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ちゅうカラぶろぐ


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昨日富士急ハイランドコニファーフォレストで開催された「THE IDOLM@STER MILLION LIVE! 7thLIVE Q@MP FLYER!!! Reburn」を配信で観ていました。本来なら昨年開催される予定でしたがコロナ禍で延期となったイベントです。ライブタイトルに「Reburn」という言葉が後から付されているのが象徴的です。初の野外ライブということで、野外ならではの演出がふんだんに盛り込まれており映像で観ても「強い」画が次々と出てくる様に、PCの小さなモニターで観ているのがもどかしくなるほど。できれば現地で観たかったとの思いが強くなりました。

 こんばんは、小島@監督です。
 まだまだ気軽に遠征してライブを観に行ける日々は先になりそうです。

 さて、今回の映画はしばらくぶりに配信の作品から1本。「ヒトラーを殺し、その後ビッグフットを殺した男」です。

 1987年、愛犬と共に平穏に暮らす老人・カルヴィン(サム・エリオット)には秘密があった。若き日の彼はエージェントとして歴史の陰でヒトラー暗殺に成功していたのだ。しかしその事実は公になることはなく世界を変えられなかった無力感と恋人と死別し添い遂げられなかった後悔を抱えて生きてきた。
 そんな男の元にある日FBIが訪れる。山林地帯で多発している殺人事件、それは「ビッグフット」と呼ばれる得体のしれない存在の仕業というのだ。しかもそれに殺された遺体は未知のウィルスで汚染されていた。このままでは病原体の感染拡大までも引き起こされてしまう。FBIはエージェントであったカルヴィンにビッグフット殲滅を依頼しに来たのだ。

 勉強とか部屋の掃除とかのBGMに、音楽ではなく何か映像を流す方もいらっしゃるかと思います。私の場合、「X-FILES」とか「HAWAII FIVE-O」とかの基本1話完結のスタイルを取る海外ドラマを吹替版で流すことが多いのですが、たまにB~C級のモンスター映画にすることがあります。ぶっちゃけ真面目に見る気が無いから面白い作品である必要が無いので「時間の無駄」とかレビューされている物でも何の問題無くむしろそういうのが見たい時もあったりします。今回の映画もそうやって流し見しようとしていた1本です。
 「ヒトラーを殺し、その後ビッグフットを殺した男」なんてどう贔屓目に見ても頭が悪いとしか言いようがないこのタイトルで、しかし描かれているのは積年の後悔を抱きながら生き続けた男の晩節を描いた哀歌だと誰が想像できましょうか。ちょっとウキウキしながらアホ映画かけようとしてたんですよ、私。率直に言ってタイトルに「ビッグフット」が入ってる作品は基本クソ映画です。ええ、何ならAmazonプライムでもNETFLIXでも適当に検索をかけてみてください。きっと偏頭痛がします。だというのに、まさかこんなヘドロじみたところに一粒の金が眠っていようとは。

 この主人公カルヴィンを演じたのはサム・エリオット。1960年代の終わりから現在に至るまで映画やドラマに出演を続ける名優で、2018年には「アリー/スター誕生」でアカデミー賞助演男優賞に初ノミネートされました。また、製作総指揮を担ったダグラス・トランブルは「2001年宇宙の旅」や「未知との遭遇」のVFXを手掛けデジタル・エフェクトのパイオニアとされるレジェンド的人物です。キャストもスタッフもこの珍奇なタイトルからは想像もつかない渋く重厚な布陣です。 
 表情一つ、所作一つに哀切が滲むサム・エリオットの演技を骨太なカメラワークとBGMが支えます。タイトル通りちゃんとヒトラーは出ます。ビッグフットも出ます。ですが、実は思いのほかアクションシーンは少ない映画です。70代後半のサム・エリオットに激しいアクションは難しい、というのもあったでしょうが描くべきは老いた男が自身の矜持を懸けて最後の戦いに臨む姿そのものであり、どう戦ったかは最小限で十分だからでしょう。ラストシーンが醸し出す余韻の深さにはちょっと胸にこみあげるものがありました。

 ハリウッドメジャーな作品や文学映画だけを追っていては決して目に留まることの無い場所にありながら、ボンクラ映画を観たい向きには本気過ぎてそっぽを向かれてしまう、映画と言う広大な海の中でポツンと存在する孤島のような1本です。しかしそこで消えていってしまうにはあまりに惜しい魅力に満ちていて、映画が持つ魔法の不思議さに驚かされます。これぞ怪作。完全に油断していました。Amazonプライムなどで観ることができますので、この私のブログを読んでちょっとでも気になってくださった方は是非トライしてみて欲しいですね。 


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先日の話になりますが、トランペット奏者・数原晋さんの訃報が流れてきました。
 スタジオミュージシャンとして長く活躍されてきた方で、ジャンルを問わず、それこそクレジットされていないものまで含めると数え切れないほどの作品に関わってきた方です。有名な所だけでも「金曜ロードショー」の初代オープニングだった「フライデー・ナイト・ファンタジー」や「必殺仕事人」のテーマ、「ルパン三世のテーマ」、「天空の城ラピュタ」でのパズーの吹くトランペット「ハトと少年」、「ONE PIECE」や「さよなら絶望先生」などの劇判にも参加していたのでほとんどの方がそれと知らずともその音色を耳にしているはずです。
 また一人、偉大な方が世を去っていきました。謹んでご冥福をお祈りします。

 こんばんは、小島@監督です。
 先週の「金曜ロードショー」では追悼と感謝の意味を込めて初代オープニングを復刻して放送されました。私としてはあれを聴いて育った、というか自分にとっての「映画」の原体験を象徴する曲でもあるのでやっぱり落ち着けるものがありますね。

 さて、今回の映画は「るろうに剣心 最終章 The Final」です。

 幕末の動乱の中で「人斬り抜刀斎」と呼ばれる志士がいた。新時代・明治を迎えその男・緋村剣心(佐藤健)は二度と人を斬らないことを誓い、刀を逆刃刀に持ち替え不殺の流浪人として市井の人々を護るために剣を振るう。
 1879年、今は東京・神谷道場に身を寄せる剣心は日本転覆を目論む志々雄一派との死闘を終え、師範代・神谷薫(武井咲)や喧嘩屋・相楽左之助(青木崇高)らと共に穏やかな日々を過ごしていた。
 元新撰組であり今は内務省警視局に勤める斎藤一(江口洋介)は志々雄一派に甲鉄艦を手配した武器商人の情報を得て横浜に来ていた。その男・雪代縁は斎藤を認めると不敵な笑みを浮かべて一つの質問を投げた。
 「緋村抜刀斎の左頬に、十字傷はまだあるか?」

 2012年に公開された実写映画版「るろうに剣心」は、興行的にも高い評価を収めその後2014年に原作の京都編に当たるエピソードを「京都大火編」「伝説の最期編」の二部作として製作、連続公開されました。それから7年、いよいよ原作の最終章に当たる「人誅編」と「追憶編」が映画化されます。本来は昨年の同時期に公開の予定でしたがコロナ禍を受けて1年延期に。時間ができたからなのか、映像と音声をアップグレードしたIMAX版も同時に公開となりました。
 原作では「人誅編」の最中に「追憶編」が組み込まれ、その後「人誅編」の完結へと向かうのですが、映画版では「The Final」として人誅編を先に最後まで見せ、その後に「The Beginning」として追憶編を見せる構成を取っています。

 その「The Final」は、物語の熱量とアクションのキレが高いレベルで融合した、見事なエンターテインメントに仕上がっています。アクション監督・谷垣健治が仕掛ける、いわゆる時代劇的なチャンバラとは大きく一線を画す剣戟アクションは更にアイディアとスケールが上がり、邦画でここまでの物が観られるのかという驚きがあります。
 第1作を撮影した際はさすがにここまで製作できるようになるとは考えていなかったでしょう、原作では人誅編に登場する戌亥番神と外印が映画版では1作目に既に登場してしまっているため、登場人物にいくらかの変更が施されていますが、基本的なストーリーラインは原作と大きく離れてはいません。むしろ漫画でしかやれない部分を上手くオミットして構成したなという印象です。結果的にメインキャラでもモブみたいな扱いになってしまっている人もいて収まりが悪く感じる部分もありますが、「縁の剣心への復讐」という骨格がガッチリしているのでさほど不格好ということはありません。

 また、コロナ禍が治まり切らない「今」観ているからこその感慨として、とにかくその「画」の強さが上げられます。明治の東京の街をセットで構築し多くのエキストラを動員して撮影するそのスケール、恐らく今はやりたくてもやれないことではないでしょうか。手間も人も惜しまずに作り上げた映画だけが為しうるダイナミズムをこの作品は持っています。本来であればこれは感慨など覚えなくても良いはずの箇所であり、またともすれば今後数年は断絶されてしまいそうな技術の結集でもある作り上げられた画の強さに、ある種の切なさのような感慨を覚えずにはいられません。

 作中回想シーンで僅かに登場する剣心の妻・雪代巴を演じる有村架純の佇まいが実に美しく、彼女がヒロインとなる「The Beginning」への期待を否が応にも高めてくれます。結末を先に持ってきたことで最終作となる次作にも何かしらの「仕掛け」があるのではないか?という期待もありますね。
 緊急事態宣言の発令区域が更に拡大されていく中で映画館への逆風もまた強くなりつつありますが、これからしばらくは難しくなりそうなスケール感を持って製作された「るろうに剣心 最終章」、上映されるエリアに居るファンたちには是非とも盛り上げてほしい1本ですね。

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面積の差で休業要請の度合いが違っていたり、営業はしても良いから酒類の提供は禁止という業態があったりと言った緊急事態宣言とか蔓延防止措置と言っても腰の据わらない中途半端さに、連休前後は仕事の面でも振り回されて正直かなりうんざりしています。人が集まるのがよろしくない、という話なのにお酒だけ禁止したところで効果があるワケなかろうに。

 こんばんは、小島@監督です。
 東京の方ではドイツビールの祭典「オクトーバーフェスト」が開催していたりもするのですがビールはテイクアウトオンリーで会場内では飲めないという悪い冗談みたいな開催手法を強いられていたりしてどうにも忸怩たるものを感じます。

 さて、今回の映画は「名探偵コナン 緋色の弾丸」です。

 江戸川コナン(声・高山みなみ)と毛利小五郎(声・小山力也)、蘭(声・山崎和佳奈)と少年探偵団のメンバーたちは鈴木園子(声・松井菜桜子)のツテで4年に1度開催されるスポーツの祭典「ワールド・スポーツ・ゲームズ(WSG)」の東京大会開催を記念するパーティーへと出席していた。パーティーの最中、突然会場の照明が落ち、非常灯が点いた時には園子の父・史郎(声・松岡文雄)の姿が消えていた。停電中に青白い火花を目撃していたコナンは史郎がスタンガンで気絶させられ拉致されたと推測。時間的にまだパーティー会場であるホテルから出ていない可能性を推理し少年探偵団と共に史郎を発見することに成功する。
 捜査に来ていた目暮警部(声・茶風林)から史郎同様にWSGスポンサーの社長で同様に拉致されていた者がいることを知る。コナンは更に15年前にアメリカでもWSGスポンサーが拉致される事件があった事を知るのだった。

 当初は昨年4月に公開予定でしたがコロナ禍拡大により延期となり、1度は10月公開で調整していたものの再延期となり結局1年間の休止期間を余儀なくされた「劇場版名探偵コナン」がようやくスクリーンに帰ってきました。
 大幅なプロモーション活動の変更を迫られた中で思わぬ副産物も生まれています。今作「緋色の弾丸」でクローズアップされる赤井一家をフィーチャーしたエピソードで構成された総集編「緋色の不在証明」が製作され劇場公開された点です。「緋色の不在証明」は音声を劇場仕様にリマスターし一部に新作映像が用意されてはいるものの、古いところで10年は前に放送されたエピソードを採録しているためか映像のクオリティがバラバラでスクリーン鑑賞に耐えないシーンも見受けられますが、軽く忘れかけていたところを再確認して映画への期待を高めてくれるに丁度良い1本だったといえるでしょう。これまでも1日限りのイベント上映という形態で劇場版でメインとなる人物に因んだエピソードが上映された事はありましたが、限定上映に近かったとは言えそれなりの規模でのロードショーは初めての試みであったと思われます。思いがけず興行成績も良かったようで、来年以降もこの手法は継続されるかもしれません。

 「緋色の弾丸」の方に話を戻しましょう。
 冒頭、ハーモニカのソロによるロッシーニの「ウィリアム・テル序曲」が奏でられる中でセリフも少なめに展開されるコナンシリーズにしては異色の導入部に引き込まれますが基本的には劇場版名探偵コナンのご多分に漏れず、今回もスケールの大きな事件にコナンたちが挑むアクション・エンターテインメントに仕上がっています。推理よりも画面のハッタリを重視した作りも近年の傾向そのままで、最終的には「これ被害総額どれくらいになるんだ…?」と思わずにはいられないくらいのカタストロフィがクライマックスに待っています。

 今作のちょっとした見どころとして、物語の主舞台の一つが名古屋市(及び中部国際空港)である点が上げられます。名古屋城や金シャチ横丁、オアシス21など見慣れた場所がいくつも登場する、というだけでなくその場所を知っているが故に「ちょっと不自然な速度で移動している」のが見えてしまって何だかフフっとなります。名古屋に土地勘がある者だけの特権みたいな部分ですが、ご覧になる際は注目してほしい箇所ですね。黙ってても気になるところかもしれませんが(笑)

 登場人物の多さに比して群像劇としてはキレが悪く、粗さも目立つ作品ではありますがゴールデンウィークの顔ともいえる作品が1つ帰ってきてくれたのは素直に嬉しい。またしても緊急事態宣言が発令されて、東京や大阪では上映が中断される憂き目に遭ってはいますが、観られる地域の方には是非とも足を運んで盛り上げていってもらいたい作品といえますね。

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何か今日でTwitterを使い始めて丁度9年らしいです。実は最初は中学の同窓生との連絡用に作ったアカウントだったのですが、今やすっかり映画とアニメとアイマスのことばかり呟くオタクアカウントに(笑)。始めて半年くらい経った辺りからハッシュタグを使ってこのブログと紐づけるようになったので「#chukara」のタグももう8年以上使っている計算になります。

 こんばんは、小島@監督です。
 気づけば遠くまで来てしまったものよ。しかも全然成長している感が無い(苦笑)

 さて、今回の映画は「ナタ転生」です。

 かつて神々の死闘が繰り広げられた大陸。それより3,000年以上の時を経た現在、「東海市」では財閥企業である「徳興グループ」が支配し激しい貧富の格差に晒されていた。バイク好きの青年・李雲祥(声・楊天翔)は時にストリートレースで賞金を稼ぎ、普段は非合法スレスレの荷物を運ぶ密輸屋として奔放な生活を送っていた。幼馴染みで妹分でもあるカーシャ(声・朱可兒)と共に過ごす裕福とは言えないが充実した日々。しかし徳会長(声・宣曉鳴)の息子である三公子(声・凌振赫)が李雲祥のバイクに目を付けそれを欲しがった事で急変する。三公子は部下を伴い李雲祥とカーシャを襲撃。どうにかそれをかわして三公子に反撃することに成功する李雲祥だったが、激昂した三公子はその手から氷の矢を放った。それにより形勢は逆転される。しかし重傷を負ったカーシャの姿と自身の生命への危機が李雲祥の中に秘められた力を呼び起こした。李雲祥の中には3,000年以上前に神々と死闘を繰り広げたナタの魂が眠っていたのである。

 日本もアメリカも凌ぎ今や世界一のアニメ大国となった中国。製作本数だけでなく質的な面でも今や日本を凌駕しつつあります。日本でもロングヒットとなった「羅小黒戦記」が記憶に新しいところですが、またしてもパワフルな作品が日本へ上陸してきました。
 日本でも藤崎竜の手による漫画版などで知られる「封神演義」、それをベースに人気キャラクターであるナタ(哪吒)の魂を持った青年が戦いの渦に巻き込まれる姿を描く3DCGアニメーションです。

 冒頭、「AKIRA」や「レディ・プレイヤー1」を思わせるバイクレースのシーンから始まるこの映画は、ハリウッド映画やゲームなどの影響を随所に感じさせながらもエネルギッシュな語り口で観る者を強烈に引っ張ります。かなり展開が早い部類に入る作品ですが映像とセリフを組み合わせて設定を理解させるバランス感覚が見事で、親切で観易い作品と言えるでしょう。エンドクレジット後にもうワンシーンある、マーベル映画によく観られる作りをしているのですが、ちゃんと「続きがあるよ!」と字幕で表示される辺りも親切です(笑)
 3DCGというツールの使いぶりも見事でスピード感を出したいあまりに観客を「酔わせてしまう」というようなことがありません。しかも驚くことにこういった観客への配慮を怠っていないにも関わらずやりたい事を全部盛りにしてしまう、できてしまう「勢い」があるのがポイントです。特にアクションシークエンスのアイディアと演出の豊富さは驚異の一言。このクリエイターの熱量の凄みにはどこか1980年代から90年代にかけて急伸長した日本アニメに観られるものと似たようなものを感じます。それだけ今の中国市場には勢いがあるといえます。

 もう一つ、この作品の主舞台である「東海市」の1930年代の上海を思い起こさせるような頽廃的な背景や美術も見事です。驚くことに背景については場面単位で建物の要素を抽出して街を自動生成するアルゴリズムを作り上げたそうで、その技術力にも感服します。
 どこかアール・デコ調の車やバイクのデザインや、意外に義手や義足をした登場人物が多く機械的な要素が前面に出ている点などサイバーパンクやレトロフューチャーのテイストも強く、この世界観自体が「刺さる」人も多いことでしょう。

 当初からシリーズ化する気満々だったらしく、いくつかの要素は語り切らないまま終局を迎えますが、とにかくどのキャラクターも活き活きしていてラストまで来る頃には多くの方が「こいつらをもっと観ていたい!」と思えるようになっているんじゃないでしょうか。実際は私は続きが観たい。次回作にはナタに負けず劣らず人気の高い「あの人」も登場するようですし。

 「羅小黒戦記」と比べるとだいぶ公開規模が小さいのが難点ですが、現代中国のエンターテインメントのエネルギーを如実に感じられるこの作品、できれば多くの方に観て頂きたいと思いますね。

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東京や大阪を対象にまたしても緊急事態宣言が。寄りにも寄って金曜日の夜に発令されたためイベントやプロスポーツ関係、各種施設なども対応に追われる様がニュースで報じられたりしてました。映画館も都心部のシネコンには休業要請が出たりしています。
 また、間の悪いことにその週末は「アイドルマスターシャイニーカラーズ」の3rdツアー東京公演の開催日でもあり、運営側も相当苦慮したのでしょう、初日は観客を入れて2日目は無観客の配信のみという形に。当然現地のチケットは払い戻しです。今月は出費が嵩んでいるので当初は配信の視聴も見送るつもりでいましたが、この理不尽とも言える状況はさすがに居た堪れず、昨日のday2のみですが配信チケットを買ってライブを鑑賞してました。開演が予定より2時間も押したのは急な開催方式の転換によるトラブルが発生した面もあったはずです。
 また感染者が増えている状況なので致し方ないのかもしれませんが、文化的事業に対するダメージがもう大きすぎる。それでもなおオリンピック開催に向けて動いている都や政府の動きとのギャップも含めてさすがに私も憤りの方が大きくなってきています。

 こんばんは、小島@監督です。
 映画もまた封切りが次々と延期になっていますが、せめて行けるものは行こうと思っている今日この頃。

 さて、今回の映画は「ノマドランド」です。

 2011年、リーマンショックによる不況の影響を受けネバダ州の街「エンパイア」は所有する企業が破綻したことにより閉鎖され、ファーン(フランシス・マクドーマンド)は住む家を失った。
 ファーンはキャンピングカーを改造し荷物を積み込み車上生活を送りながらAmazon物流センターやキャンプ場など季節労働を渡り歩き全米を移動する「ノマド」として生きることを決意する。
 ファーンは行く先々で様々な理由で車上生活を選んだノマド達と出会いその交流の中で車上生活の術を学んでいくファーンの、長い長い旅路とは。

 実際にノマドとなって生活しながら彼らの生活ぶりを取材したノンフィクション作家ジェシカ・ブルーダーの著書「ノマド 漂流する高齢労働者たち」をベースとし、「スリー・ビルボード」などで高い評価を得るフランシス・マクドーマンドが主演とプロデュースを兼ねて映画化された作品です。各国の評論家や映画ファンからの絶賛を受け、既にベネチア国際映画祭金獅子賞、トロント国際映画祭観客賞、ゴールデングローブ賞作品賞・監督賞を受賞し、まさに今日アカデミー賞でも作品賞を受賞するなど今年の賞レースを席巻しています。

 非常に独特な雰囲気に包まれた作品です。カメラは主人公ファーンが車上生活に苦闘しながら多くを学び喜怒哀楽を発していく様を付かず離れず寄り添っていきます。しかも興味深いことにファーンが出会うノマド達は作中最も深く交流を重ねることになる初老のノマド・デヴィッドを演じるデヴィッド・ストラザーン以外はほぼ実際にノマドの人たちであり、数名は本人役でファーンに深く関わる人物として登場します。この劇映画でありながらもドキュメンタリーのような手触りの作風がこの映画を他に類を観ないものにしています。また、様々な容貌を見せる砂漠を背景にしたロードムービーでもあるこの作品はどこか1960~70年代に隆盛したアメリカン・ニューシネマ的な雰囲気を漂わせてもおり、しかもそれを手掛けたのが中国出身の女性監督であるクロエ・ジャオ、というのも実に興味深いところです。
 
 ファーンが家を失った街・エンパイアは実際にネバダ州に存在した街で、建築資材大手であったUSジプサムが従業員のために街ごと所有していましたが経営破綻と共にその機能も失い郵便番号さえ無くなってしまいました。無論そうして住む場所を失った人たちを救済する措置もあるのですがそこからこぼれた人も少なくないのが実相で、作中深くは描かれないものの、ファーンが旅路の中で出会う人々も多かれ少なかれそういったバックボーンを抱えています。
 しかし、それでも老後に差し掛かった身でありながら車上生活を選び取った彼らにはある種の「芯」があり、先行きの見えない不透明さを抱えながらも荒涼として見える路上でこそ解放される魂があることをこの映画は見出します。それを象徴するのが作中ある人物が言う「この生活にはさよならが無い」です。別れてもこの道の先のどこかでまた会える。死に別れたとしてもその思い出を誰かに語ることで記憶されていく。高齢で車上生活を続ける「ノマド」たちは紛れもなく社会問題ではありますが、弱者であることを自覚しているが故に知らない誰かとも通じ合い思いやる生き方を見せる、どこかシンプルですらある優しさを持つ彼らの姿に、映画の余韻と共に観る者の心に残す「何か」があることでしょう。

 この作品がコロナ禍が席巻する世界で称賛される理由は確かにあると感じられる映画です。今だからこそ観る意味もあるでしょう。上映は終盤に差し掛かっているようですが、アカデミー賞受賞を追い風にロングランになる可能性もあります。決してダイナミックな映画ではないので好き嫌いはあるでしょうが、それでも多くの方にご覧になって頂きたい1本ですね。

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先日、ずっとやらなきゃな~と思っていたスマホの機種変更を遂に実行。5年使っていたiPhone6sからiPhone12miniへスイッチ。iPhone12mini、最近のスマホの大型化に逆行する小型機でiPhone6sよりもほんの少し小さいです。ただ全面ディスプレイになったので画面サイズは大きくなってます。電器店で色々実機を触ってみて一番手に馴染んだのがコレでした。これで急激な発熱に悩まされずに「ウマ娘」を楽しめそう。

 こんばんは、小島@監督です。
 いやもちろんそれだけのために買ったわけじゃないですよ(笑)

 さて、今回の映画は「午前十時の映画祭」より「ザ・ロック」です。

 アメリカ海軍で特殊部隊を指揮し数々の武功を上げたハメル准将(エド・ハリス)は、しかし過去の作戦で軍に見捨てられ多くの部下を失ったことで軍と政府に怒りを覚えていた。名誉も与えられず遺族への補償も無く命を落とした部下たちに報いるためにハメルは反乱を起こす。兵器保管庫からVXガスとミサイルを強奪。今は観光名所となったアルカトラズ刑務所を観光客を人質にして占拠し政府を相手に脅迫する。
 事件を受けてFBI長官ウォマック(ジョン・スペンサー)は人質の解放と兵器の無力化のために海軍特殊部隊ネイビーシールズの派遣を要請し、化学兵器のスペシャリストとしてFBI特別捜査官のグッドスピード(ニコラス・ケイジ)を招聘する。そしてアルカトラズ侵入のための案内人として当局に幽閉されている、かつて唯一アルカトラズからの脱走を成功させた元・イギリス秘密情報部員ジョン・メイソン(ショーン・コネリー)を呼び寄せるのだった。

 シネコンで毎朝10時に名画を上映する「午前十時の映画祭」は、昨年で一旦終止符が打たれたものの特に一斉休業明けで新作も全く無い状況のシネコンをプログラム面で支え、結果的に旧作の再発見に繋がったのも功を奏したのか、約1年の休止期間を経て再開されました。その幕開けのプログラムとして選ばれたのがこの「ザ・ロック」です。
 「ザ・ロック」は1996年製作。監督は後年「トランスフォーマー」シリーズを手掛けることになるマイケル・ベイ。プロデュースは今もヒットメーカーとして多くの作品の製作を担うジェリー・ブラッカイマーと「ビバリーヒルズコップ」(1984年)や「トップガン」(1986年)などを成功させたドン・シンプソンが手掛けました。ドン・シンプソンはこの「ザ・ロック」公開前にドラッグの過剰摂取による心臓麻痺でこの世を去っており、これが彼の遺作となっています。また、実はノンクレジットながら脚本の一部リテイクをクエンティン・タランティーノが行っています。

 個人的には1990年代のアクション映画の中でも最高峰ではなかろうかと思うくらいには気に入っている作品です。マイケル・ベイ監督はこれがまだ長編2作品目というキャリアでしたがこの時点で既に「ベイ・ヘム」(マイケル・ベイと破壊行為を意味する単語「mayhem」を合わせた造語)と呼ばれる製作スタイルを確立させており、ダイナミズムとカタルシスに満ちた展開で135分という上映時間を牽引します。近年ではだいぶ先鋭化されてしまっているきらいがありますが、まだいくらかの泥臭さも残っているこのくらいの時期の作品の方が結構観易いと思われる方も多いのではないでしょうか。

 また、何よりこの映画は俳優陣の演技が素晴らしい。老いたジェームズ・ボンドのようなキャラクターを演じるショーン・コネリー、普段は内勤なのにいきなり最前線に送り込まれて困り果てる捜査官役のニコラス・ケイジ、悲壮な決意と覚悟を秘めて行動を起こす准将を演じるエド・ハリス、それら主演に加えてそれぞれに関わるサブキャラクターを演じる脇役たちも皆決まっていて、このアンサンブルが荒唐無稽ともいえる物語に強い説得力を与えてくれます。
 昨年10月に没したショーン・コネリーは2003年の「リーグ・オブ・レジェンド」を最後に数作のナレーションや声の出演を除いてスクリーンから去り、2006年に俳優業も引退しているためそのキャリアの終盤に差し掛かった頃の作品ですが、とにかく全編にわたり渋さとカッコ良さが全開で観る者を惹きつけてくれます。

 「午前十時の映画祭」は館によって観られる順番が違うので上映がもう終わった所とこれから始まるところがありますが、近場で機会が掴めそうなら是非観て頂きたい1本です。特にまだ新作の大作映画の上映が少ない昨今では旧作とは言えこのエネルギッシュな作品は映画を観る楽しさを思い出させてくれる1本になるはずです。また未見の方は映画館でなくともレンタルや配信でも良いのでこの物語を味わってみてほしいですね。

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リリース以降大ヒットを記録している「ウマ娘」、先日通話アプリ「Discord」を介して一人がプレイしているのを実況しつつ「如何にすれば目標を達成できるか」を数人がかりであれこれとやり取りしながら進める、というのに参加してみたのですがこれが滅茶苦茶楽しいのです。気づけば翌日出勤だと言うのに深夜にまで及んでしまい寝不足で仕事する羽目に(笑)

 こんばんは、小島@監督です。
 いや~人のプレイ見てるの参考になるわ~。

 さて、今回の映画は「モンスターハンター」です。

 現実世界とは異なる並行世界「新世界」、そこでは強力なモンスターを狩るために訓練されたハンターたちがいた。アドミラル(ロン・パールマン)と呼ばれる男が率いるハンターの一団は、ある時モンスター・ディアブロスの強襲を受け離れ離れになってしまう。
 一方で現実世界では、アメリカ陸軍レンジャーのアルテミス大尉(ミラ・ジョヴォヴィッチ)率いる国連のセキュリティチームが砂漠で行方不明になった隊の捜索に当たっていた。そこに不気味な嵐が近づき飲まれてしまう。嵐が過ぎ去った時、チームは砂漠の様相が一変していることに驚愕する。そこで行方不明になった兵士たちの遺体を発見した彼らは更に巨大なモンスターの襲撃を受けるのだった。

 カプコンの同名ゲームを原作に、「バイオハザード」シリーズの映画化で名を馳せたポール・W・S・アンダーソン監督と主演ミラ・ジョヴォヴィッチという布陣で実写映画化した作品です。カプコンとソニーが再びタッグを組んでゲームを映画化、というタームに原作と独特の距離感を持たせながら興行的に大成功した経験を持つこの布陣はある意味で必然とも言えるでしょう。
 実のところ、原作に対し強いリスペクトを持っているだろう割に自分のフィールドに引き寄せて映画を作ってしまうポール・W・S・アンダーソン監督のテイストは今作でもそのままです。

 正直言って大味にも程がある作品です。近年はゲーム原作の映画化でも原作へのリスペクトを作品に落とし込みそれを活かした映画が作られるようになってきましたが、この「モンスターハンター」はそうなる前の雰囲気を色濃く残した作品に仕上がってしまっています。
 ビジュアルセンスは悪くないものの、いくつもの謎や伏線を提示する割にそれに対してあまり興味を示さないシナリオの在り方そのものが大問題で全体的に知能指数の低い作品です。原作には全くそんな要素はありませんが、元々身体能力や戦闘技術が強い人が異世界でも割とすぐにそのルールを理解し、自身の能力を活かしてモンスターと戦うという流れはどこか「なろう系」ライトノベルを思わせ、それをハリウッドレベルの画作りで映像化しているのでなかなか独特の味わいがあります。

 一方でアクションシークエンスはそのアイディアだけでなく、主演ミラ・ジョヴォヴィッチと主人公アルテミスが新世界で出会うハンターを演じるトニー・ジャーの両者の体のキレが素晴らしく、特に中盤に登場する些細な行き違いから両者がガチンコファイトするシーンはピカイチの出来栄えです。ただ「モンスターハンター」というタイトルで一番アクションが冴えるのが人間対人間のシーンというのが問題というだけです。

 ただ色々ボロクソに言わざるを得ない割に個人的には「だがそれが良い」で突っ切れて楽しんでしまった1本なのでこんなに言ってるのに実は結構お気に入り。
 何よりちゃんとお金をかけて画面作りがされて、かつ何も難しいことを考えなくていい、ただ派手な映像に身を委ねればいい映画は本当に久しぶりでこういう「ボンクラ映画」に飢えに飢えていた私のような向きには原作に対しての忠実さの度合いなど気にせずこのノー天気エンターテインメントをどうぞ観に行っていただきたいと思いますね。劇場から出た途端に忘れてしまいそうな作品も時には必要なのですよ。ま、原作に強い思い入れが無いから言えることかもしれませんがね(笑)!

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