され、解決のための「世界選抜ヒーローチーム」が結成された。ナンバー1ヒーロー・エンデヴァー(声・稲田徹)の下でインターン活動をしていた緑谷出久(声・山下大輝)、爆豪勝己(声・岡本信彦)、轟焦凍(声・梶裕貴)の3人はエンデヴァーと共にオセオン国に派遣されていた。ヒューマライズの本部と目される場所への郷愁を試みる出久達だったが…

 TVシリーズも5期目を数え、原作コミックと共に世界的な人気を獲得しつつある「ヒロアカ」、その第3作目となる劇場版がサマーシーズンの顔の一つとして現在公開中です。前作「ヒーローズ:ライジング」は孤立無援となった孤島で自分たちとは格上のヴィランと死闘を繰り広げる1年A組のチームワークに主眼が置かれた作品となっていましたが、今作では「ワールドヒーローズミッション」のタイトル通りに世界中に散らばって戦う彼らの活躍が描かれます。なお、似たようなタイトルの古今東西の英雄がタイムスリップして戦う格闘ゲームが昔ありましたがそれとは一切関係がありません(笑)

 今作で3作目となる劇場版ヒロアカの魅力は、偏に「出し惜しみしないアイディアのボリューム」と「それをスクリーン映えする画にしてしまうハイアベレージな作画カロリー」にあります。「ただ観ているだけ」がとても楽しいのです。一見簡単なことに見えますがこれがなかなか難しい。「ヒロアカ」という作品自体に勢いがあるということの証拠でもあるでしょう。今後更に作を重ねて行ったならいずれ連作障害が避けて通れなくなるのかもしれませんが、そんな先の心配はひとまず置いておきましょう。

 今作を味わい深いものにしているのがゲストキャラクターのロディ(声・吉沢亮)の存在です。基本的に雄英学園の生徒たちは夢に向かって突き進む高いモチベーションの持ち主ですがこのロディはその境遇とある事件の影響から「夢を見る」ということに見切りをつけ、どこか擦れた立ち振る舞いで世の中と向き合っています。そんなロディと出久があろうことか事件の容疑者となってしまい2人して逃亡者となるのが今作の柱の一つになっています。世界規模の事件が起きている一方で、非常にパーソナルなバディムービーを物語の肝に持ってきているのがポイントです。
 更にロディ役吉沢亮の演技も素晴らしいの一言です。1作目「2人の英雄」でゲスト声優を務めた志田未来もそうでしたが、元々の演技力の高さに加えて「アニメの声優」というものに対しリスペクトを抱いてくれて研究をしているのではないでしょうか。はっきり言って他の本職の声優たちとも遜色がないレベルになっています。私も声優は基本的に本職に任せて欲しいと思っている口ではありますが、ここまでやれる人が出てくると声優の方もうかうかしてはいられないでしょう。
 それはそれとしてもう一つ声の話をすると、今作ではかなり思いがけないところに林原めぐみが出演しています。エンドクレジットでその名前を確認するまで全く気付きませんでした。ゲスト声優の演技に驚く一方で芸達者なベテランの真骨頂も楽しめる1本になっています。

 総じて非常に満足度の高い1本。「僕のヒーローアカデミア」アニメスタッフが出せる全身全霊が凝縮された作品に仕上がっています。今週末から4DX版、MX-4D版の上映も開始されますし、何かと暗い話題の続く昨今ですが、2時間憂き世を忘れてみてはいかがでしょう。

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お盆休みの真っ只中にこの長雨。中央線は土砂が流入して運転見合わせになり、中央道も通行止め、国道19号線も寸断されたり交通規制されたりする箇所が出てきたりでほとんど数日家から出られない状況が続きました。
 一晩帰宅困難者になったというのは経験ありますが、数日にわたり自宅避難状態はあまり経験ありません。自宅が流されたり潰されたりしたわけでないだけまだマシというところではありますが。

 こんばんは、小島@監督です。
 結局今日になっても中央線が運休のままなので出社できないから休みにした、という異様な状況に今なっています。

 さて、今回の映画は「劇場版少女☆歌劇 レヴュースタァライト」です。

 国内最高峰の演劇学校・聖翔音楽学園。その99期生達は卒業を控え皆それぞれの進路を模索していた。ある者は国内の歌劇団へ、ある者はスカウトを受け海外の劇団へ、またある者は大学への進学を志した。そんな中、愛城華恋(声・小山百代)は自身の進路を決めきれないでいた。
 ある時、職場見学の一環として99期生のメンバーたちは国立歌劇団の公演に招かれた。劇場へ向かう途中、地下鉄の行き先が変わる。それは、選ばれた舞台少女たちが「トップスタァ」への座を賭けて戦う「レヴュー」の幕が再び開いたことを意味していた。

 アニメの企画も多種多様になってきた昨今、声優がステージに立つことを前提とした作品も珍しくなくなってきました。この「レヴュースタァライト」もミュージカルとアニメを連動させ、まずミュージカルを原作としてアニメ化された作品だそうです。アニメ作品としては2018年にTVシリーズが製作され、そのTVシリーズに新規シーンを加えて再構成した劇場版「ロンド・ロンド・ロンド」が昨年8月に公開。それらの続編となる完全新作の劇場版が今作となります。実はTVシリーズから何から全く観た事が無かったのですが、数人から強くお薦めされ、また各所からかなりの好評が聞こえてきたのに興味が湧き、上映終了ギリギリに観に行ってきました。

 なるほど作劇のスタイルが他とは一線を画す作品です。物語としてはつまるところTVシリーズなどを通して築かれた人間関係に一つの区切りを付けていくに過ぎないのですが、その見せ方が特徴的です。舞台を原作とするからか、特に「レヴュー」のシーンではかなり光源が強めのショットが多用されたり映り込む背景なども舞台装置として機能させたりとトリッキーさが目立ちます。音楽面も事前発注する従来の形式ではなくシーンに合わせて作曲する手法を採っておりそのシンクロぶりは目を見張るものがあります。
 非常にアバンギャルドな雰囲気の作品で、同じアニメに類例を求めるなら1997年に放送されその後劇場版も製作された「少女革命ウテナ」が近いところにあるように思えます。あるいは前衛演劇集団「天井桟敷」を率いていた寺山修司作品を思い起こさせるとも言えましょうか。「ウテナ」自体寺山修司への影響が見受けられる作品ですし、映像作品においてある種の行き詰まりから作品ごと脱却しようと試みる時、行き着いてしまうのはそこなのかもしれません。その「ウテナ」ももう20年以上前になりますし、この「レヴュースタァライト」に強い未見性を感じる方が多いのも頷けますね。 
 日本のアニメの面白いところは、こういう前衛的な作品がミニシアターで片隅に上映されるのではなくシネコンを中心にそれなりに大きな規模で、アニメ市場において比較的メインストリームに近いポジションで公開されることがあるところにもその特異性が見受けられると言えるでしょう。

 ベースが歌劇である分歌曲だけでなく全体のサウンドデザインにもこだわりを見せており、「ガールズ&パンツァー」が音響で観る楽しみを切り拓いたのを追従するように、これもまたスクリーンでの音響の違いで見え方が変わってくるタイプの作品でしょう。大半のところでロードショーが終了してしまっていますが、今後も企画上映などで度々リバイバルされることになるのではないでしょうか。あるいは十数年後に時代の異端児として回顧上映がされたりするかもしれません。「映画館で観た方が楽しい」部類の作品です。昨今の情勢では難しいでしょうが多分応援上映とかやれたら一層楽しめる気がします。近くの映画館で上映されていたら、トライしてみてはいかがでしょう。

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先日新型コロナウィルスの2回目のワクチン接種を受けてきました。2回目は発熱などの副反応が出やすいというので接種日と翌日もしっかり休みを取って臨みました。
 その翌日、体温は37度前後の微熱程度で、弱い倦怠感がある程度でしたが、腕の痛みが1回目以上でそれこそ「肩パン食らったような」痛みがその日一日ずっと続くのがなかなか難儀でした。38~39度台の熱が出る人もいるという中ではまぁこの程度で終わって良かったというべきでしょうか。

 こんばんは、小島@監督です。
 とは言え朝から晩まで一日中ほとんど眠って過ごしたって言うのも何だか久しぶり。

 さて、今回の映画は「竜とそばかすの姫」です。

 高知県の田舎に住む高校生・内藤すず(声・中村佳穂)は、幼い頃から歌が大好きだったが、6歳の時に母が事故死したショックで人前で歌うことができなくなってしまった。
 誰に聞かせるでもなく歌を作ることだけが楽しみだったある日、すずは友人のヒロちゃん(声・幾田りら)に誘われ、世界で50億人が利用するという仮想世界「U(ユー)」に参加することに。「U」では「As(アズ)」と呼ばれる自身の分身を作り全く別の生き方を選ぶことができる。すずは自身の「As」を「ベル」と名付け「U」の中で歌い始めた。
 ここでなら、私は歌える…!その喜びのままに歌うベルの歌声は瞬く間に「U」の中で評判になりベルは新星の歌姫として人気を獲得していく。
 しばらく後、数億の「As」を集客してのベルの大規模コンサート開催の日、突如ライブ会場に侵入してくる存在がいた。「竜」(声・佐藤健)と呼ばれるその存在にコンサートは滅茶苦茶になるが、その竜が抱える「傷」に気づいたすずはその秘密を知りたいと思うようになる。

 きっちり3年ごとに作品を発表する細田守監督、その新作は「サマーウォーズ」(2009年)以来となるネット世界を舞台にした物語です。細田監督、東映アニメーション在籍時代にも「デジモンアドベンチャー ぼくらのウォーゲーム!」(2000年)という作品を手掛けており、約10年ごとに仮想現実をモチーフにした作品を製作していることになります。この20年の間にインターネットに対するツールも変遷し、「サマーウォーズ」の「OS」ではアカウントとパスワードだったものが今作の「U」ではデバイスを介した生体認証になっていたりしています。

 予告編を観た時は「サマーウォーズ」との相似が気になってしまいましたが、実際観てみるとモチーフとした舞台を同じくしているだけで展開される映像そのものは強い未見性に満ちているのに驚かされました。
 美しい音楽と仮想世界という舞台装置を活かしたイマジネーション溢れる自由度の高い映像はそれだけで高揚感を湧き立たせてくれます。
 
 そして中盤に差し掛かろうかという頃登場する「竜」がこの物語の構図を明確にします。「竜」と呼称されていますが英語表記は「Beast」であり、すずが「ベル(Belle)」と名乗っていることと合わせて「美女と野獣」のオマージュになっています。ついでに言えばガストンみたいなポジションのキャラクターも登場します。細田守監督、どうやらディズニーアニメ版の「美女と野獣」が大好きらしく、単にキャラクターの名前や基本プロットだけでなく「美女と野獣」を代表するシーンとも言えるボールルームでのダンスシーンまで作中に登場します。違うところと言えば野獣からベルへ知的なアプローチがなされるのではなくベル(すず)の方から竜の内面へ踏み込んでいくところにあるでしょう。

 ところで、「バケモノの子」(2015年)以降自身で脚本も手掛ける細田守監督ですが、もしかしたら計算づくで1本の線を書き切るタイプではなく見せたいシーンやセリフという点が先にあってそれを線で結ぶタイプなのではないかと思われる節があります。
 特に気になったのが終盤。竜が抱える傷の秘密を知ったすずは、仮想世界ではなく現実世界の方でアクションを起こす必要に迫られます。この時のすずの行動が、というよりそれを見守る大人たちの行動がかなりちぐはぐなのです。一歩間違えれば悲劇を誘発しそうなことを善意でやってしまう、確かに現実世界では良くあることなのですが、ここでそれは正直観たくなかった。物語の最終的な着地点は悪くないのですが、ところどころに見受けられるこういった危うさは、人によっては拒否反応すら起こすものではないかとも思います。

 荘厳で繊細な音楽を圧倒的なまでの映像美で魅せるこの作品、そのカタルシスに酔いしれられるなら、これほど感動的な映像体験もなかなか無いだろうと思う一方で、私は作劇に潜むアンバランスさが少し気になってしまいました。とは言え今夏公開されている映画の中で際立った出来栄えの作品であることには違いなく、日本のアニメーション映画のパワーに感じ入るには十分すぎるくらいでしょう。外に出たくないくらい暑い日が続く中、2時間身を委ねてみるのもいいと思いますよ。

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