先日、それまで使っていたシェーバーが遂に電源が入らなくなり、お釈迦に。特に家電の類は壊れるまで使ってしまう性分なので実は15年以上使っていたから実際のところは大往生です。良く今まで持ち堪えてくれました。どれくらい前の物かと言えばメーカーが「National」というところでご察し頂けるかと思います。電器店で新しいシェーバー探している時に店員に「どのメーカーの物を使われているんですか?」と聞かれて「ナ………Panasonicです…」と返答に妙な間を作ってしまいました(笑)
こんばんは、小島@監督です。
色々迷った末に今回買ったシェーバーはBRAUN製。ちょっと予算オーバーでしたがその分剃り味は良いは地肌もピリつかないわでとても快適。
さて、今回の映画は「映画トロピカル~ジュ!プリキュア 雪のプリンセスと奇跡の指輪!」です。
海岸に出現した超ゼッタイヤラネーダを倒したまなつ(声・ファイルーズあい)たち。一息ついていたところに雪の王国シャンティアの妖精・ホワン(声・楠木ともり、井上ほの花)が現れた。近くシャンティアでは王女シャロン(声・松本まりか)の戴冠式が執り行われるという。戴冠式には「世界を笑顔にできる人に参加して欲しい」とシャロンはその才や力を持った人たちに招待状を送っていた。
招待を受けることにしたまなつたちは同じく招待を受けた音楽家や大道芸人たちと共に不思議な列車に乗り込んでシャンティアに向かった。シャロンへの挨拶を済ませて王国見物を始めたまなつたちは、そこでつぼみ(声・水樹奈々)たちと出会う。
秋の風物詩ことプリキュア映画が今年も公開。前作「ヒーリングっど♡プリキュア」では「Yes!プリキュア5GoGo!」とのクロスオーバーが取り入れられましたが、今作でもその路線を引き継ぎ「ハートキャッチプリキュア!」とコラボレーションしています。結果的に名前の通りに常夏のようなハートとメンタルを持つまなつが春めいた名前と心を持つ花咲つぼみと雪が覆う国で出会う映画が秋に公開されるという、絶妙な匙加減で季節感がちゃんぽんな作品が出来上がりました。
コロナ禍で製作体制やスケジュールなどに大きな変更を余儀なくされた最中に製作されたからか、これまでとは趣の異なるポイントが散見される作品となりました。何より10年以上シリーズの特色であったいわゆる「ミラクルライト」が今作では排されたのが大きいです。キャラクターが観客の子供たちに呼びかけ声を出して応援してもらうこれまでのスタイルは、声を上げない鑑賞が求められる昨今では適さなくなってしまったのでしょう。スタイルを一つ排した分、枷が外れた部分もあるので一概に悪いことばかりではなかったかもしれません。
物語的な特徴としては思いのほか「ハートキャッチ」のメンバーが深く関与しています。前作「ヒーリングっど」の時の「5GoGo」のメンバーはあくまで客演という位置づけに過ぎませんでしたが今作ではかなり深入りしており、つぼみたちの決め台詞はもちろんのこと変身バンクもフルバージョンで登場するだけでなくクライマックスでは「ハートキャッチプリキュア!」を知る者には「おおっ」となるシーンが用意されています。作画面でもハートキャッチのキャラクターデザインを手掛けた馬越嘉彦さんを招聘して万全の体制を整えています。
ゲストキャラクターとなる王女シャロンの設定が実は相当に重いのもポイントでしょう。正直壮絶と言っていいレベルでいつもアッパーテンションな「トロピカル~ジュ」のメンバーとはいささか食い合いにくいくらいのシリアスさです。同じ王女ということでローラ(声・日高里菜)と深く関わることになりますが、それと同時にローラは葛藤を抱えることになります。そのローラの選択や意思の在り様につぼみやえりか(声・水沢史絵)との交流が活きる形になっているのでいつもの70分尺ながらなかなか濃密に物語が展開します。
本編終了後、いつものように次回作の特報が流れるのですが、そこで次回作の公開時期が来年秋であることが発表されます。プリキュア映画は2009年より年2本体制を取ってきましたが、遂に春公開分が休止されることになってしまいました。昨年からこっちの製作・供給体制の混乱を思えばそれも仕方のないことかもしれません。少し物寂しい話ではありますが、その分来秋公開される1本が充実した作品になることを祈っています。
こんばんは、小島@監督です。
色々迷った末に今回買ったシェーバーはBRAUN製。ちょっと予算オーバーでしたがその分剃り味は良いは地肌もピリつかないわでとても快適。
さて、今回の映画は「映画トロピカル~ジュ!プリキュア 雪のプリンセスと奇跡の指輪!」です。
海岸に出現した超ゼッタイヤラネーダを倒したまなつ(声・ファイルーズあい)たち。一息ついていたところに雪の王国シャンティアの妖精・ホワン(声・楠木ともり、井上ほの花)が現れた。近くシャンティアでは王女シャロン(声・松本まりか)の戴冠式が執り行われるという。戴冠式には「世界を笑顔にできる人に参加して欲しい」とシャロンはその才や力を持った人たちに招待状を送っていた。
招待を受けることにしたまなつたちは同じく招待を受けた音楽家や大道芸人たちと共に不思議な列車に乗り込んでシャンティアに向かった。シャロンへの挨拶を済ませて王国見物を始めたまなつたちは、そこでつぼみ(声・水樹奈々)たちと出会う。
秋の風物詩ことプリキュア映画が今年も公開。前作「ヒーリングっど♡プリキュア」では「Yes!プリキュア5GoGo!」とのクロスオーバーが取り入れられましたが、今作でもその路線を引き継ぎ「ハートキャッチプリキュア!」とコラボレーションしています。結果的に名前の通りに常夏のようなハートとメンタルを持つまなつが春めいた名前と心を持つ花咲つぼみと雪が覆う国で出会う映画が秋に公開されるという、絶妙な匙加減で季節感がちゃんぽんな作品が出来上がりました。
コロナ禍で製作体制やスケジュールなどに大きな変更を余儀なくされた最中に製作されたからか、これまでとは趣の異なるポイントが散見される作品となりました。何より10年以上シリーズの特色であったいわゆる「ミラクルライト」が今作では排されたのが大きいです。キャラクターが観客の子供たちに呼びかけ声を出して応援してもらうこれまでのスタイルは、声を上げない鑑賞が求められる昨今では適さなくなってしまったのでしょう。スタイルを一つ排した分、枷が外れた部分もあるので一概に悪いことばかりではなかったかもしれません。
物語的な特徴としては思いのほか「ハートキャッチ」のメンバーが深く関与しています。前作「ヒーリングっど」の時の「5GoGo」のメンバーはあくまで客演という位置づけに過ぎませんでしたが今作ではかなり深入りしており、つぼみたちの決め台詞はもちろんのこと変身バンクもフルバージョンで登場するだけでなくクライマックスでは「ハートキャッチプリキュア!」を知る者には「おおっ」となるシーンが用意されています。作画面でもハートキャッチのキャラクターデザインを手掛けた馬越嘉彦さんを招聘して万全の体制を整えています。
ゲストキャラクターとなる王女シャロンの設定が実は相当に重いのもポイントでしょう。正直壮絶と言っていいレベルでいつもアッパーテンションな「トロピカル~ジュ」のメンバーとはいささか食い合いにくいくらいのシリアスさです。同じ王女ということでローラ(声・日高里菜)と深く関わることになりますが、それと同時にローラは葛藤を抱えることになります。そのローラの選択や意思の在り様につぼみやえりか(声・水沢史絵)との交流が活きる形になっているのでいつもの70分尺ながらなかなか濃密に物語が展開します。
本編終了後、いつものように次回作の特報が流れるのですが、そこで次回作の公開時期が来年秋であることが発表されます。プリキュア映画は2009年より年2本体制を取ってきましたが、遂に春公開分が休止されることになってしまいました。昨年からこっちの製作・供給体制の混乱を思えばそれも仕方のないことかもしれません。少し物寂しい話ではありますが、その分来秋公開される1本が充実した作品になることを祈っています。
何年ぶりかで資格試験受けて来ました。今回受けたのは「ウィスキーエキスパート」、名前の通りウィスキーのプロフェッショナルになる為の最初の関門のような試験です。取れれば今持っている「ソムリエ」と合わせて洋酒関係をある程度専門的にカバー出来る様になります。春頃に職場で受験を勧められ、気軽に「YES」と答えてしまったのが運の尽き。まさか年間で1、2を争うほど仕事がピーキーな時に実施される試験だと思わずここ数週間はかなりキツい時間過ごしてました。
この苦労が報われると良いのですが。
こんばんは、小島@監督です。
ようやく解放されたからしばらく楽したいところですが仕事が減ったワケではないので全然気が休まらない(苦笑)
さて、そんなような理由でここ数週間映画館で鑑賞できていないので今回は自宅で観た中からご紹介。今回の映画は「Mank/マンク」です。
1940年、交通事故で骨折し静養していた脚本家・ハーマン・J・マンキウィッツ(ゲイリー・オールドマン)通称「マンク」の元に映画会社RKOより若き天才オーソン・ウェルズ(トム・バーク)を主演にした映画の執筆依頼が舞い込んでくる。
与えられた時間は60日。郊外の一軒家に缶詰めにされ、アルコール依存症に苦しみながら構想を練るマンクの脳裏に浮かんだのはハリウッドで絶大な権力を誇っていた新聞王ウィリアム・ランドルフ・ハースト(チャールズ・ダンス)とその愛人マリオン・デイヴィス(アマンダ・サイフレッド)のことであった。ハーストはマリオンを売り出すためにわざわざ映画会社を設立してまで大々的にプロモーションを行ったがその評価は惨憺たるものだったのだ。2人と親交のあるマンクは彼らとの友誼を交わした日々を思い出しながら執筆に当たる。
しかしマンクにはそれ以上に構想の動機となる事件があった。それは1934年カリフォルニア州知事選挙で起こった…
今夏から遂にNetflixを導入しましたがAmazonプライム以上のオリジナルコンテンツの量に目を見張ります。しばらくは勉強のBGVとしても邪魔しない(※個人の見解です)B級のホラーやアクションなどを楽しんでいましたが、そういえば去年の公開時に観れずじまいだった「Mank/マンク」が独占配信だわと思い出しました。
1941年に製作された、映画史上に残る傑作と言われる「市民ケーン」、そのシナリオを手掛けた脚本家ハーマン・J・マンキウィッツを主人公に傑作が完成に至るまでの舞台裏を虚実ないまぜにして描き出した一本です。監督は「セブン」「ソーシャル・ネットワーク」などで知られるデヴィッド・フィンチャー。2003年に没した彼の父である脚本家ジャック・フィンチャーが1990年代に書き上げながら映像化に至らなかった遺稿を完成させた作品です。
「市民ケーン」の物語をかいつまんで話すと、オーソン・ウェルズ演じる孤独な新聞王ケーンが死の間際に「Rose bud(薔薇のつぼみ)」という謎めいた言葉を残すところから始まります。ケーンの生涯を綴るニュース映画を作ろうとした記者トンプソンは愛人のスーザンなどケーンの関係者を取材して回りますが誰も「Rose bud」が何を意味する者なのかは分からない。実は「Rose bud」が指し示すものはケーンの子供時代の思い出の品、より正確には大人になってから買ったまがい物。望むものすべてを手に入れたはずの大富豪は、実は全てをまがい物で満たすしかなかった孤独の中で果てたのだ、という寓話です。
時系列が度々前後する物語構成や、パンフォーカス(被写界深度を深くすることで近くの物から遠くのものまでピントが合っているようにする撮影手法)や穴を開けた床にカメラを構えて撮影された極端なローアングルなど当時としては斬新な手法が数多く盛り込まれ、後の作品に多大な影響を及ぼしました。
しかしこの作品が自身をモデルにしたものだと知ったウィリアム・ランドルフ・ハーストは上映に対する妨害工作を行い、その圧力によって上映館数は減らされ批評家たちの評価は高い一方で興行は失敗に終わり、アカデミー賞では9部門にノミネートされるも受賞したのは脚本賞のみ。授賞式では作品名が読み上げられる度にブーイングが起こったと聞きます。この映画に作品賞を与えなかったことは後に「アカデミー賞最大の汚点」とまで言われています。
「Mank/マンク」はそんな「市民ケーン」同様に1940年を「現在」として度々過去を回想しつつマンクがいかに「市民ケーン」を書き上げたかを辿っていきます。作中重要な事件として描かれているのが1934年のカリフォルニア州知事選。当時のルーズベルト大統領が推進したニューディール政策を推す民主党候補アプトン・シンクレアに反発するハリウッドの権力者たちはこぞって対立候補である共和党のフランク・メリアムを応援し大々的な反シンクレアのキャンペーンを展開しました。その中には俳優を使って有権者の声を捏造したいわゆる「フェイクニュース」まで作られていた、というのです。この、約90年前の時代を描きながら現代をも風刺しているところがポイント。更に言えばこの映画のシナリオが書かれたのが先述の通り1990年代なので本質は時代が変わってもまるで変わらないのね、とシニカルな気持ちになります。
敢えてモノクロの映像でレトロ感を出しつつデヴィッド・フィンチャー作品らしい捻りを利かせた非常にスリリングな歴史劇ですが、この映画の難点を挙げるならば「とにかく異様に情報量が多い」点に尽きるでしょう。「市民ケーン」を観ておいた方が良いのはもちろんですが、ある程度映画史と現代アメリカ史を知っておかないと次々入れ替わる登場人物を把握できないままに置いてきぼりを食らってしまうに違いありません。観客にかなりの素養を求める類の作品なのであまり強くお薦めもできませんが、逆に言えばこの分野に興味がある人にはこれほど楽しめる作品もそうはないはず。我こそはと思う人は是非挑戦して欲しい一本ですね。
この苦労が報われると良いのですが。
こんばんは、小島@監督です。
ようやく解放されたからしばらく楽したいところですが仕事が減ったワケではないので全然気が休まらない(苦笑)
さて、そんなような理由でここ数週間映画館で鑑賞できていないので今回は自宅で観た中からご紹介。今回の映画は「Mank/マンク」です。
1940年、交通事故で骨折し静養していた脚本家・ハーマン・J・マンキウィッツ(ゲイリー・オールドマン)通称「マンク」の元に映画会社RKOより若き天才オーソン・ウェルズ(トム・バーク)を主演にした映画の執筆依頼が舞い込んでくる。
与えられた時間は60日。郊外の一軒家に缶詰めにされ、アルコール依存症に苦しみながら構想を練るマンクの脳裏に浮かんだのはハリウッドで絶大な権力を誇っていた新聞王ウィリアム・ランドルフ・ハースト(チャールズ・ダンス)とその愛人マリオン・デイヴィス(アマンダ・サイフレッド)のことであった。ハーストはマリオンを売り出すためにわざわざ映画会社を設立してまで大々的にプロモーションを行ったがその評価は惨憺たるものだったのだ。2人と親交のあるマンクは彼らとの友誼を交わした日々を思い出しながら執筆に当たる。
しかしマンクにはそれ以上に構想の動機となる事件があった。それは1934年カリフォルニア州知事選挙で起こった…
今夏から遂にNetflixを導入しましたがAmazonプライム以上のオリジナルコンテンツの量に目を見張ります。しばらくは勉強のBGVとしても邪魔しない(※個人の見解です)B級のホラーやアクションなどを楽しんでいましたが、そういえば去年の公開時に観れずじまいだった「Mank/マンク」が独占配信だわと思い出しました。
1941年に製作された、映画史上に残る傑作と言われる「市民ケーン」、そのシナリオを手掛けた脚本家ハーマン・J・マンキウィッツを主人公に傑作が完成に至るまでの舞台裏を虚実ないまぜにして描き出した一本です。監督は「セブン」「ソーシャル・ネットワーク」などで知られるデヴィッド・フィンチャー。2003年に没した彼の父である脚本家ジャック・フィンチャーが1990年代に書き上げながら映像化に至らなかった遺稿を完成させた作品です。
「市民ケーン」の物語をかいつまんで話すと、オーソン・ウェルズ演じる孤独な新聞王ケーンが死の間際に「Rose bud(薔薇のつぼみ)」という謎めいた言葉を残すところから始まります。ケーンの生涯を綴るニュース映画を作ろうとした記者トンプソンは愛人のスーザンなどケーンの関係者を取材して回りますが誰も「Rose bud」が何を意味する者なのかは分からない。実は「Rose bud」が指し示すものはケーンの子供時代の思い出の品、より正確には大人になってから買ったまがい物。望むものすべてを手に入れたはずの大富豪は、実は全てをまがい物で満たすしかなかった孤独の中で果てたのだ、という寓話です。
時系列が度々前後する物語構成や、パンフォーカス(被写界深度を深くすることで近くの物から遠くのものまでピントが合っているようにする撮影手法)や穴を開けた床にカメラを構えて撮影された極端なローアングルなど当時としては斬新な手法が数多く盛り込まれ、後の作品に多大な影響を及ぼしました。
しかしこの作品が自身をモデルにしたものだと知ったウィリアム・ランドルフ・ハーストは上映に対する妨害工作を行い、その圧力によって上映館数は減らされ批評家たちの評価は高い一方で興行は失敗に終わり、アカデミー賞では9部門にノミネートされるも受賞したのは脚本賞のみ。授賞式では作品名が読み上げられる度にブーイングが起こったと聞きます。この映画に作品賞を与えなかったことは後に「アカデミー賞最大の汚点」とまで言われています。
「Mank/マンク」はそんな「市民ケーン」同様に1940年を「現在」として度々過去を回想しつつマンクがいかに「市民ケーン」を書き上げたかを辿っていきます。作中重要な事件として描かれているのが1934年のカリフォルニア州知事選。当時のルーズベルト大統領が推進したニューディール政策を推す民主党候補アプトン・シンクレアに反発するハリウッドの権力者たちはこぞって対立候補である共和党のフランク・メリアムを応援し大々的な反シンクレアのキャンペーンを展開しました。その中には俳優を使って有権者の声を捏造したいわゆる「フェイクニュース」まで作られていた、というのです。この、約90年前の時代を描きながら現代をも風刺しているところがポイント。更に言えばこの映画のシナリオが書かれたのが先述の通り1990年代なので本質は時代が変わってもまるで変わらないのね、とシニカルな気持ちになります。
敢えてモノクロの映像でレトロ感を出しつつデヴィッド・フィンチャー作品らしい捻りを利かせた非常にスリリングな歴史劇ですが、この映画の難点を挙げるならば「とにかく異様に情報量が多い」点に尽きるでしょう。「市民ケーン」を観ておいた方が良いのはもちろんですが、ある程度映画史と現代アメリカ史を知っておかないと次々入れ替わる登場人物を把握できないままに置いてきぼりを食らってしまうに違いありません。観客にかなりの素養を求める類の作品なのであまり強くお薦めもできませんが、逆に言えばこの分野に興味がある人にはこれほど楽しめる作品もそうはないはず。我こそはと思う人は是非挑戦して欲しい一本ですね。
10月入っても冷房が必要なくらい暑い日が続いたと思ったら急転直下で寒さがやってきて慌てて衣替えを実行。いやマジで秋どこ?ってくらいの感じですね。油断すると風邪を引いてしまいそう。
こんばんは、小島@監督です。
このまま冬に突入するんじゃなくて、もうちょっとこう秋を堪能させていただけまいか。
さて、今回の映画は「キャッシュトラック」です。
ロサンゼルスにある現金輸送専門の警備会社。日々現金輸送車を運転、警護するため厳しい試験を潜り抜けた腕に覚えのある者たちが働いている。そこにパトリック・ヒル(ジェイソン・ステイサム)、通称「H」と呼ばれる男が雇われた。試験をギリギリで辛うじて合格した程度だったため当初は周囲から特に気に留められる存在でもなかったが、彼の乗る輸送車が襲撃に遭った時、高い戦闘力で襲撃犯を制圧し同僚を驚かせた。更に別の日にはHの姿を見ただけで襲撃犯は怯え逃げ出すことまで起こった。「Hは何者なのか?」、周囲が疑心暗鬼に陥る中、全米で最も現金が動く日「ブラック・フライデー」が迫る。その売上金を狙い、水面下で強奪計画を進行させている者たちがいた…
「シャーロック・ホームズ」(2009年)や「アラジン」(2019年)など大作を製作する一方で「ジェントルメン」(2019年)などインディペンデント映画も手掛ける映画監督ガイ・リッチー。そんな彼のフィルモグラフィーの初期に度々タッグを組んでいた俳優がいます。それがジェイソン・ステイサム。「エクスペンダブルズ」や「ワイルド・スピード」などを例に取らずとも、今や押しも押されもせぬ一線級のアクションスターです。実はガイ・リッチーの長編デビュー作である「ロック、ストック&トゥー・スモーキング・バレルズ」(1998年)はジェイソン・ステイサムのスクリーンデビュー作でもあります。今作「キャッシュトラック」で2005年製作の「リボルバー」以来16年ぶりに2人が組んでクライム・アクションが製作されました。
この映画の原典となるのは2004年にフランスで製作されたノワール映画「ブルーレクイエム」。原典では主人公は銀行員でしたが、今作では大胆にアレンジされています。ガイ・リッチー監督が手掛けた映画はハリウッド大作と言えどもどこかストリート的な感覚が盛り込まれているのが特徴です。頭脳明晰な一方で地下ファイトにも顔を出す武闘派だった「シャーロック・ホームズ」、「アラジン」では猥雑な都市の一角でコソ泥として生きる姿を活写したり、それは今作「キャッシュトラック」でも発揮され、洗練されていない猥雑な空気感が漂っています。
映画はオープニングのあと、それぞれにタイトルを付された4章構成で展開します。章が進むごとにオープニングで描かれた現金輸送車襲撃事件の別の輪郭が見え、また主人公Hを始めとした登場人物の思惑も浮かび上がってくるという形になっています。章が変わるにつれ時制も前後するのが曲者ですが、その独特な語り口にも慣れた終盤に展開する襲撃シーンでは頻繁に過去と現在を交互させ緊張感を生む相乗効果をもたらしています。
ガイ・リッチー監督は今作の脚本を執筆するにあたり最初からジェイソン・ステイサムに演じてもらうつもりで当て書きしたとインタビューで語っており、共にキャリアも年も重ねながら気心の知れた2人が息の合ったコンビを見せるいぶし銀の逸品。長かった自粛期間を取り戻そうと秋口にしては珍しいくらいに大作映画がひしめき合っている中ではどうしても地味な印象が拭えず脇に追いやられ気味ではありますがインディペンデント映画ならではの味わいが光る作品です。
ちょっと一癖ある映画を楽しみたい時には是非どうぞ。
こんばんは、小島@監督です。
このまま冬に突入するんじゃなくて、もうちょっとこう秋を堪能させていただけまいか。
さて、今回の映画は「キャッシュトラック」です。
ロサンゼルスにある現金輸送専門の警備会社。日々現金輸送車を運転、警護するため厳しい試験を潜り抜けた腕に覚えのある者たちが働いている。そこにパトリック・ヒル(ジェイソン・ステイサム)、通称「H」と呼ばれる男が雇われた。試験をギリギリで辛うじて合格した程度だったため当初は周囲から特に気に留められる存在でもなかったが、彼の乗る輸送車が襲撃に遭った時、高い戦闘力で襲撃犯を制圧し同僚を驚かせた。更に別の日にはHの姿を見ただけで襲撃犯は怯え逃げ出すことまで起こった。「Hは何者なのか?」、周囲が疑心暗鬼に陥る中、全米で最も現金が動く日「ブラック・フライデー」が迫る。その売上金を狙い、水面下で強奪計画を進行させている者たちがいた…
「シャーロック・ホームズ」(2009年)や「アラジン」(2019年)など大作を製作する一方で「ジェントルメン」(2019年)などインディペンデント映画も手掛ける映画監督ガイ・リッチー。そんな彼のフィルモグラフィーの初期に度々タッグを組んでいた俳優がいます。それがジェイソン・ステイサム。「エクスペンダブルズ」や「ワイルド・スピード」などを例に取らずとも、今や押しも押されもせぬ一線級のアクションスターです。実はガイ・リッチーの長編デビュー作である「ロック、ストック&トゥー・スモーキング・バレルズ」(1998年)はジェイソン・ステイサムのスクリーンデビュー作でもあります。今作「キャッシュトラック」で2005年製作の「リボルバー」以来16年ぶりに2人が組んでクライム・アクションが製作されました。
この映画の原典となるのは2004年にフランスで製作されたノワール映画「ブルーレクイエム」。原典では主人公は銀行員でしたが、今作では大胆にアレンジされています。ガイ・リッチー監督が手掛けた映画はハリウッド大作と言えどもどこかストリート的な感覚が盛り込まれているのが特徴です。頭脳明晰な一方で地下ファイトにも顔を出す武闘派だった「シャーロック・ホームズ」、「アラジン」では猥雑な都市の一角でコソ泥として生きる姿を活写したり、それは今作「キャッシュトラック」でも発揮され、洗練されていない猥雑な空気感が漂っています。
映画はオープニングのあと、それぞれにタイトルを付された4章構成で展開します。章が進むごとにオープニングで描かれた現金輸送車襲撃事件の別の輪郭が見え、また主人公Hを始めとした登場人物の思惑も浮かび上がってくるという形になっています。章が変わるにつれ時制も前後するのが曲者ですが、その独特な語り口にも慣れた終盤に展開する襲撃シーンでは頻繁に過去と現在を交互させ緊張感を生む相乗効果をもたらしています。
ガイ・リッチー監督は今作の脚本を執筆するにあたり最初からジェイソン・ステイサムに演じてもらうつもりで当て書きしたとインタビューで語っており、共にキャリアも年も重ねながら気心の知れた2人が息の合ったコンビを見せるいぶし銀の逸品。長かった自粛期間を取り戻そうと秋口にしては珍しいくらいに大作映画がひしめき合っている中ではどうしても地味な印象が拭えず脇に追いやられ気味ではありますがインディペンデント映画ならではの味わいが光る作品です。
ちょっと一癖ある映画を楽しみたい時には是非どうぞ。
コロナ禍で歌会が休止になってこっちカラオケからだいぶ遠ざかってしまっていたのですが、昨日久しぶりに歌ってきました。いや~思った以上に歌唱力落ちててびっくりしました(苦笑)喋ると歌うでは使う筋肉って結構違うというか、月一ペースだったとしてもお腹から声出す時間作ってたのは割と大きかったのねと実感します。
こんばんは、小島@監督です。
ちょっと状況も落ち着いてきたし、また気軽にカラオケできるようになると良いなぁ。
さて、今回の映画は「007/ノー・タイム・トゥ・ダイ」です。
スペクターとの死闘の後、ジェームズ・ボンド(ダニエル・クレイグ)はマドレーヌ・スワン(レア・セドゥ)と共にイタリアを訪れていた。かつて愛した女性・ヴェスパーの墓参りに来たボンドは、そこでスペクターの残党たちの襲撃を受ける。どうにか敵を退けることに成功したもののマドレーヌの関与を疑ったボンドは彼女を信じられなくなり、2人は別れてしまった。
それから5年後、MI6を退官したボンドはジャマイカで隠棲していた。
ある時、ボンドの元を旧友であり元CIAエージェントのフェリックス・ライター(ジェフリー・ライト)が訪ねてくる。フェリックスはボンドにロンドンでスペクターに誘拐された細菌学者オブルチェフ(デヴィッド・デンシック)の救出を依頼するのだった。
散々待たせやがって…!と言いたくなるくらい度重なる延期を乗り越え遂に007の新作が公開されました。そして15年間ジェームズ・ボンドを演じ続けたダニエル・クレイグの卒業となる作品です。
半世紀以上に渡り続く「007」シリーズは、主人公ジェームズ・ボンドを誰が演じたかで作品の雰囲気を変えつつも骨格の部分では同じスタイルを貫いて作を重ねてきました。ですが6代目となるダニエル・クレイグが演じるに至り、「007」はその基本骨子を踏襲しながらもよりダイナミックかつエモーショナルに「ジェームズ・ボンド」というキャラクターを掘り下げて来るようになりました。何より5作品を通し物語に連続性を持たせたことが大きいです。「カジノ・ロワイヤル」(2006年)ではジェームズ・ボンドは00ナンバーを与えられたばかりの新米エージェントに過ぎず、まだ青臭さを残していました。続く「慰めの報酬」(2009年)では前作のラストシーン直後から始まる文字通りの続編であり、前作で為しえなかった復讐を遂げる物語でもありました。そして「スカイフォール」(2012年)では通過儀礼とも言うべきある事件を以て遂に1人前のエージェントに足る存在となったボンドは「スペクター」(2015年)でようやくこれまでのシリーズのようなワールドワイドなスケールと荒唐無稽さと共に宿敵となる存在と死闘を繰り広げます。
そしてこれまでの4作を受けてダニエル・クレイグ・ボンドの最終作となる「ノー・タイム・トゥ・ダイ」ではこれまでの成長譚の総決算を行い万感込み上げる中で驚くような場所に物語が着地します。
ボンド同様、物語の主線上にいるのが前作から引き続いてヒロインとなるマドレーヌ。今作のヴィランであるサフィン(ラミ・マレック)がボンドよりもむしろマドレーヌの方に因縁を宿したキャラクターとして登場し、そこにボンドとマドレーヌの因縁、更に前作でボンドの手により捕えられ獄中生活を送るブロフェルド(クリストフ・ヴァルツ)が絡んでくるなかなか複雑な構図をしています。それにより特に前半はかなり先読みのできない展開を見せてきます。しかも面白いことにその前半で一番目立つのはこの4人ではなく別の人物。ボンドをサポートすべくフェリックスが派遣した新人エージェント・パロマ(アナ・デ・アルマス)です。「007」の王道を行くようなセクシーなドレスで登場し、新人だからとイマイチ頼りなさげに見えていざ戦闘になったら尋常じゃなく強いというそのギャップが萌える。しかもやる事やりきったら颯爽と去っていきそのまま全く登場しなくなる潔さ。思いがけない牽引力を秘めたキャラクターが前半を彩ります。
ただ勿体無いなと思うのは、MI6を退官したボンドの前に新たな00エージェント・ノーミ(ラシャーナ・リンチ)が現れたり、もう一人かなり意外な人物が登場したりするのですが、それが終盤のクライマックスでどことなく持て余し気味になっているように見受けられるところです。全部が上手く噛み合えばクライマックスの感動は二乗にも三乗にもなったかもしれませんが、そうはならずどこか段取り優先に見えてしまうので少しもどかしく感じます。ついでにいうとこの終盤はロケーションと空間設計とアクションの構成も奇妙に噛み合わないので正直ちょっと弾みが足りません。
それでも物語の最後の着地点はダニエル・クレイグが演じたジェームズ・ボンドのまさに有終の美とも言えるでしょう。その区切りの見事さと共に作中で描かれた「多様性」への萌芽は「007」というシリーズの今後の可能性を予感させます。時代が移り行く中で変わりゆくものと変えないもの、変えてはいけないものとどうバランスを取っていくのか。「007」が見せる未来が楽しみです。
こんばんは、小島@監督です。
ちょっと状況も落ち着いてきたし、また気軽にカラオケできるようになると良いなぁ。
さて、今回の映画は「007/ノー・タイム・トゥ・ダイ」です。
スペクターとの死闘の後、ジェームズ・ボンド(ダニエル・クレイグ)はマドレーヌ・スワン(レア・セドゥ)と共にイタリアを訪れていた。かつて愛した女性・ヴェスパーの墓参りに来たボンドは、そこでスペクターの残党たちの襲撃を受ける。どうにか敵を退けることに成功したもののマドレーヌの関与を疑ったボンドは彼女を信じられなくなり、2人は別れてしまった。
それから5年後、MI6を退官したボンドはジャマイカで隠棲していた。
ある時、ボンドの元を旧友であり元CIAエージェントのフェリックス・ライター(ジェフリー・ライト)が訪ねてくる。フェリックスはボンドにロンドンでスペクターに誘拐された細菌学者オブルチェフ(デヴィッド・デンシック)の救出を依頼するのだった。
散々待たせやがって…!と言いたくなるくらい度重なる延期を乗り越え遂に007の新作が公開されました。そして15年間ジェームズ・ボンドを演じ続けたダニエル・クレイグの卒業となる作品です。
半世紀以上に渡り続く「007」シリーズは、主人公ジェームズ・ボンドを誰が演じたかで作品の雰囲気を変えつつも骨格の部分では同じスタイルを貫いて作を重ねてきました。ですが6代目となるダニエル・クレイグが演じるに至り、「007」はその基本骨子を踏襲しながらもよりダイナミックかつエモーショナルに「ジェームズ・ボンド」というキャラクターを掘り下げて来るようになりました。何より5作品を通し物語に連続性を持たせたことが大きいです。「カジノ・ロワイヤル」(2006年)ではジェームズ・ボンドは00ナンバーを与えられたばかりの新米エージェントに過ぎず、まだ青臭さを残していました。続く「慰めの報酬」(2009年)では前作のラストシーン直後から始まる文字通りの続編であり、前作で為しえなかった復讐を遂げる物語でもありました。そして「スカイフォール」(2012年)では通過儀礼とも言うべきある事件を以て遂に1人前のエージェントに足る存在となったボンドは「スペクター」(2015年)でようやくこれまでのシリーズのようなワールドワイドなスケールと荒唐無稽さと共に宿敵となる存在と死闘を繰り広げます。
そしてこれまでの4作を受けてダニエル・クレイグ・ボンドの最終作となる「ノー・タイム・トゥ・ダイ」ではこれまでの成長譚の総決算を行い万感込み上げる中で驚くような場所に物語が着地します。
ボンド同様、物語の主線上にいるのが前作から引き続いてヒロインとなるマドレーヌ。今作のヴィランであるサフィン(ラミ・マレック)がボンドよりもむしろマドレーヌの方に因縁を宿したキャラクターとして登場し、そこにボンドとマドレーヌの因縁、更に前作でボンドの手により捕えられ獄中生活を送るブロフェルド(クリストフ・ヴァルツ)が絡んでくるなかなか複雑な構図をしています。それにより特に前半はかなり先読みのできない展開を見せてきます。しかも面白いことにその前半で一番目立つのはこの4人ではなく別の人物。ボンドをサポートすべくフェリックスが派遣した新人エージェント・パロマ(アナ・デ・アルマス)です。「007」の王道を行くようなセクシーなドレスで登場し、新人だからとイマイチ頼りなさげに見えていざ戦闘になったら尋常じゃなく強いというそのギャップが萌える。しかもやる事やりきったら颯爽と去っていきそのまま全く登場しなくなる潔さ。思いがけない牽引力を秘めたキャラクターが前半を彩ります。
ただ勿体無いなと思うのは、MI6を退官したボンドの前に新たな00エージェント・ノーミ(ラシャーナ・リンチ)が現れたり、もう一人かなり意外な人物が登場したりするのですが、それが終盤のクライマックスでどことなく持て余し気味になっているように見受けられるところです。全部が上手く噛み合えばクライマックスの感動は二乗にも三乗にもなったかもしれませんが、そうはならずどこか段取り優先に見えてしまうので少しもどかしく感じます。ついでにいうとこの終盤はロケーションと空間設計とアクションの構成も奇妙に噛み合わないので正直ちょっと弾みが足りません。
それでも物語の最後の着地点はダニエル・クレイグが演じたジェームズ・ボンドのまさに有終の美とも言えるでしょう。その区切りの見事さと共に作中で描かれた「多様性」への萌芽は「007」というシリーズの今後の可能性を予感させます。時代が移り行く中で変わりゆくものと変えないもの、変えてはいけないものとどうバランスを取っていくのか。「007」が見せる未来が楽しみです。
先週ハイルさんのブログでも触れられていましたが、作曲家のすぎやまこういちさんの訃報が先日流れました。
何より「ドラゴンクエスト」が金字塔で、ゲームミュージックの新たな地平を拓いた方と言っても過言ではないでしょう。それ以外でも「伝説巨神イデオン」「サイボーグ009」「帰ってきたウルトラマン」などのアニメ・特撮番組の劇判や主題歌、映画「ゴジラVSビオランテ」のBGM、「アイドルマスター」でもカバーされたこともある「亜麻色の髪の乙女」など特に1960年代後半に隆盛したグループ・サウンズ系への楽曲提供や東京競馬場で使用されるファンファーレ、更には議員への応援曲の提供などその活躍は実に多岐に渡りました。
また右派の論客としても精力的に活動を行い、意見広告などを出したりしていたのでゲームミュージックに馴染みの薄い方の中にはこちらの方で印象の強い方もいらっしゃるのではないでしょうか。
時期はまだ発表されていませんが発売を控えている「ドラゴンクエストⅫ」が遺作となるようですね。
こんばんは、小島@監督です。
謹んでお悔やみ申し上げます。今はちょっといろいろ忙しいので何ですが、落ち着いたら久しぶりにドラクエをプレイしようかな。
さて、今回の映画は「レミニセンス」です。
地球温暖化による海面上昇が深刻化し、世界各地の沿岸都市が海に沈みつつある近未来。ニック・バニスター(ヒュー・ジャックマン)は相棒のワッツ(タンディ・ニュートン)と共に「記憶潜入(レミニセンス)エージェント」として心に傷を抱えた顧客に過去の思い出を追体験させるサービスを提供していた。
ある日、その日の営業を終了しようとしていたニックの前に一人の女性が駆け込んでくる。メイ(レベッカ・ファーガソン)と名乗る女性は「失くした家の鍵を探して欲しい」とニックに仕事を依頼する。ニックはメイの謎めいた佇まいに強く惹かれ、やがて二人は恋人同士となるが、ある時突然メイはニックの前から姿を消してしまった…
「ダークナイト」や「インターステラー」で兄クリストファー・ノーランと共に共同で脚本を執筆したジョナサン・ノーラン、そしてそのジョナサン・ノーランと共にSFドラマ「ウエストワールド」を手掛けるリサ・ジョイ、そのタッグによる「記憶」をテーマにしたSFサスペンスです。
海面上昇と共に減りゆく土地を巡って世界各地で紛争が起き、その戦争にも疲れ果てた人々が諦めにも似た感傷と共にかつての幸せな記憶に救いを求める、という世界観の中である日突然消えた女性の行方を追い求め、同時に彼女が関わっているかもしれない事件に巻き込まれていく男の姿が描かれます。
「記憶潜入装置」というガジェットとその見せ方、少しずつ海に侵食されゆく中で麻薬と犯罪が跳梁する都市、画面全体で醸し出され全編を貫く澱むような頽廃的な空気感が絶品の1本です。ヒュー・ジャックマンの渋いモノローグと共に見せる水没都市のビジュアルイメージに酔わされたら後は物語の波に身を任せればいい逸品です。少々トリッキーに見えますが、大掛かりに観客を騙しにかかるというよりは主人公ニックの心情描写をより掘り下げるために使っているのが特徴で、水没都市というビジュアルも非常に抒情的に使われています。作中にギリシャ神話のオルフェウスのエピソードが象徴的に語られているのもまたその抒情性に一役買っていますね。
ユニークな舞台設定をしている一方で、語り口はとてもエモーショナル。また「ファム・ファタール(運命の女)」を追い事件に飛び込む男、という構図はレイモンド・チャンドラーやウィリアム・アイリッシュのようなオールディーズのハードボイルド小説そのもので、一見先鋭的に思わせて実はかなりクラシックです。言い方を変えれば古風で落ち着いた語り口をしており、予告編ではトリッキーかつスタイリッシュなSFサスペンスの様な雰囲気でしたがこの辺り少々予告編詐欺感がありますね(苦笑)
監督を担ったリサ・ジョイはドラマ製作では実績があるものの長編映画はこれが初めてだとか。既に円熟の領域に達している手腕で、今後どんな作品を発表してくるのか楽しみな人が登場しました。
モダンとクラシックが同居したかのような、それでいて思いのほかウェットなところに着地するフィルムノワール。「記憶」というものの甘さと苦さを見事に描き上げた一本です。腰を落ち着けて映画を1本楽しみたい向きにはぴったり。諦観に彩られ、郷愁に人々が身を委ねる街で男が最後にどんな決断を下すのか。どうぞスクリーンで確かめてみてください。
何より「ドラゴンクエスト」が金字塔で、ゲームミュージックの新たな地平を拓いた方と言っても過言ではないでしょう。それ以外でも「伝説巨神イデオン」「サイボーグ009」「帰ってきたウルトラマン」などのアニメ・特撮番組の劇判や主題歌、映画「ゴジラVSビオランテ」のBGM、「アイドルマスター」でもカバーされたこともある「亜麻色の髪の乙女」など特に1960年代後半に隆盛したグループ・サウンズ系への楽曲提供や東京競馬場で使用されるファンファーレ、更には議員への応援曲の提供などその活躍は実に多岐に渡りました。
また右派の論客としても精力的に活動を行い、意見広告などを出したりしていたのでゲームミュージックに馴染みの薄い方の中にはこちらの方で印象の強い方もいらっしゃるのではないでしょうか。
時期はまだ発表されていませんが発売を控えている「ドラゴンクエストⅫ」が遺作となるようですね。
こんばんは、小島@監督です。
謹んでお悔やみ申し上げます。今はちょっといろいろ忙しいので何ですが、落ち着いたら久しぶりにドラクエをプレイしようかな。
さて、今回の映画は「レミニセンス」です。
地球温暖化による海面上昇が深刻化し、世界各地の沿岸都市が海に沈みつつある近未来。ニック・バニスター(ヒュー・ジャックマン)は相棒のワッツ(タンディ・ニュートン)と共に「記憶潜入(レミニセンス)エージェント」として心に傷を抱えた顧客に過去の思い出を追体験させるサービスを提供していた。
ある日、その日の営業を終了しようとしていたニックの前に一人の女性が駆け込んでくる。メイ(レベッカ・ファーガソン)と名乗る女性は「失くした家の鍵を探して欲しい」とニックに仕事を依頼する。ニックはメイの謎めいた佇まいに強く惹かれ、やがて二人は恋人同士となるが、ある時突然メイはニックの前から姿を消してしまった…
「ダークナイト」や「インターステラー」で兄クリストファー・ノーランと共に共同で脚本を執筆したジョナサン・ノーラン、そしてそのジョナサン・ノーランと共にSFドラマ「ウエストワールド」を手掛けるリサ・ジョイ、そのタッグによる「記憶」をテーマにしたSFサスペンスです。
海面上昇と共に減りゆく土地を巡って世界各地で紛争が起き、その戦争にも疲れ果てた人々が諦めにも似た感傷と共にかつての幸せな記憶に救いを求める、という世界観の中である日突然消えた女性の行方を追い求め、同時に彼女が関わっているかもしれない事件に巻き込まれていく男の姿が描かれます。
「記憶潜入装置」というガジェットとその見せ方、少しずつ海に侵食されゆく中で麻薬と犯罪が跳梁する都市、画面全体で醸し出され全編を貫く澱むような頽廃的な空気感が絶品の1本です。ヒュー・ジャックマンの渋いモノローグと共に見せる水没都市のビジュアルイメージに酔わされたら後は物語の波に身を任せればいい逸品です。少々トリッキーに見えますが、大掛かりに観客を騙しにかかるというよりは主人公ニックの心情描写をより掘り下げるために使っているのが特徴で、水没都市というビジュアルも非常に抒情的に使われています。作中にギリシャ神話のオルフェウスのエピソードが象徴的に語られているのもまたその抒情性に一役買っていますね。
ユニークな舞台設定をしている一方で、語り口はとてもエモーショナル。また「ファム・ファタール(運命の女)」を追い事件に飛び込む男、という構図はレイモンド・チャンドラーやウィリアム・アイリッシュのようなオールディーズのハードボイルド小説そのもので、一見先鋭的に思わせて実はかなりクラシックです。言い方を変えれば古風で落ち着いた語り口をしており、予告編ではトリッキーかつスタイリッシュなSFサスペンスの様な雰囲気でしたがこの辺り少々予告編詐欺感がありますね(苦笑)
監督を担ったリサ・ジョイはドラマ製作では実績があるものの長編映画はこれが初めてだとか。既に円熟の領域に達している手腕で、今後どんな作品を発表してくるのか楽しみな人が登場しました。
モダンとクラシックが同居したかのような、それでいて思いのほかウェットなところに着地するフィルムノワール。「記憶」というものの甘さと苦さを見事に描き上げた一本です。腰を落ち着けて映画を1本楽しみたい向きにはぴったり。諦観に彩られ、郷愁に人々が身を委ねる街で男が最後にどんな決断を下すのか。どうぞスクリーンで確かめてみてください。
昨日開催された「THE IDOLM@STER CINDERELLA GIRLS 10th ANNIVERSARY M@GICAL WONDERLAND TOUR!!! MerryMaerchen Land」Day2を配信にて鑑賞。シンデレラガールズ10周年を記念するライブツアー、本来なら先月開催予定だった愛知公演が皮切りとなるはずでしたが延期となり、この福岡公演が最初のステージとなりました。
ソロ曲を重点にしつつ、ユニット曲では敢えてCDでのオリジナルメンバーを完全に排しての歌唱を行ったり、固定されたイメージを逆手に取った遊び心満載のステージでした。シンデレラガールズでも増えてきたハロウィンの楽曲を随所に配して季節感が前に出てきているのも楽しいところでした。
…というところは良いのですが、トラブルがあったらしくライブ終盤にサーバーダウン。配信が20~30分全く観られない状況に。クライマックスでお預けを食らうと感情の持って行き場が無くなります。アーカイブ配信で確認すれば良いことではあるのですが、リアルタイムで観られないのは痛手でした。
こんばんは、小島@監督です。
コロナ禍を受けて配信ライブも充実してきましたが、やはり現地が最強であるということを突きつけられましたね。来月の幕張公演はどうにか現地勢したいぜ。
さて、今回の映画は「シャン・チー テン・リングスの伝説」です。
アベンジャーズ達がサノスを下して後の世界。サンフランシスコのホテルで駐車場係をしている青年・ショーン(シム・リウ)は、友人のケイティ(オークワフィナ)とバスに乗り込んだところを武装した謎の集団に襲撃される。ショーンは辛くも撃退に成功するが母の形見であったペンダントを奪われてしまう。
ショーンには襲撃者の背後の存在に心当たりがあった。同じペンダントを持つ妹・シャーリン(メンガー・チャン)が次に襲われると確信したショーンは、押しかけてきたケイティと共にマカオへ向かう。その機中でショーンはケイティに自身が幼い頃から暗殺者としての訓練を受けてきたこと、実父ウェンウー(トニー・レオン)が秘密組織「テン・リングス」の長であること、そして本名が「シャン・チー」であることを告げるのだった。
7月公開の「ブラック・ウィドウ」で2年ぶりにスクリーンに帰ってきた「マーベル・シネマティック・ユニバース(MCU)」、「ブラック・ウィドウ」は時系列的に「インフィニティ・ウォー」前の物語であり、いわば番外編やエピローグ的な性格を有していましたが、いよいよ新章の開幕と言った趣です。
その「シャン・チー」、登場人物の大半がアジア系なら作中でのセリフも半分が中国語、というかなりユニークな作りをしています。正直鑑賞中は「アメリカ映画を観ている」ということを半分忘れかけていました。2018年に製作された「ブラックパンサー」がキャスト・スタッフともにアフリカ系が勢揃いしたことは記憶に新しいですが、作中の会話まで非英語が半分を占めるというのはそれよりも更に一歩踏み込んだ印象です。もちろん作中のセリフのほとんどが日本語だったクリント・イーストウッド監督の「硫黄島からの手紙」(2006年)という前例もありますが、「父親たちの星条旗」と対として二部作で製作されたものと、10年以上連綿と続くシリーズの系譜の一つとして登場したというのはまた趣が異なるものがあります。
物語の印象を率直に言えば往年の香港武侠映画です。特に「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・チャイナ」などで知られるツイ・ハーク作品辺りのイメージ。その中に更に例えばそれは「グリーン・デスティニー」(2000年)であったり、「レッド・ブロンクス」(1995年)辺りのジャッキー・チェン作品であったり、あるいはドラゴンボールやポケットモンスターのような日本アニメであったりと言ったイメージが雑多に盛り込まれた印象です。言うなれば「ハリウッドに影響を与えたアジアンカルチャーの集合体」のような作品、と言えばよいでしょうか。そもそも「シャン・チー」というキャラクター自体がブルース・リーがもたらしたカンフーブームをきっかけに誕生したキャラクターだそうで、ある意味でこの作品のテイストも自然の流れというところでしょう。
無論それらがただの劣化コピーではなくリスペクトと共に作品内に昇華されているところが見事です。また、かなり奔放な作りをしていながら、一方で何者でもなかった青年が大いなる力と共に使命と責任に目覚める、という流れはアメコミ映画の王道であり、それらが両立した形で作品世界の中に内包してしまえる「MCU」の懐の深さにも改めて驚かされます。
ほとんど映画出演が無かったのに大抜擢という新鋭シム・リウの演技が輝く一方でトニー・レオン、ミシェル・ヨーというアジアの大ベテランの演技が光るところもポイント。特にアクションもバリバリこなすトニー・レオンの存在感が圧巻です。香港映画を楽しんできた向きにはこの辺りも見どころです。
ところでこの映画、マーベル映画の人気を早くから下支えしてきた日本・韓国・台湾や近年の伸長著しい中国をはじめとするアジア市場へのファンコールに応えたような趣が強いのですが、最近の対立感情が強まりつつある米中関係を象徴してか、中国では未だ許可が下りず上映開始の目途が立っていないのはいささか皮肉が過ぎるというべきでしょうか。
ハリウッド映画を取り巻く情勢も刻々と変化しているなと実感できる作品です。ちょうど新章の幕開けという意味では新たに入りやすい位置づけをしていますし、MCUにこれまで興味をあまり持てなかった人も、トライしてみてはいかがでしょう。
ソロ曲を重点にしつつ、ユニット曲では敢えてCDでのオリジナルメンバーを完全に排しての歌唱を行ったり、固定されたイメージを逆手に取った遊び心満載のステージでした。シンデレラガールズでも増えてきたハロウィンの楽曲を随所に配して季節感が前に出てきているのも楽しいところでした。
…というところは良いのですが、トラブルがあったらしくライブ終盤にサーバーダウン。配信が20~30分全く観られない状況に。クライマックスでお預けを食らうと感情の持って行き場が無くなります。アーカイブ配信で確認すれば良いことではあるのですが、リアルタイムで観られないのは痛手でした。
こんばんは、小島@監督です。
コロナ禍を受けて配信ライブも充実してきましたが、やはり現地が最強であるということを突きつけられましたね。来月の幕張公演はどうにか現地勢したいぜ。
さて、今回の映画は「シャン・チー テン・リングスの伝説」です。
アベンジャーズ達がサノスを下して後の世界。サンフランシスコのホテルで駐車場係をしている青年・ショーン(シム・リウ)は、友人のケイティ(オークワフィナ)とバスに乗り込んだところを武装した謎の集団に襲撃される。ショーンは辛くも撃退に成功するが母の形見であったペンダントを奪われてしまう。
ショーンには襲撃者の背後の存在に心当たりがあった。同じペンダントを持つ妹・シャーリン(メンガー・チャン)が次に襲われると確信したショーンは、押しかけてきたケイティと共にマカオへ向かう。その機中でショーンはケイティに自身が幼い頃から暗殺者としての訓練を受けてきたこと、実父ウェンウー(トニー・レオン)が秘密組織「テン・リングス」の長であること、そして本名が「シャン・チー」であることを告げるのだった。
7月公開の「ブラック・ウィドウ」で2年ぶりにスクリーンに帰ってきた「マーベル・シネマティック・ユニバース(MCU)」、「ブラック・ウィドウ」は時系列的に「インフィニティ・ウォー」前の物語であり、いわば番外編やエピローグ的な性格を有していましたが、いよいよ新章の開幕と言った趣です。
その「シャン・チー」、登場人物の大半がアジア系なら作中でのセリフも半分が中国語、というかなりユニークな作りをしています。正直鑑賞中は「アメリカ映画を観ている」ということを半分忘れかけていました。2018年に製作された「ブラックパンサー」がキャスト・スタッフともにアフリカ系が勢揃いしたことは記憶に新しいですが、作中の会話まで非英語が半分を占めるというのはそれよりも更に一歩踏み込んだ印象です。もちろん作中のセリフのほとんどが日本語だったクリント・イーストウッド監督の「硫黄島からの手紙」(2006年)という前例もありますが、「父親たちの星条旗」と対として二部作で製作されたものと、10年以上連綿と続くシリーズの系譜の一つとして登場したというのはまた趣が異なるものがあります。
物語の印象を率直に言えば往年の香港武侠映画です。特に「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・チャイナ」などで知られるツイ・ハーク作品辺りのイメージ。その中に更に例えばそれは「グリーン・デスティニー」(2000年)であったり、「レッド・ブロンクス」(1995年)辺りのジャッキー・チェン作品であったり、あるいはドラゴンボールやポケットモンスターのような日本アニメであったりと言ったイメージが雑多に盛り込まれた印象です。言うなれば「ハリウッドに影響を与えたアジアンカルチャーの集合体」のような作品、と言えばよいでしょうか。そもそも「シャン・チー」というキャラクター自体がブルース・リーがもたらしたカンフーブームをきっかけに誕生したキャラクターだそうで、ある意味でこの作品のテイストも自然の流れというところでしょう。
無論それらがただの劣化コピーではなくリスペクトと共に作品内に昇華されているところが見事です。また、かなり奔放な作りをしていながら、一方で何者でもなかった青年が大いなる力と共に使命と責任に目覚める、という流れはアメコミ映画の王道であり、それらが両立した形で作品世界の中に内包してしまえる「MCU」の懐の深さにも改めて驚かされます。
ほとんど映画出演が無かったのに大抜擢という新鋭シム・リウの演技が輝く一方でトニー・レオン、ミシェル・ヨーというアジアの大ベテランの演技が光るところもポイント。特にアクションもバリバリこなすトニー・レオンの存在感が圧巻です。香港映画を楽しんできた向きにはこの辺りも見どころです。
ところでこの映画、マーベル映画の人気を早くから下支えしてきた日本・韓国・台湾や近年の伸長著しい中国をはじめとするアジア市場へのファンコールに応えたような趣が強いのですが、最近の対立感情が強まりつつある米中関係を象徴してか、中国では未だ許可が下りず上映開始の目途が立っていないのはいささか皮肉が過ぎるというべきでしょうか。
ハリウッド映画を取り巻く情勢も刻々と変化しているなと実感できる作品です。ちょうど新章の幕開けという意味では新たに入りやすい位置づけをしていますし、MCUにこれまで興味をあまり持てなかった人も、トライしてみてはいかがでしょう。
昨年からの懸案事項の一つだったタブレットの方の機種変更を「iPad mini」の新モデル発売を機にようやく実行に移しました。
先代は何せ6年以上使っていたのでさすがにガタが来始めていたのもあったのですが、新しいiPad mini、ゲームをプレイしてみても動画を再生してみても画質音質が格段に向上してビビります。
こんばんは、小島@監督です。
iPad mini 6、サイズ感も丁度良くて色々使いでがありそう。
さて、先日「辻凪子・大森くみこ ジャムの月世界活弁旅行」というイベントに行ってきました。サイレント映画を弁士の活弁付きで楽しもうというイベントです。
音の無いサイレント映画に活弁を乗せて観る、というのは1900~20年代に隆盛していた鑑賞方法です。トーキーつまり音声付きが映画の基本となってからは衰退してしまいましたが、現在でも話芸の一つとして活動を続けている人たちがいます。
長く多くの映画を観てきましたが、この形式で映画を楽しむのは初めての経験です。実のところ現在1920年代以前の映画をDVDや配信などで観る際には既に弁士によるナレーションが付されているものもあるのですが、実際に観てみるとやはり一味も二味も違いました。
今回上映されたのはコメディ色の強い短中編を4本。
1本目は「迷惑帽子」。映画の上映が始まる映画館を舞台に派手ででかい飾りを付けた帽子をかぶった貴婦人が次々と映画館前方の席を陣取っていく、という内容の約3分の短編です。1909年の作品で監督は映画芸術の基本を作ったと言われるD・W・グリフィス。「國民の創生」(1915年)や「イントレランス」(1916年)が特に知られています。この映像に合わせてイベントの諸注意を織り込んでいく弁士大森くみこさんの話芸が見事。
2本目は「月世界旅行」。科学者たちがロケットで月へ飛び、不可思議な冒険を経験します。1902年にジョルジュ・メリエスが手掛けた13分の短編で、「世界初のSF映画」とも言われる、映画の歴史を語る上で外すことのできない1本です。複数のシーンを繋いでフィルムを「編集する」という今ではスマホ1台でもできるくらい一般的に浸透したテクニックがこの映画で初めて取り入れられました。
3本目は「ぱん。」。小さなパン屋を舞台にドタバタが繰り広げられます。今回のイベントに登場した辻凪子さんが阪元裕吾監督と共同で手掛けた17分の短編で、2017年に製作されました。これのみもともと音声のある通常の映画(何なら劇中歌まである)を敢えて音声を消して活弁を乗せる方式で上映されました。劇中歌もライブで歌うなかなかに意欲的な試みで、スラップスティックでスピード感のある内容と活弁がマッチしていてコレはコレで興味深い1本でした。
4本目は「キートンの探偵学入門」。1924年、バスター・キートンが監督と主演をこなした45分の中編です。探偵に憧れる映写技師の青年が思わぬ事件に巻き込まれます。途中夢の中で映画に入り込んだキートンが次々に切り替わる場面展開に翻弄されたりと言った映像トリックがふんだんに盛り込まれているほか、バイクチェイスや走る列車の上でのスタントと言ったバスター・キートンの身体能力の高さが可能にしたスタントの数々が楽しめるこの作品は高い評価を受け(とはいえ本国での初上映時は興行的にはイマイチだったとか。)、アメリカ国立フィルム登録簿に保存されています。何より白眉は中盤で登場するビリヤード。「13番ボールが悪漢の手により爆弾入りの物にすり替わっている」という状況の中で次々決まるスーパーショットに目を奪われます。
活弁の魅力を一番感じたのもこの作品で、キャラクターたちのセリフ回しだけでなく状況説明の巧みさも相まって心底楽しい1本になりました。
4本の上映後にはアフタートーク。活弁士は活弁の台本を自分で書いて用意すること(そのため同じ映画でも弁士によってテイストが変わる)や、今回の公演では天宮遥さんが務めたピアノ演奏は、基本的に弁士の喋りに合わせて終始アドリブで演奏することなど興味深い話も多々。今回のイベントに登場した辻凪子さんは今、新作で活弁用のためのサイレント映画を準備しているそうでそのチャレンジングな試みがどのように結実するか楽しみです。
温故知新、とはこういうことを言うのでしょう。実に刺激的で楽しい時間でした。また機会があれば是非行きたいですね。阪東妻三郎とかの時代劇も観てみたい。
先代は何せ6年以上使っていたのでさすがにガタが来始めていたのもあったのですが、新しいiPad mini、ゲームをプレイしてみても動画を再生してみても画質音質が格段に向上してビビります。
こんばんは、小島@監督です。
iPad mini 6、サイズ感も丁度良くて色々使いでがありそう。
さて、先日「辻凪子・大森くみこ ジャムの月世界活弁旅行」というイベントに行ってきました。サイレント映画を弁士の活弁付きで楽しもうというイベントです。
音の無いサイレント映画に活弁を乗せて観る、というのは1900~20年代に隆盛していた鑑賞方法です。トーキーつまり音声付きが映画の基本となってからは衰退してしまいましたが、現在でも話芸の一つとして活動を続けている人たちがいます。
長く多くの映画を観てきましたが、この形式で映画を楽しむのは初めての経験です。実のところ現在1920年代以前の映画をDVDや配信などで観る際には既に弁士によるナレーションが付されているものもあるのですが、実際に観てみるとやはり一味も二味も違いました。
今回上映されたのはコメディ色の強い短中編を4本。
1本目は「迷惑帽子」。映画の上映が始まる映画館を舞台に派手ででかい飾りを付けた帽子をかぶった貴婦人が次々と映画館前方の席を陣取っていく、という内容の約3分の短編です。1909年の作品で監督は映画芸術の基本を作ったと言われるD・W・グリフィス。「國民の創生」(1915年)や「イントレランス」(1916年)が特に知られています。この映像に合わせてイベントの諸注意を織り込んでいく弁士大森くみこさんの話芸が見事。
2本目は「月世界旅行」。科学者たちがロケットで月へ飛び、不可思議な冒険を経験します。1902年にジョルジュ・メリエスが手掛けた13分の短編で、「世界初のSF映画」とも言われる、映画の歴史を語る上で外すことのできない1本です。複数のシーンを繋いでフィルムを「編集する」という今ではスマホ1台でもできるくらい一般的に浸透したテクニックがこの映画で初めて取り入れられました。
3本目は「ぱん。」。小さなパン屋を舞台にドタバタが繰り広げられます。今回のイベントに登場した辻凪子さんが阪元裕吾監督と共同で手掛けた17分の短編で、2017年に製作されました。これのみもともと音声のある通常の映画(何なら劇中歌まである)を敢えて音声を消して活弁を乗せる方式で上映されました。劇中歌もライブで歌うなかなかに意欲的な試みで、スラップスティックでスピード感のある内容と活弁がマッチしていてコレはコレで興味深い1本でした。
4本目は「キートンの探偵学入門」。1924年、バスター・キートンが監督と主演をこなした45分の中編です。探偵に憧れる映写技師の青年が思わぬ事件に巻き込まれます。途中夢の中で映画に入り込んだキートンが次々に切り替わる場面展開に翻弄されたりと言った映像トリックがふんだんに盛り込まれているほか、バイクチェイスや走る列車の上でのスタントと言ったバスター・キートンの身体能力の高さが可能にしたスタントの数々が楽しめるこの作品は高い評価を受け(とはいえ本国での初上映時は興行的にはイマイチだったとか。)、アメリカ国立フィルム登録簿に保存されています。何より白眉は中盤で登場するビリヤード。「13番ボールが悪漢の手により爆弾入りの物にすり替わっている」という状況の中で次々決まるスーパーショットに目を奪われます。
活弁の魅力を一番感じたのもこの作品で、キャラクターたちのセリフ回しだけでなく状況説明の巧みさも相まって心底楽しい1本になりました。
4本の上映後にはアフタートーク。活弁士は活弁の台本を自分で書いて用意すること(そのため同じ映画でも弁士によってテイストが変わる)や、今回の公演では天宮遥さんが務めたピアノ演奏は、基本的に弁士の喋りに合わせて終始アドリブで演奏することなど興味深い話も多々。今回のイベントに登場した辻凪子さんは今、新作で活弁用のためのサイレント映画を準備しているそうでそのチャレンジングな試みがどのように結実するか楽しみです。
温故知新、とはこういうことを言うのでしょう。実に刺激的で楽しい時間でした。また機会があれば是非行きたいですね。阪東妻三郎とかの時代劇も観てみたい。

