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ちゅうカラぶろぐ


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この週末、家族の用事で下呂温泉へ行ってきました。宿泊旅行なんて2月のアイマスライブ遠征以来。せっかくなのであのGoToキャンペーンも利用しての旅行です。本当に普段ならまず使わないクラスの宿がお手頃なお値段になりましたわ(笑)
 丁度時期的に良いのもあるのでしょうが、自分たちでもそうなので、キャンペーンの影響もあるのでしょう。通りとか店とか結構混雑していました。温泉街が賑わっているのは良いことなのですが、今は何というか少し身構えてしまいますね(苦笑)
 とは言えやはり温泉は良い。久しぶりにのんびりできました。

 こんばんは、小島@監督です。
 下呂に行くのは十数年ぶりだったのですが、車なら自宅から下道使っても90分掛からないのとなかなか良さ気な店も見つけたのでまたそのうち行こう。ちょうどフィットも手に入ったことだし。

 さて、今回の映画は「ウルフウォーカー」です。

 17世紀アイルランド・キルケニー。植民地化を進めるイングランドは農地拡大を推進すべく森を切り拓こうとしていた。しかしそこにはオオカミが棲みついており森の開拓は同時にオオカミの襲撃の頻発化を招くことにもなった。護国卿(声・サイモン・マクバーニー)の命令でハンターのビル・グッドフェロー(声・ショーン・ビーン)は娘ロビン(声・オナー・ニーフシー)と共にキルケニーに移り住む。厳格な護国卿を恐れるビルはロビンを街から出したがらないが、父の手伝いをしたくてたまらないロビンはある時こっそりと後を付けていく。そして森の中でオオカミと共に生き魔法の力で傷を癒す不思議な少女と出会う。少女の名はメーヴ(声・エヴァ・ウィッテカー)、人間とオオカミが一つの体に共存する存在「ウルフウォーカー」であった。

 1999年の設立以来優れた作品を発表し続けるアイルランドのアニメーション・スタジオ「カートゥーン・サルーン」、日本では今年初頭に「ブレッドウィナー」(製作は2017年)が公開されています。今作「ウルフウォーカー」は、ケルトの伝説に着想を得た「ブレンダンとケルズの秘密」(2009年)「ソング・オブ・ザ・シー 海のうた」(2014年)に続く三部作を締めくくる作品として製作されました。

 2D手描きアニメーションの表現を突き詰めていくカートゥーン・サルーンの映像は今作の監督を務めるトム・ムーア自身も認めていますが、スタジオジブリ作品からの影響が随所に見て取れます。特に今作では「オオカミと共に生きる少女」が登場するあたりに「もののけ姫」との相似を見出せますし、感情の高ぶりやアクションのダイナミズムを表現する際に荒々しい輪郭線をそのままに描出していくところなどは「かぐや姫の物語」からの影響を見て取れるでしょう。
 特に強く表面に出る文明と自然の対立の構図は映像面でも強く表され、街やそこに生きる人々は直線を主体にしたビジュアルとビビッドな色合いで、ウルフウォーカーや森の中は曲線と水彩調の色使いで表現しており、アニメーションらしい美しさでもって見せてくれます。

 しかし構図が似ているとはいえこの作品は単なる「自然と文明の対立」だけの物語ではありません。森の主のように描かれるオオカミの姿はプリミティブなアニミズム信仰に根差すアイルランドの民にとっては畏敬の念を抱く精霊ですが、敬虔かつ厳格なキリスト教徒である護国卿(時代背景を考えるとオリバー・クロムウェルをイメージしているのではと思われる)から見れば、それは淘汰し征服すべき存在です。またそういう土着信仰とキリスト教との対立に加えて、街から、どころか出来ることなら家からもロビンを出したくない父・ビルや、その父に命令する護国卿とのいわば「強権的な父性」との対立なども絡み合い重層的な物語が展開していきます。
 それでいて、根底が少年少女へ向けた作品であることも忘れておらず最終的にはロビンとメーヴ、2人の少女のシンプルな友情と勇気の物語へと集約されていく手腕も見事なものです。

 アニメならではの躍動感に溢れる一方で、少なからぬカットが一枚絵としても成立するほど完成されたビジュアルをしています。動いても、止まっていても美しい映像とエモーショナルな物語、「ウルフウォーカー」にはエンターテインメントとしてのアニメ映画に求められる全てが揃っていると言っても過言ではありません。ジブリやピクサー・スタジオと違ってまだまだ日本での知名度が低いせいか公開規模がそれほど大きくないのが残念ですが、お近くの映画館で上映している所があるなら是非とも観て頂きたい一本ですね。

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この週末に配信されていたアイマスイベント「THE IDOLM@STER SHINY COLORS MUSIC DAWN」、当初はライブ配信のみの実施と告知されていて、仕事などとモロ被りだったのでスルーせざるを得なかったのですが、イベント数日前になってアーカイブ配信を決定してくれたおかげでイベント前日にチケットを買って鑑賞してました。アイマスに限らず何気にこういう有料の配信イベントをチケット買って観るという行動を起こしてみたのが今回が初めてですが、普段ならどうにもできないタイミングでも「観る」という選択肢が選べるのは良いですね。
 スタジオ収録かと思いきや結構大きな会場を用意していてライティングやスクリーン演出やら何もかもがガチ。時にはステージの床面にも映像を映し出していたあたり、本来なら観客を入れて行われる予定だったんだろうなと思わされます。一方で、ドローンなども用いて「最前列でも観れない映像」を積極的に見せようとする運営側の努力も相まってなかなか迫力のある映像でパフォーマンスを楽しめました。また、観客席にペンライト的な形状の照明を用意していたのが印象的(笑)あるとないとではやっぱり雰囲気が違うのでしょうか。
 自宅で独りで観ているのでボルテージを上げてコール入れたりとかは当然無いのですが、細かな動きや演出を初見の状態でじっくりと楽しむというのも今までのライブ鑑賞にはあまりなく、その辺りも興味深い経験でした。今のところまだDay2しか観ていないのですが、Day1の方も早いところ見なくちゃ。津田健次郎さんがMCやってるってだけで強いしね(笑)!

 こんばんは、小島@監督です。
 ところでこういう有料イベント、今回は割と早い段階で知り得たので良いものの、普段声優やアーティストのアカウントやネットラジオなんかをマメにチェックしているわけではないせいか知らぬ間に実施されていたりすることが多いのですが、皆さんどこで情報を得てらっしゃるんでしょうか?

 さて、もう既に長くなっていますがちゃんとやります映画の話。今回の映画は「セノーテ」です。

 メキシコ・ユカタン半島。そこには「セノーテ」と呼ばれる泉が点在している。マヤ文明の時代、そこは現世と読みの世界が繋がる場所と考えられ、住民たちの唯一の水源であり雨乞いの儀式のために生贄が捧げられた場所でもあった。現在もマヤにルーツを持つ人々が泉の近辺で生活している。人々によって伝わってきた言葉と映像を重ね、過去と現在の記憶を紐解いていく。

 「その人にしか撮れない映像を撮る映像作家」というのは確かにいます。この作品を手掛けた小田香監督もそれに連なる一人でしょう。断崖に囲まれた泉「セノーテ」を題材に独特のアプローチで不可思議な映像世界を展開します。
 それは例えばネイチャー系の番組のように俯瞰した視点で大自然の驚異を綴るでもなく、清冽かつ静謐な映像でスピリチュアルに語るでもなく、時に生贄すらも必要としたほどに重要な場所であったセノーテに対し、そこに生きた、あるいは今も生きている人たちの息遣いをもすくい上げようとする程に深入りしていきます。それはある意味で「深淵」を覗き見る試みであると言えるでしょう。故にそんな視点を通してみる泉の中は命を繋ぐ清浄さと命を終わらせる汚濁の双方を宿しているように感じられます。
 また、この映画は音にも注目です。泉に潜っていくダイバーの呼吸音、木々の騒めきだけでなく時に住民の方が豚を解体する際の音まで、「作られたものではない生々しい音」に満ち溢れています。この音と映像が混然となり驚くべき未見性を持った映画が出来上がりました。

 75分と短い作品ですが非常に個性的で癖の強い映画のため、何%かの人は確実に寝落ちするタイプの作品じゃないかと思いますが、同時に何%かの人は生涯忘れない鑑賞体験になることでしょう。なかなか観られる機会も限られる作品とは言え、多くの人にトライしてみてほしい1本ですね。

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昨日の歌会に参加された皆さん、お疲れ様でした。
 3か月ぶりの開催となった歌会、前回同様いろんなことが手探りという感じでなかなかこれまで通りとはいかない難しさを実感しますね。あと個人的に歌会以外ではほとんどカラオケに行かないのでカラオケ自体前回の歌会以来だったから最初は声の出し方から探り探りでしたわ(苦笑)

 こんばんは、小島@監督です。
 それから、休止期間中に顔を見れた方ってそんなに多くないので大半の方が数か月~年単位ぶりでしたしそういう方たちと言葉を交わせたのも嬉しかったですね。昨今の事情を考えるとまたこれまで通りにコンスタントに、とはいかないでしょうが開催される折はなるたけ顔を出したいと思います。

 さて、今回の映画は「星の子」です。

 高校受験を控えた林ちひろ(芦田愛菜)は、両親(永瀬正敏・原田知世)と姉(蒔田彩珠)の4人家族だが家庭の様子は普通とは少し違っていた。未熟児として生まれ病弱だったちひろのために両親はあらゆる療法を試した末に心霊療法に辿り着いた。特別な生命力を宿したというその水によってちひろの病状は改善。それを機に両親は「怪しい宗教」にのめりこむようになっていく。そんな両親と距離を置くように姉は家出を繰り返し、やがて戻らなくなってしまう。転居を繰り返すたびに家も狭くなっていった。それでも自分に愛情を注いで育ててくれた両親のことをちひろは大好きだったし、そんな家の事情を知っていても仲良くしてくれる友人もいて、また数学教師の南(岡田将生)への恋心も手伝って学校生活はそれなりに充実していた。
 しかし秋も深まり冬に差し掛かろうかというある日に、ちひろの心を揺さぶる事件が起きる。

 「信じる」とは、時に美しく純粋であり、時に醜悪な狂気に映るもの。決して起伏の激しいとは言えない、むしろ静かなトーンの物語の中で語られるのは、そんな「信じる」ことへの危うさです。際どい境界線上を揺らぎながら歩き続ける少女の不安定な心情を巧みに描き出します。

 この映画をより見事なものにしているのは何と言ってもこれが6年ぶりの映画主演となる芦田愛菜の演技です。少女の心の揺らぎを時に表情一つで演じ切って見せます。当人も撮影時は主人公と同じ15歳だったはずなのですが「少女が良くも悪くも精神的に大人へと成長し始める瞬間」の表情を演じてみせたのにはさすがに唸りました。芦田愛菜、実際のところ今何周目の人生を歩んでいるのでしょうかといぶかってしまうほどの重厚さです。
 無論ほかの方の演技も負けていません。というか「演技下手な人が一人もいない」のがこの映画の静かで大きな特徴で、そんな登場人物全員が全員自然な振る舞いをしているのは一見地味ですが実はなかなかの凄みです。

 物語の大きな特徴として、主人公・ちひろに対して「実は悪意を向けている人はほとんどいない」ことがあります。それは家族愛であったり友情であったり、あるいは信仰心に根差したものでもあったりと質も深さも様々ですが彼女に向けられているのはほぼ全て善意から来るものです。そうであるが故に作中数少ない彼女に向けられるある「悪意」とそれに晒されたちひろの表情が際立つとも言うのですが。面白いのは「そもそもこの状況が出来上がった発端が、自分自身が宗教染みた水によって体が治ってしまったこと」にあることを当人が気づいているが故に際どく危うい中を歩かねばならないことになってしまっている点です。

 クライマックスに、この映画にはかなり長い、カメラの位置さえ固定されたワンカットのシーンが登場します。決して劇的なことが起こるわけではないのですが独特の静謐な緊張感が漂うそのシーンでの会話や表情はどうぞ見逃さないでください。
 独特にして生々しい苦みや胸苦しさを感じさせられる1本ではありますが、それ故に人の心に残せる「何か」がある作品とも言えるでしょう。起伏が少ないのでダイナミックな映画が観たいときには向かない作品ですが、秋も深まりつつあるさなかにじわりと染み入るような、こんな1本も時には良いと思いますよ。

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「エヴァ新劇場版」の完結編の封切り日が遂に来年1月23日に決定。したのは良いのですが、待たされすぎて楽しみよりも先に「本当にその日に公開されるの!?」感が先に立ってしまうのが何とも(苦笑)。終わってしまところを観たくないような、でも一日も早く観たい謎のジレンマ。

 こんばんは、小島@監督です。
 そうは言いながら無論ちゃんと公開されたら即観に行きますとも。

 さて、今回の映画は「鬼滅の刃 無限列車編」です。

 炭治郎(声・花江夏樹)と善逸(声・下野紘)、伊之助(声・松岡禎丞)の3人は新たな任務を受け列車「無限」に乗り込んだ。そこには煉獄杏寿郎(声・日野聡)が先に乗り込んでいた。鬼殺隊の最高位の一人であり「炎柱」の位を持つ煉獄に、炭治郎は過日の戦いでかつて父より教わった「ヒノカミ神楽」が自身を救ったことへの疑問をぶつけるが、色よい回答は得られなかった。そんな折、車掌が検札に訪れる。切符にハサミが打たれたその直後、列車の中から鬼の気配がし始めた…

 最早「社会現象」と呼ぶに相応しいムーブメントを巻き起こしている「鬼滅の刃」は、どこか不思議な雰囲気の作品だなと思っています。これに匹敵する規模の流行を起こした直近の作品と言えば「進撃の巨人」あたりになるのでしょうが、壁に囲まれた街という閉塞感やそれすらも踏みにじるほどの理不尽を前になお刃のような眼を向けて立ち向かう人間たち、という辺りに流行や共感の源泉を見て取れる分ある意味で分かりやすかったのですが、そういう強いフックを最初から持ち得ていたタイプの作品ではありません。特に1,2巻辺りは原作を今読んでみてもかなり地味な部類に入るんじゃないかと思います。ただ冒頭から強く前面に出ていて、かつ炭治郎のモチベーションに大きく寄与しているのが「長男だから」というのは目を引きました。これまで少年バトル漫画ではクローズアップされてこなかった感覚ではないでしょうか。勤勉で責任感が強くそして何より人だけでなく鬼に対してすらその悲哀を掬いとる優しさを持つ少年、確実にこれまでの主人公像とは一線を画します。ある意味で現代的とは言えない思考感覚でもあるでしょう。顔の一部に痣のある炭治郎を筆頭に皆どこかしら「醜」を感じさせる部分を持っているちょっと癖のある和風のビジュアルと共にこの少し古風な感覚が物語を牽引しているのは興味深いところです。

 映画は原作の7~8巻の前半に相当する部分を映像化しています。ほぼ全く説明が入らずTVシリーズのラストシーンからそのまま地続きに始まるのでもしTVシリーズなり原作なりを知らないまま突っ込むと面食らうこと必至。その点注意が必要です。
 TVシリーズから高いクオリティを誇っていた作画は今作でも見事なもので、「最初から劇場版を意識して作られている」点で更にスケールとカロリーが大きくなっており、単純に観ていて楽しい作りになっています。
 またシナリオについても原作への理解度が非常に高いのが特徴です。鑑賞後に原作を読んでみましたがよほどちゃんと咀嚼しないとこういう風には料理し得ないであろうシーンのオンパレードで、原作からのファンも満足のいく出来栄えになっているんじゃないかと思います。つくづく「鬼滅の刃」はスタッフにもキャストにも恵まれた作品だと言えますね。

 何より初日だけで10億の興収を叩き出してみせる集客力は本物です。私は公開2日目となる一昨日に観に行きましたがミッドランドスクエアシネマだけで20回以上も上映されると言うのにそのほとんどが満席、それも席数制限をかけていない正真正銘の満席というのはもう長いこと見ていない光景です。この作品で「映画を初めてスクリーンで鑑賞する」なんて子ども達もきっといるかと思うとそれだけで嬉しくなります。暗く厳しい話しか聞かなかった今年の映画館で今度こそ起死回生となる1本が登場しました。もっと先へ、行けるところまで行って欲しい。そして映画館を救っておくれ。がんばれ長男。

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先日ひょんなことからホンダ・フィットを譲り受けることに。仕事でならともかくプライベートでは長く軽自動車しか運転していなかったので普通車の感覚に慣れるべくここ最近は休日の度に時間を作って軽くドライブしています。10年くらい前の型なのですが乗りやすいし軽と比べれば当然ですがシートもゆったり。今はまだちょいと不安なので近所を回るくらいですが慣れれば遠出も良さそうです。

 こんばんは、小島@監督です。
 せっかくの機会ですし行動限界を少しずつでも広げていきたいですね。

 さて、今回の映画は「爆音映画祭」より「機動戦士ガンダム 逆襲のシャア」です。

 幾度の戦いを経てもなお地球からの宇宙移民を統制し続ける旧弊と腐敗に満ちた地球連邦政府の在り方に絶望したシャア・アズナブル(声・池田秀一)は「ネオ・ジオン」を結成し反乱の狼煙を上げた。シャアは地球連邦政府があるチベット・ラサへ小惑星「5thルナ」を衝突させる作戦を敢行する。連邦軍外郭団体のアムロ・レイ(声・古谷徹)とブライト・ノア(声・鈴置洋孝)はそれを阻止しようと行動を開始するが。

 「爆音映画祭」というのは、通常の上映とは異なり映画館にライブ用の音響機材を設置して特別にチューニングし、通常上映よりも大音響で映画を鑑賞する、という企画でかつてミニシアター「吉祥寺バウスシアター」(2014年に閉館)で特別上映の目玉企画の一つだったものです。評判が広がったことでバウスシアター開催時に企画を立ち上げた樋口泰人氏によりメソッドが組み上げられ2008年以降は全国各地の映画館やライブハウスなどでも開催されるようになりました。名古屋でも109シネマズ名古屋にて時期は不定期ながらほぼ年に1回のペースで開催され、今回で6回目になります。ただ今まで機会ができず、体感するのは今回が初めてになります。
 通常より音量が大きめの上映形態であるため、大きな音の迫力が増しているのはもちろん必然的に小さな音も鮮明に聴こえるようになっているのが特徴です。その企画の特性上音楽映画との相性がことのほか良いため編成されるプログラムも音楽映画やミュージカル映画、あるいは音響に特色のある作品が自然と主力になる傾向にあるようで、今年のプログラムも半分はアーティストのドキュメンタリーやライブ映像を楽しむ作品で構成されていました。

 アムロとシャアの最後の戦いを描く「機動戦士ガンダム 逆襲のシャア」、いわゆる「逆シャア」はTVシリーズの再構築ではない初めての完全新作劇場版として1988年に製作されました。回転するスペースコロニーの描写などごく限定的ではありますがガンダムシリーズで初めて3DCGが使われた作品でもあります。DVDや配信などで何度も観ている作品ではありますがスクリーンで鑑賞したのは今回が初めてです。

 初めてのスクリーン鑑賞がそうさせたのか、はたまた「爆音映画祭」という上映形態がそうさせたのか、良く知っているはずの「逆襲のシャア」という物語に初めて触れたような新鮮な印象を味わいました。というより「今までこの物語を真正面から観た事が1度も無かったのだ」ということを叩きつけられた気分です。開幕のオーケストラの音に鷲掴みされた後は気づけばのめりこんで観ている自分がいました。一軍というより一国を率いようとしているのに本質は自身の持ち得ないものを持っているアムロに対する拘りだけに突き動かされるシャアや、まだその気構えもできない内に「大人の論理」の渦に放り込まれ、更に元々不安定な性格だったクェス・パラヤ(声・川村万梨阿)に翻弄されることで均衡を見失っていくハサウェイ・ノア(声・佐々木望)の心情もよりダイレクトに感じ取れたように思います。

 改めてこの作品を観てみたとき、1988年と言えばまだ冷戦期の最中にあって「戦争」と言えば「ベトナム戦争」、あるいは当時よくニュースで報じられていた「イラン・イラク戦争」のイメージも強かったであろう時に既に今日的なテロリズムとの戦いの在り様に富野由悠季監督が直感的に気づいていたような節があります。恐らくこの直感をよりブラッシュアップして映像化したのが後年「∀ガンダム」の序盤で起こる戦いの姿のように思います。しかもそれでさえいわゆる「9.11」の前に作られているところに驚きがあります。
 と同時に、この映画の数年後を舞台にした「ガンダムUC」が、ここまでの物語で描かれてきた戦いを体感した者たちがバナージやオードリーに「何か」を伝えようとする描写が多いのも、ガンダムシリーズに「何か」を感じ取った当時の青少年たちが次代の少年たちへ語り継ごうとする試みの物語であったのだとようやく腑に落ちるような感覚も味わいました。

 正直言って今回自身の中にここまでの感情を湧き立たせてくれるような映像体験になるなどとは観る前は思ってもおらず、そういう意味では非常に稀有で貴重な体験でした。爆音映画祭、甘く見ていたぜ。機会があったらまた何か観に行こう。

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この秋は本来なら春から夏にかけて放送する予定だった作品もずれ込んでいたりするからか、例年よりアニメの新番組が多い印象。番組表チェックしてたら深夜アニメが同時間帯に2つ3つ重なっているのも何だか久しぶり。これも一つの揺り戻しかもしれませんね。
 そんな中で私の最注目は何と言っても「ドラゴンクエスト ダイの大冒険」。私が中高生だったころに夢中になって読んだあの漫画がまさか今になって再アニメ化されるとは。しかもスタッフもキャストも良い!初回はアクションに躍動感を持たせつつ手堅く作り上げてる印象で先行きに期待が持てます。あとは原作のラストまで映像化してくれることを祈るのみ!

 こんばんは、小島@監督です。
 皆さんの今期の期待作は何ですか?

 さて、今回の映画は「シリアにて」です。

 シリア首都ダマスカスのアパートに住む女主人ウンム・ヤザン(ヒアム・アッバス)は、夫の帰りを待ちながら家族と共にアパートの一室に籠り、隣家のハリマ(ディアマンド・アブ・アブード)夫婦も幼子を伴ってそこに身を寄せ一種のシェルターとして内戦下で息を潜めて生きてきた。その日ハリマの夫はレバノンの首都ベイルートへの脱出の手はずを整えるために協力者の元へ出向くべくアパートを出た矢先にスナイパーに撃たれてしまう。偶然その一部始終を見ていたメイドのデルハニ(ジュリエット・ナヴィ)はそのことをウンムに伝えるがウンムはハリマがアパートの外に出ることを恐れデルハニを押しとどめるのだった。

 「21世紀最大の人道危機」とも言われるシリア内戦に関する映画がここ数年公開が相次いでいます。多くはドキュメンタリーですが、事象を俯瞰的に見る事の多いドキュメンタリーとは異なり、今作のようなフィクションではより人の心情のひだをすくい上げられるところに大きな意味があると言えるでしょう。それはひとえにシリア内戦に限らず「戦争」そのものを映画でどう描き上げるかということにも繋がります。それ故にある意味では「この世界の片隅に」と似た視点を持っている作品ともいえます。

 この作品最大の特徴、それは「家からほとんど出ない」ことにあります。女性たちが武器を持たぬままに家族を如何にして護ろうとするかに主眼を置いているために外で「どんな戦いが起こっているか」はほとんど意味を持たないのです。外の状況を指し示すのはカーテンの隙間や柵の合間から見える僅かな風景と音のみ。この「音」が秀逸です。銃声、爆撃音、ヘリの飛行音が戦況を伝え、近づく靴音が彼女らの家が暴力に侵食されつつあることを予感させます。この絶望的なまでの閉塞感を伴った緊張感が絶えず続くのがこの映画の特徴です。暴力の描写を極力排したことで却ってその存在を浮き立たせてみせるところに凄みがある作品です。

 シリア内戦を長期化させている状況は実際のところとても複雑で、まさに混迷と言わざるを得ない状況ですが、こと一つの「家」に絞り切ってミクロな視点から見せるこの映画は俯瞰的な状況をほとんど説明しない作劇手法と相まって非常に普遍的なものを獲得していると言えるでしょう。単に「人の命と生活が危機に晒されている」という点で見れば戦争の現況がどうとかなど特に意味は無いのです。裏を返せば「予備知識が要らない」ともいえ、キツい題材ではありますが観易い部類の作品に入ります。
 ベルリン国際映画祭などで高い評価を得たとはいえ題材が題材なだけに公開が限定的であまり機会を捕まえられない作品ではありますが、今まさに世界の片隅で起きている事象を描き出すこの映画、できれば多くの方にご覧になって頂きたいと思いますね。



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ちょっとした経緯で、先日マリオットアソシア豊橋までデザートブッフェに行ってきました。しかもソロで!一人焼肉の経験はあるけどまさかおひとり様デザートブッフェする日が来ようとは(笑)全力でスイーツを満喫。こういう時は摂取カロリーなんて気にしないぜ!ただ全種完食できなかったのが少々心残りでしたけれども!
 また、現在のようなコロナ禍を受けてこういうブッフェ、それも特に人の出入りの多いホテルではどのように運営するのかというのも個人的に気になっていたところで、テーブルの配置とかスタッフの動きとかも興味深かったですね。あと、てっきり完全アウェイかと思ったら私同様に男の一人客が他にもいてそのうちの一人は持ち時間の半分で全種類完食して颯爽と立ち去って行きました。強者は何処にでもいる。

 こんばんは、小島@監督です。
 まぁそういう興味はさておきスイーツは本当に美味しかったのでタイミングが合えばまた行こう。次はさすがに誰か誘い出したい(笑)

 さて、今回の映画は「TENET テネット」です。

 ウクライナのオペラハウスでテロ事件が勃発。満席の観客が大量虐殺されるのを阻止すべく特殊部隊員の男(ジョン・デイビッド・ワシントン)は、メンバーたちと共に突入する。虐殺の阻止には成功するものの仲間を救うために身代わりとなって囚われてしまう。証拠隠滅のために自殺用の毒薬を飲む男。しかし男は別の場所で目を覚ました。毒薬はすり替えられていたのだ。男に新たな任務が告げられる。
 「未来からやってきた敵と戦い、世界を救え」
 そして男は時間を逆行する現象と、それを利用した武器があることを知る。キーワードは「TENET」、その言葉の使い方で未来が決まるという。巨大な陰謀の阻止を命じられた男の戦いが始まる。

 「ダークナイト」3部作などで知られるハリウッドきってのフィルムメーカー・クリストファー・ノーラン。その新作は、彼が何度もギミックとして使ってきた「時間」というものをいよいよ軸からいじり出してきたアクション・サスペンスです。「映画はスクリーンで観る」ということそのものに強いこだわりのあるノーラン監督、コロナ禍で大作映画が次々と延期やネット配信に切り替えていく中で敢えて劇場公開に踏み切ってくれました。おかげで期間の長短はあれ世界中の映画館が休業の憂き目に遭いましたが、そんな映画館に観客を呼び戻してくれたと、ある意味で救世主的な1本です。撮影がIMAXフィルムで行われ、IMAXが上映の基本フォーマットであるため、一般的なスクリーンでは左右が一部トリミングされた状態で上映されています。

 デジタルが基本の昨今に敢えてフィルム撮影を貫き通す姿勢は健在。どころかエッジがどんどんかかっていて、廃館となったオペラハウスを改装してエキストラで満席にした上でアクションを展開したり、ジェット機の爆発シーンを作るために中古の本物のジャンボジェットを用立てて爆破したり、何なら本物の金塊をバラまいてみせたりもします。お金の掛け方が凄すぎるというかほとんどノーブレーキでやりたい放題です。実物を使えばいいというものでもないですが、それを最大限に利用して最新のVFXと真っ向勝負できる映像を作ってしまうのがノーラン流。「通常の時間軸にいる者と逆行した時間の中にいる者」とが戦うアクションなど未見性満載の映像を圧倒的な迫力で楽しむことができます。

 一方でこの映画は欠点が非常にはっきりしています。全てを解きほぐしていけばこの映画は「特殊任務を受けたエージェントが辛い目に遭っているヒロインを助け仲間と共に世界を揺るがす陰謀を阻止する」という、王道かつシンプルともいえるスパイアクションなのですが、語り口が難解すぎる上にしかもかなり説明下手なのです。言葉で全てを説明すればいいというものでもありませんが、観客全員が映画の登場人物のように短い説明で全部を理解できるわけではないので、設定の主題そのものが人によっては何度も観ないと飲み込めないようなものは説明も描写も足りてないと言わざるを得ません。恐らくこの設定、どちらかと言えば映画より小説向きのような気がします。
 
 大きな欠点がありそれ故に相性の善し悪しが強い作品とは言え、この作品は事実上約半年ぶりの正真正銘の「大作」映画であることに違いはありません。私は全力で楽しんでしまいました。現実に根差したドラマも悪くはないですが、観客を一時非日常に引き込む、まさに映画の魔法に満ちたスケールの大きな作品を楽しめる久しぶりの機会です。こういう作品に飢えてた方は多いのでは。是非スクリーンで観る楽しさを噛み締めてみてほしいですね。


 

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